6-1 久し振りのコーヒータイムを、君と。
お久しぶりのオーランド視点です。\(・ω・*)
根本的に彼女は嘘をつくのが下手だと思う。それを当の本人が気付いていないのは非常に危なっかしいが、その方がこちらも探りやすい。
実際あの日エメリン嬢が渡した手紙を見た彼女の顔色がほんの少しだけ変わった。
あからさまとまでは言えないが、きっとその場にいたエメリン嬢以外の人間は気がついているものだとばかり思っていたのだが……。
帰りの馬車の中でそうマリー嬢とアーネスト様に話の水を向けてみたところ二人とも揃って「そんな風には感じなかった」と答えた。
いつも人のことをよく見ている二人が見逃しているとは珍しいこともあるものだ。しかし翌日から探りを入れれば良いだろうとその日は特に気にしなかった。
理由はこちらの調べ物も大詰めに入っていたからだが、恐らくそれが彼女にも少なからず関係のあることだと感じていたせいだ。
であればそれらを片付ければ自然と彼女を悩ませることがらもなくなるとこの時は考えていたのだが――ことはそう簡単に済まなかった。
というのも先月の頭頃……王城と学園を揺るがすスキャンダルが起こったせいで事態の収拾のためにそれどころではなくなってしまったのだ。
その煽りを受けて俺の仕事が大幅に増えたせいもあり、今回彼女の元を訪れるのも約一月ぶりだ。アーネスト様に至っては久し振りの長期自室療養中である。
それも今回の一連の事件でエメリン嬢との交流も前ほど自由に出来ないせいで酷く落ち込んでいた。
そんな主人の遣いと彼女への報告も兼ねて俺は一人徒歩でのんびりとまだ騒ぎの冷めやらない城下へと降りて行く。
街中では戒厳令を敷くまではしなかったものの、それでも城内の人間が必死に火消しをしたにもか関わらず今回の事件の内容がかなり詳しく知れ渡っているようだった。
城からの遣いだとバレれば囲まれそうだと危惧した俺は噂好きな街の人間を避ける為に裏通りを歩くことにする。
ふと差しかかった裏道で以前彼女に“雪菓祭”の菓子を購入したケーキ屋の前に出た。
ついでなので買っていこうと立ち寄ると、たった一度来店しただけの俺の顔を憶えていた店主に「彼女と上手くいってるかい?」と訊ねられたので曖昧に笑って誤魔化す。
すると何を思ったのか店主が「釣った魚にも優しくな」と小さいクッキーの入った袋をオマケされてしまった。別に彼女への手土産がここで購入したケーキだけというわけではないのだが……。
寮の前まで辿り着くと、今さらながら季節の移り変わりに気付いた。多忙な城内勤務では外の季節を感じることなどあまりない。
前回までの雪の残る季節から一変して、四月の陽光は冷たい印象しかなかった女子寮の外壁を柔らかく照らし出す。
門の前に守衛の姿が見えないが、代わりに彼女が箒を持って立ち働いている姿があった。
彼女の姿は一月前と――いや、恐らくもっと前から変わらないのであろうすっかり見慣れた黒一色のお仕着せ姿のままだ。
ここ一月が目まぐるしかったせいで女性に対してこんなことを思うのは失礼かもしれないが、彼女の代わり映えのなさに安心する。
彼女がこちらに気付くより早く声をかけようかどうか悩んでいると、門柱の影からユアンが出てきて彼女を呼んだ。二人はそのまま笑い合いながら掃き集めた塵を片付けている。
――別に寮の管理人同士の仲が良いのはおかしなことではない。
ただ、それが何となく面白くない。彼女は変わらないものだと勝手に信じ込んでいたのが悪いのだが、それでも――何故そこにいるのがユアンなんだ。
「ジェーン!」
気がつくと彼女の名が喉を震わせていた。俺の声に手を止めて箒を肩に立てかけた彼女がこちらを振り返るまでがひどくゆっくりと感じる。
この短期間で忘れられてはいないだろうが、それでも“今さら何をしに来たんだ”という表情をされるのも嫌だ。確かに制服の件はこの一月凍結状態になっているが全く何の進展もないわけではない。
心の中で言い訳めいたことばかり考えていたら、いつの間にか箒を持った彼女が近付いてきていることにさえ気付かなかった。
「お久しぶりです、オーランドさん」
直前まで働いていたせいか少し上気した頬に浮かべられた微笑みを見た途端、わけもなく胸がざわついた。不快感からではない、もっと別のものだ。
目の前の彼女から視線を上げると門柱にもたれたままニヤついているユアンと目が合う。余裕ぶった態度に少しばかりムッとしたが、気を取り直して彼女に向き直る。
最後に見た時にはまだ痛々しい痣が残っていた彼女の右の頬は、もうすっかり癒えて滑らかな肌に戻っていた。耳の下で切り揃えられていた髪もほんの少し伸びただろうか?
視線の動きとフレームの大きさで眼鏡をまた新調したのだと気付く。しかしせっかく変えるのであればもっと思い切った色にしてみても良いだろうに。榛色の瞳にはもっと明るい色のフレームでも似合う気もするが……。
と、不思議そうな顔で彼女が俺を見上げている。自分では気付かなかったが割とジロジロと見てしまっていたようだ。
その事実に慌てて言葉を探す。幸いにも言おうとしていた言葉はすぐに見つかった。
確か――城を出てからここに辿り着くまでは“アーネスト様の遣いで来た”と言うはずだった。実際そのつもりでやってきたのだ。
だというのに―――。
「どうしているのか気になったので寄らせてもらった。迷惑でなければ久し振りに貴方の淹れたコーヒーが飲みたいのだが、構わないだろうか?」
思いがけず飛び出した自分の言葉に内心驚きつつ、手に提げたケーキの箱を彼女に差し出す。
とはいえ、これでは断れるものも断れなくなるのではないかと気付いたのはすでに彼女が箱を受け取った後だった。
「あら……これは前回“雪菓祭”の時に頂いたケーキ屋さんの?」
「あぁ、その通りだが――凄いな。女性というのは箱のロゴマークだけで店を思い出せるものなのか?」
素直に憶えてくれていたことに感心してそう言うと、彼女は一瞬榛色の瞳を瞬かせてから少しだけ困ったように微笑んだ。
門柱の方から痺れを切らしたユアンが「おーい、オタクらいつまでそんなとこに突っ立ってんの?」と俺と彼女を呼んだ。
その声にどちらともなく顔を見合わせて苦笑する。
「では、こちらのケーキのお礼にコーヒーをご馳走させて下さいませんか?」
悪戯っぽくそう言う彼女に頷き返してユアンの待つ門へと向かった。
***
「アンタが最近顔見せなかったのってやっぱあの第二王子の婚約者の駆け落ち騒動のせいだよな?」
彼女がコーヒーを淹れてくれるのを待っている間、俺とユアンは食堂の席で差し向かいになって互いの近況報告をしていた。
そこへ冒頭のあの無遠慮な質問だ。
「……せめてもう少し声を潜めるくらいしたらどうだ。いま王城内はその件でピリピリしている。俺にもお前の身元を引き取りに牢まで出向く時間はない。――他の王城関係者にその話題を振るなよ?」
実際その騒動に巻き込まれてこちらも方々探し回る羽目になったからここを訪れられなかったのだ。苦虫を噛み潰したような表情をしたくもなる。
「ふーん、じゃあ街で噂になってるみたいに、お姫様候補は他に好きな男が出来たっつーことで良いの?」
「だから、はぁ……まぁ、そうなるな」
いま一度注意しようかと思ったがコイツ相手では時間の無駄だと思い直して頷く。若いからか、ただ単に無礼なのか判別が付かないユアンの発言はそれでいて腹も立たないのだから不思議なものだ。
「へー……でもあれだよな? 第二王子には悪ぃけどさ、権力者のトップ・ツーの求婚を蹴ってまでってのはある意味すげぇよ。よっぽどその駆け落ちした相手に惚れてたんだな」
「あぁ、まぁ――俺としては相手もそうであることを祈るがな」
「何か含みのある言い方しやがんな? でもま、良いわ。結局平民にはあんまり関係ないことだしな」
そう言うとユアンは俺の前の席から立ち上がる。後ろの台所がある方向を見てみるが彼女はまだ戻って来そうもない。
「どうした? ジェーンはまだ支度の途中だぞ?」
訝しんでそう訊ねると、ユアンは飾りとしては優秀な顔を歪めてあからさまに小馬鹿にしたような溜め息をついた。
「あのさぁ、この際だから言わせてもらうけどな、オタクら見てるとお互いに鈍すぎて苛々すんだよ」
「……どういうことだ?」
「どうも、こうも、説明しなくても分かれよ。だいたい十も歳上の男に何を説明しろっつーんだ? 仕事馬鹿が二人揃うともうオレだけじゃ手に負えねぇの。ということでオレもう帰るから」
「はぁ? ちょっと待ていったい何の話を――」
ユアンは早口で一気にそうまくし立てると、俺の制止も聞かずに「ジェーンによろしく言っといてくれよなー」と言い残して食堂から去っていった。
一人残された俺は仕方なく彼女を待つ間、今回の事件とその結果得られた物の話をどう切り出そうかと頭を悩ませる。そうして二十分ほど待った頃、奥から彼女がトレイにケーキとコーヒーを載せて現れた。
「あら、オーランドさんお一人ですか? ユアンはどこに?」
トレイをテーブルに置いて周囲を見回す彼女の当然の反応にほんの少しだけ胸の辺りがモヤッとする。
「――用事があるとかでつい先ほど帰った」
不自然な俺の咄嗟の嘘に小首を傾げた彼女だったが、すぐに「それなら仕方ないですね」と先ほどまでユアンがかけていた場所に腰を下ろした。
トレイの上からコーヒーカップとケーキが取り分けられる。
コーヒーカップはユアンの分が余ってしまったが「俺が二杯頂こう」と言うと彼女は嬉しそうに微笑んでくれた。それだけで胸の内がスウッと穏やかになる。
……この忙しいときに風邪だろうか? だとしたら冗談ではない。とてもじゃないが寝込むような暇はないぞ――。
そんなことを考えながらコーヒーカップに口をつける。口内に久し振りに彼女が淹れてくれたコーヒーの味と香りが広がった。
ふっと胸の澱が薄れて軽くなるような感覚に目を細めていたら、前に座っている彼女が「ふふっ」と小さく笑う。
「急に笑ったりしてどうしたんだ?」
その楽しげな表情に思わずそう問いかけてしまった。彼女は未だ笑いの残る声で答えてくれる。
「あぁ、最近はマリーもお店が忙しいからなかなかこちらに顔を出さないし、エメリンもアーネスト様に会えるのが学園内だけでしょう? だからこうして誰かとお茶をするのは久し振りだなと思ったら嬉しくて。気分を悪くされました?」
「いや、そうではないが――あぁ、でももしよければまだそのまま笑っていてくれないか?」
「え?」
「俺も誰かがこうして笑うところを見るのは久し振りなんだ」
口にした言葉に嘘はなかったが、もっと厳密に言えば俺は――彼女が笑っている姿を見たかったのか。たったいま気付いた事実に何となく気恥ずかしい気分になる。
一方の彼女はと言えば、榛色の瞳を驚いたように少し見開いて「えぇ?」と困惑気味に頬に手を当てた。その少し恥じらうような仕草が可愛――いや、何でもない。
これは、久し振りに会ったからだろうか? 何となく気恥ずかしくて互いを直視出来ない。
結局本題に入るまでケーキとコーヒーの間を彷徨っていた視線がお互いの目を捉えるのに、それからさらに十五分ほどをようする羽目になった……。




