5-6 甘いお菓子のその後は。
どうしてこうなったのかしら……。
私はあの忌まわしいパントリーのある食堂のいつもの窓際の席に座って、マリーが紅茶を淹れてくれるのを待っている。まだ日のあるうちにここに座るのは五日ぶりだわ。
確か遡ること二十分ほど前。痛み止めを飲んで微睡んでいた時、ふと何か物足りなかった制服のパーツを思い付いてベッドから飛び起きたのよね?
それで――それで、何でこうなったのかしら?
ソッと左隣に視線をやると、こちらを見ていたオーランドさんの赤銅色の瞳とかち合った。私と目があった彼が微笑んでくれる。
新調したばかりの眼鏡がお亡くなりになったので、結局母の形見をかけることになってしまった。男性に免疫がないものだから、うっすら輪郭がぼやけているのに妙にあたふたしてしまう。
サッとその瞳から素早く視線を逸らして、自室を出てくるときにかぶってきたフード付のマフラーを目深にかぶり直す。
大体どうして隣に座るの? 前でも良いでしょ? でもまぁ、ちょっと体温を感じる気がするから温かいけど……って、これじゃあ私まるで変態みたいじゃない!
一人であわあわしていた私の前にトレイを持ったマリーが現れた。窓から入る淡い陽光のせいで彼女が救世主に見えるわ……。
「はい、お待ちどうさま~! オーランドさんが差し入れてくれた“雪菓祭”のケーキとあたしが手ずから淹れた紅茶だよん」
あぁ、何だかそう言えばそんな話だったような? しかしホッとしたのも束の間。マリーは人好きのする笑顔でそう言うと、私の向かいの席に座ってしまった。
――うぅ……何でそっちに座るのよ。
ちょっと恨めしい気持ちになってマリーを見つめたのに、彼女は私の視線をサラッと無視してオーランドさんが差し入れてくれたという人数分のケーキと紅茶を配り終えると、さっさと自分のケーキにフォークを突き刺した。
「あ、このケーキ美味しい! これ裏通りで買ったって言ってたよね? どこの辺り?」
「口にあったようで良かった。確か店の場所は――」
そんな感じで二人がケーキの話題で盛り上がり始めたので、私も何とか左手でフォークを使ってケーキを口に運ぶ。左手だとたった一口食べるのにも苦労する。でも―――。
「本当だ……美味しい」
思わず漏らした一言に、それまで熱心にケーキについての会話をしていた二人が一斉にこちらを向く。そこで私は急に始まったケーキ談話が私が食べるまでの反応待ちだったのだと気付いた。
だから、もう一度。今度は少し大きな声で「美味しい」と言う。するとどういう訳か二人のケーキまで私が食べることになってしまった。五日間ほぼ寝てただけなのに太るじゃない。
……まぁ、事件の前は空腹で危機回避能力が落ちていたのは確かだったから食べるけど。うん、美味しい。
ケーキを三つ食べ終えるまでに思い出せる範囲であの日の出来事を二人に話すように言われたので、紅茶を飲んで気を落ち着けながら話す。
思い出そうとすると知らず身体が震えたけれど、二人には知られまいとお腹に力を込めて堪えた。
ただその努力も虚しくあっさり二人に見破られてからは、手にしたカップの中身が時折零れるくらい震えながら話す羽目になっている。あぁ、もう無茶苦茶情けない!
話し終えた時にはもう二時半を過ぎていたから一時間ほどかかって根気よく訊いてくれたのか……。
――が、それとは別だとばかりに取り敢えず二人には「「二度と空腹のまま作業をするな」」と小さい子にするようなお叱りを受けた。
「まぁ、あの日のことはこれで大体分かったけど……さっき急に飛び起きた理由を訊かせてよ」
カップに紅茶のお代わりを淹れてくれたマリーに向かって一瞬キョトンととしてしまう。
「あのねぇ……何で“え?”みたいな顔してるのよ」
「俺が部屋に入った時は机の製図用紙に向かって何かを描こうとしている様子だったが?」
オーランドさんが左隣から水を向けてくれたので、合点がいった。マリーの話はいつも急に方向転換するのでたまに反応が遅れてしまうのよね……。でもそういうところも活発なマリーらしくて好きだけど。
「あぁ、そのことでしたら……ユアンに夏服を試着してもらった辺りから制作中の制服に物足りない感じがあったの。それでさっき薬でウトウトしてたら何かこう急に“パッ!”とイメージが浮かんできて、です、ね?」
微睡みの中でアイデアが降りてきた時の高揚感を私が思い出して語り出すと、途端に場の空気がひんやりした。
あれ? 何だか、何だろうこの空気は――これはもしかしなくても……。
「「少しは懲りろ! この制服馬鹿が!!」」
すっかり息ぴったりの二人の怒声に縮みあがりつつも、心配されていることに嬉しさも感じる。それから呆れ顔の二人は新しい私の制服案に耳を傾けてくれた。
新しいといってもアイテムを一つ足すだけなので大した変化はないけれど、少なくともこれで“上着を脱いだら何だか間抜け感”が払拭されるはず!
「でもせっかく案が浮かんでも……私ったらこんな大事な時に利き腕を使えなくなるなんて有り得ないわ。足の骨にヒビが入ろうが利き腕は死守したかったのに……!」
偽りない私の心からの言葉に二人の目がさっきの比ではないくらいに細められる。
学生の頃から特に目立った生徒ではなかったので、こちらの両親以外に叱られた経験が少ない私はこの数日ですっかり問題児認定されてしまったみたいね……。
けれどそんな風に心配してくれる二人に私は表面上は笑顔で受け答えをしつつも――何となく自分を襲撃した人間の声に聞き憶えがあるとは言い出せなかった。
そのことに少しの罪悪感と聞き間違いかもしれないという自分に対する不信感で悶々としていると――――。
「あぁー!! もしかしてもう三人で“雪菓祭”のお菓子食べちゃいました?」
食堂内にこれも聞き憶えのある元気一杯の声が響き渡った。顔を見ずとも分かる。きっと当寮の設立以来初めての超・武闘派お嬢様。
ううん、少し見ない間に目に見える部分が逞しくなっている気がするんだけど……これって後で保護者からクレームが入るやつかしらね。
「ねぇエマ、君の元気な声は大好きだけど、病み上がりのジェーンさんは驚いてしまうよ?」
その後ろから現れたのはお姫様かと見紛うばかりの美貌を持った王子様。
「あぁ、アーネスト様にエメリン嬢。いま学園からお戻りですか?」
「えへへ、今日は五限目までしかなかったんですよー」
「でも心配しなくても学園の生徒は街の方で浮かれ遊ぶのに忙しそうだったから、当分誰も帰ってこないよ」
露骨に小馬鹿にした発言をするアーネスト様に苦笑しつつ左隣に座っていた彼が立ち上がり、入口付近にいる二人の元へ向かってしまうと急に左側が寒くなった気がする。
ふと視線を感じて顔をそちらに向けるとニヤニヤしているマリーと目があった。
どうせまた妙な勘ぐりをしているに違いないので“何でもないから!”と視線で伝えると“まだ何も言ってないじゃない?”といった風な笑みが返ってくる。それはそうだけど、どうせ後で言うじゃないのよ……。
無言の攻防戦を続けていた私達の元へ新たに合流した二人は、彼のさらに隣に横並びに座る。何もベンチだからってそこまで横一列に座らなくても良いのに。
しかも結局彼は元の位置に――つまりまた私の左隣に座った。あぁー失敗した! 彼が席を離れた隙にマリーの横に座れば良かったんじゃない!
何をぼーっとしてたのよ……。今まさに“死んだ魚の目”になっているに違いない私を真正面から見られるのはマリーだけだ。
そしてそのマリーはどこか得意気に横一列に座る三人を見ている。
「まぁね? 弱ってるところを見られたくないジェーンの正面に座れるのは親友であるあたしだけだと思うわよね?」
そう言ってマリーが私に片目をつぶって見せる。そこで初めて鈍い私にも三人が気を遣ってくれているのが分かった。
人によっては“そんなこと”と一笑されそうな心遣いでも、私は不覚にも泣きそうになってしまう。だったら、それに応えねば。
私は顔を隠していたマフラーを恐る恐る取った。三人の視線が集まるのに緊張を隠しきれないけれど、ゆっくりと視線の方向へ向き直る。
“不快感に顔をしかめられるかもしれない”どこかでそんな風に思っていた自分が恥ずかしい。
確かに三人は痛ましそうな表情にはなったけれど、どの瞳にも怯えや不快感はなかった。ただ――。
「犯人捕まえたらどうしてあげよっか?」
「エマのしたいようにすると良いよ。全部揉み消してみせるから」
「もしも跡が残るようなら相手方の家を取り潰しにしよう」
指をバキバキ鳴らすエメリンにゾッとしていたら残りの二人までとんでもないことを言い出したわね……。このままでは相手がどうなるのか分かったものではない。
マリーも止めるどころか「良いぞ良いぞ~!」とか言って三人を焚きつけている始末。――やっぱりさっき場の空気でうっかり口にしないで良かった。
聞き間違いでしたと言う前に相手がどうなってしまうか考えるだに恐ろしいわ……。
その後はエメリンとアーネスト様が私の向かい側――つまりマリーの隣に移動して“人数分”揃えてくれたお菓子を口にしながらのお茶会が開かれた。
何でもここに戻る前にユアンにも差し入れてきたから遅くなったらしいから二人とも若いのに律儀な子達である。
そして勿論エメリンに用意されたお菓子は別格の物だった。けれど、本人は気にならないのか私やマリーにも分けてくれる。
アーネスト様はそんなエメリンのやや無神経な行いを特に気にする様子もなく、紅茶を飲みながら私の視線に気付くと微笑んでくれた。
ちょっと悪いなと思いつつ口に運んだ品良く解けるレモンメレンゲにレモンパイなんだけど――。うん、これは街に売ってる味ではないなぁ……。
“凄くお高い味だわ”とマリーが目配せしてくるのに頷き返す。太ることを気にしなくなるレベルで美味しい。もう一度マリーの方を見ると“今は何も考えるな”という視線が返ってきた。
確かに私達がおいそれと食べられる物でもないので今日ばかりはカロリーを気にしないで食べよう。すでにケーキ三つ食べたけど……大丈夫よね?
そうして和やかな空気の中、さっき思いついた新しい制服の概要を説明することになったのだけれど……やはり絵がないことには説明し辛い。
とはいえペンを持とうにも右手はこの状態だし。
「えぇとですね、要は、こう、ジャケットを脱いだ後の物足りない感を補うベストを造りたいんですが――」
私のフワッとした説明を見かねたマリーが私の部屋からスケッチブックとペンを持ってきてくれた。
そのせいで急遽頭をつき合わせてのお絵かき大会のようなものが始まってしまったのだけれど、何と意外な才能を開花させた人がいた。
「まぁ、アーネスト様は絵がお上手なんですね? まさにこういう形のものが描きたかったのでとても助かりましたわ」
他の三人は……違うのよ、下手ではないの。うん、下手ではない。
――ただちょっと前衛的な作品が多かっただけで。
さていよいよお開きという時間になったので、アーネスト様のお陰で仕上がったデザイン画をマリーに預けた。明日にでもあの仕立屋さんに発注してもらう手筈だ。
簡単に後片付けをしたのち、マリー達を見送るためにエメリンと一緒に寮の玄関先に向かう。
すっかり甘味で胃が重くなった私とマリーが「今日の夕飯は抜こうね」と堅く誓い合っていると、後ろで急にエメリンが「あぁ!?」と大声を出した。
私を含めた四人が驚いて一斉にエメリンを振り返ると、彼女は学校鞄の中から色んなプリントと一体化している紙の束を取り出して一枚ずつ引き剥がしている最中だった。
あ、赤点……三枚目から数えるのを止める。
四人そろって生暖かい目で見守っていると、ようやく目当ての物を引き当てたエメリンが凄く良い笑顔で一枚の可愛らしい封筒を差し出してくれた。
「これ、前に制服造ってあげた子憶えてます? あの子がうちの寮生から管理人さんが風邪だって聞いたらしくて。お見舞いの手紙を渡してってわざわざ二年のわたしのところまで届けてくれたんですよぉ」
そう嬉しそうに教えてくれるエメリンの手から封筒を受け取る。
「ありがとう、後で目を通しておくわね?」
ヒヤリと胸の内に忍び寄った恐怖心を今度こそ誰にも気取られないように何気なさを取り繕った私は、表情筋を総動員して笑って見せたのだった。




