4-5 苦労人その一の受難。
こういうとき日頃の運動って大事ですよね(・ω・;)
苦節二週間と四日。要するに十八日目にして、遂に……。
「――で、出来たあぁぁ」
ボタンホールの最後の一針を刺し終えたコートをヒシッと抱きしめる。最近作業が早くなったとはいえ、コートのような大物はやはり一着でなかなか時間がかかってしまった。
メルトンで出来た無地ベージュ系のトレンチコートは男女兼用と言いつつ、女子は少しステッチで遊ぼうと思ってワインレッドの色糸を使っている。
もちろんボタンホールも同色で合わせ、ボタンは黒くて艶のある材質にした。大きめの丸型がデザイン画の時点で寮生に好評だったのでそのままデザインに忠実に再現した。
――が、これも量産化するとなるとかなり職人側に負担がかかるかも。憧れのデザインとはいえ、今回は少し反省した。
男子用はダークグリーンの色糸。パッと見は黒か紺に見えるけれど光が当たると少しだけ色が分かる。気付いてくれる子がいればいいなぁ。
ちなみにユアンちゃんに着せたデザイン画はいつの間にか玄関先から消えていたらしい。……今ごろ誰の部屋に張ってあるんだか。
「おぉ、遂に完成? よしよし、褒美をとらせよう~なんてね。ほい、お疲れさま」
疲労困ぱいとばかりにべったりと机に突っ伏した私に、マリーが労いのホットココアを差し出してくれる。今日は水曜日でマリーの店がお休みなのだ。
そういえばこの世界で一番助かっているのがこの暦。要はカレンダーだが、ゲーム制作側が考えるのが面倒だったのか、大抵の行事は名前の違いこそあれほぼ前世と同じ作りをしている。
前世の友人の話ではゲームによってはすごく世界観に凝ったものもあるらしいし。ゲームとしてプレイするなら断然そっちの方が面白いのだろうけど、キャラクターとして転生するなら絶対こっちの方が良い。
と、そんなことはどうでも良いか……。
今日、連日ボタンホールを一人でチマチマ縫うのに退屈した私は、足りない生地を買い足すついでにマリーの店にやってきていた。オーランドさんは先日の一件を気にしてなのか、ここ五日ほど姿を見せない。
とはいえ、そもそも城で働いている人が連日顔を見せる方がおかしいので、私の方が気にしすぎなのかもしなれいけど……。
「――うん、やっぱりジェーンの仕事は良いね。細かくて丁寧。これでもう少しデザインに幅があれば仕立屋になれるのにねぇ~」
「ふふ、ありがとうマリー。でもちょっと褒めすぎよ」
「そんなことないってば。仕事の理想が高過ぎるのよジェーンは」
そう言って出来上がったばかりのコートを広げて眺めていたマリーは、それをたたんで机の端に寄せる。それからキッチンの小鍋に残った自分の分のココアをマグカップに注ぐと、私の隣の椅子に腰掛けた。
二人揃って甘い香りのココアに息を吹きかける。すると幸せな香りの湯気が部屋の中を満たした。
目を細めて一口含むと、鼻からチョコの香りが抜ける。そのまま舌の上に留めておけば、疲れきった身体にエールを送ってくれた。
「それよりさぁ……最近どうなの?」
「どうって、何が? 制服?」
「制服って……まぁ、ジェーンらしいか」
隣で同じようにココアを飲んでいたマリーが私を見て呆れたようにそう言う。何にかかる“らしい”か分からない私は曖昧な笑みを浮かべてごまかした。ココアをもう一口含む。優しい甘さが口の中に広がった。
「制服のことじゃないなら……そうね、最近何か視線を感じることがあるのよ。朝、皆を見送った後だとか、洗濯物の途中とか、荷物を受け取ってる時とか――」
何とかマリーの言うような日常の変化を考えてふと思い出したことを口にすると、彼女はココアの入ったマグカップを机の上に置いて怒ったように眉根を寄せた。
「あたしが期待してた内容じゃないけど――それ、もうちょっと詳しく訊かせて」
それまでの華やいだというか、浮ついた空気は霧散して、部屋の中は急に微妙な空気になってしまった。
「嫌だわマリー、大袈裟ね。きっと私の勘違いだと思うし毎日ってわけでもないのよ? ただちょっとした時に感じるってだけ」
無意味に彼女を不安がらせたのだと気付いて慌ててそう言ったけれど、マリーは納得してくれない。
「あのねぇ、ジェーン、もっと危機感ってものを持ちなさいよ? あの女子寮って日中はほぼジェーンしかいないんだから。そこに目を付けた物取りとかだったらどうするのよ」
「どうって……あの女子寮の部屋はどこも頑丈な鍵がついているし、ドア自体も頑丈だわ。学園に行くときには必ず施錠するように言ってあるし――物取りが入ったところで室内を荒らせやしないわよ」
ちなみに窓は特殊な二重硝子窓になっていて、内側からでないと決して開けられない堅固な造りをしている。さすがは古くからお嬢様を預かる寮だ。
だから私も幼い頃から“もしも割れたりしたら目が飛び出るような修繕費がかかるからね”と今は亡き両親にきつく言い含められて育ったほどだ。
「それにこういうことって時々あるのよ。ほら、寮の中に想い人がいて手紙を渡したいけど恥ずかしいから……で、私に頼むと。長期の休み明けにありがちなのよね」
きっとまだ若いから、休みの間に少し会えない寂しさだけでどんどん想いが膨らんでいくのだろう。それは何だか微笑ましいし、羨ましくもある感情だ。
私の答えに納得しきった訳ではなさそうなマリーも、そう訊いて少しだけ表情を和らげた。
「えぇ? 今どきそんな子いるんだ? 若いなぁ~、甘酸っぱいなぁ~!」
意外とこういった話題が好きなマリーは再びそう言ってココアの入ったマグカップを手にする。私もそれを見てもう一口、ココアを飲んだ。
「でも残念ながら原則そういうのはお断りしてるのよね」
「えぇ~、何で? せっかく恋の橋渡し役に選ばれたのにそんな面白……んん、可哀想じゃない」
……一瞬マリーのデバガメな一面を知ってしまった。とはいえ、さすがに相思相愛とまではいかなくとも、多少気になるもの同士でなければ困る。そうでなければただのストーカーですから。
しかもさらに複雑なことに彼女達はそれぞれのお家から預かっている大切な“子供”であり、“政略結婚”という期待をかけられた政治的な材料でもあるから簡単に応援するわけにもいかないのだ。
「色々あるのよ、女子寮内には。うちにいる娘達の皆が皆、好きな人のところに嫁げたら良いのにね」
そう言うとマリーも察してくれたのかそれ以上この件に言及しなくなる。この時ちらりと私の脳裏に過ぎったのはエメリンとアーネスト様だった。
きっと隣で黙り込んでしまったマリーも同じことを考えているのだろう。
「ココアのお代わり飲む人~?」
急に隣でもう冷め始めていたとはいえ一気にココアを飲んだはずのマリーは、空になったマグカップを頭上に掲げてそう言った。
盛り下がった場の空気を少しでも明るくしようとしてくれている友人に、私はまだ中身の入ったマグカップを傾けて返事をする。
「ココアをお代わりって太りそうだけど……お願いするわ」
そうおどけて見せるとマリーはすぐさまニヤリと笑って、キッチンへと向かう。一人残された私は、お代わりを人に向かって頼むのは久し振りだな、と。そうぼんやりと思った。
***
四時の鐘が鳴る前にマリーの店を出たのに、外はこの間オーランドさんが眠ってしまった日のように薄暗かった。
「途中まで送ろうか?」と訊いてくれたマリーの申し出を断って一人歩く帰り道。夕飯の買い出しで賑わう大通りを避けて、やや人通りの少ない小道に入った時だ。
―――ふと、背後から人の気配がした。
別に誰も通らないような小道ではないし、私と同じように混雑する大通りを避けてこっちに来た人かもしれない。
けれどさっきマリーにした話を思い出して何となく過敏になっていた。それに……足音がしない 。ここ数日また降ったり止んだりを繰り返す雪のせいで、足元はお世辞にも歩きやすいとは言えない。
むしろ溶け出した雪がそこいら中を水浸しにしていて、少し歩いただけでも水音がするのだ。だというのに、後ろから歩いてくる人物の足音はやけに静かで、注意して聴かないと私一人分の足音にしか聞こえない。
―――まるで、私の足音に自分の足音を紛れさせているような……。
考え過ぎな仮説だし、何よりただの学園の生徒にそんな器用なことをする子がそうそういるとも思えない。しかしそうは思っても喉の奥がひりつくような感覚を味わう。
少し考えてから、私はわざと大きな音を立てて歩いてみる。
すると、背後の人物が一気に距離を詰めたのが分かった。
この時点で私の中から学園の生徒かもしれないという甘い考えは消えて、物取りかもしれないという恐怖が沸き起こった。ここは一本道だが普通に大人同士がすれ違う幅はある。なのに、相手にはそうする気配が微塵もない。
あぁ、やっぱりマリーについてきてもらわなくて良かった。
彼女がここにいないことだけが救いだ。しかしここ数日誰かに見られていると感じながら人通りの少ない道を選んだ自分には猛烈に腹が立っている。
それでも自分に“冷静に”と言い聞かせて、相手に気取られないようにソッと視線を先にやって表通りまでの距離を測る。あと百、あるかないかくらい?
着実に、どころか急激に距離を詰め始めた相手に心当たりは全くない――と、なれば。取るべき行動は一つ。
私は出来上がったばかりのトレンチコートが入った袋を抱きしめて、雪で足場の悪くなった石畳を全速力で駆け出した。だってこれ以上下手に冷静な態度を取って襲われたら嫌でしょう!?
だったら最悪表通りにまでは逃げきれなくても、悲鳴を上げたら助けにきてもらえるところまで走るしかない!
急に走り出した私の後をやっぱり相手は追いかけてきた。今日ほどデザインはいまいちだけど滑り止めのついた靴にしておいて良かったと思えた日はない。
足の速くない私でもさすがに身の危険を感じたらいつもより数倍速く走れている気がする。けれど、悲しいかな、万年運動不足! 五十を切った辺りでもう息が上がり始めた。
喉がヒュウヒュウ鳴っている。あと三十、二十、十……! 目の前に五・六人の通行人の姿が飛び込んできた。
急に飛び出してきた私に何人かが驚いた表情を見せたけれど、そんなことはどうでも良い。この時、私はあまりの安堵感から泣きそうになってしまった。
大袈裟な比喩でも何でもなく本気の死に物狂いで駆け抜けた小道を恐る恐る振り返ったけれど、そこには雪雲のせいで常より薄暗い小道が広がるだけで――。
私を追って走ってきたはずの人物の影は、どれだけ目を凝らしても見つけることは出来なかった。




