呪われた皇子
これから主人公たちの話がはじまります。
ここまで読んでくださり感謝です。
「吉兆の龍、空に現れたり」
獣人の領地から華宮に知らせが届いてしばらくの後、その治世200年余りを超え
賢き王と讃えられた4代目龍王とその王妃の崩御が知らされた。
すぐさま第二皇子が新たな龍王となりその番いとなる王妃が即位すると、
民をおびえさせていた魔物も瘴気も速やかに収束していった。
その年は豊作にも恵まれ、龍王と番いの王妃の仲睦まじく国中の民は憂いなく
皆等しく平和を甘受していた。
ほどなくして王妃が懐妊すると、新龍王の時代は益々発展し、明るいものと
なると国中が喜びに沸き和子の生まれる日を心待ちにした。
だがそれも和子が生まれるまでのことであった。
新龍王の第二子となる皇子が産まれ出でたその日から再び国に憂いの影が
見え始め、皇子は呪われた皇子と呼ばれるようになった。
赤子である皇子は母である王妃に厭われ、華宮から遠く離れた場所でひっそりと
育てられることとなったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
道を歩くその少年の衣服には泥がこびり付き、ところどころ破れている。
年のころは13歳ぐらいだろうか。
ケンカをしたのか腕や足いたるところに出来た傷から血が流れだしている。
だが少年は気にせずそれを拭おうともしない。異様な様子に耳目があつまる。
「あっ呪われた皇子だ」
「これっこの子は!近寄るんじゃないの」
「目を合わせるんじゃない。祟られるぞ」
行きかう人々が皇子の姿を認めるとそそくさと避けるように去っていく。
新龍王と王妃の子であるハクトは、銀青色の長く伸びた前髪で左側の顔を
隠している。
片方だけ見えている瞳は龍族の血を引く印である金色であったが、その瞳が
放つ色は闇の様に暗い。
村の人々が皇子に侮蔑の視線を向けようとも皇子は気にした風もなく歩み続
けた。
徐々に緑の香りが濃くなり、トリのさえずりと風のそよぎに戯れる木の葉の
ざわめきだけが聞こえる。
この奥深い森の先には誰も見つけられない湖がある。その湖は幻の湖とよばれ、
村の人々が森に入っても、行き着くことは出来ないらしい。
獣人だけに作用する力が湖にあるのだろうか。
ハクトは龍族の血が混ざっているからか、湖を見つけたその日から一度も迷う
こともなく辿りつける。
誰も見つけられない湖は自分にとって唯一息がつける居心地の良い場所だ。
深い木々に囲まれ広々とした湖は、青い空と森の緑を鏡面のように写しだし
さざ波一つない静けさだ。
ハクトは手足についた泥や血も、自分のとげとげとした気持ちも洗い流して
しまいたくて、衣もそのままにざぶざぶと湖に入り、水底に向かって一気に
潜った。
深く潜れば潜るほど余計な音など聞こえなくなり、自分の心や体の澱が流され
ていくような気がするのだ。
いつもなら、そこで息の続く限り沈みこみ苦しくなると体を浮上させるのだが、
湖の底に着いた途端、何かの気配を感知した。
”魚か?いや違う・・これは獣でもない”
ハクトは急いで水面に浮き上がり、身構えながら油断なく辺りを伺うとバシャ
バシャと大きな音を立て溺れている子供が目に飛び込んできた。
何故ここに子供がいるのかと考える間もなく、迷いのない泳ぎで子どもの傍に
すぐさま近づき助けようと手を伸ばした。
「たっ・・・たっ・・あふっ」
子どもがハクトの差し出す手に必死にすがりついてくると、その手を掴み沈ま
ないように水中で忙しなく脚を動かし、何とか岸までたどり着くことができた。
子どもをずりずりと引きずるように岸まで引き上げたが、酷使した足がそこで
悲鳴をあげハクトは尻餅をつくように、その場に座りこんだ。
荒い息を整えていると、助けた子どもは倒れながら激しく咳き込んだが、
暫くして落ち着くと顔を上げハクトの方を見つめた。
”女の子だったのか。”
疲労から頭が上手く回らないハクトは、助けた少女としばし見つめ合うような
間があったが、少女が自分の顔を見つめている理由に気が付くと無防備だった
体が強張る。
急いで顔を前髪で隠し、鋭い声音で少女に言い放った。
「今見たものは全部忘れろ。忘れなければお前を殺す」
これで、急いで逃げ出すだろうとハクトは少女を睨みつけると、少女の目から
みるみるうちに大粒の涙がこぼれ落ち大声で泣き出した。
「うわ~んうわ~んひっくひっく」
あまりの大声に周囲の鳥達が驚き、バタバタと羽ばたき逃げて行く。
ハクトも鳥になり逃げだしたい程の大音量だ。
”ああ面倒だ、くそ足がへろへろで立ち上がれない。”
「へっくへっく・・ありがとうっていいたいのに・・なんでなんでころっ・・
ころすっ・・なんでころすとかいうの・・うぇうぇ・・」
涙でぐしゃぐしゃな顔の少女はしゃくり上げながらも、何とか息を整えようと
一所懸命になっているようだ。
次はどうなるのか予想がつかず、しばらくハクトは黙って様子を伺っていると
少女はまだ涙のあとを頬に残しながらも意を決したようにハクトをまっすぐに見た。
「あっ・・ありがと・・おにいちゃん・・ありがとっ」
ハクトは言われた言葉の意味が理解できない。誰かにお礼を言われたことなど
初めてだ。
”えっ?こいつ俺のことを知らないのか?”
ハクトがぽかんとしている間に、目の前の少女はハクトに言いたいことが言えて
安心したとばかりに、心置きなく盛大に全身を震わせ再び泣き始めた。
相変わらずの大音量だ。すげ~肺活量だなと妙に関心しながらも、ハクトの胸に
少女の言葉が蘇えり、強張ったからだが解けていく。
”ありがと”
この騒がしい少女がくれた言葉にハクトは自分でも思わぬ行動にでた。
記憶をかき集め、泣いた子供をあやしている大人を思い出すと、少女に近づき
震える背中に手をあてる。とんとんとん、力加減は分らないが小さな背中を
たたき始める。
少女は安心したのかハクトに身を寄せてさらに泣き続けた。
やかましくて小さくて暖かくて、呪われた皇子の自分を怖がらずに体を預けて
くる不思議な少女。
”あったかいな”
ハクトは少女が泣きやまなくて良いから、ずっとこうしていたいと思い始めていた。