イツキ姫の記憶
”番い”
ソハヤからの問いかけにイツキ姫は忘れかけていた”番い”の記憶を呼び戻す。
龍王の第二皇子に初めて謁見を許されたあの日。
皇子の身の内から溢れる力は底知れず、容姿の端麗さは、
美貌を謳われたイツキ姫でさえ霞んでしまうほど凄絶であった。
自分の後継者を残すのならこの方と契るしかない。
イツキ姫は星人の長である父に皇子との婚姻を強請った。
幼い頃よりイツキ姫の力は星人の能力者の中でも群をぬく強さであった。
その恩恵に浴した星人の一族はイツキ姫の祈りの力を引き継ぐ子を残そうと
躍起になったが、イツキ姫を超える力を持つ相手でなければ、この力は引き
継げない。星人の一族もイツキ姫も凡庸な子など必要なかったのだ。
すぐさま長の父は龍王に願い出た。
自分の地位、能力、美貌、教養の高さを持ってすれば第二皇子の伴侶になる
のになんの不足もなかろう。
イツキ姫は高をくくっていたが、第二皇子は彼女の申し出に難色を示した。
「あなたに龍王の番いについてお話ししなければなりません」
第二皇子はイツキ姫に切り出した。
「番い?現龍王様のお妃様のことでございましょうか?」
皇子は否とばかり首を横にふる。
「王の妃となった者が番いと呼ばれる訳ではないのです。
番いとはただの婚姻相手ではなく、天から龍王のために使わさ
れる唯一無二の魂の片割れ。龍王と番いが魂を一つにし、この
国の平和が守られる尊き存在なのです。」
龍族はこの国を治める王族が属する一族ゆえに星人や獣人と違い、
未だに秘される事柄が多い謎の一族であった。
そのためあらゆる情報を入手出来るイツキ姫でさえ、いままで番いとは
王妃の呼称だと思っていたが、どうやらもっと特殊な存在の様だ。
「龍王族の若い男子の中でたった一人だけ番いが顕れる者がおり、その者が
次の龍王になるのです。」
イツキ姫はその言葉に驚く。
”番いが次の龍王陛下を選ぶのか、では番いをこちらの思うとおりに動かせ
れば、龍王もこの煌国も好きな様に支配できてしまうではないか”
「イツキ姫、あなたは私の元へ嫁ぐことを願われたが、ひとたび私に番いが
顕れれば私は番いの他は目に入らなくなります。それはあなたの幸せで
しょうか?」
「番いは殿下のもとに顕れるのでしょうか?」
「それはわかりません。私の兄や従兄弟たち王族数人に可能性があります。
誰のもとに顕れるか、いまだ神官長の卜占でもわからない。きっとまだ
先のことなのでしょう。私たち龍族の寿命はあなたがた星人より随分と
長い。誰に番いが使わされるのか楽しみに待つことにしているのです。」
「それでは兄上様方も殿下ご自身も、幾年月か番が顕れるまでどなたも
娶られないのでしょうか?」
「正式な婚姻は番いの出現まで私たち若い王族には許されないのです。
それゆえ、ひと時の関係を楽しむ者もいれば、まだ見ぬ番いに心を
囚われている者もいる。」
イツキ姫は今しがた聞いた話に考えを巡らす。
番いと呼ばれる存在はすぐに顕れることはなく、誰の番いになるのかも
現時点でわからない。イツキ姫の血と力の継承の目的を果たす為に、
番いが障害となることはないだろう。
更に、王族のそばにいることで次の番いが誰かをいち早く突き止め、
彼女を懐柔することができれば、星人がこの煌国において益々力をもつ
足がかりとなるであろう。
どちらにしても第二皇子から是という答えをひきださねばならない。
さてこの皇子を頷かせるにはどのように口説けば良いか。
「殿下、失礼を承知で申し上げれば、わたくしはもとより殿方のお心が
欲しくて婚姻を願うなど考えてもおりません。星人の中でわたくし
より強い力を持つ者はいないのです。わが父の領地では私の寿命が
尽きた後どうなるのかと憂うようになりました。」
皇子にとって当然、妃の位を狙い寵愛を請う相手はいくらでもいるのだろう。
だが、こちらが申し出ているのは祈りの能力者の後継者問題であり、星人族
の救済に協力を願い出ているのだ。さあ、どう出る?
イツキ姫はなるべく控えめな態度で、皇子自身のご裁可を仰ぐという姿勢を
崩さぬように話をつなぐ。
「わたくしの責務は後継者となる子供を産み、星人の為ひいては煌国の力と
なる子を残すことなのです。番いの方が顕れるのが、長い時の後ならば、
殿下の瞬きに等しい短い期間だけわたくしにお力をお貸しいただけません
でしょうか。」
話し終えるとイツキ姫は皇子への臣下の礼をとるため、右手の拳を左手で包み
胸の高さにもっていき跪き頭をたれた。
本来女性であれば殿下の御前では胸に手をあて腰をかがめるのが正式な礼だが、
あえて女性としての申し出ではないことを強調するため、男性臣下の礼をとる。
第二皇子は目を瞠り、逡巡したのち心を決めた。
「私のもとに嫁ぎたいのは力の強い子を授かるためと仰るのか?随分とさばけた
姫でいらっしゃる。私の心の在処も、番いの出現も全く頓着なさらないという
のなら、私はあなたのお申し出を無下にお断りすることもない。
そして、あなたが大切に思う星人の為に、唯一私が叶えてあげられることは、
私と閨を共にする限りあなたは老いず、寿命は延ばしてさしあげられる。」
けれど、龍王族の力は強力であるため契る相手の力が相応に強くなければ子供には
恵まれないと第二皇子はイツキ姫に告げた。
イツキ姫はほくそ笑んだ。
これで自分の後継者か、番いの女を見つけ星人族の覇権を広げるか、どちらかは
少なくとも手に入るだろう。出来れば両方手に入れたいと。
その後、龍王と星人の長は約束事を取り交わした。
それはイツキ姫が子を産んだ場合、その子は龍王族として迎えられること。
イツキ姫は次代の番が顕現されるまで、第二皇子の客人として華宮に滞在を許
されること。次代龍王が決定した後にイツキ姫の位が正式に言い渡されるという
ものであった。
イツキ姫の華宮における地位は無きようなものであったが、この先手にするもの
を考えればこれに否とする理由はなかった。
あれから50年の歳月が流れ、父はとうに身罷られた。
星人の親しかった者たちももうこの世には居ない者ばかり。
自分は皇子と閨を共にするようになってから老いることがなくなった。
時間の流れはイツキ姫を置き去り、周りの者たちだけを巻き込んで消えていく。
この華宮において心を許せるものは一人も居なくなっていた。一人取り残され
寂しさはつのるがイツキ姫が華宮で暮らす時間が延びるだけ政に関わる者たちを
操るコツを覚えていき、国の中枢に星人の勢力は拡大していった。
現龍王の御世はゆるぎなく、終わる気配もない。
イツキ姫にとって次代の龍王の番いを誰よりも早く見つけることに興味は失せ、
時間とともに番いのことなど忘れていった。
今頃になって番いの顕現とは驚きを隠せない。それも相手は第二皇子だという。
この目の前のソハヤには何が視えているのだろう。
「おぬしには番いが視えておるのか?」
「はい。」
実に面白い。番いとな。穏やかな日々に少し飽いてきていたところだ。
「ソハヤ、番いのいるところまで、わたくしを案内できるか?」
ソハヤは首をコクリと動かし是と答えた。