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「有為さま、有為さま」


 鈴蘭がそっと有為をゆさぶった。ひどい嵐のようだ。


「あの、村雨さまが」


 目をこすりながら塗籠を出るとまだ夜明けではなかった。暗闇の中風の音がひどい。雨の打ち付ける音もすごい。村雨が朝顔になにやら命じているのだが、朝顔ががんとして応じない。有為が近寄ると村雨は髪も着物もぐっしょり濡れている。渡り廊下に降りこむほど雨がひどいようだ。村雨は有為を見ると平伏した。


「お休みのところを誠に申し訳ございません。有為さまにはいまいちど奥の宮にお越しいただけませんでしょうか」


「お館さまは忙しいでしょう。ワタシはここで寝るから」


「そこを、そこをまげてなにとぞ。天の遣いの者に文人らが手こずり、天河さまのお手を煩わせてしまいました。もう用事はお済みですので、奥の宮におもどりいただけませんか」


 有為は首をかしげた。


「天河さまがお荒れになって、誰一人お鎮めすることができません。どうかわたくしどもを助けると思召して」


 顔を上げた村雨は真っ青だった。お館さまのご機嫌が悪いとどうして嵐が吹くのかわからないけれど。朝顔がため息をついたので、有為は村雨に「うん」と言った。すぐに対丈の小袖に着替えさせられ、上から油単の被衣をかけ、飛ばされないように平打ちの細帯を巻いた。村雨に手を引かれ、朝顔が後ろに付いて嵐に吹かれながら奥の宮に行った。


「ああ、よかった。助かった」


 奥の宮につくと、上臈方がそろって有為にとりすがらんばかりだった。みな顔色が真っ青でぐっしょり雨にぬれていた。


「天河さまは」


「奥庭に」


 村雨がうなずくと、有為の手をとって広縁のあるあの部屋に連れて行った。普段はけっして訪いをいれずには開けない扉を、村雨はだまってひきあけ、有為に深くお辞儀をした。有為はひとりだけ部屋に入った。


 轟く雷、凄まじい稲光、轟々と風が渦巻き、奥庭にお館さまが立っていた。天にむけて手を上げ、立て続けに呪言を打つ。長い髪が逆巻きあがり、袖や裾が風をはらみ、柳眉は逆立ち、端正な顔は冷たい怒りに彩られて畏しく蒼かった。手の指す上の空には村雲にうねる龍体が見え隠れし、暗雲に雷獣が転げまわり、雨師、風伯が右往左往する。

 普通の人間に生まれた有為の目には見えるはずのない世界が見えるが、このお屋敷に来てからは不思議なことばかりなのでさすがに慣れた。いちいち驚いていてはもう身がもたないのだ。だが、この光景はけた違いで、畏怖のあまり足が進まない。ふと気づくと漆黒の獬豸が広縁に上がって、有為の横についた。


「北斗?」


 獬豸は有為の肩口に頭をこすりつけた。お館さまの目が天から部屋に向けられ、手がぱたりと落ちた。


「有為……」


 お館さまは鞘からすべりだすように袿袴を脱ぎ捨てると、身軽な小袖ひとつになって広縁に飛び上がり、有為にぎゅっと抱き付いた。何度もいやいやをし、子どものように泣きじゃくっている。獬豸は少し離れて広縁に座り込む、と狻猊の太白も姿を見せた。見る見る大小の雷獣たちがちょこんと並びはじめ、広縁はびっしりうずまった。

 ばちばちと火花を放っていたお館さまの髪も、有為がなでると落ち着いてきて、いつものようにさらさらになった。蒼黒く染まった小袖が肩先からみるみる白くなっていく。あっというまに裾まですっかり白無垢となり、青海波の文様も今はうっすら銀色にきらめくばかり。お館さまはくすんくすんとすすり泣きながら、しがみついた腕をゆるめて、有為の肩から顔をあげた。


「ごめんなさい。びっくりした、こわかった?」


 有為はだまって首をふった。ひどく泣いてまぶたが赤くなったお館さまが、有為のおでこにこつんこをしたので、肌着の袖で頬の涙をふいてあげた。


「愚か者どもが用事で遅くなってしまって、急いで帰って来たのに。有為と遊べなくて、すごくいらだって、せめて眠ってる顔をみて抱き付いて寝ようと。でも、でも、有為、いない」


 お館さまのきれいな目からまた大粒の涙がころがりおちた。


「二夜めなのに、もうきらわれちゃったのか、と」


 お館さまの声はまた重くしめった。


「またわたくしを置いていってしまう。もうダメなの。有為がいないと、もう、死にたい」


 有為は目をぱちぱちさせた。お館さまの言っていることが半分もわからない。お仕事で忙しいなら、また別の日にお泊りすればいい。そう思って帰ったのがいけなかったらしい。それに「また、置いていく」とはどういうことなのだろう。まるで前にも有為がそんなことをしたかのようだ。前に、というのなら、それは有為ではない、別の人。そう、たぶんお館さまが「真澄」と呼ぶ、有為に似た人のことだろう。


「ね、今からちょっとでも、いっしょに……」


 お館さまはすがりつくように有為の顔を覗き込む。


「御寝の刻をすぎておりますれば」


 村雨の声がかかる、とお館さまはぞっとするほど冷たい目をむけた。だが、すっかり用意のできている御帳台を見て、薄く頬を染めた。


「ほどなく夜明けになりますので、それまでしばしお休みください」


 広縁にいたあまたの妖たちも、ぞろぞろ縁のへりまで行って、ぽんぽーんと空へ飛びあがっていく。雷獣は雲間に暮らしているのかな、と有為は思った。最後に残った太白と北斗もひらりといなくなり、庭は静かになった。お館さまは有為の手をにぎったまま、いそいそ御帳台の中に入ると夜具の上にころりところげこんだ。有為は抱きくるまれたまま、あくびをもらし、そのまますとんと眠りに入った。


 目を開けると朝だった。朝も遅い時刻なのだろう。お館さまはもう起きて行ったようで、有為はひとりだった。目をこすりながら御帳台をでると、次の間に村雨と有明はじめ顔に見覚えの奥の宮の上臈方がずらりと並び、手をついてお辞儀をした。有為はびっくりした。

 朝顔が着替えさせてくれる間に、陽炎があさごはんを運んできてくれた。みな目の下に隈をつくって、顔色の悪い寝不足の顔をしている。それでもいちように安堵の色が混じるのをみて、有為はよかった、と思った。


 昨夜の嵐の余波で庭の空気が荒々しい。草木も暴風に吹かれて頭を垂れている。そっと撫でて話しかける。今日はお水はいらないね、と。伏した草むらから野ねずみが顔を出す。食べ物にしている草の実がすっかり吹き飛ばされてしまったのだろう。糒を顔の少しさきにごぼすと、すぐにみつけてひげをぴくぴくさせた。巣にもってかえって子どもにあげるのかもしれない。欅の枝にとまった鶸が、地面の糒を見つめて首をかしげている。もっと撒いてあげるから、もっておいき。有為はあちこちに糒を撒いた。そしてそっと座敷にもどり、障子の陰から庭を眺める。ちいさい鳥がかわるがわる糒をついばむ。くわえて飛んでいく。ねずみやいたちも食べるだろう。虫も食べるかもしれない。池の端に置いた団子は鯉や鮒が食べるだろうか。


「有為さま、そろそろお仕度を」


 鈴蘭が庭を見ている有為に声をかける。お館さまは今日も忙しいんじゃないかなと思うのに、朝顔も鈴蘭も、白妙の下臈方はみな当然のように有為の仕度に気合をいれる。切袴も袿もいちだんとよい生地のものだ。色目も鮮やかで地紋も美しい。


「まだこのように稚い方なのに、お館さまがお心せくあまり、無理をお通しになるのがよろしくないのです。有為さまがご心配になるにはおよびません」


 朝顔がやや憤然として言い切る。珍しいことだ。あるじに対しその物言いは不敬になるのでは、と顔色を変える有為に、まわりの白妙下臈方はそれぞれにうなずく。あれ?


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