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 広縁から室内にもどると、奥の宮の上臈が手をついてお辞儀をした。


「御寝の刻にございますれば」


 お館さまの眉がぴっと上がる。


「村雨、有為は今夜ここで寝る。仕度を」


「承りましてございます」


 有為は「え?」とお館さまを見上げた。村雨と呼ばれた上臈は退いて、仕度を急がせているようだ。朝顔が困り顔で頭を下げた。


「ね、いいでしょう。この部屋でお泊りしても」


「う、うん…」


 そこへ「お仕度が調いました」と先ほどの村雨が声をかける。藍染の夜帳を厚く垂らし一方のみ巻き上げた広い御帳台に、畳の上に厚い夜具を敷いて、上掛けの掻巻も整えられている。お館さまは有為の手をとって先に御帳台の中に入ると、村雨が巻き上げた紐をといて帳をおろした。


「夜番は有明と朝顔が勤めます」


 手をついてお辞儀をしながら、村雨がそう告げると、お館さまはこくりとうなずいた。そして帳は下げられ、御帳台の中はほんのりと雪洞の灯だけになった。


 有為は袿を脱ぐといつものように畳んで乱れ箱にしまおうとしたが、お館さまは有為の切袴の紐を解いてくれ、袴は畳んで乱れ箱に入れられた。小袖一枚になった有為を夜具に寝かせると掻巻をかけてくれた。その上から有為の脱いだ袿を重ねる。それから本人も五つ衣を脱ぎ落とし、それも有為の足元にかける。長袴をはずしてざっと畳むと乱れ箱にいれ、お館さまも小袖だけになって有為の隣に横になった。

 やさしい微笑みが雪洞の灯に浮かんで、ほっそりと白い手が有為の髪をなでる。五つ衣に焚き染められた薫香が御帳台の中をそめる。お館さまはいつもよい匂いがする。そのときどきに違うけれど、清々しい、凛々しい、優しい匂い。今はひたすら甘い。


「ずうっと、いっしょに寝たかった。もっとくっつきたい」


 お館さまは有為を引き寄せ、袖の中にくるんでしまう。


「かわいい。ちいさくてやわらかい。こんなふうに、猫の子のように、くっついてまるまってからみあって、寝たかった」


 どぎまぎして目をつむった有為をお館さまはそっと撫でてくれた。いつのまにか眠ってしまったらしい。


 目がさめると御帳台の帳は四方とも巻き上げられ、お館さまはもう起き出してしまって、有為はひとり掻巻にくるまっていた。朝顔が


「おはようございます」


とあいさつをした。となりの夜具がくぼんでいるので、そこにお館さまが横になっていたのはわかるのだが、手でさわるともうすっかり冷たくなっていた。お館さまはお仕事が忙しいのだろう。朝も早いのだな、と思った。少し寂しかったのは有為のわがままだ。朝顔にかしづかれて白妙にもどり、すっかり着替えさせられた。夜番の朝顔はこれから休むのだろう。鈴蘭が着替えを手伝ってくれた。


「よくお休みになれましたか」


「うん」


「あの、お館さまは、お優しくして下さいましたか」


「うん」


 朝のごはんを食べながら鈴蘭の問にぼんやり答えていると、鈴蘭が心配顔でこちらをうかがっているのがわかった。


「ちゃんと眠ったから大丈夫」


 緊張してよく眠れなかったのでは、と心配してくれているのだな、と有為はにっこりしてみせた。


「あのね、お館さまに太白と北斗に会わせてもらった。ここにも遊びに来ていいって」


「太白、北斗」


 鈴蘭が肩をすくめて青ざめたので


「大丈夫、大きいけれどやさしい子たちだよ」


となぐさめた。狐の子の鈴蘭には神獣はこわいものなのかもしれないと思いついたので。ごほうびにあげるおやつは、村雨から朝顔に渡されているはず。あとで忘れずに聞いておこう、と有為は思った。

 ごはんのあとはゆっくりと畑遊びをした。先日撒いた青菜の芽が出ていて、うれしくなった。雑草をぬき、水を撒いて、鳥についばまれないように、茣蓙をさしかけた。もっと伸びたら若菜を摘んで、お館さまにさしあげよう、と思う。鈴蘭の給仕で、おやつに甘く炊いた芋の子を食べていたら、朝顔がやって来た。


「昨夜は突然のことで、ふさわしいご用意もできず、行き届かぬこととなり申し訳ございませんでした。今夜はしかとご用意させて頂きますので、ご安心ください」


 朝顔は手をついて最上級のお辞儀をした。有為はびっくりして朝顔に駆け寄った。


「有為さま、今夜も奥の宮でお泊りになります。お仕度は前々より怠りなくご用意しておりましたのに、いきなりのおおせで、朝顔はそれが口惜しうございました」


 は?有為はぽかんと目頭をおさえて詫びる朝顔をながめた。


 湯殿に行くと湯船には花弁が浮かんでいた。湯殿係の下臈方もいつも以上に気合がはいっているようだ。丁寧に頭のてっぺんからつま先まで磨きに磨き抜かれた有為はぐったりしてしまった。朝顔が用意した着替えも吉祥文様の地紋の袿袴で薫香が炊き込められている。いつもはしない爪紅までされて、下臈方がそろって「たいそうおかわいらしゅうございます」とにこやかにお辞儀。いい仕事したと満足げだ。

 奥の宮からは陽炎が迎えに来て、朝顔とふたりで有為を連れて行く。いつものごはんを食べる部屋に入ろうとすると、村雨の声。


「天河さま、先ほどから何度も、きちんとしておいでになりますと申し上げています」


「きちんと、ではなくて、キレイに見えないと。あの、まだなのか」


「先ほど陽炎がお迎えに出向いたではありませんか」


 これは有明の声。


「夜のものの仕度は?」


「もう、お褥を急ぐと嫌われますよ」


「嫌われるのはダメ……」


 陽炎はもうしわけなさそうに戸を開けて、有為を中に通した。そわそわと袖の襲を気にしていたお館さまが腰を浮かせた。


「お待たせをいたしました。有為さま、どうぞ」


 陽炎が主を見ないようにして、有為をいつもの席にいざなう。あからさまにほっとした、ちょっと泣きそうなほど眉を寄せたお館さまが、陽炎の肩ごしに有為をのぞきこもうとして、うしろにひかえた村雨に袖をぐっと引かれた様子。有為は敷物の上にちょこりと座ると、


「遅くなってすみません」


と頭をさげた。


「お仕度に念を入れて遅くなりました。申し訳ございません」


 朝顔が村雨にお辞儀をする。でも表情は少しも「悪かった」と思ってないようだ。村雨が


「いえいえ、こちらこそ急に進めてしまいまして」


と苦笑した。


「有為、とてもよく似合っている。かわいい、キレイ」


 お館さまは有為の袖を取って自分の膝に広げた。さりげなくにじり寄って自分の袖の襲を見せ


「こういう色はスキ?この文様はどう?」


と尋ねる。とてもきれいだけれど、教養のない有為には文様のよしあしなど全くわからない。ただ


「きれいです」


とだけ言った。お館さまが妙にそわそわしているので、ごはんもあわただしく終わった。お仕事が忙しいのかも、と有為は思った。今日もお泊りだと朝顔は言ったけれど、忙しいなら帰った方がいいだろう。

 そうこうしていると、衝立の向こうに誰かが来て声をかけたので、村雨が答えるとなにやら押し問答があって、村雨がお館さまに小声で伝えている。お館さまの表情が突然冷たくなって、有為はこわくなった。


「どこに」


「お庭口にひかえおります」


 お館さまが舌うちした。こんなにご機嫌の悪い顔は初めてだ。


「ごめんなさい、ちょっとだけ……」


 お館さまはつぶやくように言うと、村雨を従えてするりと出て行った。残った有明が有為と朝顔に深くお辞儀をする。有為は朝顔の袖を引くと、耳打ちした。


「忙しいみたいだからもどろう」


 朝顔は少し思案したが、有為の心細そうな顔を見て


「はい、そういたしましょう」


とにっこりした。有明の顔が真っ青になった。


「じきにお戻りになります。もうすこしお待ちを」


「またあしたね」


 有為は引き止める有明にそう言って、朝顔について奥の宮から白妙に帰った。


「お疲れでございました」


 朝顔が気の毒そうに言うので、有為はきょとんとした。


「塗籠の方にご寝所をこしらえましたので、今夜はそこでお休みくださいまし」


 朝顔の指示でほかの下臈方があわただしく夜具の仕度をして、有為は塗籠に横になった。ぬいだ袿袴は乱れ箱に入れて鈴蘭が持って下がった。あくびをひとつしたらもう眠ってしまったようだ。夢の中で野分がごうごうと吹き荒れ、雷が暴れまわっているのが聞こえた。


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