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 このお山は現世うつしよとは別の幽世かくりよ。このお屋敷は迷家まよひが。有為はこうして人にして人にあらざる者となったらしい。お館さまは現世の「流転」をつかさどる地祇。すべては流れゆくのが定め。とどめることも、巻き戻すこともできない天の摂理。滞ればどこかで無理がかかり、いずれは一気に決壊する。現世には大惨事となる。見定めてこじれをほどきゆったりと流してやるのがお館さまのお仕事だそうな。

 有為はここでお薬として、お館さまの憂いや倦みをほぐすのがお仕事だ。ご飯を食べたり遊んだりお話ししたり。神さまは本当なら眠らないそうだが、有為は人間の子どもなので眠る。お館さまは有為とくっついて寝て、目を閉じているととても楽になるんだって。

 庭の有為の畑に若菜が生えたので、鈴蘭に頼んで台所でひたしものにしてもらって、お館さまの御膳に付けた。


「それ、有為の畑でなったのです」


 お館さまが若菜を食べようとしたときに、黙っていられなくてつい言ってしまったら、お館さまはとってもにこにこして


「おいしい、おいしい。有為の味がします」


と全部食べてしまった。


「有為は味がしないよ」


と言ったら、お館さまかぶりをふって


「有為はやさしい味がするの」


と笑った。やさしいのはこのお屋敷のみんなだ。中でも一番やさしい、とびきりやさしいのはお館さま。


 有為の住まいは白妙のままなので、晩ごはんに奥の宮に入り毎朝白妙に帰る。どうもお昼間は奥の宮にいてはいけないらしい。前は目が覚めると御帳台の中はひとりきりで、朝顔や陽炎が仕度をしてくれて、白妙に戻った。でもこのごろは朝のお粥も奥の宮でお館さまと食べる。目が覚めて最初に見るのはお館さまのきれいな顔だ。いつも先に起きていて、有為の頭や背中をなでてくれている。目があうとうれしそうににっこりする。お粥を食べてからも、有為の髪を梳いたり着替えを選んだりで、朝も半分くらい過ぎてしまう。奥の宮の上臈である村雨や有明が咳払いをして、お館さまはやっとしぶしぶ有為を白妙に見送る。

 有為が奥の宮を出ると、待っていたように表側に通じる庭先の門から家来の男の人たちが入ってくるようだ。有為には見えないけれど、ざわめきと気配でわかってしまう。朝ぐずぐずしているとお館さまのお仕事の邪魔になるのだと有為は思う。だから朝もさっさと白妙に戻ろうと思うのに、お館さまはいつもむずかって有為を手放そうとしない。


「ワタシが奥の宮にいると、お仕事の邪魔になるね」


送ってくれる有明に声をかけると、有明はびっくりしたような顔をした。そして両手をめったやたらに振った。いつもおちついた上臈がそんなにあわてるなんて。


「めっそうもございません。有為さまがいらせられる前は、天河さまは終日沈み込んでもの憂く、お気持ちも晴れずあらせられました。眉もいつも曇りがち、お召し物もおぐしも気にされることなく、そば仕えのものが無理にお着替えをお願いしておりました。表の文人や帯刀たちにもはかばかしいご指示がなく、天の遣いにもめったに会われることなく、お仕事も苦になさっておいでのようでした。有為さまがお生まれになってから、お昼間にさっとお仕事をすませ、あとは水鏡で有為さまの様子をごらんになったり、昼は太白夜には北斗を有為さまのご在所に遣わして見守りさせ、花や山の生り物をお届けして、毎日楽しげになられたのですよ」


 ああ、それで、と有為は心当たりを思い出した。山で薪にする枝を拾っている時、山菜を探している時、衣類を小川で洗った帰りに、目に付くところに色づいた果物や木の実、花房がよく落ちていたっけ。


「そうなの?だったら有為がいてもお仕事の邪魔でない?」


「もちろんでございますとも。ご婚姻からこのかた、ご夫婦のお語らいも睦まじく、天河さまにはこれほどになくご満悦なご様子でございます。奥の宮で側近くお仕えするわたくしどもも和やかにすごせております。これはみな有為さまのおいでくださるお蔭でございますよ」


 よかった。有為はほっとする。ちゃんと「お薬」になれたんだ。ふと振り向いて足元を見る。長く曳いた裳裾にこぼれる五つ衣の袿。その上に流れる白い髪。季節がいつのまにか流れ、有為の髪は白銀になった。光のさす加減で青みがかかり、綾衣にこぼれれば銀にきらめき、煙水晶のように透き通りつつ、やわらかにけぶる。立つと丈にやや足りないが、座れば扇のように広がるまっすぐな髪だ。気づけば切袴でなく、ふつうに長袴をさばいて歩いている。衵や汗衫は白妙で庭に出る時くらいしか着せられない。


 庭に出ると木の根元に太白が寝転んでいる。近づくと裾を引かれ、笑って座ると膝に頭を乗せてくる。深い鬣の中や背の翼の付け根を掻いてやると、喉音が低くぐるぐると鳴る。まるでおおきな猫だ。日が傾くと北斗がすとんと降りてくる。北斗は花の咲いた枝を咥えていて、有為に差し出す。手を出すとぽとりと口をはなす。優しい目は細められ、ほめてほしげに頭をすりよせてくる。額の角の生え際をさすると、気持ちよさげに鼻をならす。どちらの神獣も美しい毛並がみっしりして、たいへん撫で心地がいい。お館さまにもらった星屑をあげると、二頭ともそれはおいしそうに食べる。有為はどちらとも仲良しだ。

 たまに奥の宮の庭で遊ぶとお館さまがすねる。すねるお館さまはたいへんかわいらしいのだ。そういう日は、御帳台に入ってからお館さまのきれいな黒髪をずっと撫でてあげることにしている。お館さまは甘えむしだ。大人なのにくっつかないと寝てくれない。すぐに抱きついたり頬ずりしたりする。お館さまの体温は人間の有為より低くて、肌理のこまかい肌はいつもしっとりして、産毛なんて生えていない。神さまはそういうものなんだろう、と有為は思う。産毛の生えた有為の手足を、撫でるのがお気に入りらしい。


「有為はあったかい。すべすべして気持ちいい。いいにおいがする」


「お館さまのほうがいいにおいでしょう。森に吹く風と同じにおい」


「有為は水のにおいがするね」


 思い出せないずっと昔の前世。真澄という人は水の小さな神さまだったそうな。現身うつしみみずち形代かたしろは鏡だったのだと、お館さまから寝物語に少しずつ聞いた。初めのころはまったく知らない昔の人の話だとしか思えなかったのに、このごろでは、真澄のことを聞くと有為の胸の奥の奥がほんのり明るくなって、小さい灯がともったような気がする。まるで覚えていない赤子の時の話を聞いているような、くすぐったさを感じるようになってきた。


「それは、だって、魂が同じだもの。この世で一番すきとおった水。でも有為は人間の子に生れたからあったかいね」


 お館さまはにこにこして有為をかこいこむ。


「神なんて情のないものはつめたいのだよ。地祇はまだ生き物に接するけれど、天神は生き物にふれることを「触穢」として忌む。おろかなことだ。生き物の息吹や想いが神を産むというのにね」


「お屋敷の人は生き物なの?」


こうを経た物の化や小さき神もいるけれどね。奥に仕えてくれる村雨たちはみな生き物だ」


 ああそうだ、鈴蘭は狐の子だったもの。


「有為はあったかい。ちいさくて柔らかくてかわいい。もう、どうしよう。かわいくてたまらない。大好き」


 有為はお館さまの懐に押し込まれてぎゅっとされてしまう。


「有為が婚姻してくれたので、わたくしを奥の宮に繋ぐ縛めが消えました。地祇としての勤めさえ滞りなく行えば、どこにいてもいいの。この地は千年も暮らして、わたくしの居心地よいように馴染んでいるし、屋敷のものたちも住みよいと思うので、当分家移りする気持ちはないけれど、たまにはどこかに出かけようか。有為に見せてあげたいものもたくさんあるし、これからずっといっしょに、ゆっくりいろいろなものを見て歩くのも楽しみなの」


「なら、お墓参りにいきたい」


 有為は小さい声でつぶやいた。お館さまはぴくっとして固まってしまった。


「あの、お屋敷にお世話になってから、もうずいぶんたったでしょう。有為の髪も伸びたし。一度邑に行って、お父さんとお母さん、お祖母さんとお祖父さんのお墓に、有為はお館さまのところで幸せに暮らしていますって、ちゃんとお話ししておきたいな、って……」


「幸せに?」


「うん、幸せ」


 お館さまは真っ赤になると有為を抱きしめた。


「それからふたりはずっと幸せに暮らしましたとさ。って、お伽噺みたいに?」


「うん」


「わたくしもいっしょに行く。だったらいいよ、お墓参り」


「ありがと。お館さまだいすき」



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