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 物心ついた頃には、もうその夢は見ていた。夢ではいつも同じ座敷に座っている。磨きこんだ広縁から見える緑したたる庭。涼しげな遣水やりみず。花の咲く木、色づく葉、みずみずしい苔は濃き緑。敷居の内は青畳。みすやら戸障子やら、季節ごとに変わるらしい。内はいつもほのかに暗く、庭は光にあふれている。そのほの暗い簾の内から、ときおり優しい手が果物を手渡してくれる。手は白くたおやかで、光沢のある目も鮮やかな綾衣をまとっている。果物は季節によって違う。桜桃、李、柑子の実、切ったばかりの瓜の切れ、焼き栗や煎り豆のこともあった。夢はいつもそこで終わり、ついぞ受け取って食べた覚えはない。


 昔の暮らしの記憶だろうか。それとも、そんなのどかでおだやかな暮らしへのあこがれか。


 有為ういの家はもともとは由緒ある家柄だったそうだ。先祖は都人だったのだという。何がきっかけでかこの土地に流れてきて、都風の屋敷を建てた。今はもう昔日の面影もなく荒れ果て、崩れ落ちた母屋はとうに見放して、この東のたいの屋だけ手を入れて細々と暮らしていたのは、有為の父親が子どもの頃からだ。それでも父親の両親が健在だったころは、きちんとした暮らしだったそうだ。田畑もあり、それを人に貸して作物も作らせていた。

 祖父は学問もでき、このあたりの裕福な家の子に字を教え、書物を学ばせて、尊敬も受けていたと、有為が幼い頃まだ生きていた祖母から聞かされた。先祖伝来の書物や軸物もたくさんあったのだと、古風だがりっぱな衣装がひつにいくつもあったのだと、祖母は寝物語に何度も語った。だが、父親の代になると、それを暮らしのために少しずつ手放し、土地も人手に渡って、有為の家はすっかり零落した。父親は優しいだけの男で、体も弱く非力で、人と争うことのできない性分だった。暮らしの支えになるような仕事にもつけず、わずかな財産をうまく切り回すこともできず、先細りの暮らしをただつつましくすることで引き延ばしていただけだった。

 最初の結婚で有為が生まれたが、産みの母はその後ほどなくしてはかなくなった。赤子の有為を育てたのは祖母だった。祖父は有為が生まれたころにはもう没していたので顔も知らぬ。祖母と父と赤子の有為の三人の暮らしは、祖母の病による死で唐突に終わった。

 父はまだ幼い有為を抱えて途方にくれていたのだろう。地主の家から後添えをもらった。後添えには有為より少し年下の連れ子がいた。今にして思えば、出戻りの子連れ女を押しつけられたのかもしれない。また、父親という人は顔立ちがたいそう良かったので、義母はそこが気に入ったのかもしれない。それでも義母と義妹が来てから、地主の援助もあって暮らしの苦労がすっかりなくなったので、父親は気が楽になったのだと思う。

 しばらくはそんな暮らしだった。父親と義母は畳敷きの座敷で食事をし、義妹は義母の隣に座った。有為は敷居の外の板の間で食事をした。魚は父親と義母の膳だけにのり、義妹は母親に分けてもらっていたが、有為の膳には付かなかった。それでも食べる物に事欠くようなことはなく、着る物も質素であっても身の丈にあったものが与えられた。

 家事は義母が嫁いで来た時に伴った年寄りの女中と有為がおこなった。義母は縫い物以外はできなかったからだ。父親も、水を汲んだり薪を割ったりすることさえできない人だった。ほどなく、年寄りの女中は働くのに体がきかなくなってきたので、身寄りのもとに引き取られていった。家事の担い手はまだ子どもだった有為ひとりになった。

 もうその頃には、有為の暮らしは家の娘というより女中のようだった。それでも、広くない家を掃除し洗濯と炊事をすることは、それほど辛いことではなかった。座敷でのんびりと手元に残ったわずかな書物を手入れする父親や、美しい衣を縫う義母、手習いをする義妹を見ているのは、有為にとっても穏やかな幸せの日々だったのだ。食べ物や布地は地主の家から運び込まれ、困ることはなかったし、水汲みと薪拾いは重労働だったが、それも晴れた日には楽しいとさえ思えた。家の前の荒れた土地に畑の真似事をして野菜を育てたりするいとまもあった。

 ところがそんな日は突然終わってしまった。父親が地主の家の宴会に招かれた帰り、川に落ちて亡くなってしまったのだ。飲みなれない酒に酔って、土手から足を踏みはずしたものらしい。朝になっても帰ってこないので、義母が有為を地主の家に聞きにいかせ、夜のうちに帰ったはずと地主が人を出して探した挙句、川の中にうつぶせに倒れているのが見つかったのだ。

 弔いは地主が取り仕切って無事に終わった。その後義母が地主と話し合って、義母と義妹は地主の家に戻ることになった。この荒れた家にひとりぼっちになるのかと思うと、有為はひどく心細く感じた。女中の身分でもいいから、地主が有為も引き取ってくれないだろうか。義母にたのんでみようか、と思いながら眠ったのが、有為がこの家ですごす最後の夜になった。

 翌日地主の家から人が大勢来て、家の中のものはすっかり持ち出された。義母の身の回りのものだけでなく、父親の書物や家財なども何一つ残されていなかった。忙しそうに人に指示を出す義母をやっと捕まえて尋ねると、


「この家のものは塵ひとつまで私と娘に残されたので、もうここには住まないから、全部持って行くのだ」


という。有為はあっけにとられた。


「生さぬ間柄のお前をここまで育ててあげた恩を返せとまでは言わないが、お前ももう子どもではなし、この先は自分の暮らしは自分で立てるように」


と義母は言った。いやいや、有為はまだ子どもだった。ではこの家は、と言いかけると、地主が鹿つめらしい顔で


「家も土地もお前の父が妻子に残したので、こんな古屋で荒れ地であっても、儂が買い取ることにした。今日からここは儂の物だから、お前は日暮れまでに出ていくがいい」


と言い放った。疑うのならここに地券がある、と古い紙に書いたものをちらりと見せられた。有為は家族も家も暮らしも、一夜にして失ってしまったことを知った。

 着替えなどを包んでいると、地主の家の顔見知りの女中が、こっそりと糠団子を手渡してくれた。


「あんたがもっと器量がよかったら、どこぞの家に嫁に出されただろうけどね。それが幸せかどうかわからないし、まあ、人買いに売られたりしないだけましと思って、旦那の気がかわらないうちに出ていくといいよ」


 やせこけ、日焼けした有為はたしかにお世辞にも器量よしとはいえない。美人は美人なりに苦労があるのだな、と有為は思った。それでも食べて眠れる場所を失ったのは辛い。地主ににらまれては、もうこのむらにはいられない。だからといって、どこへ行くというあてもない。


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