The call of darker ⑳
「リアっち」
突然振り返ると、ダルクは真剣な目をこちらに向ける。なんだってんだと思いながら、リアはノートから目を離すと返した。
「なんすか、改まって……」
「いやなぁ。突然、柄にもなく真剣に考え思う事ってあるじゃん?」
「……何が言いたいのか分からないんですけど」
「まぁまぁまぁ、時間はあるんだ。戯言だと思って聞いてくれや」
「……」
かったるそうなリアを他所に、ダルクは歩む速度を落とす。当然リアも彼女に合わせて歩いていく。
「今日の降水確率って0%の超絶快晴の筈だよな? 事実さっき遊んでた時も雲ひとつなかった。なのに……なんで今、海の上だけ曇天が広がってんのか不思議に思わねぇか?」
「……え?」
彼女に言われて、リアはノートから目を離し海に向ける。
ほんの数秒前までは、確実に晴れていた筈の海の上。そこには鉛のような曇天が、晴天を侵食するかのように広がり始めていた。
「入道雲や積乱雲じゃないな?」
「夏の急激な天候の変化にしても……あの海一辺だけ雲が広がってるのはおかしいぜ。風も強くないし遠くから雲が流れてきたって可能性も低い」
「……って事は?」
「現状何とも言えない所だけど、明らかな異変だ。ライラの家まで急いで戻ろう」
リアは無言で頷き《身体強化》の脚力で走る。顔に当たる生温い風が、徐々に冷たくなっていくように感じた。
………………
レイアとライラは混乱しつつも、冷静さを直ぐに取り戻し、目の前で悠然と佇む人型の触手体であるオクタ君へと、問いへの質問を返した。
「ごめん、何言っているのか分からない。緊急事態とかそう言う話の前に、まず君って喋れたのかい? いや、脳内に直接話しかけられている現状を喋っているとは言い難いけどさ」
微かな警戒心は《契約》で繋がっているオクタ君……改めてオクタへ伝わった。それを理解し、彼は頭部のフードを縦に揺らす。
『人の言葉を解せるまで、そして人の思考を取り戻すまでに随分と時間がかかってしまった。今は《魔の糸》を用いて話している』
「どういう……? 僕を通して言語の学習でもしてたのかい?」
『似たような事だが。しかし本質は違う……ふむ、この話は私が『鍵』を託した2人が帰ってきてからするべきだ。でなければ、話をしたところで余計に混乱するだろう』
オクタの言葉に、レイアはあの2人が何故か神社へ向かった事を思い出した。それと同時に湧いた当然の疑問を口にする。
「なんで、あの2人に?」
『理由は幾らでもあるから説明しろと言われれば困るな。しかし、敢えて言うならば適任であり、また精神の強い者に情報を託したかったのと……私のような存在と契約してくれた貴殿を危険から遠ざけたかったから、では駄目だろうか?』
無機質でない、確かな感情が《契約》を通して伝わってきた。だが、それでもレイアは問いかける。
「君の気持ちは分かったけど、人って言うのは『言葉』にしてくれた方が安心できるんだ。だから問うよ、君は僕達の味方かい?」
『味方だ』
即答だった。そしてその言葉にレイアは微笑を浮かべる。
「そうかい……じゃあ君の言う通り2人の帰りを待つとしようか」
…………………
「と、なんか2人で納得して良い雰囲気な所悪いが……」
ライラはパンっと一度手を叩き視線を自分に向けさせる。
「お前の正体とかはアイツらが戻ってきたら分かるんだろうから聞かない、時間の無駄だからな。けど、ひとつだけ聞き逃せない事を言ったよな。『緊急事態か?』って、どう言う意味だ? なんかヤバイ事でも起きてる? それとも、これから起きるのか?」
オクタは器用に触手で考えるような仕草をした後。
『あの海の底に遺跡がある事は知っているだろう、少女よ』
「ライラでいい。それで? 確かにヤバそうな奴が潜んでいるのは分かっているが」
『あの遺跡は、澱んだ魔力の溜まり場であり、また封印でもある』
「封印?」
『そうだ……端的に言うとだな、封印されていた強大な化け物が漸く束縛を解き、表舞台へと戻ってきたのだと思い私は来た。が、どうも勘違いだったらしい。どうやらまだ、時間的に猶予がありそうだ』
「猶予がありそうだ……じゃねぇよ。え、あの海の底にマジでヤベー奴が居るの?」
『聡明そうな貴殿ならば察しがついているだろう? 黒い魔力の粘液体が潜んでいると。魔法の効かない……正確には魔力を喰らい成長を続ける化け物。私はかの者を『澱み』と呼んでいる。心当たりはあるのではないか?』
「ありすぎて困るわ……にしても『澱み』ね。単刀直入な名付けで悪くない。ついでに買う土地間違えたぜちくしょうが」
『そうだな、ここからならば、遺跡のある海域まで見渡せる。にしても……天気が良ければ、ここから見える景色はさぞかし綺麗なのだろうな』
「皮肉をどうも……ってか、おい。急に天候悪くなってる? マジで何か起こる前兆じゃねぇか。察するまでもねぇな」
『……そうだな。あと、先の言葉は皮肉では無いぞ。最近私はずっと必死だった。だからこそ、この数分の穏やかな時間は……私にとって貴重なんだ』
「こっちは心中雨霰な状態だ」
天井を仰ぎ見て、深い溜息を吐いたライラ。なんだって自分がこんなややこしく危険な状況に巻き込まれねばならないのか、そう心の中で愚痴った所で(あー、不幸レベルMAXのダルクも呼んだせいか)と、ダルクに罪を擦りつける。あながち間違っているわけではない為に、本人が聞いたらキレながらも否定しきれず、苦い顔をするだけだろう。
それから数分後、リアとダルクが帰ってくる。曇天は更に広がるも、まるで壁にでもぶつかったかのように防波堤を基点とし雲は街にまで広がる事は無かった。
これが境界線による結界なのだろうが、リア達がそんな事を気にしている場合ではない。
………………
話の擦り合わせにはかなり難航したものの、当人であるオクタの存在によりどうにか両者とも理解できた。そして、オクタの正体も。
彼は魔物のような存在ではあるが、正確には違うと。第一、魔物の定義なんてものは曖昧だ。人間を襲う害獣を纏めて人々がそう呼んでいるだけで……まぁ、今は関係無い話だから省くが。
オクタは、遠い昔に『魔力』から生まれ、誕生した瞬間から『自我』を持つ存在だった、らしい。本当の事など本人すら分かりはしない、世界の不思議のような存在である。
ただ生まれた時から自我はあったが、思考回路は人の価値観から外れ、自身以外は塵芥としか考えない存在だったのだとか。
生まれながら魔力の扱いに長け、一部の地域を縄張りとして支配していた。だが、そんな超越者であった存在も、時の力には抗えず軈て朽ち果てた。
そして朽ちぬ肉体から水分だけが抜け落ち、即身仏のような存在になったらしい。その間、深い眠りにつき、その期間の長さのせいで記憶が激しく磨耗して、当時の事は大雑把にしか覚えていないのだとか。だから曖昧な事ばかりになる。
ただ何千年も前の人類は『魔法を使う存在』を『神』と崇めたり……はたまた『悪魔』として恐れたりしていたようだ。
因みに余談だが、記憶の磨耗により本来の名前などとうの昔に忘れたらしく、これからもオクタ呼びで良いと言われた。
唯一、戻ってきたティオが「お主の存在、何かの神話に記されていそうだな。面白い」と興味を抱いた。確かに、この連合国の一部には神話の多い国があるし、調べればありそうで興味が唆られるが……今はさて置いておき。
ハーディスの母により『人間性』を与えられたオクタは、人の価値観を、意思を、思いを、そして心を得た。それはとても大切なものだ。人間を『人間として見る』事が出来るようになったのだから。
価値観というのもまた、人が持つ大いなる知恵だ。それと同時に、自分とは違う存在だとしても、守るべき者を認識することができるようになった。
オクタにとって……例え最初は利用されたのだとしても、後の百数年間、自分を敬って願いを、祈りを捧げてくれた人間を無碍にできなかった。
だからこそ、あの遺跡に封じられた存在の脅威を振り払う為に、極力、協力をしようと思った。義務感でも正義感でもない、これは使命なのだと。自分がこうして得られたかけがえのない全てを守る事に、何を躊躇う必要があろうか。
……と、いった思いを抱いたのは本当だ。
しかし、彼にとっては、ここからが肝心でもあった。
人の価値観を得たということは同時に『命の大切さ』や『命の尊さ』をも認識出来るようになったという事と……昔は感じ得なかった『死への恐怖』も感じる事ができるようになったという事。
心を得るのは、同時に『恐怖』を覚えることでもある。
確かに、自身に眠る力……願い溜まりに溜まった魔力を用いれば、最終的に『澱み』は倒せるだろう。しかし、同時に自分もまた死ぬか乾物に逆戻りしてしまう可能性もある。
ヴァルディアという存在から力を奪われないよう逃げ、磨耗する人間性を保つ為に契約者を見つけ、ここに誘導し、最後は自爆して敵を倒す。つまり……最後は自爆するけど、その時まで逃げまわれという事で、そんなのは……あまりにも酷だった。
単純に……死にたくはないと、普通の人が思うごく当たり前な感情が湧いたのだ。
だが『人間性』を与えてくれた彼女に対しての恩、そして命をかけて事を成そうとする『覚悟』を知っているからこそ、無視出来ない。それから、人間の価値を理解したからこそ、この温かな雰囲気を持つ町を、放置する事は自分自身が許さない。
『まぁ説明はこんなところかな。所詮、自分で自分の事などよく分からないという事だ。魔物認定されても仕方ないさ』
「ほーん。で、オクタさん自爆してくれんの?」
「ちょ、先輩」
語り終えて満足気な雰囲気で和もうとしていたオクタへ、ダルクが感情の無い声で問いかける。リアは制止する間も無く、レイアは情報過多の中で複雑そうに目を伏せていた。
場の空気が一変した気がする……だが、凍りつきそうな空気の中、オクタは愉快そうにダルクを見ると。
『貴殿は私が自爆特攻以外での方法を考えてきた筈……そう思っての発言だな?』
「そーだよ。そんでこの『赤い手帳』、あんたのだろ?」
『あぁ、あの部屋ほど、物を隠すのにうってつけな場所は無いからな』
「ま、そりゃな。だってあの部屋にあったのは日記や資料と……海図、伝承や歴史関連の書物ばかりだった。アンタは多分、レイアに魔力を貰う側で何かしてた、違うか?」
『……そうだ。話をするとまた、長くなってしまうが、事の発端は半年前のショッピングモールでの一件からだ』
「ん?」
「え?」
リアとレイアが始めて出会った出来事。そう、オクタが自ら勝手に現れ、暴れた一件。その事の事実が今から語られる。
『といっても、強引に魔力の核を引っ張られ、自己を防衛本能のみに転化した結果……としか言えないが。恐らく君らが魔王、又はヴァルディアと呼ぶ存在が、この魔力を狙って攻撃を仕掛けたのだろう。だから私は私の人間性と共に、魔力を肉体の奥底へと引っ込め隠れたのさ』
「……なるほど?」
「オクタ君、わからんからもっと詳しく」
『要するに、野生化したって事だ。さて、ここからが本題なのだが。ちょうどリア、君が《結界魔法》を使ってくれたおかげで、ヴァルディアからの干渉が乱れレイア、君が私の元へ来て、再び《契約》し『繋がり』を強くするまでの時間を稼いでくれた』
レイアは話を聞いて「成る程、あの日の謎が解けた……けど、問題は山積みだね」と呟き、リアは《結界魔法》について再度、効果を考えながら、手の平サイズの小さな四角い結界を作っては消してを繰り返し首を傾げた。
そんな3人の会話を「パン!!」と手を叩き遮り、ライラが仕切り直す為に口を開いた。
「そっちのアレコレは後にしようか? 今はあの海にいるやつを倒すのが先だろ? 天気もどんどん悪くなってる。時間は待ってくれねぇんだから、長話は討伐を終えたあとでじっくりやろうや。あとオクタだっけか? お前の事は……レイアが信頼しているようだし、私は信用くらいはするよ」
信頼では無く信用と言ったところに、心の隔たりを感じる。だが、彼女の言葉にレイアを除き、一同は頷いた。




