The call of darker ⑩
砂浜に深々と突き刺ささり、砂埃を巻き上げる銀色の西洋剣。それを振り下ろしたであろう西洋鎧と……使役したであろうレイア。
そして、リアは触手が切断された反動で足元をよろめかせ、ダルクは尻餅をついき……レイアは拳をグッと構え口を開く。
「物理攻撃なら有効なようだね……今だよリア!!」
レイアの言葉通り、物理的な斬撃により黒い不定形の触手はキッパリと切り離されていた。リアは触手の蠢くタブレット端末を《境界線の狩籠手》の手中に収めると、勢い良く握り締める。中ではタブレット端末が砕けひしゃげる破砕音と、触手の潰れる粘着質な水音が響いた。
何が何やら訳の分からない危機だったが、一難去ったかと安堵するリア。しかし、握り潰したのはいいが手を開くのを躊躇った。こう例えるのならば……ゴキブリを握り潰したような気分とでも言えようか。手を開くのが怖いというより、気持ち悪く感じていた。
そんなリアを他所にダルクは、蒸発するように空気中へ溶けていく残った触手を見ながら、顔を青くしていた。
「……レイアちょっと何冷静に『有効なようだね』なんて言ってんの、一言くらい言ってからやれよ!? 割とマジでちびりかけたぞ、人生で1、2を争うレベルでビビったぞゴルゥア!!」
憤慨しながら詰め寄り文句を言うダルクに、レイアは上半身を仰け反らせながら言い返す。
「でも言ったら言ったで先輩、絶対に動揺するか嫌がると思って……。それにですよ? 動揺されて寸分ズレたらそれこそ指をかすってたかもしれませんし……」
「そうかもしれないけどさぁ!? あれ、なに、リアっちなんでそんな目で私を見るの? えっ、これ助けてもらっておいて文句言ってる私が悪い感じになってる?」
リアは(結果オーライだし良いんじゃないかなぁ)なんて他人事のように思いながら見ていただけだったのだが、ダルクにはジト目に見えたらしい。
そんな訳で、彼女は語気を強くし「煮え切らない気分だけど、助かったからありがとうッ!!」とキレ気味に礼を言うと、気を落ち着かせる為に深呼吸をした。
そして、触手に絡みつかれた腕を持ち上げて見る。あんなにも気持ちが悪かった感触はいつの間にか消え去っていて……腕には何も残っていなかった。
先程までの光景がまるで幻のように思えてくる。
「にしても何だったんだアレ。画面から出てくる触手とか普通じゃねぇよ。しかも灰が残らなかったって事は……『魔物』じゃないのか?」
ダルクの呟きが、全てを物語っていた。異質で異様で、それから奇妙なあの触手は何だったのだろうか。そんな事を考えていていると、ふと妙な視線を感じ、3人はふとドローンが落ちたであろう方角に目を向ける。勿論、そこには何もなく、綺麗な海面が波を打っているだけである。
この時に、リアは不思議な感覚に見舞われた。
こう言葉では現しにくい感覚だ。幼い頃に見た夕暮れを見ている気分だとリアは思った。
橙色に染まった田舎町で遊び疲れた帰り道、誰も居ないはずの路地で視線を感じ痺れるような恐怖を感じた幼い頃の記憶が過ぎる。
変にノスタルジックな気分に浸るリア。そんな中だからか、苛立ちげなダルクの声がやけに大きく聞こえた。
「あのドローン10万くらいしたのに……なんか謎の存在に対して段々、腹立ってきたなぁ」
雰囲気など関係なしにぶち壊していく台詞に、リアは苦笑する。それから、レイアが話の路線を現実的な方向へ戻した。
「ところでリア、いつまで拳を閉じているつもりなんだい?」
何気無しに言われて、リアは「あぁ……」と生返事を返す。忘れていた訳ではないし、自分の魔法を信頼するのならば閉じた拳を開く事を躊躇する理由などない。
だが、だがしかし。魔法使いとしての『勘』だろうか。漠然と、良くない事が起きる気がして仕方がない。
あと、籠手越しでも「ヌチャ……」とした感覚があったからこそ余計に嫌で仕方がなかった。
けれど、こうしていつまでも閉じてはいられない事は……分かってはいるのだ。
だからリアは慎重にゆっくりと手の力を緩めて、籠手を開いていく……。
まぁ、考え過ぎなだけ、どうせ何も起きないだろうと思いながら。
徐々に開いていくうちに、パラパラとタブレット端末の破壊された基板や画面の部品が砂浜に落ちて散らばっていく。
そして……。
「……身構えてたのに、何も起きない」
籠手をグッパと閉じて開きを繰り返しながら、タブレット端末だった物の残骸を見て呟いた。
そんなリアの隣でダルクは、無惨にも破壊され尽くされたタブレット端末を見て膝と手を砂浜へ突き、静かに涙を流す。パッと見で最新式の物だったので……結構お高い代物だったのだろう。影で「こんなんだったらライラから借りれば良かった」と程々に最低な台詞が聞こえたが無視した。
一方で、何やら先の触手に興味津々な様子のレイアが、画面のカケラを拾い上げて「ふむ……」と目を細めながら手の平で転がし観察する。
三者三様、それぞれ思う事はあれど……一先ずは大丈夫そうだ。
そうして結局、アレは何だったのか?
謎や脅威がこの地域に、海に潜んでいる事実が分かり、気を引き締めて海を眺めていると……急に足元を掴まれるような感触がした。
脅威というものは、災害のように気まぐれで予想できない存在であり、純粋な程に危険で理不尽なのだと、この時からリアは強く思う事になる。
そしてきっともし、この時自分が賽を振ればきっと……致命的な失敗を叩き出してしまうだろうと確信してしまうくらいには、運がなかったのだろう。
底冷えするような冷たさが足元を伝い、肌が粟立つ。
そして足元に目を向ければ……端末のカケラからコポコポと溢れ出る粘液体が群をなして作り上げた太い触手が、力強く絡み付いていた。更には……ゆっくりと粘液の中に沈んでいってもいた。
「なっ、何ッ!?」
終わったと思った矢先の急な展開に思わず声を上げると、ダルクも異常に気がつき目を開き。
「は、えっ、また!? ……あっ」
リアを助けようと体を動かして顔を上げたダルクは焦りから愚痴をこぼし……途中で口を閉ざした。
予想よりも状況は悪かった。リアだけならば、まだ足元の触手を切ればといった手を取れ、焦りを超えて絶句する事などなかっただろう。
しかし彼女が……レイアの状況を見て、目を見開き固まった。
彼女が何気無しに拾った画面の破片から出てきたのだろう。空中に楕円形の歪んだ空間を形作り、彼女の上半身を飲み込むように無数の触手が巻きついていた。悲鳴すら聞こえなかった事から、それは一瞬だったのだろう。もがくように足を踏みしめてはいるが、徐々に力が抜けているように見えた。
そんな静かに、引き込んでいく光景にダルクの背筋が凍る。リアはまだ余裕があるが、レイアは今すぐどうにかして助けなければならないと、焦燥の中、思考をフル回転させて模索するも……(私に何が出来る?)と解決策なんぞ見つからない。無力感だけが、込み上げる。
(洒落になってねーぞ!! 魔法効かない相手にどうすりゃいい!?)
ライラとティオを呼ぼうにもそんな暇は無い。そして考えている時間もない。
無駄に回る思考の中で、ダルクはとりあえず、今にも飲み込まれそうなレイアを引っ張り出そうと考え近寄った。
できるだけ、冷静に俯瞰的に、現状を把握し突破口を求め思考を加速させる。どんな点でもいい、突破口を……そんな執念にも近しい真剣さのおかげだろうか。
辛うじて飲み込まれずに出ていた右肘から、水滴が落ちている事に気がついた。そして右腕の拘束が心なしか緩い事にも。
試しに上下へ動かせば、ほんの僅かに隙間が出来た。その瞬を見計らい、ダルクはレイアの右腕を力一杯引っ張る。腕は予想よりすんなりと抜けた。
「やった、どうにか……。レイア?」
自由になったレイアの手は、すぐに自身に向けて手の平を向けた。その動きには関節など関係なしに無理矢理動かしたように見え……まるで彼女の意思で動かしていないと思ってしまう程に、不気味な動きだった。
それに加えて、手の甲には複雑に刻まれた《契約》の紋章が『青く』発光していた。
何かを《召喚》するのだろうか?
いや、違う……あれは《契約》の紋章?
見守るしか無い現状に手を出しかねていると、空へ魔力の線が駆けるように広がり、手の甲と同じ模様を描いた。そこから縦横3メートル以上ある大扉が構築されると同時に「ドンっ!!」と打撃音を響かせ開く。
現れたのは、青白い触手群であった。
蛸のモノに似た形状の触手は、数えきれない程に扉の向こう側からビッシリと這い出てくる。そして、触腕らしい一際長く複雑に絡む触手群がレイアの腰を掴み引き摺るように動く。
結果、全ての黒い触手を振り払うように、彼女の上半身が現れる。黒い触手から滴るコールタールのような液体は本体と離れると同時に空へ消えていった。そのお陰で彼女の無事な姿を確認し、ダルクは「ほっ」と内心一息吐いた。
が、青白い触手はそのままの勢いでレイアを投げ出すように砂浜へ放った。
「ぐうぇ!!」
レイアは腹部の圧迫感により軽く吐き気を感じながら砂浜を転がるも、身体を捻り手を地に突いて、反転しながら無理矢理体勢を立て直した。
目の前では、黒い触手が生み出した空間に向けて、抉り取らんと言わんばかりに青白い触手が突撃している様子が繰り広げられていた。その必死な動き方から、どこか執念すら感じる。
「なんで……オクタ君がここに……」
レイアの呟きと同じくして、触手の動きが一度停止し、それから一度、脈打つように揺れると。
黒い空間へと押し入れていた青白い触手を全て動かして「ギャーッ!!」とスキール音のような破砕音を響かせ、裂くように破壊した。
飛び散る黒い液体や触手は引き裂かれた箇所から一気に空気に溶けて消える。何が何やら分からない、レイアとて理解が及ばない状況下だ。自身が契約する魔物の蛸……オクタ君の存在に驚きと動揺で狼狽える。一方で、ダルクは黒い触手達の消滅と共に、砂浜へと落ちた幾つかの物体に目を向けて押し黙った。
まるで時が止まったかのような静寂。他の観光客の声すら遠くに感じてしまう程に、緊張感を高まらせる2人。
そんな緊張状態だからこそ、冷静なリアの呟きがやけに鮮明に聞こえた。
「レイアー、えっとオクタ君? にそろそろ降ろしてって頼んでくれない、かな?」
「……えっ?」
少し近づいて回り込んでみれば、リアが触手を腰に巻きつかれ、宙ぶらりんになりながら苦笑いを浮かべている。どうやら見知らぬ間に助けられていたようだ。
そんな彼女の能天気な台詞と空気に当てられてか、2人は張り詰めた緊張が弛んでいくのを感じた。




