The call of darker ③
小さな駅前に1人、黒髪の少女が立っていた。夏らしく麦わら帽子を頭に被っており、白い無地のTシャツに灰色のカーディガンを日焼け対策に羽織って、下は通気性の良い紺色のズボンを履いていた。半袖から覗く手や腕、カーディガンからチラリと見える首筋や鎖骨、それからチラリと覗く胸元は、健康的な白さを保っていた。ルナがリアに対して、頑張ってスキンケアをした結果であるが……リアは気がついていない。
そんな……そこそこ普通の女の子らしい服を着たリアは、小型のスーツケースを片手に小さくため息を吐いた。彼女は今、とても緊張している。なぜなら……女の子の家に遊びに行くという経験もそうだが、友達の家に行く事自体初めてなのだ。男としての諸々が最早、残滓となりつつある現状でも、やはり女の子の、しかも先輩の家に行くというのはなんとも言い難き、ドキドキとした感情を抱かせる。『これが青春か』と小説の中の世界を体験しているような気分だった。
(だ、大丈夫かな? 俺が元男だってバレたりしないかな……)
友達という初めての相手に対する身振り手振りも分からないのもそうだが……男ならば普通でも女の子なら変な行動をしてしまはないかが心配だった。デリカシーやモラルのない行動を意図せず行い、友達関係も終わってしまうかもという恐怖が襲う。
恐らくルナに今の心境を言えば「いやいや、確かに男っぽい口調は変わってませんけど……女の子してると思いますよ?」と返してくるのだろうが、勿論そんな相談などしていない。それ以前に、生理を経験した上、セリアやルナと風呂に入っていた時点で今更だろうと。
しかし、リアはグレイダーツ校に入るまで、完全なるぼっちだったのだ。思春期で自己が形成される年代の頃にはもう、魔法の修行というものに打ち込み他人とのコミュニケーションを疎かにしていた。それがコミュニケーション障害の原因となったのだ。まごう事なき自業自得である。
結果、自分は何処か受け身で、聞き手に徹する性格をしていると自覚していた。あと空気が読めないのも。
しかし、それではよくない。可愛げのない後輩だと思われたくない。
要するに愛想や建前、本音の使い方が下手くそなのを分かっているからこそ、緊張するのだ。話す前にごちゃごちゃと考えてしまう性格は未だ燻るように残っている。
レイアは先に着いたらしいが、どんな会話をしているのだろう。しっかりと溶け込めているのだろうか……など、無用な心配だったか。愛想があり、頭の回転も早い彼女ならば、先輩達とも充分に打ち解けている筈だ。
(いざとなったら、レイアを参考にしよう)
麦わら帽子の位置を直しながら、電車がやってくるのを待つ。
まぁでも……先輩の中で、ダルクに対してだけは尊敬の念が湧かず、年上として敬う気持ちも無いから、いざとなれば彼女も頼ろうか。そんな、かなり失礼な事を考えて、気合いを入れるリアであった。
………………
田舎だから車線が都市部までしかなく、そこから乗り換えるという面倒で時間のかかるルートでライラの家に行かなくてはいけない。
そんな訳で一度、大都市の駅で下車し、駅前近くのアイス屋の裏……『底の虫』の事務所へとリアは足を向けた。
理由は、ダルクと待ち合わせをしていたからだ。
前回の事件以降、先輩という壁を越えてものすごく馴れ馴れしくなったダルクだったが、リアは友達に対するコミュニケーションという言葉を使われれば納得する程にちょろい。そのせいで先輩としてではなく同年代の友達のような間柄に変化していた。
リアからすれば、感覚的にレイアと同じくらいには仲良くなったと思っていて、一方のダルクは『使える友達』が増えたと考えている。ある意味……WIN-WINな関係になった……のかもしれない。
そして、向こうから待ち合わせの提案をしてきたので、リアは(はじめての、友達との待ち合わせッ!!)とウキウキで了承したのだった。早朝で非常識な時間に突然、待ち合わせのメールが来た事に対する、不自然さに気がつく事なく。
………………
……探偵事務所の前は、朝早い事もあってか閑散とした雰囲気があった。
だが、事務所から明かりが漏れているのが見え、リアは誰かがいる事を確信しながらドアをノックした。
「……」
けれど待てども待てども、誰も出ては来ない。居ないのだろうか? そう思い携帯端末を取り出して連絡を取ろうとした時だった。
背中から肩にかけて、柔らかな感触と適度な重みが掛かる。両肩の上から白魚のような手が伸びて、そして胸の前で軽くクロスしながら、手の持ち主は更に身体を預けるように体重をかけてきた。それから、右の耳元に生温かい吐息を吹きかけるようにしながら。
「おはよう、リアっち……髪切ったんだ、夏デビュー?」
ねっとりとしたウェスパーボイスで朝の挨拶を口にした。リアは視線を右に向ける。そこには小悪魔のように悪戯が成功したと言わんばかりの笑みを浮かべるダルクがいた。途端に、リアの目はジト目に変わる。
「ええい抱きつくな暑苦しい、あと背後からステルスして近づくの心臓に悪いから辞めろ!!」
「リアっちの抱き心地が良いのが悪い、肌もヒンヤリしてるし。それとだいぶ敬語が外れてきてるな!! そっちの方が話しやすくて良いぜ!!」
「尊敬できる相手には敬語を使うようにしてるだけだ」
「ほぉー、つまり私は尊敬するに値しないと? 喧嘩売ってんのか?」
「ダルク先輩に俺の『時間』という貴重な財産を消費してまで喧嘩を売る価値は無いと思ってます!!」
「っの野郎、私の沸点が分かってきてるなリアっち」
「苛々するって事は、自覚はしてんだ」
「そりゃな。人ってもんは煽ると素が出る。それを見るのが私の生き甲斐の一つでもあるからな」
「もっと碌な生き甲斐見つけろ」
鬱陶しい羽虫を払うようにペシペシとダルクの腕を振り解きながら、リアは彼女に体ごと向き直ると、ジト目を向けた。
「で、態々待ち合わせしようって誘ってくれたのは嬉しかったけど……ダルク先輩の事だからどうせ裏があるんだろ? はよ、言え」
「分かってて来てくれるあたり、本当に可愛いなリアっちは。後輩ポイントが高いぜ。……まぁ立ち話もなんだ、事務所に入って話そうぜ。珈琲くらいなら入れてやるよ」
「どうせならパフェが良い」
「……結構、厚かましくもなったな、おい。だがすまん、ジル公は今お休み中なんだ。パフェが食いたいなら、また今度来てやってくれ。『この前の事件を手伝ってくれたお礼がしたい』って言ってたからさ」
「ありゃ、そうなのか。じゃまたの機会に。それと、ジルさん寝てるなら静かにしないとな」
そう言って、リアは麦わら帽子を手にとってダルクと共に事務所の玄関を潜るのだった。
……………………
コート掛けを借り帽子とカーディガンを脱ぐ。
リアが身に着けている物を外している間に、ダルクは大仰な仕草でどっかりとソファに座ると、ノートを一冊手に取った。それをリアへと投げ渡す。突然投げられ取り落としそうになりながら、半開きで両手に掴んだリアは見開かれたページを目にして怪訝な顔をする。
ノートの1ページにビッシリと記された言葉の数々は、恐らくダルクがこれまで通ってきたであろう『魔法使い』と『探偵』としての『道』だった。
魔法という想像と物理的法則を越える『奇跡』のような力を相手にする為の数々の考察や使われた魔法の記録、過去に起こった謎めいた事件の詳細や死因に起用された魔法名など様々だ。中には未解決のものまで見受けられる。
とても貴重で興味深い資料だと、リアは素直に思った。しかし、なれば余計に彼女がノートを投げ渡し、自分に見せた理由が分からず目線を向ける。
ダルクは視線に対し、ソファの上で片膝を立てながら、リアの疑問など当然気がついていると感じさせる謎のポーズで応じた。
「リアっちを呼んだのは……私が見込んだからさ」
「……はぁ?」
「この前の事件で、思ったんだ。今後の探偵業でもし、ジル公以外を相棒に選ぶなら……リアっちだなって」
リアは訝しむ。彼女の楽しそうな笑顔が本音かどうかを逆に有耶無耶にしてしまっているからだ。
それに……彼女の相棒など碌なものじゃないだろう、冗談じゃない、勝手に決めるなど即座に思った。しかし、その不満を口にする前に彼女が先制する。
「……実は未解決で放置された案件があってさぁ。案件の依頼者が、ライラの家の近くにある神社の神主なんだよ。そこで!!」
パンっと手を叩き、彼女は立ち上がる。
「一緒に調査してみないか? ライラの家でただ『普通』に遊んで終わるなんて……『つまらない』だろ? リアっちなら私のこの気持ち、少しは理解できるはずだぜ。君はそういう人間だろう?」
「なにを……」
反論しようとして、言葉に詰まった。彼女の言う『普通』という単語を解そうとした時に、何故か先日の『喀血事件』において、巻き込まれ、そして体験した様々な事柄の一端を思い出したからだ。
1人の青年が親愛に狂い、沢山の人々を殺し最後には求めた者まで失った悲痛な事件。この『普通』では得難い体験と感情は、リア自身の精神に強く、爪痕を残した。良い意味でも悪い意味でも。
だからこそ……彼女のいう『そういう人間』という言葉の意味も、認めたくはないが、分からなくはなかったのだ。つまるところ、リアは『異常』や『非日常』を体験したかった。
憧れの英雄達は『人魔大戦』という『非日常』にて、その名を残した。だからこそ、不謹慎で、とても愚かな考えだと理解していてもリアは『非日常』に少し、ほんの少し憧れているのだと、ダルクの言葉で『理解させられた』。
それに、デイルに対し魔法使いとして憧れているからこそ、
助けを求める者に、届く範囲で手を差し伸べたいというのも本音だ。彼女のように利益は求めないし、損得勘定も抜きに『自分が魔法という力に憧れ求め、手に入れた意味』の為にも……人助けをしたいとリアは思った。
そんな訳でダルクの言葉に乗せられるのは不愉快だし、彼女の前で認めるのは癪ではあるが……。口はもう、意思を込めて開いていた。
「……どうせここまで来たんだし、話だけでも聞こうじゃないか、先輩」
「その答えを待ってたぜ、後輩」
……………………
「ほれ資料」
「見てもいいの? 守秘義務云々があるんじゃ?」
「実は時効ってか、既に打ち切られた依頼でさ。報酬はねぇんだよ。というより、再捜査する上でリアっちは相棒になったんだから、守秘義務は発生しねぇぜ」
「そうなのか……って、は!? 先輩が無償で人助け!?」
「驚くとこ違くね!?」
確かに酷いがこのダルクという人間と数ヶ月、部活仲間として付き合ったリアからすれば、気持ち悪いくらい『あり得ない』事だったのだ。
そんなリアの反応に、彼女は溜息を吐くと続けた。
「単なる暇潰しだよ、本気で調査はしねぇって。面白そうだから、再捜査しようって思っただけだ」
「……失踪事件を面白そうとか、最低ですね」
「リアっちみたいな美少女の罵倒……御褒美だな」
「うわ、そういう事言うのやめて下さい気持ち悪い……」
「はっはっ、良いからさっさと読めよぶん殴るゾ?」
ニッコリ笑顔でそう言ったダルクは、語尾が殺気に満ちていた。だが、気がついて尚、リアは謝る気が毛程も湧かなかった。だって本当にそういう『台詞』が気持ち悪いと『何故か』思ったのだから。
それからダルクに促されるがまま、資料を読み進める。失踪した母親という女性の推定年齢は70を越えており……母と呼ぶにはあまりにも年老いている。どちらかと言えばお婆ちゃんのようだ。
「凄く失礼な事を聞くけど、認知症とかで失踪した可能性は?」
リアは思った事を直ぐに聞く。ダルクはリアの問いに首を軽く横に振ると。
「その線はないな。失踪から一月経っての依頼だったが、普段おかしな言動は無かったそうだ」
「そうですか……」
リアはダルクからノートに視線を戻すと読み進めていく。
依頼者も三十路近い『娘』と母親の夫……つまりお爺ちゃんレベルの老人らしい。と、その時にふと、依頼者の名前欄にある『娘』の名前を見た瞬間、ページを捲る手が止まった。
ダルクは首を傾げ一部を凝視するリアに「どした?」と問いを投げる。
「この『娘』の名前に聞き覚えがあるような気がして……『ハーディス』ってどっかで聞いたような」
「ん? そういや私も……」
人名を記憶から掘り出してみれば、もやもやと1人の人物が浮かんできて。
それは、リアは勿論知っているどころか、ついこの間まで見た事がある人物。ダルクは不本意ながらも、生徒会長として先生の名前と顔は把握せざるを得なかったが……『ハーディス』という人物の特徴はとても鮮明に記憶していた。
そして2人はほぼ同時に、その人物の特徴的な部分を口にした。
「「クソダサTシャツの先生じゃねぇか!!」」
そう、何か文字の書かれたダサくヨレヨレのTシャツとローブを着ている、1/Aのクラス担任と同じ名前だった。
そして、リアはさっきダルクが感じたように、奇妙な因果のような偶然の重なりを感じ、またダルクはリア以上に人との縁の繋がり……特にリアという1人の人物から派生するかのような今の展開に、口元の笑みを強くした。




