The call of darker ①
「…………?」
意識が浮上して、風を感じ目を開く。目の前に広がる光景は……ライラの寝室ではなく、浜辺のような場所だった。そこに今、自分はポツリと立っている。
「んー??」
呆けた顔で固まる。それもそうだ……突然、浜辺に立っていれば誰だって混乱する。
足は裸足のままらしく、砂の沈み包み込んでくるような感触が心地良い筈なのに、どこか生々しくて気味が悪い。
「おいおいおい、何処だいここ……」
焦りから背後を振り返れば、見知った建物を見つける事ができた。
「あれ? あの建物は……見たことある。防波堤近くの灯台だよな? って事は此処……先輩の家から近い砂浜?」
更に見回せば、先日自身が歩いて見た建物や堤防が見えた。どうもライラの家から数メートル先の浜辺にいるようだ。
だが、ならば余計にこの状況は不可解である。
自分はさっき先輩を抱きしめて眠った。記憶が確かにある。ついでに夢遊病などの睡眠障害でもなければ、精神的には至って健康。
だから、決して外に出てはいない筈なのだ。それに何より裸足で出歩く事は無いだろう。つまり、この場所に立っている理由は一つ。
「これ『夢』なのか? いや……さっきまで先輩の寝室で寝てたんだし、間違いなく夢か……」
けれども……夢にしてはやけに鮮明で、空気はまるで現実そのものである。そう思い、恐々としながら海の方角を見回す。
そんな折に、一陣の風がふわりと身体を撫でた。しっとりとして妙に生暖かく、それでいて現実味のある感触に、レイアは背筋が粟立った。まるで誰かの吐息のような感覚であった。
そう感じたせいか、この夢らしき世界の空気が、どんな場所よりも不気味で……気持ち悪く思えてくる。まるで灯りも無しに、真夜中の墓地へ投げ出された気分である。
恐怖心から来るプレッシャーで心臓の音が早くなる。ひとまず、この夢から覚めたい。
だが、残念な事に願っても覚めることはない。ならば、覚めるにはどうすればと……普段無意識にしていることが出来ない事実に焦りオロオロと右往左往していた時だ。
目線が吸い付くように……現実と違うある点を見つけた。別段周囲を注視していた訳ではないのに、テレビの字幕を追うような感覚で自然に、不可解な光景を見つけてしまったのだ。
「……ん?」
間違い探しの答え合わせをするように、夜空を見上げては視線を戻してを繰り返す。
今日は満月、空に浮かぶのは綺麗な円を描き輝く美しい月だ。しかし、海面に映る月は……三日月のように欠けていた。
月の光を奪うように、漆黒の影をくっきりとつけながら。
そんな光景を見たレイアは、意外な事に夢と決めつけていたお陰で冷静だった。冷静ゆえに、彼女は師匠が言っていた豆知識のような雑学を思い浮かべる。
月というものは昔、あらゆる魔法使い達が魔力を齎す大いなる星として定めており、月の光からは純粋で穢れのない魔力があると言われていた。実際のところはそんな事実は無いし、天文学的にも無さそうなのだが……しかし昔の人は今の時代の人よりもロマンチストだったらしく、魔法陣から魔術などの術に広く、月の文様を刻んでいたらしい。
いや、月だけではないか。魔法陣の基本型に多く五芒星が刻まれている事から分かるように……星々というのは、ある種信仰のような意味合いを持って崇められていたのかもしれない。
まぁ、今はどうだっていい事だ。
「海中に……何かある?」
月の謎を考察してみるも、魔法を使ったならば心当たりが数多く見つかり、これといった見当がつかない。
一番有力な考察としては……光を透過しない魔法だろう。
と、ご大層に光を透過しないなんて言っても、別に大層な魔法ではない。完全なる黒で薄い膜を貼り中身を隠すという、日光を避けたい技術者がこぞって覚える初歩の魔法だからだ。
しかし、要は物を隠すには持ってこいの法で……案外誰でも使えるからこそ、海面に展開されていれば不思議だ。態々、海に来て何かを隠す奇特な人はいないだろうから。もしくは逆に、海に隠さなければならない物がある……とか。
まぁ、ここまで適当な理由と推論を並べてみたが、後はやはり、直接確かめなければ答えは出ない訳で。
レイアは海面の月に向かい一体《戦乙女》を召喚して嗾しかけた。……魔法による隠蔽と考えたり、罠があるかもと思ったりもしたが、所詮は夢だと決めつけて思考は全くしていない。
そうだ……所詮は夢……。『普通の夢』。
……だと、思いたかった。なのに魔法の感覚や戦乙女の質感が嫌にリアルでくっきりしていて……だが逆に現実よりも感覚の繋がりが強い気がする。
あとは、体を巡る魔力の流れが、気持ちの良いくらい自分の思考に従ってくれていた。そんなわけだ本調子ではないが、《戦乙女》くらいなら楽に操作できる。湖面に立たせた。
次に、軽く剣を構え、鋒で突いてみる。
反応があれば、何かしら魔術的なモノが施されている……なんて、べつに確信もない軽率な行動であった。
というより、確信云々以前に何も考えていなかった。
おかげで次の瞬間、この慢心が祟り仇となる瞬間が訪れる。
レイアは無警戒状態だったせいか、反応に遅れる。
剣を海面に突き立てた瞬間「バァン!!」と大量のダイナマイトが爆ぜたかのような爆音と軽い衝撃波が襲いかかってきた。
爆発によって海面に大きな波が畝り、飛散した水飛沫はまるで豪雨のように辺りへ降り注ぐ。レイアは顔面へモロに水飛沫を浴び、思わず目を瞑って防いだ。これは人間の反射なのだから防ぎようが無い。
また、あまりの唐突さ故に、口を開いて悲鳴をあげる暇すらなかった。まぁ、仮に開けていたとしても悲鳴は出なかっだろうが。
そして次に目を開いた瞬間、眼前いっぱいにソレの姿を捉えてしまう。
表面に玉虫色の光沢を放ちながら蠢く、黒くて大きな不定形の塊。
墨をぶちまけたスライムのようなソレは、しかしスライムよりも異様で……常に同じ場所に留まらず動き、表面はブクブクと沸騰しているように大きな気泡を作っては潰れてを繰り返す。滑らかに動く様子から骨も関節も無いらしい。
しかし、それだけならばただの黒いスライムとも言える。だが、スライムではないと断言できる理由があった。
体面だけでも何かの形を保とうとしているのだ。頭部らしき場所に大きな膨らみを作り、海に面した部分からは無数の触手を形作り、ドクドクと脈動させていた。
その触手の先から粘液らしき黒色の液体が滴り落ちるのを見る度、生理的嫌悪感が増大していくように感じ、軽い吐き気を催す。
体調は推定だが、10メートル近い巨体であり、威圧感がより化け物らしさに拍車を掛けていた。
そんな……海の底から現れたらしき化け物を直視してしまった彼女は、伸し掛かるような重圧を感じつつも……意外と冷静だった。
「なんだアレ……。キモいってかデケェ、魔物かな?」
動じる事なく感想を呟く。年相応に叫び声をあげなかったのは……きっと夢だと決めつけているからだろう。
決してこういった異常事態に慣れているわけでは無い。
……普段から兄弟子、姉弟子を相手に良く精神をすり減らしてきたから、この程度では動じなくなった訳でも無い……。
そう思いたかったけれど、やっぱ自分の周辺って色々おかしいわと、目からハイライトを消し溜息を吐いた。
…………………
次の行動を決めるのは早い。明らかにヤバそうな魔物相手には、先手必勝。新種っぽくあまり見たことのないタイプだけど、関係ない。
観察なんぞしている暇はない。
やられる前に駆除しなくては。時間をかける程こちらが不利になる事もある。なにより……知性の低き魔物と言えど、戦う内に戦術を学んでしまう個体がいる。
要は、現代社会に染まりつつも個を保つ野生の生物と、同等の学習能力はあるのだ。魔物が害獣扱い止まりなのもこれが理由になる。
レイアはまず、召喚した《戦乙女》との繋がりを確認した。どうやら先の爆発……というより出現だろうか……の衝撃に耐えたのか、未だ魔力となって消えてはいない様子。
「でも何処に……? 落ち着け反応はある……焦るのは危険だ」
新しく召喚し、今出している《戦乙女》は引っ込めるべきか……しかし魔力が保つかどうかと思案していた時。
黒い触手が震えるように、一点をモゾモゾと集中して動かしているのが分かった。
少し距離がある為に正確とは言えないが……目を凝らした結果、何があるのか分かってしまった。
自分が召喚した戦乙女だ。
戦乙女が両手足を拘束されて、剣などの武装を取り上げられていた。更に……鎧の隙間に無数の触手が入り込み、全身を這いずり回る。
……あの魔物からすれば、恐らく謎の襲撃者を捕獲して調べるなりしているのかもしれない。しかし、こっちからすれば、とても卑猥な事をしているようにしか見えなかった。
現に、今もなお此方まで水音が聞こえそうな程に粘液塗れの中、触手で揉みくちゃにされているのだ。それを見たレイアの反応は……。
(ウワァァァア!? 何やってんだアイツゥ!! キモいキモい!! 斬り振り解け、戦乙女ィ!!)
年相応に生理的嫌悪を感じていた。性的な知識は程々に、けれど経験は無く、とても初心なレイアは顔を真っ赤にしながら心の中で絶叫する。端的に言えば、いかがわしい光景にしか見えなかったからだ。
故にすぐさま、振り解こうと闇雲に《戦乙女》へ命令を下す。しかし、魔力の供給も滞ってはいないはずなのにびくりとも反応しない。予想より強く拘束されているらしい。
そして、ついに《戦乙女》は触手に縛り上げられ、少しずつ魔力になって崩壊を始めた。
玩具を弄ぶようにギチギチと締め上げ、もがき苦しむのを楽しむかのように。否、遊んでいるのだろう。殴り、縛り、骨格がひしゃげる様子を味わうみたいに。そんな粘液体は、この世のどんな生物よりも悍ましく見えた。
そして……この瞬間レイアの中で何かがキレた。自分でもこんな事でキレるのはどうかも思ったが、それでも何故かプッツンときてしまったのだ。
「……おい、知っているか。召喚魔法使いにとって、とても大切な事が何か」
相手に聞こえるはずもない問い。それを理解していながら、レイアは語り続ける。
「作り出す器は自分の求めた理想の戦士、組み込む《擬似生命》は自身を守る為の騎士精神。それらを合わせて、召喚魔法使いは『作品』を作る。そう、召喚魔法とは一種の芸術品と言っても過言ではないのさ」
先程までの雰囲気とはガラリと変化して、レイアは粘液体の異形を睨みつけた。瞳には不愉快な感情が色濃く出ている。
「……そんな召喚魔法使いが嫌うことは、何だと思う?」
一拍おいて、大きく息を吸い込みながら身体中に魔力を迸らせる。
同時に、背後には召喚魔法の紋様をした赤黒い魔法陣が5つ程展開された。
そして、レイアは静かに穏やかに、苛立ちを言葉に乗せる。
「画家なんかの芸術家と同じさ。……自分の作品を、汚され、貶される事こそ最も腹が立つッ!! 《西洋甲冑》!!」
背後の魔法陣が全て、「バギンッ!!」と音を立てて砕け散り、中からレイアを守るように五体、細身の西洋甲冑が『大曲剣』を担いで飛び出した。
そのまま、西洋甲冑は足元に魔力を纏い、「ドォンッ!!」と砂浜が抉れる程に踏みつけると五体同時に、ジャンプする。金属の掠れる音を置き去りにして。
空気を裂き、翼も無いのにあり得ないほどの距離を飛翔する。そして西洋甲冑は戦乙女が絡まる触手まで飛ぶと、空中で体を捻って止まり、勢いそのまま横に回転を掛けながら、背丈以上に長い大曲剣を振り下ろし触手を叩っ斬った。それから着地と同時に海面を蹴り上げ、根元から打撃を加える。
空中でできる一通りの攻撃を叩き込んだのち……ドボンと波飛沫をあげて水没した。
残念な事に西洋甲冑には飛行能力は無い。だが、代わりに筋力はとても高い。おかげで、異形の触手は頭らしい所にいくつもの切り込みが走り、触手はいくつも根元からバッサリと切り飛ばされた。おかげで少しばかり苦しそうに全身の粘液を飛び散らせている。斬撃は多少効いている様子。
あと、ラストアタックのキックによる打撃自体も効いているようで残った触手の動きも鈍い。そして、解放された戦乙女は飛び回りながら異形の頭部らしき場所を蹴り潰し、レイピアで突き刺してを繰り返していたが……此方はあまり効いていないようだ。
というか攻撃がどうこう以前に……操作を自動に切り替えていたレイアは、戦乙女の八つ当たりに近い攻撃具合に苦笑いを浮かべた。
ここまで攻撃的な思考回路にしていただろうか?
戦乙女の擬似生命の項目を再検討した方がいいかもしれない。
しかし、その為に……まずは夢から覚めねば。
「クソ、ミスったかな。怒りに任せて全力で召喚して攻撃してまったが……これじゃあ、もう《戦乙女》一体しか召喚する魔力しかない!! それに……やはりこれは、普通の夢なんかじゃない!!」
………………
「やばいな、僕には巨大な炎を出せる魔法も無ければ、海水を凍らせるなんて魔法も習得していない。かといって《武器庫の門》で一斉射撃しても決め手に欠ける。不味い、攻撃手段が無いのに、どうやって倒せばいい?」
この際魔力が無いのは大きな問題ではない。あの粘液体に対する攻撃手段が全く無い事実が問題なのだ。
五体の西洋鎧が付けた傷は、時間を追うごとに徐々に回復され、千切れた触手は新たなものが生え始めていた。しかも、どうやら攻撃したこちらに注目が向いたらしく、視線をビシビシと感じる。
いや、視線どころか、どうやら粘液体がこちらに向けて近づいているらしく、海が影のような暗さから、漆黒の闇に染まり広がっていた。
思案する時間もないらしい。そこでレイアはふと、考えを原点回帰させる。
「そうだ、夢。いや……夢じゃないにしても精神的影響のある魔法か魔術の類いだとしても……覚めれば僕の勝ちだ」
たかが夢に出てきた化け物ってだけで……一体何と戦ってるんだと思わなくもない。だが、本能が告げている気がするのだ。これ以上、この夢を見続けるべきではないと。早く覚めなければと。
そして、ある意味『明晰夢』のようにリアルで自由のある夢だからこそ……ひとつだけ目覚める方法を思いついた。全く、気は進まないけれど。
「やるしかねぇ!! この悪夢から覚めるには、この手しか思いつかないんだ。 いくぞ!! 僕……覚悟を決めろ!!」
……夢というものは、時に夢の中で強烈な体験をする事で脳が覚醒し目覚める事がある。例えば、高いところから落ちる夢を見た時だとか、恐怖と痛みを伴うものとかだ。
つまり、レイアは『痛み』で夢から逃げる方法を選んだ。
「……《戦乙女》」
レイピアを構えて凛々しい顔で前面に立つ戦乙女に、レイアは意を決した顔で告げる。
「僕の足をブッ刺せ!! ッ!! ぁぁぁあ!! 痛ってぇえええ!!」
命令され、当たり前だが迷いもなく、レイアの右太腿に細身のレイピアを突き刺した戦乙女。途端に走る、神経に響く裂傷の鋭い痛み、そして皮膚が焼けたかのような熱を感じ、耐えきれず蹲った。
あまりの痛さに涙目になっていたレイアだったが……同時に全ての感覚が鈍くなっていく。そして、レイアの意識は暗闇の底へ落ちた。
………………
「ハァッ!!」
ガバリと身体を起こせば、ライラの寝室の風景が視界に入る。どうやら、本当にあんな方法で悪夢から覚める事ができたらしい。
安心感で途端に体の力が抜け、滲む汗を拭き取りながらレイアはポツリと呟いた。ついでに足を確認する。レイピアで貫いた傷は勿論、存在してはいなかった。存在していたら怖いってレベルではないが。
「ふぅ……はぁ……。よかった、夢だった」
頭を利き手で抑え、深くため息を吐いていた時。レイアはふと、手の甲の異常に気がついた。
「なんで、オクタ君との《契約》の紋章が浮かんでいるんだ?」




