ジーニアス・サマー⑦
機体を格納庫の壁に固定し、コックピットのハッチを開くと同時にレイアは《戦乙女》を二体召喚し、一体にライラを抱えさせて飛び降りるようにリビングに戻る。
それから意識の無いライラをソファに寝かせたり、熱や脈の検査をしたりと短時間で出来る事をした。
だが、熱は無く脈も正常で呼吸もしっかりしていて、ティガ曰く血圧なども概ね正常値との事で。
バイタルに危険は無さそうだが……一応救急車を呼ぶべきか暫し迷うレイア。
だが、脳に異常があれば大変だとティオに進言され、携帯端末をポケットから取り出した時だった。ライラの閉じていた瞼が開き、気怠げに此方を見上げた。
「……いい、大丈夫だ」
言葉に覇気が無いが、先程まで意識の無かったライラが手を伸ばしながら救急の電話を制止する。ライラは心配そうに見つめるレイアに礼を言いながら、蹌踉めきつつ無理矢理身体を起こし3人に向けて問いかけた。
「すまん、気絶したのは覚えてる。だが直近の記憶が無い……私に何があった?」
ティオはその質問に対し簡潔にまとめ返した。
「ライラが突然失神して、格納庫に戻ってすぐレイアがここまで運び、ついでに私達でバイタルチェックをしたぞ。一応問題はなさそうだが、本当に大丈夫なのか?」
と気遣いながら説明した。
ライラは「心配しすぎだ、でも2人ともありがとう」と再度、礼を言うと顎下を指で撫で、思考する。探るのは数分前の記憶だ。時間を見れば、自分は10分くらいで起きたらしく、長い時間意識が飛んでいた訳ではないらしい。
だが……やはり失神する直前の記憶が想起される事は無かった。
それだけではない。何故だろう、記憶を探る為に目を閉じ思考に深く陥ろうとすれば……まるで拒否反応を示すかのように怖気を感じる。例えるなら、真夏の夜の暗闇に1人ポツンと佇んでいるような……そんな不安感を伴う怖気だ。
自分の中の本能が思い出す事を拒否しているよう。これでは、思い出させないように自分で記憶を封印した、そんな風に感じてしまいライラは「ふぅむ」と溜息を吐いた。
自分が直感的に危機感を抱くのならば。きっと探らない方が最善なのかもしれない。
だけれど……研究者の性か、一度でも気になればとことん追求、解明したいと思ってしまい、彼女はティガに目を向けながら一つ頼み事をする。想起出来ないのなら、別の所から情報を持ってくるしかない。
「……ティガ、私が失神する直前と格納庫まで戻る間の録画映像って残ってるか?」
『イエス、全て保管してあります。リビングのテレビに映しますか?』
「頼む」
『分かりました、少々お待ち下さい』
シストラムにはデータ収集と有事の際に使用できるよう、常にモニター映像は録画してある。それを確認すれば何か、胸をざわつかせる正体が分かるかもしれない。
そうして、諸々の出来事を楽観視しながら調査しようとするライラの側で、帰り際に見た影を思い出したレイアがビクッと肩を震わせた。その震えを察知した者は、誰もいない。
…………………
きっと、この世の中には探らない方が良い事が沢山あるのだろうと、後にレイアは思う。
海というのは、とても……とても不思議で奇妙で……偉大な『世界』だ。人類の手が地上よりも及んでいないからこそ、海は神秘と魅力が溢れている。
しかし……故に人が知り得ない、知り得てはならない、深い闇が同時に存在しているのだ。
深海が最も分かりやすい例だろうか。人類が到達できない彼の地に生きる者共は、皆一様に奇妙で奇怪で……不気味な造形の生き物が多い。
まるで神が態と気味悪くしているかのように。そして……深海にもきっと『魔物』は潜んでいる事だろう。
魔物とて、今は過去の危機を乗り越え、人を襲う害獣扱いに落ち着いていて……生態系の一部となりつつある。否、あれらは昔から生態系の一部ではあった。
……話を戻そう。
深海の生態系を解き明かした者はおらず、底に何があるのかは未開。それは魔物がいようがいまいが変わらない。なぜなら、未だそこに人が行けていないからだ。
まるで宇宙に行くようなものである。いや、下手をすれば宇宙に行くよりも……すぐ側での深海に降りる方が難しいかもしれない。
そんな……過酷で暗い世界に生きる者達は……はて、地上をどう思っているのだろう?
深海の世界には手が及んでいないとは言え、人はその母なる海から採れる恵みを毎日、収穫しているのだ。
地上の人々がそうして恵みを受け取ったり、深海を覗こうと躍起になっていたりと行動してしまった以上は、向こう側も此方の存在に気がついているのは確か。
はて、であれば我々地上に住まう人々は……どう思われるのだろう。例えば海を侵犯する者か?
はたまた……面白可笑しく傍観者に勤めているのか。
けれども考えだけが先走るだけで、魔物や深海に住まう者達は……ずっと昔から鳴りを潜めている。風の無い湖面のようにずっと、静かに。
それは太古に沈んだ人の手による物を見ればよく分かる。
この海にも地上と同じく様々な建造物が沈んでいたり、浮かんでいたりもする。魔物がいるこの世界で、海に沈んでいる太古の建物が健在しているのだ。彼等が人の作る物に手を出せば、恐らく我々が気がつくより先に破壊する事など容易。
だからきっと……彼等は常に、覗き見て、そして人が彼等の領域に侵入しない限りは……只の傍観者なのだろうとレイアは思う。
人が覗けない、深海闇の底から。人を嘲笑い、手招きしながら……暗闇に惹き込むかのように、ずっと見ている。
時に、彼等の側から手を伸ばして、誘い込むようにしながら。
………………………
ティガが録画データを纏めている間に、3人は一応情報の擦り合わせを行う。ライラは率直に、フワッとした言葉で「なんか見たりしてない?」と聞いた。
「本当にフワってしておるな。しかし……ふむ、なんか、なんかなぁ。魔導機動隊のやり取りで気が気ではなかったからなぁ。というか、それ以前に我は床下にいたのだぞ。そこまで注意深く見れぬわ」
片目を閉じて記憶を探り、唸りながらティオが答える。確かにその通りだなと、ライラは軽く笑う。
その傍で腕を組みつつ眉根を寄せていたレイアが、ティオとの問答の後に口を開いた。
「たぶん気のせいだと思うんですけど……先輩が失神した後、自宅に向かう海域で人口の建造物のような影を見た気がします。あくまで気がしただけですが……」
自信なさげに取り敢えず伝えたレイアだったが、それはライラを動かすには充分な情報だった。
「建造物? 遺跡みたいなものか?」
「え? なんで知ってるんです?」
「……ほぅ」
その呟きが、ライラの琴線に触れた。
「実は私も、水底にそれっぽい影を見た。画像もあるぞ。高解像度、細部まではっきりと見える最新式のカメラを搭載したからな」
「解像度はどうでも良いぞ。というか、マジであるのか?」
唯一見てないティオだけが、2人の呟きに驚いた。それから、ライラとレイアへ、ティオは尋ねる。
「めちゃくちゃ気になってきたぞ、映像とか残っておらんのか?」
「……ん、そういやティオはこういった古代の遺跡とか大好きだったな」
「うむ!! 考古学は浪漫だ。太古の人々が作り上げたモノには、その時代に生きた人々の生活風景や歴史が読み取れるからな。そこには今の私達では思いの及ばない未知の世界が垣間見える。そんな謎を探り探求するのがまた、楽しいのだ。そして我も……いつかは人が未だ発見できていない古き時代を見つける、フフフ……」
「古い書物は私も好きだな」
「僕も割と好きですね、そういうの。偶にあるピラミッドの調査とかの採掘番組はワクワクしながら見てしまいますし」
「おぉ、同志だな!!」
突然、意気投合してハイテンションで語りあっている2人を無視して、ライラは肩に飛び乗るティガに問う。
「ティガ、ついでに先日の保存した画像は残ってるか?」
『イエス、ありますよ』
ティガはライラの問いに即答すると、映像から切り取り保存してあった数フレームの画像を選び出力した。画面に画像と近年の地図地形の解析書類が表示されると、さしもの2人も会話を辞めて食い入るように画面を見つめた。
そこに映るのは……海面に浮かんでは沈む正方形を幾つも縫い合わせた人工物のような影。ティオは興味深そうに、端から端まで目線を走らせた。
「岩陰や陽の光が作り出した影か夏の日差しによる陽炎……にしては、やけに不自然だな。しかし、なんだこの形は」
「非ユークリッド幾何学っぽい感じだよな」
横から中二病が喜びそうな単語を呟くも、ティオは全く反応しないところを見るに、かなり真剣に画面を見ているようだ。
その一方で、横で見てみたレイアが真っ先に感想を口にする。
「やっぱり、人工の建造物っぽいですね……それに……」
その時だった。
唐突なんて言葉では表せない程に、何の前触れも無く。
(ハッ!! な、なんだ!?)
レイアは突如、その場に縫い付けられたかのような圧迫感を感じて、喉を鳴らした。
それから両手足が痺れ、鉛でも詰まっているような重い感覚に陥る。これは身体の異常ではない、外部からもたらされた、そんな風に思えた。そして……未知の感覚に、言葉にしようのない恐怖を感じる。
「それに?」
「……」
「レイア?」
「どうした?」
急に黙りこくったレイアに、心配した2人が言葉をかける。
だが、レイアは声を聞いている余裕すら無くなっていた。
身体が言う事を聞かず、モニターから目を逸らす事ができない。
そして遺跡を見るたびに感じるのだ。強烈な既視感のような、又は自分の奥底で何か大切な記憶が蠢いているような錯覚が心臓の鼓動に合わせて、ドクンドクンと波紋を広げるように身体中を駆ける。
初めて見るはずの遺跡に対して。
(なんだこれ、おかしい)
額から汗が流れ落ちる。勿論、暑さのせいではない。呼吸が乱れ、足元が泥沼に使ったかのような立ち眩みがする。
と、ここで幸運にも、額から汗が流れ落ちた。その些細な感覚が彼女を救った。
汗がエアコンの冷気に冷やされ、落ちると同時に、何もかも断ち切るように謎の鼓動を止めて正気へと戻してくれた。両手足の感覚はまるでさっきまで動かなかったのが嘘だったと言わんばかりに軽い。何事もなかったかのようだ。
何故……とは考えたが、それよりも安堵感の方が先に体を満たしてしまい、疑問は頭の片隅に追いやられる。
(……助かった?)
先の色んな感情は偽物ではない為、白昼夢ではない。それにこの短時間……たった数秒の出来事なのに、数十分は経ったような錯覚を受けながら再び喉を鳴らし口を開いた。
「……何と言ったらいいのやら」
乾く唇を動かして、先輩達へ大丈夫だと伝えようとしたものの、その先に続く言葉が思いつかない。
だって、自分もこの既視感を、なんと言葉にすれば良いのか分からないから。
……………
「休んだ方が良い。シストラムは何だかんだ乗り心地はそこまで良くないからな。気がつかないうちに疲労が蓄積したんだろう」
「そうだぞレイア。よく見れば顔が青白いではないか。きっと慣れない作業でも疲労が溜まっていたのだろう。ここで!! この我が数日前に開発した疲労が取れるどころか最高にテンションの上がるお薬が」
「疲れてる後輩を被験体にするのやめーや」
「……失礼な、効能のリサーチと言え!!」
「言い方を変えても、意味が変わってねーぞ」
コントのようなやりとりを見て、先の不安感が和らいだレイアは思わず微笑んだ。それを見た2人は、あからさまにホッとした様子で話を続ける。
「まぁ被験体云々は良いとして」
「良くないが?」
「いいとして!! 2人とも失神に息切れ動悸と、体が心配だぞ。脳に異常があったら大変だ。もしかしたら熱中症かもしれないし。やはり一度、病院に行ってきた方が良いのではないか?」
「えー、割と元気だし、行く必要無いと思うんだがなぁ。でもそう言うなら」
「お、行くのか? ふふっ、ならば私が病院まで運転してやろう」
「お前が車の免許持ってたことに驚いた。ま、行かねーけどな!!」
「ちょっと行くふりして我をおちょくったろう、ライラ?」
「なんのことかな」
「僕もいいです。お気持ちだけ……」
「レイアもか!?」
2人のお断りに、ティオは子供っぽく頬を膨らませる。とても2人を心配しているのに、と心の中で思いながら。しかし言葉に出来ない捻くれた自分を自覚しつつ。
…………………
午後は麗らかに過ぎ去って、なんだかんだで今日も1日が終わろうとしていた。あの後は遺跡っぽい影について話し合い、そこでティオが中二病全開で遺跡についての無駄に無駄な知識を披露したり、あの遺跡の影がこの地域に古くからあったとされる建造物の構造とは当てはまらない可能性が出てきたりと、好奇心を燻られると同時にひどく疲れる1日だったように感じる。やる事と考えることが増えていく。
けれど……なんだかんだ楽しかった。
ライラは薄く笑みを浮かべながら、珈琲を入れたマグカップ片手に外の景色を見た。
ここは海から近い一等地であり、尚且つ高台に作られている家なので、海側の景色は頗る良い。
そして現時刻は……ギラギラと陽を照らしていた太陽は沈み、やがて星々が輝き始めるには、ほんの少し猶予がある7時ごろ。
空を見れば、美しい夏の満月が、いつもより大きく輝いている。
そういえばこの地域では、夏の満月は軌道上、冬や秋よりも大きく見えるんだったか。そんなティオによる無駄知識を思い出しつつ珈琲を一気に煽ると、彼女は寝室に足を進めた。
寝室の外からは、姦しい2人と一機の騒ぐ声が聞こえてくる。ゲームでもしているのだろう。
「そういや私は今夏、学生らしい事としてねーな……」
扉の取っ手に手を掛けながら呟く。
物凄い今更ではある。
あと思いつきでロボットを作る人が普通の学生な訳ねーだろと自分にツッコミを入れながらも、一応年相応の価値観は持ち合わせていた彼女は……せっかく後輩が出来たのに、海底の遺跡らしき影を調べるだけで夏を終えてもいいのか? と自問した。
否、良くない。人生に一度の経験を、ここで終わるのは勿体ない。
「でも学生らしい事、ね」
全然思いつかねーなと苦笑する。誰かに聞くにしても、よくよく考えたら自分の交友関係はかなり狭いことも認識した。
明日……リアとダルクがやってくるのだが、彼女達2人も些か普通の学生とは程遠い気がするし、彼女達に聞いても無駄だろう。そんな、リアが聞けば「心外な!!」と怒りそうだなと光景を浮かべた次に。
しかし……ならば普通とは何か。
思考が行き過ぎて哲学的な領域まで達しながらライラは扉をあけて中に入るのだった。
その後、ライラがレイアに相談したところ「いやいや、海で遊んだり、夏祭りとかに行けばいいんじゃないかい? 楽しいかどうかは、まぁ別にして」と至極真っ当な事を言われた。
それから3人で遊び倒し、時計の表示が翌朝の0時を表示した頃。ティオが寝落ちし、ついでにティガが充電に入ったのを見計らい、自分達も寝る事にしたのだが……。
「なんでティオを抱きしめてんだ?」
ベッドの中央で親友を抱きしめて眠る後輩に困惑した。レイアは彼女の問いに、頰を赤くしながら
「いや……昼間僕が体調悪かった時の事なんですが。実は身体が動かなくなってしまったんです」
「何? おいおい、今更だな。ティオじゃないが、何か不調とかあれば言えよ?」
「はい、ありがとうございます。……それで今になって思ったんです」
顔を伏せカタカタと震えながらレイアはか細い声で言った。
「アレ絶対、金縛りですよ!! ここには幽霊がいます先輩!!」
「……は?」
「だってそうじゃなきゃ、いきなり身体が動かなくなるなんて可笑しいじゃないですか!! 魔法が使われた気配も感じませんでしたし!!」
レイアの必死な形相に、ライラは「いや、筋肉の痙攣とか、強烈な立ちくらみでも動かなくなる理由にはなる」と言葉をかけようとして……その台詞を取り消した。
「……実はここ、戦争跡地で沢山の人が眠った土地なんだけど……さ」
「ヒェッ、ね、寝ます!!」
怖い話をする時の緩やかな声色で紡がれた言葉を遮り、レイアはティオごと頭までスッポリタオルケットを被りこむ。寝ているティオは、されるがまま抱き枕だ。
予想以上の怖がり具合に、ライラは面白い弱点を見つけたと笑みを浮かべる。人が悪い性格は、割とダルクと似ているのだが……彼女が自覚する事は、遠い未来まで訪れないだろう。




