ジーニアス・サマー⑥
更に数日かかり、全身を油や煤なんかで汚しながらも、3人はシストラムの改良を終えた。思っていたよりも時間がかかった為に、明日辺りにリア達がやって来るだろう。その前に試運転をしたいとライラは提案する。
シストラムの主な改良点は骨格の強化は勿論、骨格の合金を新たに錬成し直し交換、可動部のモーター調整、それから外付けのサスペンションとショックアブソーバーを増やし、膝の部分にスラスターを追加。
最後にスラスターとバーニアの熱対策にティオがニッケルを素にした新たな合金を作り出してくれたので、それを塗布した。これである程度熱対策はできる筈だ。……軽く言ってはいるが、新しい物をポンポンと何食わぬ顔で作ってしまう場面を見てレイアは何度も真顔になった。そして(僕必要かな……)と不安になりつつも手伝える場面は手伝い、ダラける時はダラけるのサイクルを繰り返したのだった。
そんなこんなで今日の昼過ぎ頃、見た目的にはショックアブソーバーのせいで少しゴツくはなったが、あまり大きな変化はない……シストラムver.2.0が完成した。尚、態々バージョンの表記を付けたのはティオである。本日も彼女の中二病は、無意識に全開であった。
ついでにこんなにも早く完成したのは、レイアがライラの設計図を元に見本品として錬成したショックアブソーバーが、一発で採用されたせいでもある。
レイアは正直に(おいおい、大丈夫かよコレ……)と思ったが……まぁ楽しかったので口にはしないのだった。そうして雑な所は雑に、大切な所は丁寧に、製作は進んでいった。
……………………
『シストラム』に搭載されたグラル・リアクターからエネルギーパイプへと電力が駆け巡り、6つのカメラアイが紫色の光を迸らせる。実際に目が光るようにしたのは、単にかっこいいからで特に意味は無い。
外部の起動が終わると、次にコックピット内のモニターに『Loading……Completion』の文字とカメラアイを通して映し出される景色、それから各種ユーザーインターフェース、新しくプログラミングした補助システムと計測関連の表示がアップされていく。
着々と機動を完了していく機体内。狭いせいか、女の子特有の甘い香りが充満していて……レイアはちょっと頰を赤くしつつ現状を叫んだ。
「狭い!!」
「……我が何故、こんな場所に」
便乗して、レイアの言葉に共感し、足元のスペースへ押し込まれたティオも不機嫌そうに呟いた。
そう、本来は1人乗り用として設計した為に、シストラムのコックピットは3人乗るには余りにも狭く窮屈であった。
「先輩、外部がどうこうの前に、まずコックピットを拡張すべきだったのでは」
「そうだぞライラ、これでは空の景色も満足に楽しめんではないか」
「私もコックピット関連は考えなかった訳ではないんだ……」
操縦桿を握りながら、ライラは弁明する。
「シストラム自体が元から軽量化とコンパクトを追求した機体デザインだったから、コックピットの配置や間取りも最適化したものでね……」
「もので?」
「コックピットを拡張したければ、骨組みからオーバーホールしなけりゃならない。そうなると、何が問題になると思う?」
そこでレイアが真っ先に思い浮かんだ物は、自分が庶民だからだろうか。
「お金っすか?」
「そうだ。流石にこれ以上、金を使うのはちょっと……」
「あぁ……」
幾らお金持ちだとしても、限度があるというもの。ライラは次期社長とはいえ、流石に自己財産を越えて、会社の金を道楽に使うのは憚られた。
意外と当たり前の理由だったのかと、レイアもティオも押し黙る。散々湯水の如く金を使う彼女を見ていたせいで少々、金銭感覚が狂っていたんだなと反省した。
そんな訳で静まり返る機内。しかし、そこで空気を読まずティガが口を開いた。
『発進準備、滞空準備、完了です。いつでも固定具のunlockをどうぞ。あと余計な事かもしれませんが……私は何故、カタパルトを作らなかったのかも疑問ですマスター。これではスラスターでまた、格納庫の内部が酷い事になりますよ?』
「「「……あ」」」
機体ばかりに思考が割かれ、肝心な事柄が大きく抜けていた。確かにカタパルトが無ければ、周りの物を吹き飛ばしながら機体のスラスターで発進しなければならない。ライラは忘却していた自分へ……呆れから思わず深いため息を吐き出すと、出力を上げていくグラル・リアクターの表示に目を向けた。
…………………
ライラは眉間を揉むと、天井を見上げる。格納庫の天井は前回の発進で大きく破損しており、一応ベニヤ板で応急処置がしてあった。そこで、何かを諦めたように笑うと。
「カタパルトなど知らん。『unlock』」
固定器具から機体が離れ滞空する。同時にスラスターを噴かす音が機内に響く。
「どうせ天井はぶっ壊れてんだ。このまま行くぞ!!」
「えっ」
操縦桿のスラスターレバーを押し込む彼女。軽く圧し掛かるGに口を閉ざしながらレイアは黙った。シストラムのスラスターとバーニアから、強力な推進力が発揮され、グングンと高度を上げていく。ついでにティオは突然に圧しかかったGに「むぐっ」と呻きながら床に頭をぶつけた。
「オラァ!!」
ライラはヤケクソ気味に叫びながらシストラムの腕部で天井のベニヤ板を切り飛ばし、格納庫の外へと飛び出した。2回目ともなると1度目の失敗やシステムのプログラミングミスは無く、シストラムは体幹を保ちながら軽やかに、そして空を舞うように高度を上げていく。人よりも優れた演算能力のあるティガが大凡のアビオニクスを担当しているお陰でもある。
ある程度高い位置まで来ると……滞空するように推進力を低下させた。
そして……6つのカメラアイが外の景色を機内に映し出す。
モニターに映るのは……夏の日差しで煌めく海や、果てしなく続く水平線。それから密集していても何処か整理されたような美しさを感じるカラフルな街並みであった。
「おー」
「前回は景色を楽しむ余裕なんてなかったが……これ程までに壮観とは」
「頑張った甲斐があったな」
レイアは感嘆の息を漏らし、ティオは床下からどうにか見上げながら3人の心境を言葉にする。ライラは肩を揉みながら、満足そうに呟いた。
が、次の瞬間にライラは思った。(これで満足するのはないな、と)。そうつまり……彼女は無事飛んだ事で、急激に機体性能を試したいという欲が高まっていた。発明家の性分ゆえに……これは仕方のない感情であると心の中で弁明し操縦桿を握り直す。ライラの行動で察したティガは……。
『グラル・リアクターのモーメントは正常です。無茶な出力を要求しない限り軸は安全に機能します。また、ショックアブソーバーも安定して作用しているようです。よってシストラムは現在、最高の機体性能を発揮できるかと進言します』
と、まるでライラの好奇心を促すように言う。それを聞いた彼女は……白い歯を見せニヤリと笑った。
ライラはスラスターの出力を上げて、機体を傾かせる。
「んじゃ行きますか」
「レッツゴー!!」
「ゴーゴー!!」
何故かテンションが上がっている2人から、許可のような掛け声が出たので……ライラは遠慮せずにスラスターのスロットルを全開にした。
全開になったスラスター、バーニアから推進力の青いエネルギーがバーナーのように吹き出し……機体は想定の数倍の速さで街の上を突き進んでいく。
……………………
さて、魔物の居る世界で未確認の物体が高速で街中を右へ左へ舞っていればどうなるか……それは誰でも分かるだろう。
シストラムのセンサーが高速で飛来する2つの物体を捉えた。ライラは態と速度を落とし物体が近づくのを待つ。その物体はシストラムを挟むように平行飛行する。
速度を落とした理由は、何が来ているのか検討がついていたからだ。左右のモニターに、2つの黒い機影……魔導機動隊の偵察用でスマートなデザインと黒色の塗装が特徴の戦闘機、通称『ブラックバード』であった。未確認の飛行体が発見された場合に出撃する主な機体で、空を守護する象徴のような意味合いもある。そして……偵察機とは言っても、魔物を相手にする以上、機銃や小型ミサイルなどの物理的な兵器を積んでいる。
平行飛行をする事数秒、シストラムのコックピットモニターに回線要求の表示が現れた。どうやら向こうは魔物とは考えずに、未確認だが人工物の飛行体と判断したらしい。ライラはいざとなれば全速力で退避するつもりだったが、その必要がなくなり……落ち着きながら接触回線を開いた。
ザザーとノイズが走ったのち、偵察機のパイロットから無線が入る。
『何者だ!! その機体は何だ!? 今すぐ答えろ、さもなければテロリストと認定し撃墜行動に移行する!!』
早口で怒号のような通達に、ライラは思わず呟いた。
「ほー怖っ」
『やはり人が乗っているのか……』
驚いたような声が聞こえて少々気を良くした彼女は、自慢気に、そして見せびらかすように機体をクルリと回転させる。その行動に特に意味は無いが、相手の警戒心は高まった。
「私らはテロリストじゃねーが……ふむ、ここは機体名だけ教えてやろう。コイツは『シストラム』、私達が作り上げた傑作のひとつ。どうよ、カッコイイだろ?」
『ふざけているのか!!』
「そうだぞライラ!! ふざけている場合ではないぞ!!」
パイロットのキレ気味な声と同時に、焦りを伴ったティオの声が足元から聞こえてくる。それもそうだ、今は言うなれば撃つか撃たれるか……そんな緊張感のある場面なのだから。それなのにパイロットの神経を逆撫でするような行動や言葉を何故、そう思うのが普通だ。レイアもティオの言葉に全力で首を上下にする。
しかし、ライラは落ち着いた様子で2人に左手を向け宥めると、一時的に接触回線を閉じ傍受されないようにしてから、口を開いた。
「いいか? 相手は魔導機動隊だ。そして私らが乗るシストラムは、相手からすりゃ……全く未知で謎めいた機体なんだぞ? そして相手は国の組織……治安維持と魔物退治のスペシャリスト。そんな組織の連中に……大人しく従って地上に降りればどうなると思う? 検問だけで済む訳ないって分かるよな?」
二人は少し考える。シストラムには現在兵装を積んではいないが……しかし、こうして魔導機動隊の偵察機が来たという事は少なくとも『脅威に成り得る』と認識された訳だ。つまり……もし仮に彼らの指示に従い地上に降りた場合は
「シストラムは……間違いなく押収されるだろうね」
「正解だ、調べるからという理由は勿論……新しい兵器としても使えるだろうからな。もしくは私らに渡しておくのを危険と考えて所有権の契約までさせられるかもしれない。相手が脅威と感じこうして出張って来た以上……推論じゃなくて確定事項だと考えた方がいいだろうぜ。ま、そうなっても金にはなるだろうが……」
「……なるほどな、大方理解はした。だがライラ、シストラムのエネルギー源のグラル・リアクターはティガが居ないと稼働しないのだろう? シストラムは別に押収されても問題はないのでは?」
「その点もだ。私は何かと名前だけは有名だからな。間違いなく機体の説明させられるだろうし、勿論動力源のグラル・リアクターについても説明せにゃならん。そうなりゃ……ティガも取られちまうだろう。それと……グラル・リアクターを解析されるのは色んな意味で危険だ。まぁだからって、連合国相手に一企業が立ち向かう訳にもいかねーし、組織として腐っていないとはいえ拒否すればどんな難癖を付けられるか分からん……クソ面倒な状況だよ。顔や名前が割れていないのが唯一の救いだな」
「そうなると、雲の上とはいえ街中を飛んだのは失敗だったのだな」
「ぐうの音も出ねぇ正論だぜ、海の上にしとけばよかったな」
いや、どっちも一緒だろうがとレイアはツッコミそうになったが言葉を飲んだ。というよりも、自分に出来る事が思いつかない為、当事者達に任せようと判断したのだ。別の言い方をすれば、思考放棄ともいえるが。
だって仕方ないだろう、顔バレをしないようにするには自信に繋がりかねない情報は断つべきだし、そうなると《召喚魔法》は使えない。
そうして悩んでいても仕方ないと、ライラは顔を顰め項垂れるような仕草をしつつ、無駄と分かりながら再び接触回線を開き、相手に無線を入れる。
「あーあー、こちら未確認飛行物体に搭乗している者だが……敵対の意思はない。ついでにテロリストでもないし、愛国心満載の善良な市民なんだけど……見逃してくれねー?」
『そんな訳にはいかない。其方の機体が謎めいたままでは、テロリストかそれに準ずる組織が開発した兵器……という可能性が捨てきれないからな。其方に敵対の意思が無いのなら……今すぐ我々の指示に従ってもらう必要がある』
無駄であった。というよりもテンプレな対応だ。全く聞く耳を傾けてはくれないらしい。
「職務に忠実な事で。疲れない?」
『話を逸らすな!! それで返答は?』
シストラムの外部センサーに、ロックオンの照射を知らせる警告が表示された。どうやら向こうはいつでもミサイルなりを撃つ準備が整ったらしい。つまり……これは完全なる脅しであった。
「おいおい正気か? ここは上空だが、下は街中だぜ? 墜落したらどうする。一般市民に被害が出るぞ」
『この付近には魔導機動隊の大体組織を派遣してある。市民を守る魔法使いは揃っている』
「……あー」
ライラは興味なさげに相槌を打つと……レイア、ティオ、ティガの順に目を向けながら、トントンと操縦桿を指で突いた。
彼女の意図を長年の付き合いから察したティオは呆れた顔をし、意味が分からなかったレイアは小さく首を傾げる。ティガは真顔でサムズアップで返した。彼女もよく分かっていないようだ。
そして、ライラが次に何かを言う事はなかった。それもそうだ、何故なら先の目配せは……別に何かしらの許可を取る為にしたものではない。
『今から好き勝手にやるぞ』という合図なのだから……。
彼女は目線をメインモニターに戻し、それから白い歯をむき出しにして無邪気な笑みを浮かべる。
「ティガ、一応まだ試作段階だがグラル・リアクターの『G負荷抑圧システム』を起動してくれ」
前々から考えていた問題の一つ、高速で移動する時必ず問題になるGによる負荷。これはそれを軽減するシステムである。
というのも、グラル・リアクターの稼働率によって特殊な場力が働く事が分かったのだ。それ故に記録を取り調整し搭載だけはしていた。あとは稼働させて記録を取り、また調整を繰り返していくことになるだろう。
『試作段階の空間制御システムを起動……Loading完了』
ティガのOKサインを聞いたライラは、オープン回線で自慢げに言った。
「……あんたらが仕事に忠実なのは良い事だと思うけど、残念ながら捕まりたくはないのでね。それと……追いかけて来ない方がいいぜ? あんたらの機体は最新式とはいえ、マッハ3が限界だろ?」
マッハ3は充分に速すぎではとレイアは思ったが、まぁ勿論口を挟みはしない。あとG抑制という事は、スピードによって生じる圧力が軽減させるシステムだろうか? ぶっちゃけマッハ3だとしても、特殊なスーツ無しにそんなら速度の機体に乗れば、死ぬ自信はある。
『は? 一体何の話だ』
一方、突然自分達の乗る偵察機の性能を言われ、パイロットが困惑の声を漏らした。そこを見計らい、彼女は操縦桿を動かし……機体全体を飛行機のように水平に傾けると、スラスターの制御レバーに手を乗せると。
「でだ、私のコイツはフル加速すれば……」
それからスラスターとバーニアを全てに推進力を巡らせ、メインスラスターのガスも点火が完了してから一言、偵察機に向かって普通に自慢の無線を入れた。
「マッハ4以上は出せる!!」
『マスター、フルブッパです!!』
「いくぞォ!!」
瞬間、モニターの景色が一瞬で切り替わる。急速に加速した機体は小さなソニックブームを巻き起こし轟かせた。それは挟み込むようにシストラムへ張り付いていた偵察機に直撃する。衝撃は小さいとはいえ、その鳴動は一時的にパイロットを混乱されるには充分だった。
『ぐわっ』
『な、待て!!』
ライラは無視して機体操作に集中しながらティガへ確認を取った。
「ティガ、ミサイルのロックオン照射から外れるにはどうしたらいい?」
『こちらから妨害電波を放射します。マスターはそのまま操縦を。ある程度、距離を離してください』
「オーケー、よし2人とも……もう暫く空の旅に付き合ってもらうぜ」
下と横に目を向けると、再び頭を強く打ち悶絶するティオと、景色に酔ったのか顔色悪く口元を抑えるレイアが文句アリアリの目でライラを睨んだ。が、彼女はのほほんと笑って返す。
「ま、楽しんでくれ」
シストラムは雲を割くように高度を上げ、そして滑るような動きで加速し続ける。そんな高速で変態的な機動を行い逃げるシストラムを追随できるモノは……そう簡単には用意できないだろう。偵察機どころか、恐らく待機していたであろう戦闘機らしき機影も追ってくる気配はなかった。どうやら無事に振り切れたらしい。ついでに速度計の最高速度記録を見れば……マッハ4.2と表示されていた。
『ふふふっ、流石マスターの作った機体。魔導機動隊の戦闘機など雑魚ですね』
通信を妨害し、ついでに衛星の追跡照射も外したティガが吐き捨てるように、しかしそれでいて自信を込めたような口調で言う。ライラを除く2人はその毒舌が妙に印象的で、頭の片隅に残った。
…………………
「良かったのかなぁ、今の時点では……面倒事にはならなかったけどさぁ」
レイアが不安そうに呟く。その呟きに、ライラは安心させるようにこう言った。
「大丈夫さ、所詮こんな時代だからな。きっとニュースになったとしても……面白おかしくメディアが脚色してくれるよ」
「そういう意味で言ったんじゃ……いや、というかそれはそれで問題だと思うんだけど。……後の祭りだし何かあっても先輩に任せるよ」
面倒は丸投げスタイルなレイアに便乗してティオも「何かあってもうまく誤魔化してくれよ」と言い、自分は無関係な姿勢を貫く様子。そんな2人にライラは「あぁ、任せとけよ」と適当に返した。
内心では、魔導機動隊にバレた場合ティオはどうあがいても無関係ではいられないだろ、とは思いながら。
それからゆったりと30分ほど空の旅をしていたのだが、流石に景色にも飽きてきたライラは、もういいだろうとマップを開き、自宅近くの海へと飛んだ。電波妨害をしているとはいえ、出来るだけ人目につかない場所から自宅に戻ろうと考えたからだ。
自宅が遠くに見える位置まで来ると、スラスターの推進力を減らし降下していく。モニターには迫り来る海面が美しく揺れていて、高所に耐性のあるライラとて少し足が竦んだ。
が、それにしてもやはり綺麗な海だ。遠く地平線の見える海域まで泳げば、鮫よりもよほど強い魔物がいるというのに。
波風だけで揺れる青一面は宝石よりも美しいのではないかとライラは思う。やはりあの一等地を選んで正解だった。
そうして、まぁ自分のプライベートビーチに当たる海域を眺めていた時だった。不意に太陽が雲に隠れ、海面に広く影が落ちる。シストラムもその影に入り……視界が日差しと影との隔離により、コントラストが強調されたように見える。
海も例外ではなく、澄んで海中が見えるほど綺麗だった海は、まるで真夜中の夜空のように雲の形の闇を纏う。
その闇の中に、ライラは奇妙なモノを見た。
いや、見たというよりは……見ていた場所が蠢いたとも言える。闇は只の日陰でしか無いはずなのに…….まるで現世から切り取られたような影の中、玉虫色の光沢が見えた。
「……なん」
何だろうか、好奇心が踊りライラがモニターを注視した瞬間だった。
突然強烈な耳鳴りがして……糸の切れた人形のように、彼女の意識が唐突に落ちる。ダランと腕は垂れ下がり、操縦桿から両手が離れた。
異様な雰囲気とライラの異常にいち早く気がついたティオは、足元からどうにか身を乗り出し
「……ライラ? ライラ!!」
滅多に発さない、焦ったような大声で彼女の名前を呼ぶ。しかし、完全に失神してしまったらしく彼女から返事は返ってこない。
「先輩!!」
レイアも背後から肩を揺さぶり呼びかけてみるも、ピクリとて動くことはなかった。
「どうなってんだ、持病でもあったのか!?」
「そんな事言ってる場合じゃありませんよ先輩!! 早く戻って医者に……えっと、ティガ?」
レイアに呼び掛けられ、心配そうに胸元で拳を握りしめていたティガが向き直る。
「操縦、頼めるかい?」
『はい、操縦は私が代行し、急ぎ自宅まで急行します』
「ありがとう!! 急ごう!!」
『当然、揺れますので何処かに捕まっていて下さい。あとマスターにシートベルトを』
シストラムの全スラスターが点火し、吹き出すエネルギーによって凄まじい速さで海面を滑る。海面はそれによって割れるように白波を立てて左右に分かれた。
そんな状況で、レイアはモニターに映る不可思議な物を見た……ような気がした。こんな状況なのに、嫌に印象的なモノを。
一瞬だった為に『あった』と断言は出来ない。しかし一瞬にも関わらずソレは鮮明に見えた。矛盾した事を言っているのは理解していても……海中にあるはずのない人口の建造物のような影を見た気がするのだ。そしてそれは、まるで海底に眠る遺跡のようだったと、レイアは思ったのと同時に、足元から登ってくるような怖気を感じるのだった。




