閑話
突然だが、俺は今日イメージチェンジを行う事にした。
……女になって半年。俺は常々、ある事が鬱陶しかった。それは……この長髪だ。
現在、後ろ髪は腰の辺りまで伸びており、長いせいでポニーテールにしなければ汗で身体に張り付いてくる。前髪も伸び髪が目に入って痛い。
男から女になったあの時から、何気にこの長い髪が気に入っていたけれど、最近は鬱陶しさが上回ってしまったのだ。
そんな訳で夏の昼下がり。思い切って散髪しようと思ったのだが、ここで壁にぶち当たった。
俺は男の時、自分で適当に散髪をしていたのだが……流石に今はそういう訳にもいかない。……下手に切って、失敗はしたくないと思ったのだ。
というより、俺は女の子の髪型というのがイマイチよく分からない。それ故に自分が似合う髪型もサッパリ見当がつかないのも原因である。
まったく、自分の容姿を気にする事なんて、男だったあの頃は全くなかったのになと苦笑した。考え方も女性的になってしまったのかもしれない。
そんな訳で……取り敢えずルナの部屋に向かう。
どんな髪型にしたら良いかなどは、俺が調べて決めるより、ルナやセリアに任せた方が安心できるからな。それと2人に時間があれば散髪に協力してもらおうと打算もつけて。
「ルナー、ちょっといいか?」
リアはルナの私室前に着くや否や、扉をノックもせずに開いた。
そして部屋の中の光景を見て……ぽかんと口を半開きにして固まる。
「えっ?」
「お姉様!?」
「あらあら?」
ルナはベッドに寝転がり、両手足を布で結ばれて拘束されていた。その上からセリアが乗っかって、ルナの頰を撫でていたのだ。彼女の表情は年の割に艶めかしくて、発情しているかのようだった。どっからどう見てもいかがわしい事をしているとしか思えない。
ルナも抵抗している様子ではないし、どうやら邪魔な時に来てしまったようだ。
俺はサッと視線を逸らすと謝罪する。
「わりぃ、お楽しみの最中だったか。邪魔したな……」
「ちょぉ!? 待ってお姉様誤解ですって!!」
退却しようとしたリアを、ルナは《念力魔法》で引き寄せる。リアは態勢を崩して顔面から床にダイブした。
「ぐぇっ」
「違うんですお姉様!! これはその、そのぅ!!」
「……一旦落ち着きましょうか、ルナさん?」
てんやわんやと舌が回らず、騒ぎ弁明するルナは、ベッドの上で陸に打ち上げられた魚のように跳ねる。
そんなルナとリアの間に、事の原因であるセリアがやんわりと割り込み落ち着かせるのだった。
………………
「絵のモデルですか?」
「夏のコミマに当落してしまって。でも冬の席は当選したから、夏に出す予定の原稿内容を練り直してたのよ。より良い同人誌が描きたくて。そこで、ルナさんに絵のモデルを頼んだってわけ」
チラッとルナに視線を送ると、ぶんぶんと首を縦に振り肯定する。その必死さから、本当だという事は嫌でも伝わった。
しかし、事情は分かったとはいえ、相手は女の子大好きを豪語するセリアだ。言葉巧みにルナを乗せて、自分は別の意味で楽しんでいたのではと邪推してしまう。
リアの視線に気がついたセリアは、床に置いてあったノートPCを手に取り、画面をこちらに向けた。
画面を幾許か眺めたリアは……顔を真っ赤にしながら目を逸らす。
「あら? なんで目を逸らすの?」
「エロ同人じゃねぇか!!」
「そうよ?」
PCの画面に表示されていたのは、カラーで描かれた美麗なイラスト……なのだが、画面の殆どを全裸の少女2人が占めていた。しかも、片方はルナをモデルにした事がよく分かる少女で、勘違いでなければ2人目の少女は自分だった。そしてタイトルはど直球に『姉妹丼』である。自分の考えは邪推どころか名推理であった。
そんなイラストを描いておきながら、セリアの顔には悪びれる様子はカケラもなかった。流石のリアも少々怒る。
「そうよ? じゃないですよ!! というか友達をモデルにエロ同人って……しかも、その姉を相手役に選ぶ辺り業が深い」
目を背けつつ、非難するような口振りで言ったリア。セリアはリアの言葉に
「そんなの今更じゃない? それに……ここに私が加われば、理想郷になるわね」
己の願望と欲望の混じった一文で返した。
「怖いわ!! 創作のモデルにするなら本人の許可取ってからにしてください!!」
体を両腕で抱くようにガードしながらジト目で言うと、セリアは何を言っているのか分からないと首を傾げる。
「え? ルナさんが許可を取ったって、言ってたのだけれど?」
「ルナぁ!!」
次の行動は素早かった。
リアは頰を赤らめながら、結局事の原因であったルナの頰を掴んで引っ張り、制裁を加える。ルナはされるがまま受け止めながら「ごめんにゃひゃい!!」と涙目で謝罪する。
そんな2人の側で、笑みを湛えたセリアがのんびりと傍観し続けるのだった。
………………
「……凄く、すーっごく不本意ですが。今更ダメなんて鬼畜な事は言えないので今回だけは黙認します」
「ありがとリアさん」
完成された同人誌を見れば、内容はどうあれ掛けられた手間隙と時間が目に見えるようだった。だから今更ダメなんて言える訳もない。
そんなリアの優しさに漬け込み、セリアは黒い微笑みで礼を言うと、次に話題を逸らす為、口を開いた。
「それで、部屋に来た理由は?」
「そうだった。その、実は散髪しようと思ってさ」
目的である散髪の話を振れば、セリアは微妙そうに眉を寄せる。
「散髪? せっかくの黒髪ロングなのに?」
それを聞いたルナは横からリアの肩を掴んだ。
「そうですよ!! 何言ってんですか、お姉様!! こんなに綺麗でサラサラの長髪なのに、なんで切るんですか!?」
「鬱陶しくて……」
「ダメです!! お揃いの黒髪ロングなのに切るなんてダメです!! 私が許しません!!」
ルナは猛烈に反対してくる。
それでも……揺さぶられてガクガクと上半身を揺さぶられながらも「辞める」とは言わないリア。ルナは尚も諦めきれずに、頰を膨らませてリアの胸を両手で軽くシバきながら抗議する。
2人を見ながら、セリアは微笑みながら話しかける。
「成る程、まぁ夏なのだからイメージチェンジするのもアリかもしれないわね。あとルナさん、髪はまた伸びるのだから諦めなさいな」
「むーむー!!」
ルナを窘めつつ羽交い締めにして、リアから引き離した。流石にこれ以上、子供のように駄々を捏ねるのも無駄だと思ったルナは、溜息混じりに
「……分かりましたよ。お姉様の言わんとする事も。私達の元に来たのは……髪型でお悩みだからですね?」
「よく分かったな?」
「それくらい分かりますよ。女の子歴は私の方が長いんですから」
「……なんの話?」
女の子としてならリアの方が長いのでは? と純粋に疑問に思ったセリアの呟き。それを聞いた2人は、ドキンと心臓を跳ねさせて焦る。
「あ、あれだよ!! 俺って男っぽくて、今まで女の子というよりは男として育ったからさ!!」
男としてじゃなくて男だったんだが、と言いたくなったところで、ルナが「そうです、そうです!!」と合いの手を入れてくれた。
セリアは必死な2人を交互に、胡乱げな目で見た後……別に追求する話でもないかと思って口を閉ざした。ルナとリアは、心の奥底で深く安堵するのだった。
この場合、別に俺は隠している訳じゃないから説明しても良かったのだが……何かとセリア相手では弱味になり兼ねないのではと考えると、有耶無耶にしたのは正解だったのだろう。
………………
背後でセリアが髪を手櫛して、ルナが慈しむような表情で髪を弄っているが……無視して。
PCの画像検索から、2人に幾つか提案してもらった髪型を調べる。夏という単語を入れると、自然と短めの髪が多く見られた。
「……」
自分も耳にかけた髪を触りながら思案に耽る。
「バッサリと切るならミディアムかな?」
後ろの2人に提案すると、セリアが画面を覗き込み、頷いた。
「いいんじゃない? でも、切ってしまうと、元の長さになるには数年かかるわよ?」
案に、やってしまえば後戻り出来ないと言われてリアは「うっ」と言葉に詰まった。そんなリアへ、ルナが耳元で囁く。
「私と同じ髪型にしませんかぁ?」
「しません」
「いてっ」
ルナの額にデコピンをかまして黙らせると、リアは大きく頷いた。
「決めた。ミディアムロングにします」
「悩んで割に即決?」
「肩口くらいまでの長さなら、切っても然程違和感は無いと……思うし」
「ふぅん……いいんじゃない?」
髪を撫でながら、セリアは賛成した。もとい、彼女が黒髪ロングからミディアムロングに変更した時の姿を想像して……思っていたよりも似合っているなと感じたからだ。
例えれば、現在のリアが静かな清楚系の風体とするなら、ミディアムロングのリアは清楚系という面を残しつつも、スポーティーで明るい印象になる。
一方で、本でも持たせれば物静かな印象にもなるだろう。意外と、今よりも似合っているのではないだろうか。そう思ったセリアは、ルナがなにかを言う前にリアの背中を押す。
「ふふっ、なら私が綺麗に整えてあげるわね」
「頼りにしてます」
そうして部屋からリビングに向かう2人に、ルナは叫ぶような声で
「私の意見は無し!? ちょっと、2人とも待ってください!!」
と言って、背後を付いて行くのだった。
…………………
「おぉ、おぉお!!」
目を開くとミディアムロングを揺らす自分の顔が視界に入る。どこか大人っぽくも快活な雰囲気の自分が、まるで別人のようにすら思えた。髪型一つでこのまで印象が変わるなんて……女は凄い。
そうして鏡に映る自分の姿に感嘆すると同時に、隣でドヤ顔をキメているセリアの理髪技能の高さに驚いた。控えめに言っても、今から美容院すら始められるのではなかろうか。
鋏でサクッと切ったにもかかわらず、変に不自然なところは一切無く、長さも理想そのもの。枝毛なども一切無い……それどころか彼女が使用したトリートメント類のお陰で、髪に艶と透明感のある瑞々しさが追加されているくらいだ。
「ふっふーん、完璧ね」
「ちょっとだけ、失敗するかもと思ってました……凄い」
「あら、喜んでもらえたようで嬉しいわ。それに……私が女の子相手に失敗する訳ないじゃない」
「意味深く聞こえるんでちゃんと『散髪で』って付けて。でも、ありがとう。というかこれ、金払ってもいいレベルですよ」
髪を手櫛で梳かすと、サラサラと水が流れるように指の間を抜ける。気持ちの良い、癖になりそうな感触。
これならば、多少肩に髪がかかっていてもあまり気にならなさそうだ。
そうしてニコニコと髪を触るリアから目を離し、セリアは……絶望した表情で切り落とした髪を集めていたルナを見る。
「お姉様の髪が……。お姉様の髪……身体の一部……ぐへへ」
前言を撤回した。絶望どころか恍惚の表情であった。口元がだらし無く歪みきっているのに、目が本気な所が更に変態性に拍車をかけている。
しかし、集めた髪の毛を何に使うのだろう。そう考えた時、割と使い道が思いついてしまう辺り、セリアは自分も相当に変態だなぁと他人事のように思うのだった。
………………
イメチェンは割と好評で、母さんとデイル、アイガにも似合っていると言われ純粋に嬉しかった。その後、髪に似合っている服をとの事で着せ替え人形にされたが、それも気にならないくらいに。
それからレイアに携帯端末で写真を撮り『似合ってる?』とメッセージを付けて送ったところ『え? リアだよね?』と返信が来た。どうやら、疑うレベルで印象が変わったらしく、数秒後に『凄く大人っぽく見える、僕は見た目幼っぽいらしいから羨ましいぜ』と褒め言葉をいただいた。
そうして終えた1日。ベッドの上で本を片手に一息吐くと、今日1日の異様さが際立って見える。
「……俺はどうして、こんなに舞い上がっていたのかね」
髪を切ったキッカケは鬱陶しいから、と些細な理由からの散髪だったが、新たな髪型を褒められるとそこそこに嬉しい……いや、めちゃくちゃ嬉しかった。
もしかしたら、考え方のみならず、趣味嗜好までも女性的になったのかもしれない。
それからもうこれ以上、精神的変化は無いと考えていたのに、もしかしたら『これもまだ序の口なのではないか?』と思うと少し怖くなった。
だが、褒められて嬉しくなったのは本当で。男としての感性か、女としての精神か、どっちが真実の自分かが曖昧になってくる。どっちもそのままの状態で停滞するものだと思っていたのに。
最近では、適当に買った筈のブラジャーからクラスチェンジして、ちゃんとサイズも測り実用性のあるものに変えた。まぁ、これについては良く動くから、しっかりした物でないと胸が痛いという理由があった。しかし入学後の数日間、サラシを巻こうとしていたように、感性が男のままならばスポーツブラから変えようなどと思わなかっただろう。
けれど、それが悪いとも思わない。危機感はあるが、その危機感すら心地よく受け入れられる気がした。
「難儀なもんだ」
肩にかかる髪を指に絡めて弄びつつ、口の端を上げながら溜息を吐き出した。溜息の吐息がどこか満足気に聞こえたのは、俺の勘違いではないだろう。