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夏に潜む者13『親愛の果て』

 ジルの持っていたノートを開くと、か細い字で誰かの独白が書かれていた。強い筆跡のせいか、インクの滲んだ文字が印象的だ。


『 ……私が私である内に書き記す。

 私はきっともう死んでいる。


 死んでいて、きっと魔物のような存在に成り果てようとしているらしい。

 苦しい、喉が焼きつき、心臓が握り潰され、脳を鈍器で殴られたような痛みが走る。そういう時に限って、記憶が飛んで……気がついたら人の乾いた遺体と、血塗れになった自分がいるんだ。しかも、最近はドス黒い殺人衝動に襲われる。


 もうすぐ、私は人を人として認識しなくなるだろう。


 何故なら私は死者だから。死んだ事は分かる。記憶が魂にこびり付いていた。


 死ぬ間際に、友達を通り魔に差し出そうとして、結局私が殺された記憶が。生きたかった、けど私の中身は人で無しで空っぽだった。


 あぁ、きっと罰なのだろう。しかし、これは余りにも……重い。


 私はもう泣けない。人の心すら残らず、最後には人殺しの化け物。そんなモノになる前に……だれか殺し……。


 コロス? あぁ、そうだ、殺さないと……。


 人から命の輝きが見える。その度に憎くて憎くて、喰らいたくなる。


 だから殺して奪わなくてはならない。私のために』


 文字は最後に向かうにつれ、ギリギリ読み取れる程に荒れ……次第に狂気に蝕まれていく様子が見て分かった。状況を把握していないリアを除いて。


「俺なんかイケナイものみちゃった気分なんですが……」


 引き腰気味のリアに、ダルクは棒読みで「私も怖いー」などと言いながら抱きつく。


「……暑いんですけど。離れてください」

「……怖い」

「……それで先輩、ジルさん。これからどうするんですか?」


 「幽霊よりタチ悪いじゃねぇか……」とダルクの漏らした本音は、とても小さく誰の耳に入る事はない。

 そんな彼女を引き離そうと頭を手で押すリアだったが、離れる様子が無く、諦める。そうして、彼女の好きにさせながらも2人に問うた。


 無理に車を走らせた所で、一度逃げ出した魔物はそうそう見つかるものではないだろう。無闇矢鱈に探すのは、無駄骨にしかならない。それに、さっき戦ったリアからしても『人を殺す』……違う。『喰らう事』を第一に行動している魔物だというのは察しがつく。つまり、狂気に侵されようとも『知性』はあるという事だ。


 ……あとは、元々は人だった。だから、きっと人らしく考える。魂にこびりついた人としての本能は少なからずある……筈。たぶん、というか流石にそこまで分からんがな。


 そんな訳でリアは自身も、そこから何処に向かったか……自分なら何処に向かうかと思考を巡らせてみるも全く思いつかなかった。そんな時、横で抱きつきながらリアの胸を両手でたゆんたゆんと揺らし、弄んでいたダルクが口を開いた。


「……コイツが人を殺すか喰らう事が目的ならさ。純粋に人が多い場所に向かうんじゃねーの?」

「よくシリアスな雰囲気出せますね」


 ジト目で睨みつつも、リアは心の何処かで(確かに)と納得する。

 急げ急げと焦燥に駆られて思案しても、先輩以上に濃厚な線は出ないだろう。それはジルも同じらしく、彼は一度頷くと。


「じゃあ人通りの多い場所、何か思いつかないか? あとダルク、いい加減真面目にやれ」

「はぁーい」


 ……注意しながらそう言った。


(……人の多い場所か)


 簡単に言うが、ここはこの国の中でも特に大きな大都市だ。人の多い場所など至る所にある。

 それに、今は祭りなんかの催し物も近い為に、夏場は普段より人気が活発になるのだ。


(……ん? 祭り?)


 祭り……夏にある大きな祭りといえば。


「コミマだ」


 コミマ……通称コミックス&ノベライズの同人誌即売会の略称をそう呼ぶ。毎年、夏と冬に中央都市の大武道館を貸し切り行われる大規模かつインターナショナルなイベントである。その規模はとても大きく、夏のこの時期になれば態々、飛行機に乗って来る人までいるので、軽く数十万人は人口が増えるとも言われている。それから、コスプレイヤーも多く集う為に、男性のみならず女性からも熱い人気を誇っているのだ。


 そして、本日はイベントの中盤である2日目。俄然、いつも以上に人は集まり、盛り上がるのは確定事項。きっと会場には今も、数万を超える人で埋め尽くされている事だろう。

 つまり、現在最も人の多い場所は、中央都市の大武道館になる訳で。もし、あの魔物が人間の頃の記憶を持ったままならば……思い当たり、向かうかもしれない。


「見当が付かないなら、大武道館に行ってみるのはアリでは……?」


 自信はないので、リアはおずおずと提案する。


 ……今もこうしている間に被害者は出ているかもしれない。だからこそ、断言出来ずに口籠るのだ。

 間違ってたら時間の無駄になるし、そこまでの間に殺されてしまった人達の命まで背負う覚悟は……いや、この件にどんな理由であれ顔を突っ込んだ以上は背負う覚悟は持つべきか。


 いくら平和ボケした世界とはいえ、魔物による死亡事件は未だ数多くある。しかし……だからと言って、全ての魔物のせいだと言えるような精神はしていない。当事者だからこそ、救える命ならば……傲慢で身勝手な考え方かもしれないが……救いたい。


 リアの心境を顔色で察したダルクは、肩をポンポンと叩き振り向かせると、サクッと携帯端末を操作し画面を向ける。


「百点だぜリアっち。向こう、だいぶ騒ぎになってるようだ。お陰で、SNSが賑わってる」


 画面にはソーシャルネットサービスの一つ(皆が自由に書き込みの出来る掲示板)が表示されていた。そこには『至急、助けてぇえ』や『誰か通報したの?』等の(少々おふざけも多いが)どこか不安そうな書き込み、それから魔導機動隊が来たような旨の書き込み等も多くあり……話題度で掲示板のトップに躍り出ている。

 ダルクの携帯端末に目を通して、リアは確信を持って……ジルは急いでオフロードカーの運転席に乗り込むと


「分かってたんなら呑気に俺の胸触ってないで、早く言えよ先輩ッ!!」

「えっ」

「ダルク。お前さぁ、緊急事態なの分かってんのか?」

「あの、私もさっき見つけたんだけど……」


 凄い剣幕の2人に、さしものダルクも少し狼狽えつつと弁明しようとする。だが

2人の「「言い訳すんな!!」」の一言でがっくりと項垂れた。


「信用してもらえねぇ……普段の行いの悪さが裏目に……」


……………………


 会場は大混乱に陥っていた。突如現れた巨体の化け物に、誰もが最初は「コスプレだろう」なんて考えていた。ここはそういう場所で……「血の匂いすら再現するなんて凄い」などと思い、当初に危機感を持つ者などいなかったのだ。だから、化け物が人を襲い始めてからは一転した。


 大勢の人間が押し合い、我先にと逃げる為に駆け出す。こんな状況下では、救助部隊や魔導機動隊も上手く連携が取れないだろう。


 着いた時には、そんな阿鼻叫喚の地獄絵図であった。


「……何処にいるんだ?」


 オフロードカーから急げ急げと飛び出して、しかし何処にいるのやらと、足を止めて首を傾げるリア。頼りになるが、やはりどこか抜けている後輩に、ダルクはそっと肩を叩きながら隣に並んだ。


 そして、振り返ったリアの頰を指でグリグリと突きながら口を開いた。


「こういった場合は、大体逃げてる人の反対方向に行きゃ良いと思うぜ」

「……先輩がまともな事を!?」

「リアっち今日だけで辛辣レベル相当上がったね!?」

「そうと決まれば行きますよ先輩」

「返事すら面倒くさいの? 心の広い私でも、流石に怒るときは怒るぞ……ってちょい待ち!!」


 ダルクの言葉を振り払うように、突然駆け出したリア。そんな彼女に、ダルクは思いっきり嘆息した。

 それから、ジルの方へと顔を向け、2、3言葉を口にする。


「あー、ジル公。私も取り敢えずリアっちの援護に行くから、後方支援宜しく。戦力ねぇんだから無理すんなよ」

「……こういう時、俺もしっかり魔法使いやってりゃ良かったって思うぜ」

「ジル公が、んな事言うなんて珍しいな。まぁ気持ちは分からんでもねぇけど。んじゃ、行ってくる」

「おう、頼んだ」


 ダルクはニッと口の端を上げると、手を振りながら「任された」といって《縮地》を使い駆け出した。


…………


 ……熱は冷め、仄かに香る鉄臭さと、砕けたコンクリートから漂う石灰の匂いが支配している。


 王通りの一角。見晴らしが良いどころか、辺り一面何もない場所。そのど真ん中に、ソレはいた。


 陽の光を極限まで削り取り、影を落としたような暗い異形。美しい女性のモノを思わせる顔に反し、身体は引き締まった継ぎ接ぎだらけの筋肉を纏っていた。

 それらの異様な不気味さやアンバランスさは、人の根底にある恐怖を揺さぶるような錯覚を受ける。


 否、人の根底にある恐怖の一つを、相手は醸し出していた。それは濃密なまでの『死者』の気配だ。此方に迎えようと手招きするような錯覚を覚える程に。大凡、普通の魔物では有り得ない存在感である。


 が、そんな存在も流石にミサイルの弾頭を口に打ち込まれればダメージはあったらしく、血の痕を全身に飛び散らせていた。


 リアは地を飛ぶように蹴り進みながら魔力を練った。人払いは出来ている、ならば暴れても問題はない。幸いな事に、魔導機動隊は救援を要請しているらしく、戦闘の邪魔になる訳でもなし……これなら戦っても怒る人はいないだろう。


「《境界線の狩籠手》」


 両腕を纏うには魔力が足りずに、仕方なく右手のみの装着になったが、あるのと無いのとでは心強さが段違いだとリアは思った。


………………


 ギルグリアに、近接格闘を習ったのは間違いでは無かったとリアは思う。今現在、リアは目の前の魔物と殴り合いをしていた。もちろん互いに一撃喰らえば均衡が崩れて……決着がついてしまうような殴り合いだ。いや、乱入しようか悩んでいるらしきダルクが後方で見張ってくれているのと多少なり《結界魔法》が使える魔力が残っているおかげで、此方の方が些か有利かもしれない。


 さて、こうして身体は闘争に向いている訳だが……けれど思考の半分は全く別の事に意識が向いていた。別の言い方をすれば、こんな状況なのに心に余裕があるとも言える。


(……この魔物、ここに来てから人を殺していないのか?)


 魔物を見つけるまで、少なくとも数人は犠牲になる……そう考えていたのに、この王通りには人影は自分とダルクしかいない。つまり、ここで流血沙汰が無かった事実を示していて……それが不思議で、それから気味が悪かった。


「って、うぉ!?」


 考え込みすぎるのもいけない。眼前に……拳が迫り、リアは腰を低くし構えると強く打ち返す。結果、急激な反動により物理的に魔物は仰け反った。


(人としての意思が、これ以上の人殺しを拒否した。いや、でも……それなら態々、こんな所で仁王立ちしている意味の説明ができない)


 正直、大凡の顛末を聞いてきたリアからしても、この魔物という存在が些か分からなくなっていた。

 とは言っても、世間一般的な考えて言えば、人殺しの機械と成れ果てた魔物を理解しようとする方がおかしい話であり……この胸の奥に突っかかるような違和感を誰かに説明したところで、共感してくれる人はいないだろう。


 …….しかし、本当にそれでいいのだろうか?


 取り留めも無い、霞を掴むような疑問が胸に膨れていく気がする。

 だが結局のところ、いくら考えても答えが見つかる訳でもない。だから……リアはもう、油断なく躊躇う事はしなかった。

 あの日記らしきノートの文を見た後ではやはり『苦しんでいる』気がしたから。


 気がしたから? 上から目線でそんな事を考えてしまった自分に、リアは喉奥から苦味を感じる。


 俺に……介錯する勇気なんてあるのか? 自身の手を汚した事なんてない、俺が?


 相手は……たとえ魔物になってしまっても、元は『人』だった存在だ。それをいとも簡単に手を掛ける殺せるような覚悟はあるのか。


 ……違う、さっき決断しただろう。

 覚悟とは自分から持つモノもあれば、時と場合に嫌でも決断を迫られる時だってある。


 この覚悟とは、行為というよりも気持ちの問題だ。きっと、この後味の悪さは……未来永劫、忘れる事は出来ないだろう。


 だからこそ……リアは自分がした事に責任を持つ覚悟くらいはあると、そう思いたかった。


(ケジメ、か)


 いつの日か、師匠が魔法という力に手を出した時点で言った一言が頭を過る。


『魔法は全ての法則を乗り越えて、力を手に入れる術。だから、まずは力に手を出す覚悟を決めるのじゃ』


 つまるところ、魔法という力に手を伸ばした時点で、こうなる未来は遠かれ近かれ訪れる、そういう意味だったのだろうと今になって分かった。そして今だからこそ、力に手を伸ばす覚悟を思い知った。


(俺は、何の為に英雄を目指したのだろう。憧れた、たったそれだけなら……)


 全てを救い、助ける存在になりたかった。しかし、思い違いをしていたらしい。真の意味でこの世に『物語に出てくる英雄』は存在しないのだ。第一、全てを救おうなど……恐らく、デイルであろうとも無理な話。


 何故なら、人とはこうして考えて後悔してしまうから。人で無しや魔物とは、こんな簡単な事すら投げ捨て、要望のままに動く。そんな存在なのだろう。


 


 そして、思考は回り回って、結局一点のみの疑問に落ち着き……遣る瀬無さを覚えて、思考を切り替える。



 右手の籠手、その隙間から、炎が吹き出るが如く魔力を吹き出す。それを推進力に、リアは魔物の攻撃を受け流すと同時に反動をつけて殴り返す。そうして魔物が硬直したのと同時に魔力を放った。


 青白い魔力は、己の心のように淡く揺れているような気がした。


………………


 魔物は崩れ、灰になって風に運ばれていく。夏の日差しを浴びた灰は、キラキラとしているように見えて……酷く物悲しげな気分にさせられる。


 俺は、魔物の胸を貫いて倒した。きっと、これが正解なのだと自分に言い聞かせながら拳を振るい続けた。

 そして、そのおかげかこうして俺は生きて……魔物は灰になったのだ。もし、当事者でもない誰かがこの場面を見ていたのなら、少なからず褒め称えてくれると思いたい。


 だって、そうじゃなければ…….陰鬱な気持ちに押し潰されて心が折れてしまいそうだったから。


 リアは遠い目で灰を眺め続けていた。すると、真隣から、そっと誰かが肩を叩く。背後に顔を向けると、いつも通りの表情をしたダルクが立っていた。


「お疲れさん、助かったぜリアっち」

「さっきまで見てるだけだった先輩」

「話す前にまず、言葉のナイフは仕舞おうか?」


 哀愁を漂わせているが、作り物めいた感じで全然心に響かない。が、少し気持ちは楽になった。いや、ただ単に、こうして慰められたという事実に安堵を覚えただけ。


「先輩、一つだけ真面目に、質問してもしていいですか? 探偵って、心の整理とかはどうしています?」


 気持ちが回り回って、絹のように優しく心を締め付けてくるような錯覚がした。そんな状態だから、リアはダルクに問う。

 探偵なんてものは、嫌でも人の悪意に触れる職業だ。そんな彼女は、どの様に乗り換えてきたのだろうか。


 ダルクはリアの真剣な眼差しを見つめ返し、それからニヤケ面を辞めた。


「……そうだな。 結局の所、人次第だと思うぜ。この魔物だってそう、人体錬成に手を出した、今回の事件の犯人であるロン・イナニスもそう。

 人には其々、考えて、行動して、後悔しては立ち上がる理性と胆力がある。そして、いつだってそこに、自分が求める物があるんだと私は思う」


 彼女の至極真っ当な返事に面食らいながらも、言わんとする事は伝わった。


 考えて、考えた結果……きっとロン・イナニスという青年は諦められなかったのだろう。大切な妹に会えない事実に。その結果がこのような悲劇へと繋がって、何人もの人が被害に遭った。


 決して褒められた行為ではなく、大多数の人々は彼を否定するだろう、罵るだろう。勿論、俺だってそうする。


 けれど、自分に置き換えて考えた時に、彼を否定出来ないとリアは思った。


(もしルナを、誰かの悪意で失う事があったら……俺は……)


 断言できた、諦めないと。もう一度会って……本当の意味での別れをしたいと。きっとその時になったら、俺も彼のように『愚か』と思いながらも、人体錬成に手を出していた。

 言葉にすれば軽く聞こえてしまうかもしれない、けれど今日ほど良い教訓を得た日は無いだろう。

 リアは胸元で、両手を握る。心の寒さは引き、一本の芯が入った……ように感じる。


(そっか。俺は自分が思っているよりも、ルナの事が大切だったのか。そして……気持ちが揺れる原因はこの気持ちだったんだな)


 すぐ側に……常に隣に居た。英雄を目指す理由が。


 ダルクはリアの目に活力が戻り始めたのを確認すると、腕を掴んで引っ張る。


「どちらにせよ一旦離れよ。じゃねーと……魔導機動隊に事情聴取とかやらされて、面倒な事になるぜ」

「……そっすね」


 最後にリアは、もう一度灰へ目を向けた。自分の御し難い気持ちに整理がついたおかげか、哀愁だけを醸し出していた灰に対して、誰かの深い愛情が込められているように見えた。

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