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夏に潜む者12

 「ほれっ」と小さな小瓶をダルクから投げ渡され、リアは掴み損ないそうになりつつ受け取る。ラベルを見ると、市販の魔力回復を助ける水薬だという事が分かった。飲んで回復しとけという訳か。

 リアはダルクの好意を「ありがとうございます先輩」と言って受け取りつつ、回復した少量の魔力でジルを手助けしていたのだが。


「あっ」

「へっ?」


 ジルは盛大に足を滑らせる。

 そして落下する先は、少ない魔力でどうにかジルの足元に氷の足場を作っていたリアであった。

 ドサリと倒れ込む音の後、2人の呻き声が聞こえてくる。幸いな事に、ジルは二階程の高さの所で落ちたのと咄嗟にリアが怪我をしないように空中で受け身の姿勢をとった。


 のだが……。


「んにゅ」

「うぐっ」


 落ちると同時に真下にいたリアを抱きしめ、衝撃を逃がすために転がる。ジルは仰向けに、リアはうつ伏せになる体勢で止まる。

 リアは可愛らしく喉を鳴らしただけで痛みを感じている様子はない。また自分も、打ち身や捻挫すらもなさそうでよかった。そう思っていたジルだったが、しかし彼の幸運と……不幸はここから始まる。


 抱きしめていたリアを解放するために右手を動かしたジルは、とてつもなく柔らかく、それでいて程よく気持ちの良い弾力を手の平に感じ取った。俺は何を触っているのだろと思いつつ、ジルが上に乗っかっている彼女の顔に視線を向ける。


「……ん?」


 何故か顔を真っ赤にしながら、表情を固めているリア。顔が近く、汗でしっとりと湿った垂れた黒髪が頬を撫でる。髪からは不思議な事に汗臭さは無く、洗剤のような爽やかで甘い匂いが鼻孔を通り抜けた。


 ジルは思わずどきりと心臓を鳴らし、思考を加速させた。

 彼女を抱きしめ続けていれば、不信感を持たれるかもしれない。そう考えて再び手を動かすジルだったが、来るのはさっきの気持ちの良い柔らかな感触。


 そのやみつきになりそうな感触によって、脳が積極的に触るよう働きかけてくる。動かす手が止められず、指いっぱいに触れていると、上に乗っかっていたリアが口を開いた。


「ひゅ、あ、の……もう満足ですか?」


 恥ずかしそうな声色。しかし言っている意味がイマイチ分からずジルは「えっ?」と疑問符を漏らす。そんな彼へ、リアは続けて言った。


「退いていいでしょうか? その、受け身をとってもらってありがとうございます。けど、その、揉みたいなら先に断りを入れるべきだと思いますよ?」


 散り散りな口調で礼を言いながら上半身を上げるリア。それにつられて、背に回していた左手は滑り落ち……だが柔らかい何かを掴んでいた右手は彼女につられて上がっていく。そこでジルは理解した。理解して……そして唾を飲み込み喉を鳴らして、目を大きく見開いた。

 自身の手がリアの胸に沈んでいる事を。つまりさっきから揉んでいたのはリアの……女性の胸だったという事実を。


 ジルの顔が真っ赤に染まり、そして。


「ぐふっ」

「ジルさん!?」


 童貞故に、女性に対する耐性の無さを遺憾無く発揮し、ジルはぶっ倒れるのだった。


………………


 ジルを起こす事2、3分。

 起き上がったジルに散々謝り倒されたリアは、若干疲れた笑みで「大丈夫ですから……」と許し続けていた。そんなやりとりで、今度お詫びに店に来た時サービスするという約束でどうにか落ち着いたジル。しかし、ようやく落ち着いたジルの背後からダルクが近づいていく。そしてボソリと耳元で囁いた。


「で? 私の可愛い後輩の感触……はじめてのおっぱいの感触は如何でしたかぁ? あ、ジルが揉み揉みしてる間に動画撮っといたけど見りゅ?」

「ぁぁぁぁあすみませんでしたぁぁあ!!」

「先輩やめろ!! このままじゃ無限ループじゃねぇか!! ジルさんも、もういいですって……いうかしつこいわ!! あと先輩も、呑気に動画撮ってんじゃねーよ消せ!!」


 早口で言いながら、にやけ面のダルクの腰を掴みジルから引き離すリア。ダルクはリアに引き摺られながら、夏の熱された時点で五体投地しているジルへ「んで」と前置きしながら本題に戻す。


「ジル公、結局、英雄は来るん?」

「そうですよジルさん。師匠は何処にいるんですか?」


 少女2人の問いかけに、ジルは顔だけを上げて答える。


「ギックリ腰だそうで、来れないらしいです」


 ジルの回答に、真っ先にリアが反応した。


「……は?」


 ポカーンとした表情から、徐々に目が細まり口の端が歪んでいく。


「つっかえねぇ……肝心な時にいつもこうだ……」


 しれっと悪態を吐くリアに、ダルクは上目遣いで顔を見ながら口を開いた。


「リアっちって本音は結構、辛辣だよねぇ」

「それは先輩と一部の人だけです。敬意を持つべき相手には、敬意を持って接するように心掛けていますから」

「つまり私は敬意を持つ相手じゃねぇと……そういうとこやぞリアっち」

「なら先輩らしくして下さいな……」


 にやけ面は崩さず、リアの手を腰から引き離し立ち上がるとダルクは軽快な動きでジルの元に駆けると


「茶番はこの辺にして……んじゃそろそろあの化け物を追おうか、ジル公、リアっち。魔導機動隊に通報はした、でもそれで『はい、終わり』は嫌なんだろ?」

「そうですね、けどその前に」


 リアは自身の携帯端末を手に取り、魔導機動隊に救急車を呼んでほしいと連絡を入れた。住所は勿論、今いる場所。


 ダルクはそんな彼女の行動を見て、珍しくにやけ面から嫌らしさが抜けた。

 彼女が電話した理由なぞ直ぐに思い当たる。先程、異形に殺された被害者の為だ。下手に遺体を動かせないが、しかし放置しておく訳にもいかない。それに、良心ゆえ、このまま夏空の下に置いては行けなかったのだろう。


「優しいねぇ。まぁ、だからこそ揶揄い甲斐もあるし、好きなんだけどね。……後で私も揉んどくか」


 ボソリと小さな声で呟くダルクに、ジルは「何か言ったか?」と問い、彼女は否定の意味を込めてぶらぶらと左手を振った。


「……何でもねぇよ。……あぁ、いや1つあった」


 リアが電話している間に、ダルクは素早く行動を開始した。ポケットから再び携帯端末を取り出して……。


「突然だがジル公、私は足が疲れている。そこでジル公には車を出して貰いたい」


 携帯端末には、ジルがリアの胸を揉んでいる動画が映っていた。音は出ていない為、リアは気がつかないが。


 そして、そんな動画を見せられたジルの顔色は勿論、別の理由もあって血の気が引き青白かった。


「知ってんぜぇジル公さんよ。実は事務所のガレージに車を一台隠し持っている事をよぉ。しかも軍用の高強度装甲オフロードカー。一体、お幾ら万円したんですか?」


 ジルの頬を冷や汗が伝う。まさか、知られていたとは思っていなかった。

 ダルクが、もし軍用のオフロードカーを持っている事を知れば……必ず『足代わり』にすると思って隠していたのに。


 更に不幸は重なり、ジルはチラつかせてくる動画から、先の事故はダルクによる故意の事故だったのではと考え……導き出された答えに吐き気を催す。


「おま、おまえ……まさか」

「そうさ……私の《鍵箱》に、ガスマスクとロケランしか入ってないなんておかしいもんなぁ?」


 ダルクは性根が腐っていても、一応は有名な魔法学校の生徒会長なのだ。魔力の練度は高く、また魔法使いとしては非常に優秀。


 そんな彼女の魔力を全て使った《鍵箱》で持ち運ぶ物を連想すれば……『車』くらいはいけるのではなかろうか。


 けれど、それが本当ならば……ジルにとって、今年最大の不幸を意味する。


「ふざ、ふざけんな!! あの車だけはダメだぞ、まだローン残ってんだ!!」

「大丈夫だって、ちょっとだけ貸してくれよ」

「ダメだって言ってんだろ!! というか、その台詞から察するに、お前既に持って来てr」


 突如、ダルクはジルの胸ぐらを掴み上げた。突然の事に、ジルは口から「ピギュ」と情けない音を漏らす。


「時間が無いの。お、わ、か、り?」

「ぐぬっ」


 正論に言葉を詰まらせたジルに、ダルクは天使のような微笑みを向けた。


「どの道、ジルに選択肢はねぇんだよ」


 動画をチラつかせ脅しかけるダルクに、ジルは半ギレになりながら返した。


「あぁ分かったよ!! 出しゃいいんだろ!! ってか、お前もう俺の愛車持ってきてんだろうが!! 俺の、車で、連れてってやるよォォオ!!」

「そうだ、それでいい。てな訳で……リアっちー!! 行くよー!!」


 ダルクはネックレスの鍵を捻り《鍵箱》を発動させる。風船を捩じ切るような音を鳴らして、空間から唐草色で迷彩塗装のされた、ゴツい装甲車が姿を現した。それを見たリアは、「おぉっ!!」と驚き目をきらめかせた。


「今のって《鍵箱》!? それに、この装甲車……格好良いデザインですねジルさん!!」


 そう言いながら2人に寄ってくるリア。そんな彼女の純粋な笑顔に邪な気持ちが浄化されていくような気がして……というより、それ以前に自分達の心が汚れている気がして……2人は互いに肯き合うと啀み合いを辞めるのだった。


…………………


 ジルは、寮の大家に魔導機動隊が来る事や部屋の惨状の説明と『底の虫』事務所の電話番号を渡した。そして一行は急いで車に乗り込み発進させる。因みにだが、デイルの開いた門は魔力切れで閉じてしまったらしい。本当に来れないらしい。


 そんな彼へと、リアは車内で揺られながら電話をかけ、出来る限りの援護を要請した。しかしグレイダーツとは連絡がつかないらしく、他の英雄も同様。

 デイルも謎のギックリ腰で、本当に苦しそうな声を上げていた為に、流石のリアも悪態をつけず溜飲を下げて「湿布でも貼って寝てろ」と優しい言葉をかける。それから、少しだが戦った異形の存在について、大方の見た目や感想をデイルに伝える。


 すると、デイルはおふざけ無しの鋭く知性的な声で、言い聞かせるようにリアへ警告をした。


『いいか、リア。見た目は人かもしれない、人と同じく言葉を発するかもしれない。だが、其奴は紛れも無い『魔物』じゃ。躊躇うな、躊躇えば……死ぬぞ。

 まぁ、わし暫し動けんが……出来る限り動くとしよう』


 そう言って一方的に電話を切られて数分。デイルに言われた言葉を吟味して…自分なりに『人の形をした何か』に対する憐れみを捨てろという意味だと解釈した。


 その後、再びデイルより電話がかかって来て、校長室に居たグレイダーツ校長のメイドであるカルミアへと、援助と支援の要請を取りけたのだとか。今現在、魔導機動隊や救護部隊含め色々と手配してくれているようだ。


(……ぽっと出の自分が言うのもなんだけど、なんか大事に巻き込まれてるっぽい?)


 ほんの少し不安に駆られたが、頬を叩き気を入れ直した。今は成すべき事をやる、それでいい。


 ……さて、その成すべき事なのだが……追いかけて被害を抑えるか、倒すの2つになるだろう。その為に位置を特定しなければならない。

 しかしだ、案の定落下したであろうポイントに異形の……いや、魔物の姿は消え失せていた。

 血痕を引きずったような痕があるところから、何処かに自力で移動したのだろう。


「ちくしょう、ジル公がちんたらやってたせいで逃げられた」

「お前が脅して来なけりゃ、もっと早く動けたんだけどなァ!!」

「まぁまぁ、喧嘩してる場合じゃないんですから落ち着いて……」


 喧嘩を始めかけた2人をリアは窘めつつ調査に移る。


(周りに肉片などが散ってはいる、しかし致命傷には至っていない。灰になってもいない為に、死んでいないのは勿論、本来の魔物とは少し違うのか?)


 ダルクとリアが同じ疑問を浮かべては首を傾げていると、隣にいたジルがふと、懐から血塗れのノートを取り出した。ノートを見たダルクは「うげぇ」と嫌そうに反応する。


「なんで、んなもん持ってきたんだよジル公」

「お前が『日記を読んだら出てきた』ってたからよ。一応持って来たんだ」

「ほーん……ん?」


 ダルクはジルの手にある日記に顔を近づけ、睨むような目付きで上から下まで確認し、そして眉間にシワを寄せた。


「にてるけど、私の読んだ日記じゃねぇな」


………………


 リアとの通話を終えたデイルは、痛む腰を右手で押さえながら深い溜息を吐いた。


「大戦ぶりかのぅ、人を喰らう魔物……。人の欲と渇望の塊。ヴァルディアが残した、穢れた魂を浄化する為の冒涜的魔法か。


 ……ヴァルディア。お主は何を求め、何処を目指しておった?」


 問いかけに答えるものなどいない。


 ……ヴァルディア・ソロディスという歴史に隠れた魔王は、常日頃から『魂の色』と『人の死』について語っていた。そのせいで他生徒には変人扱いされていた。けれど、デイル自身は『魂の色』についての空論に惹かれた事があった。今になっては、それも暗い思い出になってしまったが。


 そんな彼女は、ある日に一つの論文を書いた。『錬金術による人体蘇生と、魂の浄化について』。論文の内容は、人の魂を次の輪廻に乗せる前に『浄化』する為、蘇生し『魔物』になってから、再び殺すというものだ。


 勿論、空論どうこう以前に、人としての倫理観や『魂』などという存在の証明できない不確定要素を前提とした論文だった故に、学会では見向きもされなかった。


 しかし、それでもヴァルディアは人の死と魂の浄化にこだわり続け……軈ては万人を殺戮する魔王となったのだ。


 そんな彼女がふと、学生時代に話した台詞が記憶の底から蘇る。


『魔物。魔に染まり、人の膿の化身として戦い、最後には人に殺されて浄化する存在。ねぇ、そう考えると、魔物は悪い存在と断言するのは愚かだと思わない?

 ふふっ、貴方には早かったかしら?』


 図書室でのやり取り。確か自分は卒業用の論文を書いていた。そんな最中にやってきた彼女の言葉だ。


『あぁ……それとねデイル。貴方の魂は、何色だと思う?』


 変な質問だと思いながらも、デイルはこの時『白かな』と答えた。しかし、デイルが無難だと考えた返答に、彼女はつまらなさそうに浅く溜息を吐く。


『貴方はこれから、沢山の苦難に立ち向かう事でしょう。

 だから、せめて欠けないようにね?


 あぁ、それと。貴方はきっと、綺麗な金色をしているわ。

 美しくて暖かく……けれど研ぎ澄ました刃物のように鋭利。そんな、金色を』


 それだけ言うと、ヴァルディアは図書室を出た。

 この時のデイルは、ただの占いごとかと考えていた。だが、大戦の時《境界線の剣》が金色に染まったのだ。


「魂の色。そして、魂を求める魔物。人の膿と、それを浄化する魔物。

 ……わしは、其れ等に魅入らなかった」


 黙祷するように、目を閉じて深く鼻から息を吐き出す。


「じゃから、今度こそお主を眠らせよう。《境界線の黄金剣(ガラティーン)》」


 デイルは腰に剣を突き立てた。すると、硝子が砕けたような、心地良い綺麗な破砕音が鳴り響き、腰から痛みが引いていく。


 やはり、偶然ではなかった。いや、偶然ギックリ腰を起こすなど、それこそ必然ではなかろうか。

 それはつまり、誰かの介入があった事を意味する。


 デイルはゆっくり立ち上がると、虚空に手を向けた。魔力が弾け、青白い光が一点に収縮し……弾けて消えた。


「《門》……は開かんか。ふむ、ならば……歩いて行くとしよう」


 ローブを翻し、デイルは青白い光を纏うと、部屋の窓から外へと飛び出して行……こうとして、窓枠に張り付いていた1匹のスライムに足を取られ地面に全身を打ち付けるのだった。

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