夏に潜む者『日記』
『7月17日
2日ぶりに日記を開いたので、これまでの経緯を書き記す事にした。自分でもあっという間で、妹の死に実感が湧かない。貯金を切り崩し、家族葬を行ったが、豪華な葬式をしてやれなかった。悔しい、しかし3日以内に火葬しなくてはいけない為にお金を稼ぐ暇もなかった』
『7月19日
大学に行く気力も出ない。無気力で体を動かすのさえ怠く感じる。
現実を受け入れ、前を向こうとしても無理だった。たった『1人』の家族を失ったのだから。
なぁ、兄ちゃんはどうすればいいと思う?
友人の心配も全て無視して、部屋に引きこもって……こんな俺を見たら、お前はなんて罵倒をかけてくれるんだろうな。
……寂しい』
『7月20日
えー、あー、ちょっと待って。俺は物凄く混乱している、
おかしいんだ、俺には『母親』がいた筈なのに、前日の日記を読み返すとあたかも居なかったかのように書いてある。
今日、母が訪ねてきてくれたんだ。葬式以来の……(掠れて読めない)
そう葬式以来だ。俺は母と一緒に葬式をしたのに。なんで忘れていたんだろうか。ははっ、妹の死のショックで少々頭がおかしくなっているのかもしれない。
俺ですらこれなのだ。母も相当、落ち込んでいるだろうに、訪ねてきてくれたんだ。良い母の元に産まれて本当によかっ』
『7月21日
昨晩は日記を書いているうちに寝落ちしてしまったらしい。
さて、昨日は母を寮に泊めて、今日は今後の話をした。それから、夕刻頃にタクシーで帰る母を見送った後、この日記を書いている。
まぁ……書く事は山程できた。だが、キリが無いから1つだけ書き記す。
妹を生き返らせる事が、できるかもしれない。信じられない話だが、母は病院で働いている……んだっけ?
いや、そんな事はどうでもいい。《錬金術》、そこに俺は活路を見出した』
『7月22日
遺骨が何故、墓を建て埋葬されたり、骨粉にして海に撒かれたり、風に乗せて飛されたりなど、何かしらの手段で供養されるのか?
調べてみて分かったのだが、どうやら死者の『魂』を輪廻の輪へと乗せる儀式のようなもの、らしい。宗教的な文化な気もするが、人はこれを無意識にやっている。当たり前の文化が、どこか奇怪なモノに見えてしまった。
……あと、今日はずっと体が寒い。風邪でも引いたのだろうか』
『7月23日
日記に書くか迷ったが、記しておこうと思う。
決して、俺も母も頭が狂った訳ではない事を前提に……いや、母はもしかしたら狂っていたのかもしれない。
見て見ぬ振りをして、目を逸らして、自分もまた同じだと思いたくない……俺はいつから、こんなにも冷徹な人間になったのだろうか。
大切な、妹の遺骨に手を出してしまった』
『7月26日
久し振りの日記……いや記録になってしまうかもしれない。
俺は、とんでもない事をしている。妹を『作ろう』としている。
母が言うんだ、遺骨には魂が宿っていると。だから、この遺骨から細胞を培養すれば、魔物にはならないと。
本当にそうなのだろうか。
今日、大学から薬品や素材を盗み、自宅で三日三晩、死にものぐるいで実験に没頭し、なんとか妹の骨から細胞を培養できた。小さな肉片だが、これで充分。
明日、《錬金術》で人体の錬成実験を行う』
『7月27日
魔法、魔力……全てに通じ、全てに変わる万能なエネルギー。だが、本質は何なのだろうか?
変な語り出しになってしまった。おれは小説を書いている訳じゃないのに。
端的に書けば、1回目の錬成は失敗に終わった。
成人女性の平均的な構成素材、そして妹の細胞を用いて、完璧な錬成ができたと思った。
身長、体重の計算や、肉体構成に必要な筋肉、脂肪、血管と神経に骨格、表皮、爪や髪、目玉や脳味噌。人体に必要な部位の全てを、同時に錬成した結果、強烈な魔力の光を発して硝子を踏みつけるような音と共に……青白い手が揺れた。
それから光が治ると手も消えてゆき、台座には赤子……いや、胎児らしき小さな遺体が残っていた。周囲には赤く鉄臭い液体がべっとりと付いており、調べた結果『血液』の成分で出来ていた。血液型は『A』。
それから肝心の胎児の遺体について。
皮と骨はあったが、何故か内臓は無かった。しかもそれだけじゃない、まるで干からびた木乃伊のような姿で……どうやら、水分が全く残っていないらしい。蒸発したのだろうか? 原因は全く分からないが、この問題をまず解決しなければ先には進めないだろう……。
以上が、最初の人体錬成で起きた出来事の記録だ。これからは、失敗の要因や謎を追求しつつ、暫く引き篭もる生活になる。
俺は……間違っていないよな?』
……
…………
………………
……………………
ダルクはそこまで読み終えると、軽く息を吐いた。
「この後は実験の失敗記録ばかりか」
数ページに渡り書き殴られた記録。それは、隅から隅までびっしり文字で埋まっていてた。
そしてダルクは思う。これは、だいぶ貴重な資料ではないだろうか、と。
不謹慎な事を言っている自覚はあるが、彼の日記から漂う執念と努力の数々は人の心理に迫っており……人体の錬成記録は、情報の宝庫だ。
まぁ、勿論、貴重な理由はそれだけではないが。
「普段から魔法に触れない人間が、いきなり人体錬成なんて考えつかねーだろって思ってたけど……hum、犯人は『母親』か。
……この『母親』は、依頼者? それとも第三者か? 場合によっては……」
先に続く言葉は、喉の奥で止まる。
場合によって……そんな言葉は今更だ。最早事件には泥沼に浸かったが如く抜け出せはしない。
ここで『依頼者に連絡』ができない理由が、また増えてしまった。
この『母親』が依頼者の彼女であったなら、むざむざと見えない罠に引っかかりに行くようなもの。何を考え、何を思いこんな事をしたのか分からないが、依頼者のロージ・イナニスが全て知った上で依頼してきたのなら、何かしらの思惑か、素面で狂っているかのどちらかだ。
しかし、自分達の考えすぎだった場合には、『第三者の可能性』が浮上してきて、更に母親と遺体の件に関して面倒な事になるのは目に見えていた。調査の為の痕跡を回収されるのは致命的だ。例え、それが人の遺体であっても。
だが、連絡で『母親』が『依頼者』ではないのなら……少なくとも安心感は得られる。けれども、たかが安心感の為に連絡をするなど、先の事情を鑑みて愚の骨頂だと阿呆でも分かる事。
そんなこんなで、どっちにしろ1人で決めれる内容ではない。ジルが来るまでは、この日記を読み進めるくらいしかする事がない。
頭の中で色んな情報の整理や、想像と仮定を浮かべつつ、日記を更に捲り続けていたその時、記録が日記に戻った。
『8月5日
全身の錬成に成功したが、結局生き返る事はなかった。何を間違えた?
構造は完璧な筈なのに、心臓が動かない、脳波が現れない……目を開いてくれない。
分からない……分からない、分からない分からない分からない分からない分からない。
とりあえず、動かないコレは風呂場に置いておく事にした』
『8月6日
調べていく内に、ある魔法使いの言葉が目に留まった。
英雄のクロム……彼女の記した一言が頭から離れない、『肉体とは、魂の器である』』
『8月7日
最初を思い出した。そう、胎児の木乃伊が出来た最初の錬成、あの時のあの手は……『魂の器』だったのではないのだろうか。
……母が無くなりかけていた錬金の素材を持ってきてくれた。
後戻りはしたくはない。けど……』
『8月10日
いよいよ希望が見えた。
部位を分けて、錬成すれば良い。血が通わなければ、培養液に防腐剤と真空管を使って保存すれば肉の腐食は緩やかになる。細胞は、いざとなれば再構築で活性化できると思う。
作って、繋げる。ははっ、これじゃまるで、人形作りのようだ。
……俺は、渇望してた筈だ。なぁ、そうだろ、答えてくれよ。お前を冒涜して、汚してないよな?』
『8月14日
幾度失敗したか分からない。もう、風呂場に肉片の山が出来るくらい失敗した。そして漸く……念願が叶った。けれど、続きは少し眠ってかr』
『8月15日
震えるのは、妹が生き返るかもしれない喜びからなのだろうか。心の奥底から喜ぶべき場面なのに……胸の奥が冷たく感じる。笑顔が作れない。
妹を構成するパーツを併合した。
糸で部位を縫い合わせ、細胞を活性化させながら定着するのを待つ。
……最後の行程は、心臓へのマッサージ。脳波が現れれば成功だ』
『8月15日
妹の声を聞いた』
『8月17日
妹が動いている。もう触れられる事のない存在が其処に居る。
動いてしまった。
……なぁ、お前に聞きたい事がある。
毎夜、お前は何処に行っているんだ?
なんで、口元が血だらけなんだ?
なんで、ずっと笑っているんだ?
問えない自分が情けない』
『……人とは、何なのだろうか。『魂』とは、何なのだろうか。最近、そればかり考える。
クロム・クリント・セラスの『肉体とは、魂の器である』……この言葉がずっと胸の中で燻り続けている。
肉体が魂の器なら……継ぎ接ぎだらけの妹の肉体に、魂は耐えられるのだろうか?』
『妹がずっと部屋の片隅で蹲り、譫言のように「乾く」「乾く」と呟く。俺が、喉が乾くのかと問えば、光の無い目で「足りない、満たされない」と返事を返した』
『あぁ、そうか。彼女は間違いなく俺の妹だったんだ。
けど、俺が『冒涜』した。俺が、汚したんだ。穢れなき彼女の心を、魂を。
近いうちに俺は死ぬと思う。すまない、まだ人として、心が残っているのなら……。
兄ちゃんの罪を、許し(続きは赤黒い液体で汚れていて読めない)』
…………
懺悔のような文章。その後半であろう半分は、べっとりと血のような赤黒い液体で塗り潰されており続きは読めない。以降のページも液体が乾いたのか、紙が接着してページがめくれなくなっていた。
鼻を近づけ、スンスンと嗅いでみれば、鉄臭い臭いが鼻を突く。
(これ、血だよな……)
……生臭く、錆びた鉄のような匂いから、ダルクが顔を顰めた。
そして、妙に周囲が寒い事に気がつく。ぶわりと、腕に鳥肌が立っていた。
ダルクは不思議に思う。日記を見る前、勝手に部屋の冷房をつけたとはいえ……鳥肌が立つような温度にはしていない。
「……?」
寒さから両肩を温めようとして、日記帳を机に置いた、その時だった。
「え、なっ!?」
血で捲れなかったページが、ひとりでに開き始めたのだ。そして、赤く染まった紙の中央に、火で炙り出されたかのように英字がジリジリと音を立てて浮かび上がる。
その文字の色は確かに『黒』。にも関わらず、不思議な事に眩しさを感じて、ダルクは目を細めながら読み……喉を鳴らした。
『Are you ready?』
強烈な悪寒を感じた、
背後から「ゴトリ」と物音が聞こえ、跳ねるようにダルクは飛び退き背後を確認する。
音の出所は、直ぐに分かった。
棺桶の蓋が、ゆっくりと、ゆっくりと……動いている……。




