夏に潜む者『始まりの部屋』⑨
ロン・イナニスの寝室は、実験室のような様相をしていた。奥にはPCデスクが置かれており、その近くには何枚もの書き殴られ黒ずんだ紙が散乱していた。
部屋の壁には、天井まで届く程の棚が置かれており、大小様々な瓶類が所狭しと並んでいる。
その瓶の多くは緑色で半透明な液体に満たされており、人の物らしき目玉や舌などの部位や臓器らしき肉片が浮いていた。ダルクはその一つを徐に手に取ると、瓶の蓋を開けて鼻を近づける。
見るからに臭そうな物を自分から嗅ぎに行ってしまうのは、無駄に旺盛な好奇心のせいだろうか。そして、だいたい好奇心で起こした行動は後悔へと繋がる。
ダルクはスンスンと鼻を鳴らして臭いを嗅ぎ、直後に大きく仰け反りながら器用に蓋をし、そっと棚に戻した。
目には薄っすらと涙が滲んでいる。
「興味本位で臭い嗅ぐんじゃなかった」
鼻がひん曲がりそうになった。というより痛い。例えるなら、発酵した酢の匂いに加え、鼻にタバスコを塗り込んだような刺激臭とでも言おうか。
いや、まぁ、鼻にタバスコを塗った事など無いが。
「……にしても」
ギギギと擬音がなりそうな程、鈍重な動きで首を動かし背後を見る。
部屋の角。
ちょうど入り口から死角となっていた場所に、あるモノを見つけてしまい、ダルクは思わず現実逃避しそうになった。
木目の美しい檜の木で作られた長方形の箱。全長は2メートル近くあり、人がちょうど1人くらい入れそうな大きさ。そんな箱が壁に立てかけられていた。
周りには複数の造花が置かれており、そこだけまるで別空間のように思える程に綺麗な装飾が施されている……。
「どっからどう見ても『棺桶』だよなコレ」
応える者は勿論いない。その為、一応自分が幻覚を見ていないか確認する為に頬をつねってみる。普通に痛い。
「夢だったら嬉しかったんだけどなぁ」
ダルクは近寄って眺める。デザインはシンプルだが、角には金の金具で装飾が施されており高級感があった。しかし、一度蓋が開かれたのか、固定するのに使われていたであろう金色の釘は床に全て落ちている。棺桶には、釘を刺した跡が残っていた。
「……西洋式ってよりは、和式かね?」
和洋入り混じるこの時代だが、和式の棺桶は珍しい。ダルクも、こうして和式の棺桶を見るのは初めてだった。
視線を上に向けると、両開きの窓枠が見える。勿論閉じられており、取っ手の部分には白い綿で作られたふわふわの装飾がされていた。
木製の窓は見たところ、金具で固定されてはいない。手を伸ばせば簡単に開きそうだ。
だが。
ダルクは伸ばしかけた手を引っ込める。
背中に薄ら寒い感覚が走り、ゾワリと鳥肌がたった。人の死体を見ても鳥肌が立つなんて事のないダルク。そんな彼女の第六感が、かつてないほど警戒している。
(お、おおおう、別に怖い訳ではないぞぃ。本当だ、本当に怖い訳ではない。けど、好奇心で開けるのはその、不謹慎じゃない? 中にいたらその、アレじゃん?)
薄っすい語彙力で自分に言い聞かせるように心の中で弁明していると「お前が言うなと」何処かの誰かに言われた気がした。
謎の電波を受け取りイラッとしながらも、ダルクは棺桶を後回しにして、PCデスクに向かう。この棺桶の中は、ジルが来てから確認する事に決めた。
(1人で見るより2人で見たほうが一石二鳥だからな!!)
しかし、気にすればする程、何故か棺桶から視線を感じる気がして気味が悪い。部屋の窓を開けて陽の光を取り入れても尚、部屋が薄暗く感じる。
というか、今更だけどなんで棺桶が置いてあるのか。
「ロン・イナニス君は頭のネジ2、3本どころか脳みそごと抜け落ちてんじゃねぇの」
素面でこんな部屋作ったんなら、狂人通り越したイカれ野郎だ。と、言葉が汚くなるくらい辟易してきたダルク。
楽しそう、首突っ込んで事件を引っ掻き回したい。そう思ってアゲアゲにしたテンションが急降下していくのを感じた。
あぁ、そろそろ勘づいている方もいるだろう。だから、開き直ってここに宣言しよう。
そうだよォ!! 私はお化けの類が大嫌いなんだッ!!
何故かって? 物理的に殴れないから!!
思い通りにならないからだよ!!
『え、お化けなんて信じてるの』って人にはこう言いたい。科学や魔法で証明できない限り可能性はゼロじゃないんだと。
それにいると思った出来事が過去にあったのだ。
とある豪邸で殺人事件が起きた際の事。
調査で赴いたダルクは、館で半透明のブリッジ女を見た。ゴキブリのごとくカサカサと動き回り、首をグルングルンと回している場面を。
黒髪に血色の無い肌、血を流す眼なんかも見えたけど、それよりも綺麗なブリッジと俊敏すぎるキモい動きが衝撃的すぎて、忘れられないのだ。だって、ほぼ90度だったもの。背骨も腕もへし折らないとできない奴だったもの。首なんて確実に骨外れてたもの!!
結果、ダルクはビビりまくって暴れた挙句、チェーンソーで現場を破壊した。勿論調査はだいたい終わっていたから警察に追い回される事は無かったのだが……。一応、隠蔽工作をした結果、老朽化故の崩落で片付いた。
して、かの経験をしたせいで、今でも思い出すと身震いする。
お化け怖いと。
アレは魔法じゃなかった、勿論幻覚を見た訳でも無い。私は私の頭を信じる。
あぁ、ただ、これだけは言っておく。別にホラー映画とか怖い訳じゃないので、その辺は間違えないでくれたまえ。怖いのは、現実の方だ。
あと、死体は見慣れたので怖くない。死体とお化けはまた、別物だ。
ほら、有名な某子供探偵の登場人物達も、殺人事件が起きても全然動揺しないじゃない? アレと同じ心理だよ。
まぁ総論として、本当に怖いのはガチの化け物だと言いたい訳で。とは言うものの、整備のされていない辺境には『魔物』などの害獣も出るので、ある意味、化け物はその辺にいるけどね……。
……さて、無駄な思考を終えて、そろそろ本題に入ろうか。
私は机の上にある紙を1枚手に取り、マジマジと眺めた後、自分の目からハイライトが消え失せた気がした。そして、散らばった紙を1枚1枚、サッサと目を通して……瞳に活力が漲った。
ここに来て、精神がすり減るよりも圧倒的に面白そうな案件が出てきたのだ。下がったやる気が戻るには充分な物だった。
「……これ『人体の錬成魔法陣』と構成図に素材表じゃねぇか」
人を構成する物質を書き記した用紙に、素材ごとのグラム数を書いた用紙。それから、それらを錬成する為に必要な魔法陣に、構築図が彫られた木製の盤があった。
他にも沢山の紙が所狭しと散らばっており、その殆どが数字や方程式、図式や魔法陣に魔法文字で埋まっている。
「計算しているところを見ると、誰かを作ろうとしたのか?」
寸法、グラム、水分と血中濃度や鉄分、酸素、窒素、カルシウムやリンなどの細かな分配表、そして形作る為に必要な魔法陣や錬成の図式。幾重にも計算された方程式や元素式の書き殴り。
「……すげぇなコレ」
幾重にも重ねられた努力の数々は、ダルクですら凄いと感嘆するレベルの精密さであった。多少なら人体を作れるダルクでさえ、ここまでは無理だと直感できる。
ここで『人体錬成』なんて人道や倫理観に反するのではと提言したい人もいるだろうから説明させてもらおう!!
実の所、この国では人体を錬金術で作る事に関してはかなり注目的な研究テーマであるのだ。
何故なら、欠損した人体の部位や癌などで機能しなくなった臓器を、移植じゃなく『作れる』ようになれば、飛躍的な医学の進歩になるからだ。そして研究者や医者達、そして魔法使いはその研究を成し遂げた。つまり、腕や足ならば……『作って繋げられる』。この連合国でも最先端の医療と魔法の混合した治療法である。これにより、更に医療は多岐に渡って進歩しているのだ。
しかし、それでも『治療法』の域を超えれないでいる。そう、これらの治療法は進歩しているが、実際のところ亀が歩くよりも遅く遅く進んでいるのが現状。
何故なら、何万時間と長い歳月をかけて研究しても、人体は未だ全て解明できぬ『神秘の塊』であるからだ。
同じ足、同じ血液型、同じ構成物質、細胞であっても……『不思議』な事に繋がらない、または拒絶反応が起こる事がある。確率にすれば50%ほどの頻度で。全て同じなのに、身体が違うと拒むのだ。
だから現在の医療現場においては、万能細胞なども含めて医療として適応、確立させる為の研究が進められており……。
と、話が長くなりそうだからここで切って本題に戻ろう。
まぁ、要するに人体錬成に触れる機会は一般人でも多いという訳で、彼のような魔法使いでない一般人だが医療関係の大学などで知る機会や触れる機会は普通にある。だから、大学の研究テーマとして人体の錬成題材にしていてもおかしくはない。寧ろ研究テーマとしてはとても良いものだと思われる。
けれども、これらは研究の跡ではないと断言できた。
散らばった紙の全てに目を通し終えたダルクは、目を閉じ大凡の予想図を頭の中で組み立てた。そして、天才的な脳が即座に結論を出す。残された研究や計算、図式の痕跡から錬成する為に必要な素材や魔法陣が『全身分』ある、と。研究のテーマであっても、全身分あるのは不可解だ。
……ふと、ダルクは湿った空気を肌で感じ、熱の入った思考回路が冷めていくのを感じる。そして疑問に思い、ここまで見てきた全ての光景が脳裏を過る。
風呂場にあった人体のパーツの山、浴槽に浸る人の遺体。
ソファで死んでいた喀血事件の6人目であり、この部屋の主であるロン・イナニス。自分が見た謎の白昼夢。この部屋に置かれた人の内臓らしき肉片の数々と、人体錬成の痕跡。
……最後に、装飾された棺。
「どこまで、作ったんだ?」
真顔で、背後の棺桶に首だけを動かし目を向けた。
人体の錬成が禁止されていなくとも……魔法使いの間で一つ、暗黙のルールがあった。
それは、死した者を錬金術で蘇らせようとしてはならないというルール。
このルールの原因となった逸話はたった一つしかないが、しかしだからこそ説得力があった。
……ある所に、死した者を蘇らせようと、欠損した部位や壊死した箇所を錬金術で作り、繋げた魔法使いがいた。
今世では知らぬ者などいないくらいの有名人……治癒魔法使いの頂点、クロム・クリント・セラスだ。彼女はありとあらゆる部位を本人の細胞と寸分狂わぬ裁量で『死因を取り除き、健康な身体へと作り変えた』。
同じ顔、同じ体。同じ構成、同じ細胞。死者本人から培養し作り上げた体であっても……相手は生き返らなかったらしい。血を巡らせ、幾度心臓を鼓動させようとも、脳波が現れなかったのだ。
そして、後に心臓が動いているのに、蘇らなかった人間は、姿形を『魔物』へと変え、彼女自身に火葬された……と言われている。実際の所、戦時中だった事もあり正確な情報は残されてはいない。
けれども、この事に関して、本人は肯定も否定もしなかった。そして彼女は英雄として有名な人物だ。だからこそ、人柄も世界中の人に良く知られており……嘘はつかないことで有名だった為、より話に信憑性が増した。
これらが経緯で、終戦後から今日まで、死者は3日以内に火葬し丁重に弔う文化が生まれた。死体が腐る前に火葬しなければ『魔物』として動き出す可能性があるからだ。連合国になって以降、土葬を重んじていた国々もこの文化を取り入れざるをえなくなった。
つまり、人の姿をした『魔物』を作る魔法。それが、死者の人体錬成なのである。自ら死体を作る、とも言えるが。
して最後に……死者を蘇らせようとする、これらの行為は須らく『死者への冒涜』であり『魂が穢れる』と、後にクロムは言い残した。以降、彼女は『魂の証明』に時間を費やすようになり……そして人間を辞めた。
…………………
さて、どうしたものか。
失踪事件自体はこれで解決した訳だが、失踪したとされるロン・イナニスが喀血事件に関わり、そして人を作るという禁忌に手を伸ばした事が分かった。それを踏まえた上で、残りは警察組織や魔導機動隊に頼み、失踪事件は解決の方向で撤退はできる。
けど、ここで止まるのは後味が悪いとダルクは思った。興味と好奇心もそうだが、ここまでくれば喀血事件の真実に迫りたいと、調査を終える事を感情が阻む。
しかし、考え方によっては区切りが良いとも考えられる訳で……依頼者である母親に報告をするか、これらの資料らしき物を粗方事務所に運び、喀血事件の被害者として魔導機動隊の隊員である友人に遺体の搬送を依頼すべきか。
依頼を忘れた訳ではなく、探偵として勤めなくてはいけない事。『解決したら報告する』
しかし、ダルクは今回の依頼に関しては後者を選ぶつもりだった。何故か、純粋にあの母親が何かと怪しいからぁ。調べた後でも損はない。契約上だと、時間は残り2日もあるのだから。
……そうなれば通報、という事になってしまうが……まず行う事が一つ。棺桶を調べなくてはいけない。
目の前に広がる錬金術の品々と、ここまで見てきたもののせいで、中身を見たい好奇心が、恐怖心を勝ってしまった。これを回収されては、もう調べることは出来ない。
そうして悩んでいた時だった。
自分は動いていない筈なのに。それは起こった。
机の端に積まれた紙の山から、「ポタリ」と音を立てて何かが床に滑り落ちる。まるで見ろと言わんばかりのタイミングに、ダルクは君の悪さを感じながらも、屈んでソレを手に取った。
「……手記、いや日記か?」
焦げ茶色の皮のカバーが印象的な、少し高級感のある手帳。その1ページ目を、ダルクは開いてみると
「『これは、俺の記録である』。なんで完結系?」
不自然な書き始め。日記という点では間違ってはいないが、ダルクは『記録』という点が、別の意味に……『記憶』とも見てとれた。
筆跡の荒さを見て、自分に言い聞かせているように感じたからだ。
そして、次のページを捲ると、この事件の始まりかもしれない……そんな一文が記されていた。
『7月15日
妹が通り魔に刺されて、死んだ』
たった一文なのに、悲壮感が強く感じられた。所々、水で濡れたのか、皺になっている箇所がある。あぁ、泣いたのだろうなと、ダルクは少しセンチメントな気分になりつつも、重要な『日付』を見て気を入れ替えた。
喀血事件の始まった日。夏の始まりで、ちょうど蝉が鳴きだす季節。梅雨明けで太陽に日を浴び、植物が活気を放ち始める、爽やかな季節。
本来ならそれだけなのだが……
「こいつは、偶然じゃねぇよな」
7月15日は、ニュースで『通り魔事件』が報道された日だ。
ちょうど事務所で見ていた為にダルクは良く印象に残っていた。
そして、この事件後に不審な通り魔事件が相次ぎ、後に『喀血事件』へと名を変えた。つまり、喀血事件が始まったとも言える日付だった。
「……1人目の被害者がまさか、ロン・イナニスの妹だったなんてな」
ダルクはそう呟きながら、次の項へと目を通す。少なくとも、この日記が『喀血事件』の真相へ近づくと信じて。




