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夏に潜む者『表』⑧

 紙を開くと同時に彼女はピタリと動きを止めた。そして


「ふふっ、あはっ、ぁあはははははは!!」


 ダルクは感情の無い声で笑い始める。彼女の手から離れた紙がひらりと宙を舞い床に落ちた。何も書かれていない、白紙の紙は……しかし生き物のように勝手に動き、自身で四つ折りの状態へと戻る。


 何らかの魔法が付与されていた……?


 その程度の考察しか、する余裕が持てず、垂れる汗を拭う暇もなくジルは彼女から距離をとった。


 ダルクはジルの事など目に映っていないのか、見向きもせずに尚も笑い続け……そして床へと座り込む。それから、両手を空に上げ、澱んだような暗い瞳で虚空を眺め、呟いた。


「あぁ、我らが偉大なるソラよ」


 ジルは(ソラ……空?)と彼女の言葉に疑問を浮かべながら、もしかすれば幻覚などを見せる、精神干渉系の魔法かと察し、腰のポーチから《解呪》の施された札を20枚程、取り出した。


 魔法が例え弱くとも、数があれば力になる。これでどうにか出来ないかと思い、拳銃をホルスターに入れ、札を構える。そして近づこうとしたその時、再び彼女は口を開いた。


「巡り巡る命……魔の母『ヴァルディア』……!! ぁぁ、ぁぁ、貴方こそ、古き時代の創造主。その叡智の一端を、矮小なる私の目に」


 ダルクの口唇の端から唾が垂れる。

 支離滅裂な言動。本来であれば狂っているだけだと言いたい所だったが、ジルにはたった一つ聞き逃せない単語があった。警戒心が最大……いや、最大にしても足りないくらいの、驚くべき『名前』。


「『ヴァルディア』だと」


 50年前に魔物を率い、人類を滅ぼさんと暗躍した魔王。人の形をした、悪魔。デイルやグレイダーツから聞かされた歴史と国々が禁忌として保管している情報から分かる通り、本当に実在した魔法使い。


 だが、何故こんな所で……それも彼女の口からその名前が出てくる。


 手から力が抜け《解呪》の札がパラリと床に広がった。そしてジルは無意識に拳銃を構えて、距離を取り警戒する。


(おいおいおい!! どうする、どうすりゃいいんだ? もし……精神に干渉されてるなら……)


 ダルクに、勝ち目はあるのだろうか。彼女は確かに優秀な魔法使いだ。しかし、かの英雄達には及ばない。


 だからこそ、彼女の目を覚まさせる術をジルは思いつかなかった。元より自分は魔法に疎い。本来の物より弱い《解呪》の札などで『魔王』の魔法が打ち破れるとは思えなかった。


 ……いや、本当にそうなのだろうか。他の誰かが偽っているのでは?


 そんな短絡的で浅はかな希望を浮かべるも、秘匿とされてきた魔王の名を口にした以上……有り得ないと、ジルは唇を噛んだ。


「……ッチ!! おい!! 目ぇ覚ませダルク!!」


 言葉をかけるしか手がない事か歯痒く感じる。彼女は今もギリギリ聞き取れる声量で「ぁあ、ぁあ、ヴァルディア……」と名を呼び続け、恍惚の表情で天井を見上げていた。まるで……『神を崇拝する狂信者のようだ』。


 ジルは汗ばむ手から拳銃を落とさないように構え直し、それから1つの手段を頭に浮かべた。


 精神に干渉する魔法を打ち破れるのは、何も《解呪》だけではない。魔法をかけられた本人の精神力や、外からの接触で解呪出来ることもある。

 例えば、最も分かりやすいのは外からの衝撃や痛み。痛覚を刺激する事で脳に干渉する魔法に隙ができ、そこから瓦解する事もあるのだ。


 ……要するに、ジルが最終手段として考えた策は、腕か足を拳銃で撃ち、痛みを与える方法だった。


 そして、ジルは撃つ覚悟を決め拳銃を構える。場合によっては一生モノの傷が残るかもしれない、当たりどころが悪ければ足を切断しなければならないかもしれない。最低でも、恨まれる事はわかってる。


 けれど、躊躇って彼女が……戻れなくなってしまったら? いや、もしかしたら死んでしまう可能性だってあるのだ。


 だから、やる。


「すまねぇ」


 謝りながら拳銃のトリガーに指を掛けた、その時。ふとジルは思う。


 (あれ、あんまり心が痛まねぇ)と。


 曲がりなりにも、うら若き少女の足を撃とうとしているのに。

 何故か心は穏やか。波風立たぬ湖面の如く静まり返っていた。


 理由は考えるまでもなく。……思い返せば、ダルクにかけられた苦労の数々が想起された。


 依頼人から事務所に寄せられる苦情。壊した備品などへの無駄な費用。それなのに給料を減らす事は出来ず、表の店を開業できない程の金銭不足に陥って……。


 思い返せば、この依頼を受けた原因の半分はこいつではないか。


 ジルはなけなしの良心がごっそり抜け落ちた気がして、引き金に掛けていた指が心なしか軽くなったように感じた。


 ……ここで『そこまで厄介ならば解約すれば良いのでは』と、そう思った人もいるだろう。しかしダルクの場合、解約など言い渡したら……やりたい放題やってから辞めるのは目に見えて分かる。それはつまり、解約したら今の倍、面倒事が増えるのだ。


 そして間違いなく、どんな手段を使ってでも自身の愉悦に浸る為、あの手この手で事務所から情報を抜き取り脅しをかけてくるだろう。


「いやぁ、ね。こんな状況で言う台詞じゃないよ? けどハッキリ言うわ、足はテメェの給料で治せ」


 この国の医療技術と魔法ならば、弾丸で撃たれたくらいの傷跡は綺麗に治せるはずだ。


「お前を助ける為だ。滅茶苦茶痛いだろうが、許せよダルク……」


 サイコパスじみた思考になっている自覚はあるが、「助ける為だから仕方ない」という大義名分のお陰で自分の行動は正当化される。寧ろ、この行動は正しいんだから、仕方ないだろう。


 ジルはアイアンサイトに目線を合わせ、ダルクの足を睨みつけるような目つきで照準を合わせた。そして拳銃のハンマーを下ろし、一息入れ引き金を引こうとしたその時だった。


「ぐっ、ぅ」


 ダルクが呻き声を鳴らし、大きく体をびくんと跳ねさせる。ずっと口から出続けていた崇拝の台詞は止まり、腕をだらんとだらけさせ静止する。


 突然の変化に迷いが生じて、ジルはまた拳銃を下ろした。


 そしてほぼ同じタイミングで、ダルクがスッと息を吸い込む音が聞こえ……彼女は大きく口を開いた。


「見下したような視線を、この私に向けるんじゃねぇ!!」


 何処かの誰かに向けて、怒気を纏いながらダルクは叫ぶ。腹の底から吐き出された叫びには先ほどのような無気力感はなく、活力に満ち溢れていた。


 こうしてダルクは叫び終えると、そのまま紐の切れた人形のようにパタリと仰向けに倒れ込む。


「……」


 ジルは警戒心を残しつつも、何処か安堵を感じながら彼女を起こす為に歩みを進めた。拳銃を片手に握りしめながら。


…………………


「でだ、話は冒頭に戻……ん? どうしたダルク?」

「いや〜その〜」


 顔色の悪いダルクへジルは問う。すると、ダルクは「ガバッ」と音がしそうな勢いでダルクはジルから少し距離を取り……正座の体制に移行。そして両手を床につき「ガンッ」と頭を床に叩きつける勢いで振り下ろした。そして、慟哭するかのような、悲痛を伴う涙声で言った。


「今まで、やりたい放題やって……すんませんしたァァア!!」


 土下座である。

 それはもう、見る者全てが100点と言っても過言では無い、ダイナミックで、かつ謝罪の心が目に見える程に見事な土下座だった。


 ……まさかのダルクも、普段からここまでヘイトを集めていたとは思わなかった為、土下座をかますまで10秒とかからなかった。寧ろ躊躇なんてしてられない。人としての恥を投げ捨て、頭を床に擦り付ける。撃たれたくない一心で。


 そんなダルクの誠心誠意謝罪の気持ちが籠もって……いるかは不明だが、レアどころか一度も見たことが無い「謝罪する姿」にジルは呆気にとられた。

 (正直引かれるだろうな)と思いつつ拳銃までの件も含め話したのだが、この展開は予想外だ。


 ……予想外すぎて、ちょっとキモいと思ってしまうくらい。でも話して良かったかもしれない。ダルクの貴重な一面を知る事が出来たのだから。


「お前って人に謝る事できたんだな」

「それはちょっと失礼過ぎない?」


 顔を上げたダルクは、眉根を寄せながら言い返す。しかし、ジルもそこで切り上げず言葉を返した。


「でも、じゃあ聞くけどさぁ……お前、今まで謝った回数覚えてるだろ?」

「んな訳ある……か」


 その時、ダルクの心に電撃が走る。


「……覚えてるわ。回数は言わないけど」

「……」


 ダルク自身衝撃だったのか、表情が驚愕に染まっていた。

 まさか本当に覚えているとは思っていなかったジルは、ダルクの人間性や信頼度が急降下していくのを抑える。頭が痛くなった。


「って、こんな話してる場合じゃ!!」


 こんな無駄話をしている場合では無い。探し求めていた『ヴァルディア』へと繋がるかもしれない痕跡が見つかったのだ。場合によっては今すぐデイルやグレイダーツへと連絡をし、2人に……。


「なぁ、これからどうするぅのぉ?」


 今考えている事を、土下座を辞めたダルクが茶化したような口調で聞いてくる。


「調査、続ける? それとも魔導機動隊に通報して撤退?」

「撤退なぁ……」


 難しいだろうな、とは言葉に出来なかった。余りにも深く踏み込み過ぎた『喀血事件』だが、今回の事件に魔王の影がある時点で、自分は引くに引けない。それから、部屋を調査されるのはマズイ為に今すぐ魔導機動隊を呼ぶ案も省かれる。そう思い、一先ず彼等に連絡を入れようと携帯端末をポケットから取り出したジルに対して……分かりやすく頬を膨らませて怒ったアピールをしながら、ダルクが口を開いた。


「なー、人を無視して電話はないんじゃねぇの?

 つーかさ、そんなに警戒する意味が分からんのだが。第一、ヴァルディアって誰だよ」

「は?」


 ジルの手から携帯端末がすり抜け、床を転がった。


「お前……」

「んだよ?」

「もしかして、俺のPCにある『ヴァルディアへの調査ファイル』……覗いてねぇのか?」

「……あの5重に鍵が付いてたファイルか?」

「……おう」

「いや……やけに厳重だったからさ、ジル公がナニする用の動画コレクションだと思って見てないぜ?」

「はぁー? おーぃ、おいおいおい」


 やっちまった、ジルはそう思った。ダルクは知っているだろうと思ったから話に魔王の名を気にせず出していたが、彼女は知らなかった。

 そう、知らなかったのである。しかし今、彼女はヴァルディアという存在を認知した。隠すべき事を……つまり彼女に『面白そう』な事を言ってしまった訳で……。


「……へぇ、何々、また面白そうな案件かな? 口滑らせてザマァ、さぁさぁ観念して話せよジル公」


 案の定、この台詞である。


「面白くねぇよ?」

「声震えてんぞ。いいから話せって。協力してやるから。……もし嫌だって言ったら協力者全員にジル公の性癖バラすぞー?」

「てんめぇ……」


 こうやって、脅しをかけて嫌なところまで首を突っ込んで来る。

 だからジルは……自身の不注意に対して深く深くため息を吐き出した。


………………


「ますます、この案件から降りれなくなったなぁ。そう思わねぇかジル公さんや」

「降りるつもりなんざ、ミクロ単位で無いくせしてよく言うぜ」

「そりゃなぁ……にしても、世界最強のテロリストに洗脳されたのか私は……」


 何か思うことがあったのか、言葉を噛むように言いながら感慨深くダルクは呟く。そして、次に見せたのは不敵な笑みと、鷹のような鋭い眼光であった。


「気にくわねぇ……」


 くぐもった声に含まれた言葉の苦味。今にでも唾でも吐き捨てそうな雰囲気で、ダルクは片目を閉じ深呼吸をした。


「しかし、この私に催眠をかけるとは。常に対策はしてんだどなぁ……面白い」

「俺からすりゃ面白がってほしくないんだけど」


 ジルの心配を無視して、ダルクは勢い良く立ち上がった。そしてビシッと指をジルに向けると


「よーっし、とことんやるぞジル公!! 時間が勿体ねぇから即行動だ。

 英雄達に電話すんだろ、私は先にロン・イナニスの寝室を調べに行ってくる」

「ちょ、待て!! もしかしたらまだ罠が」


 警戒から慌てて止めようとするジルに、ダルクはトーンを1つ落とし、低く重い声で呟く。


「ねぇな。私の精神で破れる程度の魔法だぞ。仮に英雄達と対等に渡り合った魔法使いの魔法なら……ジルが私の足を撃つなりして、外から干渉しないと破れない筈だ」

「……何が言いたい?」

「要するに、魔王さんは本気の罠を仕掛けていないってこった。まぁ、この場合、罠と呼べるのかは分からないけど。

 仮に罠なら、(やっこ)さんは私達の存在を知った上で何かしている。罠じゃないなら、ロン・イナニスに向けた何か。考える事がいっぱいで楽しいねぇ」


 それだけ言うとダルクは無言で隣の部屋へと歩いて行った。


 本気ではない。


 ダルクの言った一言がジルの中でジワリと広がる。『喀血事件』を起こしたのがデイルやグレイダーツの語る『魔王』で、この事件そのものが民間人に対するテロ行為だと考えるならば……謎は多いが確かに『生易しい』と思わなくもない。


 いや、それだけじゃない。これは完全に人間を冒涜した『遊び』にすら見える。今までだって狂人の類は数多く見てきたからこそ、なんとなくだがそう思った。


「あいつの言い分は、もしかしたら的を射ているのかもしれないな」


 魔王が絡んだ案件である以上、ある程度情報を集めてからでないと魔導機動隊には頼れない。あれはあれで、国の重要な機関だ。下手に上層部に知られると、面倒ごとになり、2人に迷惑がかかる可能性がある。


 それと、ダルクは恐らく……給料が出なくても、この件から引く気はないだろう。面白いだけでなく、いつになく苛立った様子なのがその証拠だ。あの『愉悦が第一』という腐った人間性を持つダルクの自尊心に、少しでも傷を付けた魔王。そして苛立ちを隠さず睨みつけるような、あの目つき。彼女は……この借りの落とし前をつけようと躍起になっている。完全に逆恨みな気もするが。


 まぁ、しかし……どの道、自分も降りるつもりなんてない。結局の所、ここの調査は続行しなくてはいけないのだ。これは確定事項である。

 ならば、人間性は兎も角、優秀な魔法使いであるダルクの存在は心強い。


 そう決断し、ジルは最初にやるべき事をする。


 2人への報告と、現状のレポートの作成だ。レポートと言っても稚拙なものだが、人間いつ何処で見落としをするか分からないもので。

 感情か感想なども含めて、更にメモを書き足していった。


 余談だが、ダルクに白昼夢を見せたあの『紙』は、回収される前に彼女が拾って、魔法の炎で綺麗に燃やしてしまった。


……………


 ここに来てどれ程精神が鍛えられただろうか。今なら何が出て来ても大丈夫な気がする。そんな風に慢心しながら、ロン・イナニスの寝室であろう扉を開くダルク。そして、口から出た第一声がこれである。


「わぁーすげぇー……ッおぇ!! やっぱ凄くねぇな、普通に気色悪りぃ。つーか、なんだこれ……。

 良い趣味してんじゃねぇーの」


 皮肉をこぼしながら、短く溜息を吐く。

 この部屋に来てから、精神を大幅に削られる光景を見て来た。だが、ここに来て更に精神が削れるとは思ってもいなかった。


「よくこんな部屋で寝れる……あっ、もう永眠してたな……」


 ダルクは久々に味わう疲労感に苛まれながら、物色を開始するのだった。

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