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夏に潜む者『冒涜の跡』⑤

 脱衣所兼、洗面所。洗面台はよくある白い陶器作りで、壁には縦長の鏡がある。その隣には洗濯機が鎮座していた。


 そして、そこには『普通』とはかけ離れた『非現実』が幾つも存在していた。


 鏡はまるで鈍器を叩きつけたかのように綺麗に割れ、所々に血痕が付着している。割れた破片は洗面台の上に散らばっていた。それから脱衣所には何かを引きずったように風呂場へ向かって一直線に血の跡が残っている。


 しかし、これならばまだ『異様』であって『非現実的』と呼ぶには値しない。ならば、なぜ『非現実』的と表現したか。それは、洗面所に置かれていた桶、その中にある一つの肉塊のような物にあった。


 ジルとダルクは生理的嫌悪感から逃げ出したい気持ちを堪えて、桶の中をよく見る為に、身を乗り出し覗き込んだ。


「こいつぁ……なんだ?」

「……なんだって、胎児の木乃伊?」

「に、しか見えないよな?」

「でも、だとしたら、なんでこんなとこに?」


 そこには10㎝程度の大きさだが、人の形をした『ナニカ』が生き絶え、木乃伊のように干からびていた。周りには血のような跡が乾いてこべりついている。

 姿形から断言はできない。しかし、手も足も霊長類らしく五本指があり、頭部を見るに猿ではなさそうだ。干からびているからこそ骨の形状もよく分かる。

 それから、明らかに偽物ではない事も分かる。見た目の質感と、残った血の跡は見間違うことなく本物のソレであった。

 だからこそ、ジルもダルクが口にした通り『人の胎児』の可能性に同意する。



 しかし、だとしたら何だ、これは?



 ここにはロン・イナニスの失踪した原因を探しにきたのであって、この様な精神の削れる遺体があるなんて露ほどにも思っていなかった。『何かがある』と身構えていたが、だからこそ逆に混乱してしまう。異常、異様には慣れていたが、こんな物を見たのは初めてだ。魔物だってここまで不気味な者は少ない。


 苦い顔で木乃伊から目を背けるジル。そんな彼とは正反対に、ダルクは冷静に胎児を観察し、推測を口にした。


「……死後、だいたい一月くらいか? でも、死んで蛆が湧いたら骨だけになるだろうし……んむぅ」


 ダルクはポケットからルーペらしき小さな曲面状のレンズを取り出し、胎児の遺体を上から下までなぞるように動かす。そして、考え込む様に髪を弄り、ポツリと一言、不可解な事を呟いた。


「……ジル公、もしだ。もしもこれが、人とか関係なく『少なくとも動物の遺体』ならさ、『臓器が無い』のはおかしくねぇか?」

「は? 臓器が無い?」

「見た限りだと、こりゃ皮と骨だけの木乃伊だぜ」


 ジルの間の抜けた問い返しに、ダルクは真剣な声で続ける。


「……木乃伊になった原因を考えてみて、真っ先に胎児の遺体自体が小さいのと、夏の暑さで乾燥した可能性が高いと思った。

 けど、余りにも皮膚が綺麗だ。そこでまず木乃伊を作る方法として有名な『臓器を取り出して乾燥させる』方法を思い出した。エジプトの木乃伊はその辺で有名だしな。それに臓器……つまり食う肉が無ければ蛆虫も湧きようがねぇ。と、んな考えから観察したんだが本当に臓器らしき膨らみが無いんだもの。このサイズなら、少なくとも心臓はあるはずなのに……そして話はここからなんだけど」


 ダルクは次にピンセットを取り出して、赤子の背を挟み裏返した。そして、もう一度上から下までルーペをスライドさせる。そして、そっとジルの肩に手を置いた。


「不可解だぜ、本当に不可解だ。どっかの狂人が妊婦を襲って赤子を取り出し木乃伊を作ったって事なら……まだ『事件の範疇』で解決できる。でも、こいつには『施術された跡が無い』」


 ここまでくれば、ダルクの言わんとする不可思議で不可解な胎児の謎にも検討がついた。


「……つまり、『元から内臓の無い、胎児の遺体が木乃伊化してる』って事か。って、施術の跡がねぇって事は、『臍の緒』も無いのか?」

「どういう訳だかな。気持ち悪いぜ……こんな意味不明な遺体見た事ねぇよ」


 流石に精神的にクるモノがあったのか、ダルクはブルリと背筋を震わせた。ジルはそれをダルクの手越に感じ取り、頭を振って気合を入れ直す。

 胎児の遺体があった事実自体が不可解だったが、ダルクの観察の結果更に不可解な謎へと変わってしまった。最早、考察云々の話ではない。ロン・イナニスは間違いなくヤバイ案件に……それこそ『喀血事件』なんて霞む何かをしてしまったようだ。


 そして、ここから先に待ち受けるのは目の前の胎児以上に、非現実的で異質、異常で、人の生理的嫌悪を突くような光景が待っている。


 ジルは胎児から目を離し、風呂へと続く扉へと目を向けた。スライド式らしい磨り硝子の扉、その向こうは赤黒く変色した光景がモザイクがかったように見えていた。


 汗が背を伝う。これは暑さから来る汗ではなかった。


「……あんまり悠長にしてらんねぇな」

「だな、ジル公。さっさと終わらせて、ここから離れよう」


 ジルは風呂へ向かう前に、一応木乃伊を携帯端末のカメラで撮影し、気は全く乗っていないが男として、率先して扉へ向かう。奥にある物が薄っすらと見えてしまっているからこそ、並大抵の勇気ではその先を見れないだろう。それは、場数を多く踏んでいるジルですら中々慣れない光景で。


「すー、はぁー……行くぞ」


 深呼吸をし覚悟を決めて、扉の取っ手に手を掛ける。そしてジルはゆっくりと扉を開き……吹き出すガスらしき風を全身に浴びた直後、渾身の力で扉を閉めた……。


 ……ジルは扉の隙間から見てしまった、向こうの景色を思い出し


「ぅおえっ、ちょいまち吐きそう」

「おーい、ジル公。吐くのは勘弁してくれよ……」

「そう言うなって……ってか、お前見ない方が身の為だぞ」

「はぁ」


 蹲って、吐き気を堪えるのだった。その傍で、ダルクは、ジルの情けない姿に呆れた声を出したのだった。


……………


「でも、見るなと言われたら見たくなる訳で」


 蠅の音が微かに聞こえる扉に、ジルを放置してダルクは顔を向ける。カリギュラ効果のせいか、ジルの姿を見ていると生理的嫌悪感を興味や好奇心が上回った。


「確実に精神が削れるか吐き気を催す光景……ふむ」


 嫌だ、そんなの無理して見る必要はない。自身の底から訴えかけてくるような意見を心が訴えかけてくるが、それとは正反対に体は動く。ダルクは、片手でそっと風呂場への扉に手を掛けた。


「ご対面ッ!!」


 言葉の勢いとは裏腹にゆっくりとほんの少し隙間を開け覗き込む。




 そこには、生き物全てをまるで玩具にしたかのような、冒涜の痕跡が山のように積み上がっていた。




 タイル貼りの浴室の床、そこには積み上がる肉らしき赤黒い物体が腐った果実のようにして変色し、グジュグジュに腐敗した箇所に大量の蝿が集っている。所々には骨らしき白い棒やカケラが突き刺ささり、更には歪な形をした頭蓋骨まで幾つか落ちているのが見えた。

 形は人のソレと大凡同じ構造の頭蓋骨だが、後頭部が長かったり、口に当たる部分がごっそりと抜け落ちたりと、どれもがどこかしら異形である。


 それから、人の身体のパーツらしき部位もあった。まだ腐りかけだからこそ形を保っているソレらは、腕や足、胴体から始まり心臓や腸らしき臓器まで多種多様。しかし、異常に腕の数が多かったりして、別のパーツに反してこの量はおかしいとダルクは感じた。


 壁には殴りつけたような血の痕跡が、文字のように広がっているが、何と書いてあるのかは見当がつかない。


 そして、最後に浴槽あったものであるが……二言で説明するならば『血溜まり』と『遺体』である。

 血の風呂に浸かるように……女性のものであったのだろう体格の、皮がふやけて腐敗した遺体が一つ浸かっている。水死体特有の皮膚の膨張やや凸凹などがあったが、ダルクには何故か女性の遺体が、元は美人だった事が分かった。それから血溜まりには、腐敗が進んでいるのかポコポコと小さなガスの泡が浮かんでは消えてを繰り返している。


 醜く嫌悪も生理的恐怖の湧き上がる光景は、現実離れし過ぎていて……まるで1枚の異様な絵画を見ている気分になってくるダルク。


「oh……」


 しかし、絵画のように美しくはない。そこにあるのは紛れも無い『現実』。それを脳が理解し、風呂場の光景を再認識してしまったダルクは、吐き気や気分の悪さより先に、精神が削れて気が遠くなっていくのを感じる。そして、ふらふらとした足取りで後ろへ後退り、思わず転けて尻もちをつきそうになったところで、誰かに肩を支えられる。その誰かとは、1人しかいない。


「だから見るなって言ったろ……?」


 気分の悪そうな声色、それでいて呆れたような口調で言うジルに、ダルクはガスマスクの奥で苦笑いを浮かべた。


「ははっ、今回はマジでそうしとけばよかったぜ」

「……だいぶ、参ってるようだな」

「そりゃ、あんなのを見たらな……」


 ダルクが自力で立ち上がると同時に、ジルはサッと風呂場へ続く硝子扉を閉める。

 それから2人共言葉を発するまでも無く、即座に洗面所から離脱して、扉を閉めた。


「……一旦、外に出るか」


 ジルの提案にダルクは頭痛を堪えるように手を頭に当てながら応える。


「大賛成」


………………


 外に出て玄関の扉を閉める。それからダルクはガスマスクを取って夏の湿った空気を肺いっぱいに吸い込んだ。


 生暖かく普段なら逆に気分が悪くなりそうな空気だけれど、今のダルクとジルにとっては、爽やかで美味しく感じる程、澄み渡っているように感じる。


 そして、柵に背を預けながらダルクは浴室の光景に一言、的確な感想を呟いた。


「おーぅ、Crazy(狂ってる)……」


 ダルクが呟くと同時にジルも柵に腰を預け、空を仰ぎ見ながら口を開いた。


「本当に狂ってらぁ……ロン・イナニスは、本当に人間なのかねぇ」


 あの光景を作り上げたであろう、失踪した家主。写真では好青年に見える彼が、アレを作った事を考えると。


「彼が全部やったのか、それが問題だよなぁ」


 この際、死体達の出処はあとで考えるとして、純粋な疑問だ。アレだけの人体の解体を、彼1人が行えるものなのだろうか。それが出来るとしたら、最早、狂人を超えた化け物だ。精神的にイカれた殺人鬼ならもしも……と言えなくもないが、調べから彼の素性や学校での評価は概ね良好。とても、素面でこんな事をできる人間とは思えない。


 しかしだ、やったからこそ……ここを立ち去ったのなら『失踪した理由』にはなる。あとは、『共犯者』がいる可能性も視野に入れて……。


 そんな風に思考するジルに、漸く立ち直ってきたダルクが口を開いた。


「さて、じゃあ再トライしますか」


 顔色は悪いが、不敵な笑みでダルクはネックレスの鍵を掴み《鍵箱》を起動させた。瞬間、歪んだ空間から手の平サイズの黒い球体が2つ落ちてくる。球体の全体には、小さな穴が幾つも空いていた。


「おいおい、何する気だ」


 当然、いきなり謎の物体を取り出したダルクにジルは問いかける。ダルクはジルが問いかけてくる事を予見していたのか、長文をスラスラと口にした。


「悪臭の原因は間違いなくあの風呂場で決定だろうと思ってね。そんでもって、『何かに使用した遺体の廃棄場所』になっていた可能性が高い。そう考えて、私はリビングには死体は無いと推論した。あとこれは、私の友達2人が合作で作った『脱臭炭爆弾』」


 ……『脱臭炭爆弾』とやらが気になるが、ジルは推論の方に意識を向ける。

 正直に言えば、ダルクの考えは分からなくも無い。だが、決定打に欠けている。


「そんなの、見てみないと分からんぞ? 向こうも遺体だらけかもしれない」

「かもね、でも、だったら防腐処理はされている筈だよ」

「はぁ、なんでそう思うんだ?」


 ダルクは片目を瞑り、大仰な仕草で腕を回してから、自身の顔の前で指先を下にして手をかざし、人差し指以外の指を閉じる。


「まず1つ。あの風呂場には『排気口があった』。あれだけのガスの圧力だし、配管を通って他の部屋に流れ込んでいてもおかしくはないし、だからこそ悪臭の苦情があったのだと考えられる」


 次に、中指を立て


「2つ、私達はここに来るまでに悪臭を感じる事は無かった。それ以前に玄関前からですら臭いがしなかったろ? その事を踏まえて……悪臭の原因はあの風呂場で間違いないと考えられる。あと、ここの大家さんに事前に聞いた時にこう言ってたぜ、『寮内で苦情はあったが、近隣からは聞かなかった』ってね」


 意外としっかりした考察に、ジルは感心しつつ黙って続きを促した。

 ダルクは薬指を立てる。


「3つ、腐敗した期間は、最低1ヶ月だと私は思う。蛆や蝿の数……それから、腐敗の進み具合と臭いからな。

 あと、遺体を破棄する場所になっていた風呂場には少し足場が残っていた。だから他の部屋に遺体がある可能性は10%以下だと推測する」


 ダルクは言うだけ言い切ると、踵を返し玄関の扉の取っ手に手を掛けた。


「そして最後になるけど……ここまできたら、調べ尽くさないと帰りたくても気になって帰れねぇ!! だから、行くぞジル公!!」


 ダルクはガスマスクを着けずに玄関を開けた。すぐに臭い対策を……そう考えたジルだが、風呂へ続く扉を閉めたお陰なのか、微かな腐臭しか感じない。


 もし、リビングにも遺体があれば、もっと臭いがしてもおかしくはない。ダルクの推測は、大凡当たっているのかもしれないとジルは思う。


 そんな彼を他所にして、ダルクは手に持っていた『脱臭炭爆弾』を部屋の中にぶん投げた。ジルは突然の事に止める間もなく……次の瞬間、ダルクは足を使って勢い良く扉を閉めた。


 ダルクが扉を閉めて一拍の時間が過ぎると、「バッゥン!!」何十個もの風船が一斉に割れたような爆発音が響く。


 突然の爆発音に驚き心臓をバクバクとさせるジル。


「……心臓止まるかと思った」

「ははっ、冗談上手いなジル公。んな事で心臓止まってたら、あんたとうの昔に死んでるだろ」


 睨むジルの視線から目を逸らし、悪気を全く感じていないのか、快活な声でダルクはジルの呟きにツッコミを入れながら玄関の扉を開いた。


 すると、白い煙のような靄と共に、柑橘類らしき爽やかな香りが漂ってくる。『脱臭炭爆弾』とやらの凄まじい効果に、ジルは少し驚いた。


「んじゃ、レッツゴー!!」


 ダルクは元気な声でサムズアップしてから、ガスマスクを《鍵箱》で片付け、悪臭の消えた玄関へと再度踏み込む。

 そんな彼女の背中を見ながら、ジルは小さな溜息を吐くのだった。

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