夏に潜む者『喀血事件』③
夏の日差しに熱せられたコンクリートが熱を溜め、ゆらりゆらりと蜃気楼を揺らめかす。
喀血事件&失踪事件の捜査1日目。
その日は雲1つ無い快晴で……だからこそ最悪の日であった。コンクリートジャングルの都会なせいもあるが、単純に陽射しが強く、コンクリートから反射する熱が肌を煽る。もはや暑いのではなく『熱い』領域まで達していた。
……どうも地球温暖化は、魔法の力ではどうにもならないらしい。
「暑い」
「くそあち……」
仕事以外で外に出るのは躊躇われる、そんな気温の中。とあるコンビニ前、駐車場の日陰にある縁石に座り、アイスを貪り食べるジルとダルクの姿があった。
2人の頰には大粒の汗が伝い、コンクリートに落ちた滴は即座に乾く。
「あかんでジル公……今日外出るのはあかんて。これはあかん、あかん」
「可哀想にダルク。暑さで遂に語彙力が……」
「ジル公の声にも、全く気力が宿ってないじゃん」
「この暑さの前に、気力なんざ持たねぇよ」
「全く同意。見ろよジル公さんよ……都市部の最高気温30度越えだとよ」
「あっつ」
携帯端末を操作しながらダルクが告げた、現在の気温にジルはがくりと肩を落とした。
そんな彼を横目で見ながら、ダルクはソーダアイスの最後の一口を齧り終え、棒を道路に向かってぶん投げた。放射線を描き綺麗に飛んで行ったアイスの棒だったが、普通に落下し地面を転がる。
ジルは横で堂々とポイ捨てをするダルクをジト目で睨みながら、嗜めるような優しい調子で口を開く。
「ダルクさんや、ほんの数メートル先にゴミ箱があるでしょ?」
「あんたは私のお母さんかよ」
ジルからのお叱りは、台詞に反して言葉に力も棘も籠っていない。しかし、そのせいなのか、罪悪感がほんの少し湧き上がってきたダルク。だが、ここで自分の個性を曲げる訳にはいかない。ナチュラルクズを地でいく彼女は、無駄に思考を回転させて言い訳を吐き出す。
「ジル公や。あのアイスの棒はね、雨や風に晒されて……やがては腐って土に還るんだ。そして、新たな命を育む為の糧になるんだよ。そう、命は巡るんだ。
だから私はね、ポイ捨てをしたんじゃないんだよ? 命のサイクルに、あのアイスの棒を加えてあげたい、そんな地球への親切心でやったんだ」
どこか達観した目で言うダルクに、ジルは力なくツッコミを入れた。
「そうだな、土に……って、お前が捨てた場所、コンクリートの上やないかーい」
「うーん、3点」
「せめて10点だろ」
漫才のようなやり取りは、凄まじくつまらなかったが、おかげで少しだけ涼しくなった気がした2人。
そして、ジルはため息混じりに返し、残り少なくなったソーダ味の棒アイスを食べ切った。
それを合図にスクッと縁石から腰を上げて、ダルクへと口を開く。
「よし、休憩終わりだ。ポイ捨てした棒拾ってこい」
命令するような口調で、ダルクの投げ捨てた棒を指差すジル。そんな彼をダルクは「ふっ」と小馬鹿にした感じで、鼻で笑った。ジルはダルクの反応に、多少なりとイラッとする。
「ジル公、私はね、常々思っている事が一つあるんだよ」
「あ?」
突如、勿体ぶった口調で言いながらゆっくりと立ち上がるダルク。彼女はそのままダラリとした足取りで歩みを進めながら、しっかり聞き取れる声量でこんな事を言った。
「環境破壊は気持ちがいいな、ってさ」
振り返ったダルクの表情は、清々しさで溢れていた。そして再び目的地へと進み出したダルクを横目に、ジルはちゃんとアイスのゴミをゴミ箱に叩き込んで呟くのだ。
「駄目だなあいつ……もう手遅れだ」
未来ある若者がこれかと、20代でこの世界の行く末を嘆くジルであった。
………………
調査を始めるにあたって、喀血事件の現場を回るか、ロン・イナニスの家宅捜索から始めるかで悩んだ。だが、「今更現場見たって何も無いって」とのダルクの台詞にて(それもそうだな)と同意したジルは、始める場所をロン・イナニスの家宅捜索へ決定した。
決して、この暑い中歩き回りたくなかったからではない。
そうしてメモ書きの地図を頼りに辿り着いた場所は、大型の学生寮であった。
1棟で50以上の部屋数がありそうな大型の学生寮は、寮ではなくホテルか高級マンショのような雰囲気を放っている。はっきり言って、学生のバイト料や仕送り程度でが住めるようには思えない豪勢な建物だ。
「ひゅーでけぇ」
「こーれだから、金持ちって奴は…….」
「世の中って理不尽だよな」
「ほんとにな」
イナニスから事前に、息子の通っていた学校の名を聞いていたので納得しつつも、どこか腹が立つジルとダルク。完全に貧乏人の妬みだが、万年金不足の事務所経営、その苦しさを知っている2人からすれば、住む場所だけにこれ程の大金を注げる事が羨ましく思うのだった。
さらに、失踪したロン・イナニスが通っていたのは、政治学やら医学なんかを専門にしている有名校であり、授業料も高額な一種の金持ちが通うお坊ちゃん専用の大学であった。つまりは、この学生寮も金持ち専用という事になる。
心の奥から、ささくれた気分になったダルクは、おもむろに懐から1枚の写真を取り出してみる。
事前にロージ・イナニスから操作の手がかりにと手渡された、ロン・イナニスの顔写真である。写真に写るのは……高身長の単発で爽やかタイプの短髪のイケメンで、人当たりの良い笑みを浮かべている。服装はスポーツでもしているのか、ビブスに半袖だ。
こんな爽やかさと青春の塊のような写真を見て、ダルクは青汁を一気飲みしたような気分の悪さに襲われて「オエっ」と喉を鳴らしてえずく。何故なら、自分には未来永劫決して訪れない爽やかさを垣間見たからだ。
言うなれば、実は意外と綺麗だけど生理的に気持ち悪いと感じてしまうゴキブリを見たような気分とでも言おうか。違うか? 違うな。
だが、根がクズいので、ダルクからすれば爽やかイケメンなんぞに思う感想などそんなものなのだ。
そして……多分、人はそれを『自己嫌悪』だと言うのだろうが、ダルクの辞書にそんな言葉なんて載っていない。それどころか、自分さえ良ければそれで良し、横の芝生が羨ましければ焼き払いたい。そんな性根が染み付いた、最早どうしようもない人間なのだ。
そんな彼女が、握り拳を作り、怒りを露わにさせながら吠えるようにほざいた。
「恵まれた人間とそうでない人間。これが、この世の闇か。まったく、腐ってるぜ!! 結局……世の中、金と運が全てかよぉ!! こんな……こんな世界……理不尽すぎる!! 私、ちょっと環境汚染して地球破壊してくる」
「やめーい!!」
ジルは言うだけ言ってから、何処かに走り出しそうなダルクの首根っこを掴み、引き留める。能力的や魔法のスペックだけは高い彼女が、本気で環境汚染などしようものなら……想像しただけで、胃が痛くなった。
その後、騒動を聞きつけた警備員に職質されたりしながら、ジルとダルクは学生寮へと足を踏み入れるのだった。
………………
エレベーターで3階まで登り、聞いていた部屋番号の場所まで廊下を歩く。その間に、ダルクとジルはここに来る前に職質してきた警備員から聞いた『苦情』について話し合っていた。
「悪臭、ねぇ?」
「外に漏れ出るって、相当だよな。実は中でロン・イナニスが死んでたりして?」
「んな事言うなっての……」
ダルクの不謹慎な言葉に、ジルは顔を顰める。そんな彼の視線を受けても御構い無しに、ダルクは続けざまに口を開いた。
「だってさぁ、私らの経験上……『悪臭=腐った物』って認識じゃんか。それに……悪臭のキツイ物は大抵が生モノだろぅ?」
「……最悪な事態は想定しといた方がいいな」
もしかしたら訪れるであろう、気力の削れそうな光景を想像して、2人は少しだけゲンナリと項垂れた。
「しっかし、そうなると最悪だぜぃ。こんなクソ暑い日だ、モワッと熱で蒸し返った部屋の中、悪臭に耐えつつ調査かよ……。虫も湧いてそうだし」
足取りが重くなりつつあるダルクを見て、ジルもまた嫌な気分になり天井を仰ぎ見る。それから「はぁー」とため息を吐いて後ろ髪を片手で掻いた。
「なぁダルク。ガスマスク持ってきてる?」
「あるぜ?」
「貸してくれ」
「5000出しな」
「……お前の辞書に『善意』という言葉は無いのか?」
「ある訳ねーだろ?」
可愛らしく小首を傾げニタリと嫌らしく笑うダルク。その笑顔に呆れたやら諦めたやら、色んな感情のこもった表情になるジルであった。こうなれば、自分が引かなければ話が進まない。
「わぁーったよ、必要になったら出すから」
観念した顔で言うジルに、ダルクは驚きの表情で立ち止まる。
「え? 冗談のつもりだったのに、マジで5000くれるの?」
「はぁ? 5000くらい誰でも出せんだろ」
馬鹿にされているのかと思い、語気を強めに言うジルに……ダルクは子悪魔のような、可愛くて邪気満載の笑顔を浮かべる。
「誰も単位なんて言ってないぜ?」
「……は?」
「了承取ったからな」
ポケットからボイスレコーダーをチラつかせるダルクに、ジルの顔は段々と青白くなっていった。
「ま、まさかお前……」
「という訳で、5000『ドル』の振り込みよろよろ」
ダルクは逃げるように走り出し
「待てやおぃいいい!!」
ジルもまた、足に力を込めて飛ぶ様に走る。
……その後、廊下と階段を使って壮大な鬼ごっこを始め無駄に体力を消費した。
………………
……数分後。漸くロン・イナニスの自宅前へとやってきた2人。何も調査が進んでいないにも関わらず、2人の顔には大きな疲労の色が滲んでいた。ダルクは舌打ちを鳴らしてジルを睨む。
「鬼気迫りすぎだろ。怖ぇよ。ってか冗談を本気にすんなよジル公……」
「てめぇの場合、冗談が冗談に聞こえねぇんだよダルク」
肩を上下させて荒い呼吸を繰り返すジルとダルクは、側から見ればまた通報されても不思議でないくらい怪しい。が、そんな事に気を割く余裕は、サウナのような暑さの中を全力疾走をし続けた2人にある訳もなく。
ロン・イナニスの部屋の扉の前で、柵に体を預けながら、ジルとダルクは会話を続ける。
「第一、よくよく考えりゃガスマスクが必要な状況って相当だな」
「そうだよ、だから使う事なんてねーって」
「ウルセェお前、金が無い人間は常に必死なんだよ」
そうして深呼吸を繰り返す。時折、ダルクの魔法で首元や太腿などを冷やし、充分にコンディションを整えた。
そして呼吸が落ち着いた2人は、改めて玄関扉の前へと立つ。
「にしても、臭い臭いと言われてた割には……」
「あぁ……別に変な匂いはしないな?」
鼻をすんすんと鳴らし匂いを嗅いでいたダルクは「はぁ」と小さな溜息を吐いた、
「こりゃ、大したモノはなさそうかな? さっさと調査して涼みに行こうぜ」
「だなー、さっさと調査して帰ろうか」
気の抜けた返事を返すジルに、ダルクも無駄な警戒だったなぁと気を抜いた。
その慢心を、後に2人は盛大に後悔する事になる。
ダルクの催促に頷きながら、ジルはロージ・イナニスから借りた鍵を扉の鍵穴に差し込む。それから力を入れて回すと、ガチャリと錠が解ける音が聞こえた。
ジルはドアノブを掴み、回して。
「よしっ、行くぞ!!」
……勢い良く扉を開けた。




