in wonder world ①
ベッドに入り、冷えないようにタオルケットをお腹に被せた。そして就寝前に少し読み進めようと、手には電車内で読んでいた本を持ってきている。
寝転がった姿勢のまま、ベッド脇にある小さな戸棚の上のテーブルランプの電源入れる。ぼんやりとしたランプの光と、窓から差し込む月明かりで充分文字が読める明るさだ。
そして表紙を開き、ページを捲る。パラパラと捲られたページは、栞を挟んでいた所で止まった。
リアは栞を抜き、ランプの光が良く当たる所に本を置きながら、態勢を変えて読書に入る。
田舎の地域は木々が多いせいか、窓を開けているだけで涼しい風が入ってくる。まだ8月の初め頃。田舎だから、エアコンは要らない時期だ。
そして、窓を開けているからこそ、綺麗な虫の音が耳に届く。まるで演奏しているかのように、小さな音色が無数に聞こえてくる。それをBGMにしながら本を読み進めていった。
さて、本の話に移ろう。
最初は勇者となる青年が聖なる剣に選ばれたが、しかし魔王の陰謀により剣を破壊されてしまう。しかし、そこで姉の聖なる力によって、一振りの剣を作り出し勇者に手渡すのだ。
なんかこう、そういうストーリーだと言われれば納得はできる。だが……ここだけ、微妙、というより適当な感じがしてしまう。確かに聖なる力とかそんなのがいっぱいで、魔法もある世界のお話だ。しかし、聖剣を運良く、しかも勇者の姉が生み出せるか? いや、物語なんだからツッコミを入れるのは野暮なんだけどさ。ストーリーが綺麗に、そして綿密に練られて構成されている分、ここだけなんか後付けの設定とご都合主義で貫き通しているような『違和感』があった。
そして、今から読み進める場面では、姉も戦争に参加して騎士と一緒に剣を振り回している。
……いやいやいやいや、なんでだ!
勇者が旅立つまで全くの非戦闘員扱いであった姉が、なんで最前線で暴れてるんだよ。
あっれ、おかしいなぁ?
騎士が命を懸けて戦っていたシーンまでは違和感が無かったのに、この『姉』というキャラが出た瞬間の違和感が尋常では無い。こんなんなら、無理して描写する必要はないのでは?
……まぁ、今時のライトノベルなんてツッコミどころ満載だし、コレもそういう類だったと思う事にしよう。というか、これ完全にこの『姉』が主人公じゃないか?
……勇者より、勇者している気がする。もうお前が主役やれよと言わんばかりの活躍っぷりだ。
けど、やはり最前線なだけあってか、この勇者の『姉』は、徐々に魔物や魔王の配下達に追い詰められて、窮地に陥っていく。
ここで突然、語り出して申し訳ないが……本を読む時は感受性を豊かにして、登場人物の心情を想像したりするのも楽しみの一つにしている。
だからか、この『姉』に、ある一つの疑問が湧き上がった。
この『剣を折られた勇者』の物語、その全ての登場人物達には、鮮明に内面や精神構造、考え方や人間性が描写されているのだが、勇者の『姉』には薄い行動の描写しかない。
つまり、今戦っている理由も、彼女の感情も分からないのだ。そして思う、勇者の『姉』は設定だと同い年だ。それなのに、弟の為に前線に出て、死を覚悟で戦いに出ている。
彼女は『怖く』ないのだろうか? 戦う事も、そして死を感じる事も。
「俺なら、怖いだろうな」
荒野で魔物に囲まれながらも、孤軍奮闘する少女。ある種、力があるのか無いのか分からないような少女だが、人1人の力には限界がある。
徐々に命を擦り削り、体力が尽き、最後には1人で死ぬかもしれない。否、今読んでいる場面から見るに、助かる事は無さそうだ。
それは、とても怖い。自分ならそんな孤独な死に方は嫌だ。
本の中の彼女の心情を想像し、自分と置き換えて恐怖を感じる。死する光景を想像し、彼女の勇気に敬意すら覚えた。ただの、本の中の登場人物なのに。
そして、リアは次のページを捲り……眉根を寄せた。
そこには奇妙な事に、短い一文だけが記されおり、後は全て白紙だった。
『なら君が変えればいい、体験すればいい。君ならば恐怖を乗り越える勇気を、手に入れる事ができる』
その一文を読んで直ぐ、羽毛のような柔らかい物に包まれる感覚と共に意識は暗転した。
…………………
ゴゥッと風の吹く音が耳をつんざく。その風は、まるで俺に起きろと言わんばかりに、耳の奥へ奥へと轟音を鳴り響かせる。
そして、風が吹くと同時に血生臭い鉄の匂いと、土の独特な匂いが鼻腔を突き抜けた。
背中にはベッドの柔らかなマットの感触は無く、ゴツゴツとした岩肌の上にいるように感じた。
「ん……?」
不可思議に思い目を開くと……眼前には何故か曇天が広がっていた。厚い雲は夕日に照らされているのか、オレンジ色に染まり、幻想的な雰囲気を醸し出している。
「……んん?」
俺は『空を見上げている』という事実に硬直し、呆けたように瞬きを繰り返す。自宅で本を読んでいたら突如、見知らぬ荒野に居たという事実に、思考が追いつかない。否、追いついたところで理解は出来ないだろう。
困惑し、意味が分からず、頰を汗が伝った。
「……何処だ?」
答えの出ない問いが頭の中で渦巻く中、取り敢えず情報を集めようと切り替える事に決めた。
リアは即座に身体を起こし、辺りを見回す。一面の荒野が広がっている。しかし、その至る所に、赤黒い液体をぶち撒けたかのような模様が出来ている。
そして地面に倒れ伏した、人らしき西洋甲冑に包まれた者と、様々な異形の怪物がいた。
「これ……」
西洋甲冑の中には、人が入っているようだ。鎧には肉片らしき物と赤黒い液体がへばり付いていて、生理的な嫌悪感が湧き上がる。
そして異形の怪物達は……『魔物』だろうか?
今現代、駆除部隊が設立されている為に一般市民が樹海にでも行かない限り見る事が少なくなった魔物だが……。蜥蜴のような見た目で人と同じ体躯の生き物や、蛸のような頭部と人の胴体を合わせた生き物。それから、犬に大きな蛇の頭が生えた生き物や、赤い攻殻に包まれた小型の翼竜らしき生き物まで、数え切れない程に様々な種類の異形達が死んでいる。その一部は、現代でも今尚目撃されている魔物も見えた。
その全てが生き絶え地に伏し、血を流している。そして、それらを見ていると、心の奥底から恐怖……いや、発狂とも言えるだろうか。そんな気持ちが上ってきて、湧き上がる吐き気から口元を抑えた。
「いったい……夢か? いや、いいや、違う」
夢……俗にいう明晰夢と呼ばれるモノを見ているのかと思ったが、込み上げる胃液の不快感や、肌を撫でる風、鼻をつく鉄錆のような匂いは……リアルすぎる。これは夢なんて生易しいモノじゃない。確かに『此処にいる』。
だが、なら何だ。
夢としか言えない怪現象、気がついたら見知らぬ場所におり、周囲には死体の山だ。
「……笑えねぇ」
よし、切り替えていこう。最も重要な事を考えるんだ。
……とは言ってもなぁ。
重要な事って、何を重視しなくちゃいけないんだ。突然荒野で目覚めて、周囲には死体の山。
死体の……いや、まてよ。
「もしかしたら、生きてる奴がいる可能性も?」
誰かがいれば、この場所が一体なんなのか聞く事ができるかもしれない。そう考えたリアは早速大声で周囲に呼びかけてみる事にした。
「おぉーいっ!! 誰かいないのかー!?」
リアの声は風のように吹き抜け、荒野で虚しく響く。その後、何度か呼びかけてはみたが……
「誰もいないのか?」
呼び声に対する反応は無い、動く影も無い。やはり誰もいないようだ。そして、ここには死体しか無いらしい。
そう諦めて……場所を移してみようかと思った、その時だ。
背後で「カチャリ」と金属の掠れる音が鳴った。
リアは少しだけ落ち着き、(あ、誰かいたのか? よかった……)と安堵から抑えつつ、振り返ろうとしたのだが……。
心臓が大きく脈打った。まるで、警鐘を鳴らすかのように。
嫌な予感がする。とても、とても嫌な予感が。
だが、確認しない事には何も始まらない。
そう思い、背後を振り返ると、一体の『黒い西洋甲冑』が立ち上がろうとしていた。
黙って幽鬼みたいに揺らめきながら立ち上がる西洋甲冑は、控えめに言っても不気味すぎる。だが、ちゃんと人の形はしていた。だからリアは震える喉を絞り、口を開く。
「おい、あんた……」
「大丈夫か?」と語りかけようとして、西洋甲冑の異常性に気がついた。
頭部の兜のスリットからは赤い光が走り、鎧の隙間からは黒い煙のような靄が溢れ出ている。そして兜の奥からは人ならざる者だと確信できる、低くくぐもった呻き声が低く響いていた。怖気が背中を駆ける。
アレの中身は何だ? 本当に、人なのか?
「……」
警戒心全開で後退りながら、西洋甲冑の動きに注視する。
さっきから鳴り響く心臓が喧しい。まるで……生存本能に語りかけてくるような、純粋な『恐怖』を感じていた。
そして、西洋甲冑はゆっくりとした動きで、近くに倒れていた死体から西洋剣を奪い取る。
それを見た瞬間、俺は戦闘体制に入った。アレは、明らかに此方へ敵意を向けている。さっきから感じる怖気は、殺気なのではないだろうか。デイルからの修行にて、俗に言う『殺気』や『敵意』といった気配を感じられるように、似た様な怖気の走る視線をぶつけられた事がある。
そうだ、今感じている恐怖の感情は、相手が自分を敵として見ているからか。『害する』という意思が籠められた視線は、実に分かり易い。
それを自覚したリアは咄嗟に両手へと魔力を巡らせて、剣を鞘から引き抜くような仕草をする。引き抜くは、自分が今1番信用できる魔法である《境界線の剣》だ。
そして鈍い銀色の光を放つ西洋剣を、手の中から引き抜いた瞬間……『パキン』と、ガラスに罅の入ったような音が小さく聞こえた。
「え?」
音の出所は探すまでもなく。
突如、手にある《境界線の剣》が根元からポッキリとへし折れた。そして亀裂は持ち手まで伝い、粉々になって崩れさりながら空気中に溶けて消える。
「なっ、なぁ?!」
構築は完璧だった。幾ら精神的に不安定な状況でも、何千と繰り返した魔法を失敗する筈がない。でも、なら何で崩れた?
理由が皆目見当つかず、リアはおおいに狼狽えた。
ただ分からない中でも、一つだけ、今すぐにしなければいけない事は分かる。
目の前の西洋甲冑が剣を拾い上げた瞬間、上段に構えた。剣の刃が、命を刈り取らんと鈍く陽の光を反射する。
そう、するべき事、それはたった一つの行動のみ……。
「逃げるッ!!」
意味不明な状況から、命の危機。少し冷静になる時間が欲しい。そう考えたリアは、まず敵意を向けて今にも襲い掛かってきそうな西洋甲冑から逃げる事にした。
地面を強く蹴って反転し《身体強化》と《縮地》で飛ぶように距離を稼ぐ。
その刹那の時間に疑問を覚える。
(あれ? 《境界線の剣》は使えなかったのに、他の魔法は使えるのか?)
これまた、何故と疑問に思うが、今は使えるのならそれでいい。何度か《縮地》で長距離を移動する。移動する事に、段々と周囲が薄暗くなり、死体の数も増えていっていく。太陽が沈み始めたらしく、また死体は魔物らしきモノが多くなっていった。
そして、約10回程度の《縮地》による長距離移動で、大凡2、3km離れたところで立ち止まった。
「はぁはぁ……此処まで来れば流石に、追っては来ないだろ……。にしても、鉄臭い。血の匂いか?」
周囲を見渡せば、更に死体が増えていた。精神がガリガリ削られていく。いや、既に削られすぎて軽く現実逃避しそうなくらいだ。お家帰りたい。
というか再三、いや何度でも言うが此処は何処なんだ? さっきまで布団で本を読んでいたじゃないか、なのに突然こんな怪奇現象に巻き込まれるなんて……ん?
「まてよ、魔物って確か死んだ時は『灰』になる筈だよな? それに、この景色……いや場面か? 確か『剣の折れた勇者』の後半で死体の山が出来上がっていく描写があった様な……」
さっきまで読んでいた本の中で、人間と魔物、両者の攻勢によって両者とも甚大な被害を受ける、そんな描写があった。そして、その場面を空想すれば、今の景色と不思議な事に一致する。
それに現実の『魔物の生態との齟齬』と、本の中で登場する空想の魔物のイメージと見える景色の融和性。
まだ、認めたくはない……。認めたくはないが、一つの仮説が頭を過る。
「でも、まさかそんな事……本の世界とでも言うのか?」
本の世界にでも入り込んだのか? と、そう問われれば「馬鹿馬鹿しい」と否定したい。否定したい所ではあるが、現在進行形でこの異常事態だ。
「……本に何らかの魔法がかけられていたか、若しくはそれに準ずるものか。いや、夢に対して効果を及ぼす魔法かも?
まぁ、どちらにしても、もし本の世界なのだとしたら……まずいな」
否定してばかりではいられない。早急に抜け出す道を探さねば。
焦る理由、それは……本の中で魔物の軍勢に1人生き残りがおり、それを勇者の姉が一騎討ちで倒すといった描写があった。しかし、互いに死力を尽くした戦いにより、勇者の姉はそこでフェードアウトして、安否は不明だ。
さて、ではその生き残りとは誰か。言わずもがな、さっきの黒い西洋甲冑の魔物である。
そして気がついた事がフラグとなったとしか思えないくらい、ベストなタイミングで……背後から再び、「シャリシャリ」と鎧の掠れる金属音が聞こえてきた。
嫌な予感を越えて、確信を持ちながら勢い良く振り返ると。
「……うっそだろ、おい」
案の定、いつの間に移動してきたのかは不明だが、あの西洋甲冑が背後から数十mの位置にいた。
いや、『いた』という表現はおかしいか。
簡潔に言えば、なんか物凄いスピードで走りながら剣を構え、自分を斬ろうと迫って来ていた。つまり彼奴は数キロ先まで、たった数秒で到達できる程に『速い』という事で。
「逃さねぇってかくそ!! 《結界魔法》!!」
剣の間合いまで西洋甲冑が到達する前に、リアは結界の壁を張りガードしようとした。
しかし、次の瞬間には冷や汗を垂れ流しながら戦慄する事になる。
「おいおいおいっ!? マジか!?」
西洋甲冑は結界に一振り剣を振った。まるで豆腐を切るかのように、簡単に、スムーズに。そして剣の銀色の軌跡が走り抜けると、パリンと音を上げ結界に横長の罅が入り砕け散る。
「っ!?」
戦慄してる暇は与えないとでも言いたげに、西洋甲冑は振り下ろした剣を上に振り上げた。が、その前にどうにか《縮地》で後方に飛び、剣戟を浴びずに済んだ。
(……俺の結界、最近全く役に立ってない気がする)
そして、剣の折れたリアは……どうやって戦えばいいんだと冷や汗を流した。




