閑話
家に着いてから制服を脱ぎ、適当なTシャツ1枚を着てからコタツに入った時だ。ルナは既に帰宅しており、コタツでテレビを見ている。そんなルナと同じようにコタツに入ると、彼女は話を振ってきた。
「お姉様、お話をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
その話とは……考えるまでもなく分かった。
「話? 屋上でのこと?」
「はい、むぐむぐ……そうです」
みかんを食べながら肯定するルナ。暫し逡巡し悩む素振りを見せつつも、別に隠すような事柄でもないかと考え、要らない部分は噛み砕いて丁寧にあの時の状況を説明していった。
やがて、全てを聴き終えたルナだったが……。やけに静かだった。
どうしたのだろう、そう思いルナの顔を覗き込むと案の定、目から光が消え失せ、氷のように冷たい表情を顔に貼りつけていた。
またか。
今回はどうすればいい。そんな気持ちから戦々恐々とルナの一挙一動に目を見張っていると。
「お姉様、少し失礼しますね?」
そう言って、ルナはコタツから這い出でて俺の背後に立ち回った。そして何をするつもりかと聞く前に、ルナは突然、ギュッと背後から抱きついた。
「ええっと、ルナ?」
「先に謝っておきます……ごめんなさい。しかしお姉様、今からする事にやましい気持ちは一切ありませんので、できれば怒らないでください」
「うん?」
何に対しての謝罪か分からず首を傾げていると、胸の下付近に回されていた手が段々と下に向かっていった。
撫でるような手つきに擽ったさは覚えても嫌悪感は無かったので、やりたいようにやらせる事にした。
しかし、お腹付近を撫でるだけだと考えていた。だが、それは根っから甘い考えだった。いつも、ルナの行動は突拍子の無い事が多かった。
下腹部を撫でていた手はそのまま下へと下がっていき、股の間を下着越しに弄り始める。
優しい手つきに、思わず声が漏れ出た。
「ひゃっ……っん」
股の間を弄られる擽ったさと、こそばゆさに身悶え、ルナの手から逃れようと体をくねらせる。すると、ルナは追撃してくる事なく手を離した。
解放された事で、俺は小さく深呼吸をしながら呼吸を整える。驚きからか、心臓の音が大きく聞こえる。
股を弄った張本人のルナは、立ち上がりながら自身の両手を見つめる。
「……やはり、やはりですか」
光のない瞳が、更に暗く影を濃くしていった。それから、ルナはボソリと何かを確かめるように呟いた。
何のことやら訳が分からず頭にハテナが浮かぶ。彼女の表情が暗くなった要因は何なのだろうか。
とりあえず手掛かりを求め自分の下着を素手で確認してみたのだが、別に変な所はなかった。
そうして、確認を終えても分からなかったので、分からないならルナ本人に聞こうと思い、口を開く。
「……おーい、ルナー?」
顔を伏せフルフルと体を震わせているルナへと声をかける。すると、目にハイライトは無いが、強く力のこもった目つきでルナは目を見つめ直し、ギュッと強く拳を握った。そのままの勢いで、目と鼻の先まで顔を近づけるとルナは抑揚のない声で言った。
「お姉様、私ちょっと出かけてきます」
「え? いやいや、もう夜だよ? 何処に行くの?」
「……いえ、ちょっと生ゴミを解体しに」
「な、生ゴミ?」
「はい、お姉様が安心して生活できるように、処分してきますね」
ルナの声には、はっきりと分かるレベルの殺意が溢れていた。感情が感じられない能面のような表情で、しかし口元だけは笑みを浮かべている。……怖いなんてレベルを超えていた。
カチカチと歯が鳴るのを必死に堪える。
「まてまてまてルナ、俺は気にしてないから!! とりあえず落ち着け!!」
通路の前に立ち両手を広げ、大の字で通せんぼをすると、ルナは据わった目で見つめてくる。
「どいてくださいお姉様!! アイツ!! 殺しに行けない!!」
手に包丁を持ち、空気を震わせ叫ぶルナ。
いつの間に包丁まで持ち出していた。どっから出したんだと思ったが、冷静に分析している場合じゃねぇと、リアは切り替えて考える。どうやったらとめられるだろうか。
凶器を持ち、無表情で、目に光が無いルナ。しかし、目つきだけは鋭かった。
足が竦み、たらりと頰に汗が伝う。
ここで選択を違えば……どうなるか分からない。
だが我が身可愛さに、ここをもし通してしまえば、きっとギルグリアの事だ。あいつが五体満足で大切な妹を返してくれるとは思えない。
というか、ルナは何故こんなにも怒っているのだろう? 結局聞けなかったし、今は聞けるような雰囲気でも無い。けれどいくら考えても答えは出ず、首を傾げるしかない。何か琴線に触れた事があったのか?
一体何だ? 下着を弄った事と何か因果関係が?
(分からん)
流石にルナの行動にヒントもクソもない為、理解できようはずが無い。
でも、純粋に洗脳されかけた事だけに対して怒っているようには見えない。
……まぁ、分からないなら仕方ない。とりあえず今は……ルナの関心をギルグリアから逸らさなくてはいけない。こんな事なら隠しておけばよかったと一瞬思ったが、どのみちあのドラゴンは講師をするらしいのでいずれバレていただろうなと思った。
して、何を言っても、このままでは平行線だし、どうしたものか。
ただ、今のルナには『明確な殺意』というものを感じる。
ルナから溢れ出す殺意はまるで意識を持っているかのように、肌がピリピリと痺れるような錯覚がした。彼女が怒りを堪えるのも限界のようだ。もう、考える時間は残されてはいない。
ならば、いつもの方法で行くしかないだろう。
腹を括って、妹へと歩み寄った。
頑張ってくれと、なんか自分にあるらしい『母性』とやらに願いながら。
「ルナ……」
「お姉……様?」
刺激しないように名を呼び、ゆっくりと近づいて行く。そして、すぐ手で触れられる位置まで来ると立ち止まってルナの顔を直視した。
そして、包丁を持つルナの手を優しく包むと、ルナの手から力が抜けた。それを好機と思い、包丁を取り上げるとキッチンに置いた。
そんな自分に、ルナは怒りはしないが不機嫌そうに口を開いた。
「お姉様、そうですね、お優しいお姉様はおそらく、私では勝てないと思い身を案じて下さっているのでしょう。しかしです! 私は純粋に許せないのです!! たった1人の、大切なお姉様を……見ず知らずの男に奪われるなどっ!! それも、洗脳紛いの事までしてっ!!」
感情が抑えきれないのか、荒らげた声には悲痛さが含まれているのが分かる。
その気持ちは、分からなくはなかった。逆の立場ならルナと同じようにブチ切れて、相手を社会的に殺しに行こうとするかもしれない。しかし、物理的に殺そうと考えるのは流石に過激だ。
「落ち着いて、ルナ」
いつも通り、彼女をそっと抱きしめた。ルナはこちらの胸に顔を埋め、それからスッと身体の力を抜いた。
「ルナが俺の事を大切に思ってくれているのは嬉しいよ。だけどな、俺もルナの事はとても大切なんだ。だから、危険な場所に行かせる訳にはいかない。分かってくれないか?」
頭を撫でながら言うと、ルナは押し当てた顔をグリグリとしながら
「お姉様、ありがとうございます……。そうですね、少々……感情に身を任せすぎたのかもしれません。えぇ、もう大丈夫です、落ち着きました」
そう言って離れると、憑き物の落ちたようなスッキリとした顔でルナは笑った。
「色々と申し訳ございませんお姉様。しかし話を聞く限りだとそのギルグリアというドラゴンは私達の学び舎で教員をするらしいですね」
嫌悪感を全く隠す事なく、ルナは心の底から嫌そうな顔で言う。
それに関しては同感であった。寝ているうちに無理やり《契約》をかけてくる奴から学ぶ事など……いや、実際に戦ったあの時から卓越した魔法の技術を持っているのは分かってはいる。教わる事は多いだろう。しかし、今は関わりたくない気持ちの方が強い。
「その辺はどうにかして回避するよ」
そう言うと、ルナはとても可憐な微笑みを浮かべた。
「いざとなったら、私を頼ってくださいね?」
「うん」
可愛い笑顔の筈なのに、何故か暗いドロドロとした感情が含まれているような気がした。恐らく、本能でルナの内側に隠された殺意を、無意識に感じ取ったのだろう。
もし何かあったとしても、ルナにだけは頼ったらダメだと思った。
……………
時刻は夕飯時。晩御飯を作る為に台所へ移動する。
まず冷蔵庫を覗き、今晩は何か作れるかを考察しながら材料を取り出す。
「ところでお姉様」
キャベツを切っていると、コタツに入ってテレビを見ていたルナが何気無しに口を開いた。因みに今日のメインは回鍋肉だ。キャベツ、豚肉、ピーマンくらいで作れるので原価が比較的安くで作れるので庶民の味方な料理である。後は鶏肉があったのでソテーにして、それから玉葱があったのでコンソメスープでも作れば完璧な晩御飯だろう。
キャベツを切る手を休める事なく、ルナに相槌を打つ。
「何か用か?」
「用って程でもないのですが……何故ズボンを履かないのですか?」
「え?」
素で素っ頓狂な声を出してしまった。そんな自分にルナは続けて口を開いた。
「いつものお姉様なら、そんなズボラな格好はしないと思っていたのですが。あ、いや、決して悪い意味ではないですよ!?」
悪口ではないと弁明しつつ言ったルナの言葉に、即座に答えることができなかった。
(あれ、そうだよな……。いつもならルナの前でも恥ずかしいからって気をつけていたのに……今じゃ『家だし、別にいいか』って感情しかない)
慣れ、なのだろうか。女の体になってから恥ずかしいと思っていた事の幾つかが、今考えればもう恥ずかしくなかったりしている事に気がついた。
例えば、今なら恥ずかしさを感じずにルナとも風呂に入れる。
男の精神があったからこそ恥ずかしかったのだが、今恥ずかしくないと思える事は即ち、男としての精神、性欲が薄れているということだろうか?
(これは……傾いているのか。最早、手遅れなレベルで)
男の時にあったズボラさが前面に出てきているというのは、結果女として精神が傾ききった事への証明だ。
そして、肉体と精神が同化している今、男の考え方を残しつつも思考や感情なんかが女性のものを中心に成り立っている事にも気がついた。つまり、思考回路が女性のものを核としつつある。
そして、それを『やばい』『不味い』とすら思わなくなっている。
喉の奥が「グッ」と鳴った。
「男だった時でもパンツとTシャツ一枚で過ごす事もあったし、普通じゃないか?」
「そう……でしょうか」
「そうだよ」
ルナにそう返しつつも、キャベツを切る手が完全に止まっていた。
まさか、こんな行動一つに自分が女になったと思わされるとは考えていなかった。
だが、性欲的の方で物事を考えてみれば、恋愛対象は未だ女の子ではある。
男と付き合う事などありえないし、考えられない。それは、ギルグリアが自分を犯そうとした事に嫌悪感を抱いた事が証明だ。
だからこそ断言できる。恋愛対象は女の子だと。
けど、恋愛対象は女の子とは言え、やはりと言うべきか。傾ききって尚、残滓のようにへばりついて残った男としての精神にも微妙な変化が起きていた。
そう、今思えば……共同生活をする上で時々ルナの下着姿や裸を見る事があった。いつもであれば、恥ずかしさなどから「隠せ!」と言って目を逸らす筈なのに……今はルナの下着姿を見たとしても、そこに感じるものは家族としての感情と『同性』としての気恥ずかしさくらいだ。
また、女の子を恋愛対象として見つつも、そこに求める感情は体の関係というより……仲良くしたいと思う気持ちが強く出ている。
つまり、女の子の裸を見ても興奮できなくなっている?
そう考えた後で、しかし焦りは全く無かった。寧ろ(……まぁ、いっか)と直ぐに思考を切り替えたくらい、現状を軽く捉えていた。
理由は単純に『危機感を感じないせい』だ。危機感を感じない事に人は警戒心を持つ事はない。いいや、できないとも言える。本能的に無駄だと考え意味の無い事だと割り切ってしまうものだ。
そして、結果的に自分の事なのに、どこか他人事に思えてしまう。そういった考え方ができていると言う事はイコール、つまるところ『男に戻りたい』といった気持ちも消えかけている事で……。
しかし、リア自身が気づく事はない。何故なら、既に脳が、精神が、肉体が違うのだから。
そうして数分後には、料理の事だけを考えるリアなのであった。
自分の胸が邪魔で、料理がし難いと愚痴りながら……。
…………
1週間が経ったが、ここでギルグリアの現状を説明したいと思う。
ギルグリアは生徒達への講師から、裏方の作業員へと職場が移動になった。
まぁ、予想はしていた事だが……まさか1週間で移動になるとは思わなかった。しかし、それも仕方ないと思う。
何があったのか気になるであろう方に簡潔に説明するなら、授業内容が意味不明、それから生徒へ甚大なる危害が及びそうになった事が原因だ。
まず、授業内容だが、ギルグリアの担当となったのは身を守る上で使える攻撃系統の魔法指導だった。勿論、必修なので全員が受ける講義なのだが……その講義はあまりにも酷かった。
中身のある説明が全くない。ギルグリアが口を開けば「こう、ババっとやればバンッて炎が出るだろうが!!」と、説明の殆どが擬音でまとめられている。黒板すら使わない彼の擬音のみの授業に、学ぶものなど何もない。
それが上級生なら言葉のニュアンスで判断も出来たのかれないが……魔法を使う上で大事な『構成式』やら『魔法陣』やら『詠唱』やらの要素すら説明せずにそんな事を言われても、魔力の操作すら未熟な生徒のいる一年生が付いて来れる訳がない。あと、上級生ならと考えたリア自身も、正直一部だけ理解はできたがほぼ意味不明だった。
そんな理解できないと生徒に言われ続けたギルグリアは痺れを切らし、翌日、第1演習場で実施するから見て覚えろと授業内容を変えてきた。
それなら大丈夫かな? とクラスの全員が期待を込めて演習場に集まり、彼の魔法を見学する事となる。皆んな、説明が分からないのでせめて見て覚えられたらと考えていたのだろう。
そんな訳で俺も期待しながら演習場に向かったのだが……危うく全員死ぬところだった。
生徒が集まると同時に奴は「では、この我の力の一端を見せてやろう!!」と張り切り、魔法陣を展開させた。ドラゴンだという事をみんなは知らないせいで、彼が使う魔法陣の歪さとは裏腹に、青く綺麗な輝きから、どんな魔法が出るのかと好奇心が高まっていった。皆んなきっとワクワクしていた事だろう。
しかし、リアとレイアは顔を青ざめる。
魔法発動に必要な魔法陣を構成するに当たって、様々な文字が使われるが、その文字は現代のものだけでなく実は『古代の文字』というのも時に使われる事がある。ギルグリアのそれは、まさに古代文字のみで構成された魔法陣だった。
そして、彼の魔法をとある歴史書で読んだ事がある。所謂、魔力だけで水爆並みの爆発力を挙げる殲滅魔法だったと記憶には残っていた。
本来は数百人の魔法使いが同時に魔力を込め放つ魔法なのだが、流石はドラゴンといったところか。彼は1人でそれを放つつもりらしい。
しかし、忘れてはならない。ここは学校なのだ。そして、彼が何処に放つつもりかは分からないが、それが放たれれば被害は尋常ではないだろう。下手をすれば街まで殲滅してしまう。
彼は何を考えてその魔法を使おうとしたのだろうか?
たぶん、単にカッコいいからとかしょうもない理由なのだろうが、ここでぶっ放して無事なのはギルグリアだけだ。そこに、ドラゴンと人間の力の差や倫理観の違いを感じた。
そんな訳で、助走をつけて彼を蹴り飛ばす。時間がなく、尚且つ殴ったところであの巨体にダメージが通るはずもないと考えたのと、言葉だけで止めてもあのドラゴンには無駄だろうと思ったからだ。まぁ、正直焦りすぎて、止め方を考える余裕すらなかったのもあるが。
そのおかげで、彼の魔法陣への魔力供給を止める事はできた。しかし、中途半端に構成された魔法陣は軸を失って、軽く暴走を始める。
生存本能からか、反射神経並みの速度で素早く手に魔力を込め《解呪》を発動する。だが、複雑すぎて軸が分からず魔法を無効化する事ができなかった。
そんな俺の行動を見て、レイアが魔法陣を2つ展開させて二体の西洋鎧を召喚した。
リアも急いで短剣レベルの《境界線の剣》を2本生み出してレイアの西洋鎧に渡す。彼女は西洋鎧達がそれを受け取るのを確認すると、西洋鎧に魔法陣を切り刻むように命令した。
西洋鎧は素早く移動すると、目にも留まらぬ速さで魔法陣を斬りつける。
思惑通り、ありとあらゆる魔法を断ち切る剣は魔法陣を問答無用で切り刻んだ。
しかし次の瞬間、青い炎が大きく膨れ上がる。完全に暴走していた。
最後の抵抗と、レイアの西洋鎧は魔法陣の中央に突っ込んで《境界線の剣》を突き刺し炎に飲まれた。
生徒達も、いい加減ヤバイと思ったのか動揺する声が広がっていく。
けれど、レイアの西洋鎧のおかげで時間に猶予ができる。リアは素早く《結界魔法》の壁を4枚作ると、魔法陣を覆う。それから「パンッ!」と力強く両手を合わせた。
「《空間圧縮》」
とても久しぶりに使った気がする、結界で空間内を叩き潰す魔法を使い、更に残った魔力を全て強度を上げるのに費やした。そのおかげか、どうにか彼の魔法を圧縮し、破壊して止める事ができた。
止められた事への安心感から、思わず互いに抱き合い無事を確認した。ちょっと泣いたくらいだ。
だが、そんなリアとレイアに、事の原因であるギルグリアが「流石、我の妃。やるではないか」などとほざいたので、キレた2人は全力で蹴り上げた後踏みつけた。彼に暴力をふるった事に毛程も罪悪感など感じなかった。
その後、グレイダーツ校長が頭を抱えながら彼の役職を変更したのだった。以上が、ギルグリアが講師を降ろされた経緯だ。




