1学期⑭
「起きろ!!」
「ぐぅえ……」
腹に衝撃が走り、強制的に眠りから覚める。目を開くと目の前で腹をポカポカと殴るレイアの姿が見えた。
「やっと起きたか!! まったく君って奴は、君って奴は!!」
「い、痛い痛い! え? なに!? なに!?」
レイアはまくし立てるように怒りを露わにした。それからキッと強い視線を向けてくる。
「リア!! 君はもうちょっと危機感を持つべきだ!!」
「えっ、えぇ?」
それだけ言うと、レイアは殴るのをやめ、ソファに手をつきながら深くため息を吐いた。何故だか、只ならぬ哀愁が漂っているように見える。
そんな彼女になんて声をかければ良いのやら。起こした意味か、怒っている原因か、そのどちらを問えば彼女の機嫌を損ねないか判断に困り、モゴモゴと口の中で舌を動かしたその時だ。
スッと鼻腔を、鉄のような匂いが突き抜けた。違和感を感じ唇近くを舌で舐めると、鉄っぽい味が口いっぱいに広がる。
気味が悪くなり口を手の甲で拭うと、薄く掠れながら赤い液体が付着した。
「何これ」
困惑して液体を指で恐る恐る触っていると、レイアがいきなり肩に手を置いた。彼女はグイッと顔を近づけてきて、真剣な表情を作る。
「リア、これから言うことは事実だから、現実逃避しないで聞いてね?」
「あ、はい」
有無を言わさぬ強い声に、リアはコクコクと頭を上下に動かす。
それからは、眠ってしまった後の顛末を知る事になった。説明される度にレイアの危機感の無いと言う言葉がその通り過ぎて頭が痛くなる。
「……って事はこれ、ギルグリアの血か」
何より、ギルグリアに今後とも付き纏われる可能性が……いや、それは元から考えていたが、まさかそんな都合の良い魔法があるなんて普通は考えないだろう……。
(……あれ、ちょっと待て)
リアは眠気の残る頭で数刻前の記憶を掘り返す。確か、クロムさんが俺達を助ける為にある事をした筈。
「思い出した。確かギルグリアって、クロムさんの契約履行で俺達への魔法は行使できなくなったんじゃ?」
「甘い甘い」
そんな一縷の望みを、レイアはきっぱり否定した。
「契約ってのは、内容全てをこっちが有利にする事はできないんだ。だから、ギルグリアは『こちらに危害のある魔法』は使えないのであって……君をストーカーする『だけ』の魔法は使えるって訳だ。《逆式》はその名の通り、君には圧倒的に有利だからね、その法則は働かなかったんだろうよ」
「うぅ……そうなのか……」
なんてこった、と頭を抱えたくなった。だが、何処か心の中で諦めにも似た感情があったのは確かなので、割とすんなり気持ちを切り替える事ができた。結局、薄々付き纏われる気はしていたから。それは、別の言い方で現実逃避とも言えるが。
それに、いくら疲れと眠気に抗えなかったとはいえ、自衛できなかった自分の自業自得である。
ならば……諦めるしかないよね。
遠い目で笑顔を貼り付けるリアに、レイアは同情しつつも手を取って明るい口調で言葉を紡ぐ。
「はぁ、ま、もう考えても仕方のない事だし、いざとなったら僕に頼ってくれよ。君の為なら幾らでも力になるから」
その言葉に、目元が熱くなって少しだけ泣きそうになった。思えばここ数ヶ月、碌な事がなかった気がする。だが、それでもレイアと出会えたのは本当に幸運だったと思った。
あの時、ショッピングモールでの一件に首を突っ込んだのは、間違っていなかったんだ。
気持ちがどこか吹っ切れたように感じ、明るい声で返事をする。
「うん、頼る」
「任せてくれたまえ。じゃ、今更教室に戻るのもなんだし、このまま駅前のアイスクリームを食べに行こうじゃないか」
「そうだな」
屋上に放置していた鞄を掴みながら、楽しげな気持ちを隠す事なく手を引っ張るレイアに苦笑しつつ屋上を後にする。
グレイダーツはそんな2人の少女を、遠くから孫娘に向けるような生暖かい目で見つめ、それから安心したように微笑を浮かべた。
………………
静寂に静まり返った部屋。四方と床、天井は全て黒曜石のような黒いタイルが貼られており窓がない為に暗い部屋だ。そんな空間を仄暗く光る小さなランプだけが照らしている。
そんな部屋の端っこに、「ぐちっ……ぐちゅ……」と、生理的嫌悪感を感じる水音、それから何かが潰れたり擦り切れたりする音が響いた。何もないが故に、その耳障りな音はより大きく響く。
「この人形じゃ、やっぱりハルクちゃんは倒せなかったなぁ……ふふっ、ふふ……。でも、彼女達が撃退まで追い込むとは予想外だったわ」
空間に突如聞こえた声。
その声のトーンは成熟してはいるが、透き通るような声色は誰が聞いても美しい声だと言うだろう。そんな蠱惑的な雰囲気を放つ声の主は、クスクスと優雅に笑う。
しかし未だ「ぐちゃぐちゃ」といった音が、小さな声を掻き消すように鳴り続けていた。
「やっぱり……もう使えないかしら?」
声の主人が言葉を零すと同時に、ふわりと風が吹いた。結果、仄暗く光るランプが風に揺れ、部屋全体をゆらりと照らしていく。
そこにいたのは、大きな肉塊を切り刻む黒髪の女だった。
長く湿った艶を放つ髪は伸びきっており、床に着いてしまっている。顔は異常な程に整ってはいるが、人としてあるべき筈の人間性が全く感じられず、朱色の目に光は灯っていない。
まるで死人のような印象の女。しかし、口元だけは三日月に歪み、白い歯がちらりと覗く。そこには形はどうであれ感情といったものが感じられた。
しかし、狂気というべきか。美しくも異質な見た目だが、楽しそうな様子は側から見ても分かる。だが、やはり気味の悪い微笑だった。
また、着ている服は東方由来の衣服で有名な『着物』と呼ばれるものだ。しかし、元は何かの絵柄が書いてあったであろう布地は、元の絵柄が分からないくらい赤黒く変色しきっていた。
それから、頭部には人間の頭に存在しよう筈がない、曲がりくねった山羊を思わせる黒色の角が髪を掻き分けるように生えている。そして、この角が彼女が人間ではない事を証明していた。
そんな異質な容姿をした女の手には全く似つかわしく無い、銀の光を放つノコギリと刃渡り30センチの包丁が握られている。その真横には所々鱗や甲殻の残り、至る所に骨の付いた、巨大な肉の塊が鎮座していた。
女は包丁とノコギリを使い、肉を器用に切り落とす。大きな肉片は横との繋がりを失い「ぐちゅ」と音を立てて倒れていった。
その過程で生まれた肉の破片を手で掴み女は躊躇いなく口に含む。そして指先についた血を舌で舐め取り、艶やかな唇を朱に染めながら残念そうに目を伏せた。
「不味いわね、残念。もう直せない」
悲壮感を醸し出しながらも、切り刻んでいた巨大な肉塊を女は片手で触れる。その瞬間、黒く悍ましい炎が吹き出し肉塊を包み込んだ。
不思議と煙は少なかったが、それでも瞬く間に肉を焼く臭気が室内に立ち込める。しかし、女は気にする事は無く肉が焼けるのを眺めた。
程なくして、女は突然に「パン」と手を叩く。それを合図に立ち上っていた炎は勢いを瞬時に殺し、鎮火した。
残っていたのは灰色の骨と、大きな獣の頭蓋だけ。
「ふふっ、今度は何を作ろうかしら」
骨のカケラを手に取りながら、女は楽しそうに口元を歪める。だが、それも長くは続かず、興が醒めたのか退屈そうに「はぁ」と息を吐いた。
「本当に、楽しいわ……だけれど、やっぱり良いお人形は思いつかないわね」
女はそう言いながら徐に持っていたカケラを投げ捨て、青白い手を懐にいれた。そして、2枚の写真を取り出す。所々赤黒く薄汚れてはいるが、写真自体は鮮明に2人の人物を写していた。
そこに写るのは、黒髪碧眼の少女と白髪翠眼の少女だ。写真に写る本人達の目線がカメラに向かっていない事から、盗撮された物らしい。
女は写真を眺めながらうっとりと頰を赤らめ、涙で瞳を濡らし、高揚した表情で唇を動かした。
「リア・リスティリア。レイア・ヨハン・フェルク。私の一番のお人形候補。さて、次はどんな輝きを見せてくれるのかしら。
……けど赤龍を撃退できた時点で、私的には合格ラインなのよね……屈服させたら、さぞかし良い顔をしてくれそうだし」
悩ましげに呟いた後、暫くの間眺め続け、それから手に持っていた写真を懐に仕舞った。そして再び近くに落ちていた骨を拾い上げると、口の端を楽しそうに吊り上げる。
「でも、試練を与えてあげるのも楽しいから仕方ないわ。それにハルクちゃんも、できればお人形にしたい……ふふっ、なら……次は本気の傀儡をぶつけてみましょうか。
あの学校にちょっかいを続ける限り、ハルクちゃんは動かざるをえないでしょうし……」
光の無い瞳には、無表情な顔に似つかわしく無いほどの欲望が渦巻いていた。
そして、女の周囲を黒と灰色を混ぜ合わせたような鈍い光が、鳥の羽のように舞い始める。女の手にあるカケラは、その光に反応して無数の文字が虫のように這って行った。
それから数十秒。様々な破砕音や衝突音を鳴らしながら、骨はそれぞれが歪に砕け、混ざり、折れ曲り、そして一個の塊へと姿を変えていく。関節はめちゃくちゃなのにも関わらず、それはある意味、整合性のある形へと姿を変えた。
出来上がったのは灰色の骨を寄せ集めた異形の者。基礎は無く、無数の骨が台形のような形をとっており、崩れては引っ付いてを繰り返していた。さらに手足は数十本もあり、その足達が何キロもありそうな骨を支えているようだ。そして頭に当たる頂点には人の物を何倍にも大きくしたような髑髏が鎮座しており、それが余計に不気味さを醸し出していた。
そして骨の節々は、まるで命があるかのように軋む音をあげ、目の部分に当たる空洞に闇を携えた骸がゆっくりと頭部を持ち上げた。
「あぁ……おめでとう」
動く骸骨を祝福するように、女は髑髏の鼻先を優しく、母が子をあやすような手つきで撫でる。女の手が動く度に、髑髏の歯が「カタカタ」と音を奏でた。まるで喜びを露わにしているようだ。
「ふふっ、可愛い可愛い、お人形さん。いっぱい愛してあげる……」
薄く血色の無い唇を舌で湿らしながら、女は熱の篭った瞳で髑髏を眺める。その瞳に何が映っているのかは、彼女にしか分からない事だ。
それから女は骸から手を離し移動し、腰の高さくらいの長く太い骨の上に腰掛けた。
「貴方は彼女達の最終試験。だから、暫くは遊びましょう……さて、何をしようかしら? ふふっ、時間はあるのだし、のんびり考えましょう。でもその前に……」
右手を持ち上げ、線を描くように細い指が空を撫でる。すると、幾つかの黒一色に光る魔法陣が地面に描かれていく。
魔法陣が描かれるのと比例して、彼女の周囲に黒い魔力が噴き出した。魔力はまるで生き物のように畝り舞狂う。その魔法陣は人の法を超え、無数の闇を滲ませていった。
「邪魔者を、どうにかしないといけないわね」
……………
「知覚したのが遅れたかのぅ……」
樹海のように鬱蒼と木々が茂る森の中を、デイルは駆ける。老体とは思えない程に身軽な動きで、木々の隙間を縫うように駆けるデイルは、勢いをそのままに指を杖代わりにして座標を定めた。
「《結界魔法》」
瞬間、淡い光が爆ぜ、直径数キロはあろう正方形の巨大な結界が形成された。それと同時に結界内を黄金色の風が吹き抜ける。
黄金色の風が吹き抜けた後、木の影になっていた部分から人型の闇が滲み出るように現れた。表情の無いマネキンのような形の者だが、黄金の風に煽られたせいか心なしか苦しそうに蠢いている。
「此奴らは……ふむ、闇魔法ではないな」
逃げながら、デイルは追跡者を観察していた。その正体を突き止める為だ。
しかし、分かった事は2つ。影を移動する魔法は実際にあるが……それでもその類いでは無さそうだという事。それと、濁りきった魔力の塊は魔物のソレを思わせるものであり、生き物とは言い難い。そして、知性が殆ど感じられなかった。
どちらかと言えば、予め命令が設定されており、マネキン達はそれを遂行しているだけにしか見えない。つまり、召喚魔法に酷似していた。
そうなると、術者がいる可能性が出てきた訳だが。
「何故わしを狙うのじゃ……?」
デイルは異形達が自身を狙う理由が分からなかった。過去を鑑みても心当たりが無い。
しかし、そこに誰かからの悪意があるという事は嫌でも分かった。
「一体誰なのじゃ……分からんのぉ……。だが、此奴らは魔力の根元から消し去った方が良さそうじゃな……」
調べようにも、これ以上分かる事も無さそうだ。それに、魔物は濁った魔力から生まれる。このまま放置すればこれらは別の魔物へと変化する可能性もある為、これが最善であると結論付けた。
デイルは腕を大きく横に振る。腕から溢れ出る黄金の魔力が目の前に集まっていき光の塊を形成していく。その光は、やがて一本の西洋剣へと形を成した。
デイルは己が出した剣のグリップを両手で掴む。無骨ながら神秘的な雰囲気の剣は、まるで神話に出てくる聖剣のようであった。剣身は黄金色の温かな光を放っており、剣の中央には魔法文字のレリーフが刻まれている。
そんな剣を目の前にかざし、デイルは刀身の魔法文字を人差し指でなぞった。瞬間、応えるように魔法文字は一際光を増して、剣身の刃を覆うように光を纏う。
「《境界線の黄金剣》……ふんッ!!」
デイルは右足を前に出し、地面を踏みしめて《境界線の黄金剣》を真横に凪いだ。
剣が空を切ると、光の線が一筋 、森全体を駆け抜けていった。一体どこまで駆けたのかは、分からない程に広く、そして早く光の線は広がっていく。
しかし木々には一切の傷は無く、それどころか葉が揺れる事も無かった。
だが、周りにいた黒いマネキン達の胸には光の線が走り、次いで炎のような光を吹き出していく。やがて、マネキン達は燃え尽きた廃のように虚空に消え去っていった。
デイルは消えゆくマネキン達を一瞥して《境界線の黄金剣》を消した。瞬間、久方ぶりに疲労を感じ少しだけ足がよろけた。
辺りを見回し、偶々近くにあった大きな倒木に腰掛ける。それから腰を握り拳でポンポンと叩いて労った。
「わしも老いたものじゃな……腰が痛いのぅ……。まぁ、かと言ってまだ帰る訳にはいかんが……」
静かになった森の中で少し休む。一応警戒だけはしていたが、終ぞ新たなマネキンが現れる事はなかった。術者に追撃する意思がないのか、はたまた術者は初めから此処にはいなかったのか。それは分からないが、来ないのなら好都合だ。
「あとでグレイダーツの奴に伝えておかねば」
召喚魔法に関しては、自身よりも彼女の方が詳しい。ならば、後で考えた方がよさそうだ。そう思い、デイルは当初の目的に思考を絞る。
「人工衛星が大きな魔力の反応を捉えた……か。全く、科学技術の進歩には驚かされてばかりじゃ」
青く澄み渡った空を見上げ呟くと、デイルは痛む腰を上げて、再び森の中を歩き出す……。
やがて木々が少なくなり、拓けた場所に出た。そこにあったのは大きな湖であった。水は透けており、水面では陽の光を反射して輝いている。自然の残る美しい湖だ。
「これは……? 湖に……館かのう?」
そんな湖の湖畔には、明らかな人工物である古びた洋館が聳え立っていた。
しかし人の影や気配は一切なく、また外壁はボロボロで蔦が這い回っている。どこからどう見ても廃墟にしか見えなかった。
デイルは多少警戒しつつも携帯端末を取り出し、GPSにて位置を確認する。それから洋館を見回してみたが、全ての窓ガラスは白く曇り、中の様子は窺い知れなかった。
「入るしかなさそうじゃな……さて、お主はここにおるのかのう?
どちらにせよ、さっさと調査して帰るとしよう……はぁ、リアの罵倒が恋しいのぅ……」
館を睨みつけながらデイルはぼそりと呟いて一歩踏み出す。
探し人がいない事を願って。




