1学期⑬
グレイダーツは大きく腕を上げ肩を伸ばし、開放感全開で間延びした声を出す。
「んんぅー終わった終わったぁー、あぁ疲れた……」
肩をトントンと片手で叩きながら、ゆっくりとした足取りで彼女はソファへと近づいていく。
そして、ソファで熟睡しているクロムの顔を覗き込み「はぁー、腹立つ寝顔してんな……」と嫌味を呟きながら手を伸ばした。
「おらおら、起きろ」
グレイダーツはクロムの頰を、「ペシペシ」と片手で往復ビンタしながら呼びかける。
その呼び掛けに、クロムは眠りから覚めて半分瞼を開いたのだが……明らかに憎悪の篭った睨みを利かせていた。
不機嫌さを微塵も隠さないクロムの表情を見た瞬間、グレイダーツは魔力を放出し空中で固める。
空中に放出された魔力は両手だけの銀色の西洋鎧を形作り、それと同時に「ガンッ!!」と大きな衝突音が響いた。
「……っち」
「やると思ったぜ」
舌打ちを鳴らしたクロムは、ソファの上から器用に右拳を突き出していた。本来であれば、その拳はグレイダーツの頰を正確に捉えていたのだろうが、当たる数センチ前で西洋鎧の手が受け止めている。
「寝起きが悪いってのは昔から知ってたからな」
「おかげで最悪の目覚めだグレイダーツ」
「そいつはよかった」
「皮肉が通じんか。やはり見た目は若くとも、思考回路は耄碌しているようだな」
「言ってろ」
愚痴りながら欠伸を一つ噛み殺し、クロムはソファから立ち上がる。そして、着ていた白衣を直そうとした時だ。
「む?」
何かに引っ張られ、白衣がずり下がった。下を見ると、隣で寝ているリアが白衣の裾を掴んでいる。それを見たクロムは、無表情ながらも優しげな雰囲気を持ってソファに腰掛けた。
再びソファへと腰を下ろしたクロムを見て、グレイダーツは目を丸くしながら口を開く。
「珍しいな。気随気侭が座右の銘って公言するお前の事だから、普通に振り払うと思ったんだが?」
気随気侭とは自分勝手に振る舞うという意味で、それはある意味彼女を象徴している四字熟語である。それを彼女自身が名乗っている為にタチが悪く、散々に苦渋を舐めた経験のあるグレイダーツは彼女の行動に疑問を持った。
そんなグレイダーツの態度に、クロムは大人な態度で返す。
「私とて結構な歳だ。その程度で苛立ったりはせんよ」
安らかな寝息を立てるリアの頭に手を伸ばし、クロムは優しく2、3度撫でる。どうやら、寝起きの機嫌の悪さはどこかに霧散したようだ。一通り撫で終え、クロムは再びグレイダーツに向き直った。
「で、態々私を起こしたんだ。別に帰れってだけの話じゃないんだろう? どうせだ、お前の話を聞いてやるからさっさと話せ」
「一々癪に触る言い方しやがって。まぁいい、私が頼みたい事は一つだ。お前どうせ今年は暇だろ?」
「私には私の研究が……いや、続きを聞こうじゃないか」
クロムの言葉に、グレイダーツは「うぇ」と苦虫を噛み潰したような表情で、胡乱げな目つきになる。
「お前本当にクロム? 素直に耳を傾けるなんてキモい……まぁ聞いてくれるならいいけどさ。じゃあ単刀直入に言おう、私の学校の教員にならないか?」
「何?」
聞き耳を立てていたレイアも驚き、グレイダーツの表情を伺う。クロムとは険悪な仲だろうと考えていたから、その誘いの意味が分からなかった。それは当人であるクロムも同じで、彼女は胡散臭げにグレイダーツを見やる。
「お前、何か企んでるな?」
「あのなぁ、常に私が何かを画策しているみたいな言い方辞めてくれる?」
「お前はそういう人間だろう?」
バッサリと断言するクロムに、レイアは心の中で同意し大きく頷いた。その瞬間、レイアの内心を勘付いたのか、グレイダーツの睨みがこちらに返ってきたので素知らぬ顔をしながら目を逸らす。
そして彼女の考え通りに、グレイダーツはため息を吐き肯定の意を示した。
「確かに目論見はある」
グレイダーツは隠す事でもないと思い、胸元で人差し指を立てながら素直に白状し始める。
「一つ、まず私の学校は今、何かときな臭い出来事が起き始めている。気に食わないが、お前の回復魔法は世界随一だと私も認めているのでな。あるに越した事はない」
「成る程。で、二つ目は……あぁ、もしかしてギルグリアか?」
話題に出た事でギルグリアの目線は2人に向く。それを視認してから、グレイダーツはクロムの返答に一つ頷き、話を続けた。
「そうだ。あいつの戦力は大きいし、なにより魔法使いとしては上位の存在だ。教員にするにしても、手元に置いておくにしても……どちらにせよ近くに居てもらった方がいい」
「おい待て。何故、我を抜いて話を進めている?」
突如、グレイダーツとクロムの会話にギルグリアが割って入った。だが、それも想定内であったグレイダーツは、睨むギルグリアを逆に睨み返す。
「じゃあ逆に聞くが、お前これから何をするつもりだった?」
その問いに、ギルグリアは「ふっ」と小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「決まっておろう。リアとの友好を深める為に、それから彼女に近づく害虫を排除する為、これから毎日彼女の元へと通うつもりだ」
ギルグリアのドヤ顔で告げた言葉に、この場にいた全員が呆れ返った。そして、グレイダーツが全員の言葉を代弁する。
「ダウト、それを人間の社会ではストーカーって言うんだよ」
「なん……だと?」
「お前本気で違うと思ってたのかよ」
驚愕し固まるギルグリアに処置無しと、グレイダーツは深い溜息を吐く。それから、視線をクロムの方へと戻した。
「な? アレを放置する訳にもいかねぇだろ?」
「確かに。不本意だがお前と同意見だ。ドラゴンが性犯罪で逮捕、討伐では目も当てられない」
そう答え、クロムは幾分か思考にふけ、それから考えを纏める。そして一度長く瞬きをしてから手を向ける。そして、人差し指を立てた。
「いいだろう、その誘いに乗ってやる。ただし、3つ条件がある」
「なんだ?」
「1つ、私の住む場所はお前の家にしろ」
その提案にグレイダーツは意味が分からないと、大きく首をかしげる。
「は? なんで?」
「掃除、洗濯に飯を作るのが面倒だからだ」
「つまり全部私にやれと……全くお前はいつも」
「2つ」
苛立った様子で小言を言おうとしたグレイダーツの台詞を遮り、今度は中指を立てながらクロムは条件の提示を続ける。
「授業においては私のやりたいようにやる。ただし、今もし回復魔法に関する講師がいる場合は、その講師の助手という形にしてくれ」
「……つまり喋りたくないし研究以外で働きたくないって事か」
「よく分かっているじゃないか。ついでに、教壇にもできるだけ立ちたくない」
「ほんと腐ってんな。研究ばっかしてると尻にカビ生えるぞ」
「……3つ」
嫌味を受け流しクロムは薄く笑きながら薬指を立て、3つ目を提示する。
「お前の学校に私の研究室を作れ」
その提示に、グレイダーツの頰が数回ヒクついた。
「やっぱお前の座右の銘、気随気侭がよく似合ってるわ」
「褒めるな」
「褒めてねぇよ」
嫌味が通じず、なんとも言えない気持ちから頭をガシガシと掻く。それから少しだけ思考し、諦め気味に了承した。
「……分かった、だが作るのは校長室の隣になる」
「場所はどこでも構わんよ」
「そうかよ。あと、作るのに数日……いや、少なくとも今週いっぱいはかかる。それでもいいなら作ってやるよ」
「分かった。ではその時にでも、お前の家へ引っ越すとしよう」
クロムは白衣を掴むリアの手をゆっくり開き、ソファから立ち上がった。
それから乱れた白衣を適当に直しつつ、虚空に手を向け《門》を開く。クロムの作る《門》の扉は、無骨ながら鮮やかな朱色であった。
「では、これで私への用事は済んだな?」
「……一応ありがとよ」
「礼など言うな気持ち悪い」
「素直に受け取れや……じゃあ部屋の準備ができたらメール送るから、確認しとけよ」
「分かった……充電しないとな……。あと、そのソファは後で回収するから、そこに放置しといてくれ。では後日に会おう」
ヒラヒラと手を振り、クロムはドアノブに手をかけ開き、潜って行った。術者が通って直ぐに《門》の扉は「バタン」と音を立てて閉じ、空気中に魔力となって消えていく。
扉が消えたのを見届けてから、グレイダーツは踵を返しポケットから携帯端末を取り出した。
「とりあえず業者に電話するか……」
ポケットから携帯端末を取り出し操作するグレイダーツ。そんな彼女の右肩にレイアはポンと手を置いた。
「ちょっと師匠、僕はギルグリアを学校に置くのは反対だよ」
小声で耳打ちして、レイアは反対だと強く進言する。そんなレイアに、グレイダーツは朗らかな笑みを浮かべた。
「落ち着けレイア。良く考えてみろ。獣を放し飼いにするくらいなら、首輪をつけて飼い慣らした方が安全だと思わないか?」
「その例えはどうかと思うけど……うぅん……でも!!」
反応に困り言葉を濁すが、確かにその通りだと思ってしまった。
明らかにストーカーになる可能性があるギルグリアだが、目の届かない場所に放置しておくよりは、この街に居てもらった方が余程安全かもしれないと。
それでも、心配な事に変わりはない。友人を洗脳して連れて行こうとしたのだから、過剰に心配しても足りないくらいだと考えていた。
そんなレイアを置いて、グレイダーツは何やら顎に手を当て考え込んでいたギルグリアに声をかける。
「ギルグリア、お前の返答はどうであれ、暫くはここで教員をしてもらうぞ」
「……グレイダーツ貴様、この我に命令するか」
「ぶっちゃけ、ドラゴンとしての威厳なんて皆無なんだよなぁ、お前」
ギルグリアは顔を上げた。その表情は怒りに満ちている。こめかみに青筋を浮かべ、鋼のように鋭い眼光を放つ。押し潰されそうな威圧感がそこにはあった。
「……我を愚弄するとは良い度胸だな」
「そういうのいいから」
そんなギルグリアの威圧を何処吹く風と言わんばかりに、グレイダーツは続けて口を開く。
「ただ、お前を放置できないのは確かだ。だからこそ、お前が私の要求を飲まない場合、お前には永遠にこの地に近づけないように全力で《術式》を刻もうと思う」
「我を縛る術式だと……。まさか貴様、デイルに頼むつもりか……?」
「あいつの弟子だから、頼んだら喜んで引き受けるだろうよ。まぁ、私の生徒に手を出そうとしたんだし、この措置は妥当だと思うぜ?」
「くっ……卑怯な……」
ドラゴンをも縛る術式。レイアには流石に思い当たるものが無く首をかしげるしかできなかったが、ギルグリアの悔しそうに歯軋りする姿を見ていると相当に強い効力のある魔法なのだと理解できた。
そして、それがリアを守る盾になる事も。
当人であるギルグリアは腹の底から「はぁぁ……」と溜め息を吐き出し、不機嫌そうに顔を歪めながらも態度を軟化させた。
「分かった……貴様の要求に従おう。ただし、一々帰るのも面倒だから我の住居を用意しろ。我はそこに住む」
「OK、それくらいならお安い御用。というか、お前の部屋は私の隣に空き家があるから、そこに手続きしとく。あと給料もそれなりに出すと約束しよう」
「ならば言うことは無い。我は一度、家に帰る」
「後でお前の家に《門》開くから準備しておいてくれ」
ギルグリアは赤黒い色を基調とし、禍々しい無数の黒い棘に覆われた両開きの《門》を出現させた。その扉は触る事なく独りでに動き、ギルグリアが通れるくらいまで開くと静止する。
「……むぅ」
不満げだった。とてもやりきれないといった雰囲気がビシビシと伝わってくる。
そんな彼は、《門》を通る寸前で踵を返し、リアの眠るソファへと瞬時に近づいた。
そして、自身の右手の人差し指を左手の爪で傷付けた。傷の付いた指先は、一拍遅れて血を滴らせる。彼は血で紅く染まる指先を、そのままリアの口に突っ込んだ。寝ているリアは拒絶する事なく突っ込まれた指を甘噛みし、赤ん坊のように小さく唇を窄め吸い付いてしまう。
「ちょっ!? 何してるんだ!」
レイアはギルグリアの奇行に、刀剣を召喚しながら詰め寄ろうとしたのだが、彼は一瞥するとレイアを無視して魔法名を呟く。
「《逆式、強制契約》」
リアの手の甲に眩い真紅の魔法陣が浮かぶ。ドラゴンの横顔をデザインしたような複雑な紋様の魔法陣は、淡く光の粒子に変わりリアの手の甲に吸い込まれていった。
「なにを……逆式? 強制契約?」
ギルグリアの発動した魔法に、心当たりがあり、記憶を探る。その答えは直ぐに思い当たった。
「あれって、確か自身を相手に契約させる魔法だったような?」
純粋な《契約》は、相手の了承を元に術者が契約を結ぶものだ。
しかし、逆式の契約魔法はその真逆で、相手に自分と強制的に契約させる魔法であり、召喚などの際に呼びかける事ができるのは『契約させられた相手』になる。つまり、自身のメリットが限りなく少ない魔法なのだ。
つまり、ギルグリアがその魔法を使った意味が解らなかった。
彼はレイアが思考に耽るのを尻目に、リアの口から指を引き抜く。唇と指の間に、一瞬だけ紅い唾液の線が伸びる。
当人のギルグリアは満足そうに頷き、長く息を吐く。
「これくらいはいいだろう。これで、契約者であるリアが危険に陥れば、直ぐに勘付けるのでな」
ギルグリアは態と聞こえるように呟く。それを聞いたレイア自身は(お前が1番危険なんだけど)と思い反応に困った。勿論言わなかったが。
しかし、別段彼女の反応など気にしていないギルグリアは、そのままリアの頭をひと撫でした後、さっさと《門》を潜り屋上から姿を消した。
「何なんだよもぅ……」
消えゆく《門》を見ながら膝に手をついて項垂れる。その疲れきった呟きは、誰にも聞かれる事はなかった。




