1学期⑩
「僕はね……純愛モノが好きなのさ……」
目に光を灯さずに、赤い頰でギルグリアを見つめるリアの元へ歩み寄ったレイアは、手の届く距離で立ち止まると、背後から肩に手を置いた。
「リアを取り巻く環境は見てて飽きないし、僕は隣でニヤニヤできる。それはいいんだ、楽しいからさ。君達の最初のやりとりも、僕がニヤニヤと眺められるものだった。でもね……」
背の高いギルグリアを下から見上げ、睨みつけながら敵意を示す。
「それは違う。そうやって洗脳のような事をして、相手の気持ちを考えない行為は……僕が1番大嫌いな事だッ!」
レイアの背後に魔力が溢れ、半身だけだがレイピアを持った戦乙女が召喚される。戦乙女はレイピアの切っ先をギルグリアの目先に向けた。
しかし、ギルグリアはレイアの威圧を何処吹く風とでも言いたげに、無表情で冷たく言葉を吐いた。
「人間の女……いや、レイアだったか。その程度の、魔力すら殆ど籠もっていない召喚魔法で、この私を退けられるとでも?」
「無理だろうさ。けどね、友達を見捨てるような奴にはなりたくないんだよ……目を覚ませ、リア!!」
レイピアの切っ先をギルグリアに向けながら、レイアは思いっきりリアの背を叩いた。全力の一撃に、背中から「バンッ」と衝撃音が大きく鳴り、レイアの手は衝撃からチリチリとした痛みを発する。
それから、リアの全身がピクリと、痙攣するように跳ねた。
黙って見ていたギルグリアは、無表情を崩し眉根を寄せると、レイアを見下しながら言葉を紡ぐ。
「背中を叩いた程度で我の《魅了》が解けるものか。あと、いい加減、目の前のレイピアが目障りだな。《爪薙》」
リアの頭に手を添えて引き、胸に抱きながらギルグリアはレイアの召喚した戦乙女に向け、三本の鎌鼬のような鋭い風を放つ。咄嗟にレイアは避けたが、直撃した戦乙女は構成力を失い崩れ去った。
「咄嗟に避けたか。しかしもう既に魔力は残っていないだろう? なら、我がリアを連れ帰るのを邪魔するな。邪魔しないのであれば、怪我する事もないぞ」
「断るッ! 僕の友達を簡単に連れて行かせるかよ!」
そう啖呵を切ったはいいが、しかしレイアは内心焦っていた。言われたとおり、もはや魔力の絞り滓すら残っていない。魔法が使えない以上、自分はただの少女だ。
でも、”初めての友達を失いたくない”という思いで、レイアは立ち上がる。
そんなレイアに、ギルグリアは目を細め頷く。
「その心意気、確かに彼奴らの弟子だ、感服する。しかし、我に戦えない魔法使いをいたぶる趣味はない。だから、お主にはこれ以上追撃はしないでおいてやろう。そして我は一旦帰らせてもらう。行くぞリア、我の住む館へ」
胸に顔を預けているリアの肩を抱き、ギルグリアは《門》を開く。黒く染まった扉は光すらも吸収するくらいに禍々しい。
「待て……待てよッ!!」
レイアは連れ去られるであろうレイアに手を伸ばし叫んだ。
ギルグリアは扉の前で立ち止まり、レイアに聞こえるように、魅了されているであろうリアに声をかける。
「行くぞ、我の館に行けば、お主には考えられないくらいの快楽を与えてやる」
「快楽……?」
「そうだ、そして、我の子を産むのだ」
「ギルグリアの……子供……」
「女の本望であろう? 子を成すというのは」
レイアは洗脳にも似たやり取りに、思わず歯軋りしつつ、自身の力の無さを痛感する。その悔しさから、歯軋りは余計に強く鳴り、歯の奥からガリッと音が鳴った。
「女の本望……」
虚ろな声で呟くリアに、ギルグリアは口元を緩める。
「行くぞ」
「一緒……」
ギルグリアは優しく問いかけ、リアの両肩にそれぞれ手を置いた。
そして……その手はリアによって払い除けられる。
突然の行動に、ギルグリアは驚き固まる。何故、手を払い落されたのか本気で理解できていなかった。そんな中、瞳に光を宿したリアは口を開き、力強く宣言する。
「断る」
「なん……だと……?」
「その程度の誘惑で、堕ちると思ったのか?」
リアはギルグリアから距離を取ると、ニヤリと余裕の笑みを浮かべながら、彼を睨みつけた。
………………
甘い蜜に溶かされたような、ふわふわとした世界。
眼に映る景色は靄がかかり、鼻から香るコートの匂いに心が釣られる。
耳から入る騒音は全てシャットアウトされ、外からの情報は殆ど入っては来なった。そのせいで、思考は全く定まらずに、ギルグリアのことばかり考えている。
しかし、それでもいい。この甘く優しい世界に浸っていたい。ギルグリアに全てを委ね、快楽に染まっていきたい。
そんな事を考えていた時だ。
「……ッ!」
……?
声が聞こえてくる。そして、次の瞬間、バンッと背中に強い衝撃を受けた。衝撃と共に、力の入らない体がピクリと跳ねる。
甘く蕩けた桃色の世界が乱れた。まるでテレビの砂嵐のように。
思考のリソースに余裕ができたのか、はたまた俺の精神が強かったのか。快楽に浸った頭の片隅に、自我とも呼べる『俺自身の、俺という存在』の考え方が、蘇るように現れる。
(俺……は、どうしたんだっけ。なんで、こんな……。あぁ、そうだギルグリアと爛れた生活を送る為に、ついて行くと……決めた? 俺がか?)
ジリジリと記憶にノイズが走り、思考の邪魔をする。更に甘い快感がリアに『考えるな』と誘惑をかけてくる。
「……て!!」
また声が聞こえてきた。
なんと言っているのか。『待て』か?
何を待てば……いや、それ以前に、今の声は誰の声だ? ここ最近、毎日のように聞いた声だった気が……。
あっ。
なんで今まで思い出せなかった?
あの声、レイアのものじゃんと。友達で、最近知り合ったばかりだけど、一緒にいて楽しい女の子。そんな彼女の事を忘れるなんて……本当に『忘れた』のか? ……違う。忘れる訳がない。なら、外部の影響しかない。
靄のかかった思考が更に晴れていく。
しかし、再度、あの気持ち良く、心地いい声が俺の耳を通り抜け……精神を蝕む。
さらなる「快楽」と「ギルグリアの子供を産む」という事。それが「女の本望だろう」といった問いかけ。
「行くぞ」
頭を反復して、じんわりと股が熱くなる言葉だ。
でもちょっと待て。
「子供を産む」のは本望じゃない。
少なくともリアは……産むつもりはない。ましてや男と交わるなど御免被る。というか、男とか女とか以前に、16歳に子供を産ますって……。
(ならなんで、俺はギルグリアについて行こうとしたんだ?)
行けば確実にヤられるというのに。
その疑問を頭に浮かべた瞬間、自身の思考も五感の全ても、靄が晴れるように鮮明になっていく。甘く蕩けた世界に亀裂が入り、俺という一個人の人格を完全に取り戻す。
そんな時、隣にいた男が俺の肩に手を置いた。
そうだ、思い出した。俺はギルグリアに何かをされて今の状況に陥ったんだ。
思考は良好、景色は鮮明になると、心の底から沸々とした言葉にし難い熱が湧き上がる。
あぁ、これは怒りか? しかし、頭に血が上っても、思考は冷静に、そしていつも以上に冴え渡っている。
俺はまず、肩に置かれた手をはたき落した。そして、驚きと共に固まるギルグリアに軽蔑の視線を送りながら口を開いた。
「断る」
「なん……だと……?」
「その程度の誘惑で、堕ちると思ったのか?」
……………
距離をとって、レイアの隣に並びながらギルグリアを睨む。レイアは俺に嬉しそうに口元を緩めつつも、ジトりとした視線を送りながらぼそりと呟いた。
「よく言うよ。堕ちかけてたクセに」
「言い返せねぇ……。でも、ありがとうレイア。たぶん、レイアが背中を叩いてくれなかったら、あのまま《門》を潜ってたと思う」
「そう言うんなら、駅前のアイスでも奢ってくれよ」
「約束してたもんな。よし、帰りに行こう。その時奢るぜ」
他愛ない会話をしながらも、頭の中では必死に対策を考える。しかし、力量の違いは明白で、魔力が無いのもあって絶体絶命という言葉が相応しい状況だった。それでも落ち着いていられるのは、隣に友達がいるからだろう。
そんな時、ギルグリアがギロリと擬音がつきそうな程に此方を睨みつけ、犬歯の見える歯をギリッと噛み締め、両手の指をポキポキと鳴らす。
「我の《魅了》を破るとは。他者の介入があったとはいえ、流石は我が惚れた女だ。だが! 我の”本気”の《魅了》がその程度だと思うなよッ!! ……次は心の底から我を思い、愛し、我と連れ添う事を誓うようにしてやる……。今度こそ、我の女に」
「ゴウッ」と強い魔力の圧力が風となって通り抜ける。本当に、何で自分なのかと小一時間問い詰めたい気分だ。あと、控えめに言ってもめちゃくちゃ怖い。それと……その執念がキモい。
「ひぇっ」
リアは無意識に喉の奥から悲鳴を漏らした。すると隣にいたレイアから、同情のような温かい眼差しを向けられる。
「迷惑な奴に惚れられたね、リア」
「本当に迷惑だよ。代わってくれレイア」
「嫌に決まってるじゃないか。洗脳してくる相手なんて、願い下げだ」
「激しく同意」
「それに、相手は君にご執心のようだしね。代わることは不可能だよ」
「そうだよなぁ、はぁ……不運だ……」
さて、どうしよう。
使える武器はなく、逃げる事も不可能。詰んでるなぁ。まったく、数分前に戻りたい。そうすれば、ギルグリアと出会う事なく早々に退場できたのに。まぁ、できもしない事を願うのは無駄だと分かっているから諦めるけど。
ギルグリアは、コツ……コツ……と靴音を鳴らしながらゆっくり距離を詰め、リアとレイアはそれに合わせ後ろに下がる。
そして、約3メートル程離れた距離で立ち止まると、片手をこちらに向けた。
身構えながら、無意味と分かってはいるが、抵抗する為に魔力の残滓で小さな1cm程の火の玉を作り、ギルグリアに放とうとしたのだが、彼の動きがその場で停止する。
訝しんで目を凝らして見ると、彼の周囲に紅い小さな文字のような光が輪を作り、旋回していたのが見えた。それから彼の前に1枚の半透明の板が現れ、紅い文字はその板に刻まれていく。
「《契約》再構成」
澄んだ声が聞こえ、声がした方へと視線を逸らすと、周囲に紅い魔法陣を浮かべたクロムさんがギルグリアに向けて手を突き出した姿勢のまま、空中に魔力で文字を書いていた。
赤く光る文字はギルグリアの周囲を旋回していた文字に加わりながら、半透明の板に次々刻まれていく。
「再契約。誓約として『私たちへの魔法の行使不可能』を追加させてもらうぞ、ギルグリア」
「クロム……貴様……」
眠そうな目のクロムさんは、欠伸を噛み殺しながら言った。それに対しギルグリアは犬歯を剥き出しにクロムを睨む。しかし、クロムの態度はまったく変化せず、逆に鬱陶しそうに言葉を紡ぐ。
「話しが進まないんだよ。貴様が暴走する姿は50年ぶりで実に滑稽で愉快ではあったが、私はそろそろ帰りたいんでな。だから、あの日の約束通り、お前との契約を変更させてもらう」
「……」
ギルグリアは何も答えない。
そして今度は、クロムさんと打って変わり、グレイダーツ校長も口を開いた。
「諦めろやギルグリア。私も面白半分で見てたのは否定しないが、無理矢理ってのは胸糞悪いからな。ここら辺で止めさせてもらうぜ?」
グレイダーツ校長の背後には、4メートルはあるであろう巨大な西洋甲冑が、スリットの下から紅い目を爛々と輝かせつつ、グレートソードを構えていた。
「それでも……我は」
「お前の気持ちも分からんでもないがな。リスティリアの血筋であいつに似てるからっていうのも分かる。だが、50年前のお前はもう少し紳士だったぜ?」
その言葉に、ギルグリアは目を瞑り深く息を吐く。
「紳士か。違うなグレイダーツ。あの頃は人に恋をしたのが初めてだったのだ。だから、人との接し方が分からなかったからこその態度だった。しかし、今は……」
言い訳じみた証言を始めたギルグリアに対し、グレイダーツ校長のこめかみがピクリと動いた。
「女々しい、いつまでちんたら過去に縋ってんだお前は。いい加減現実見ろ、ドラゴンでも玉付いてんだろうが」
「ガシャン」と金属音を鳴らし、一体の西洋甲冑はギルグリアの元まで駆ける。
そして、そのままの勢いで、ギルグリア股間を蹴り上げた。
衝撃で空気が揺れるのを感じる。ギルグリアはゆっくりと視線を下におろし……死人のように顔を青白くしていった。
「ぐ、ぐぉおおおお!!??」
脂汗を大量に流しながら、股間を抑えて蹲るギルグリアに、リアもレイアも、なんとも言えない気分になった。
玉ついてるからって蹴らんでも……。
でも、この茶番のおかげで緊張の糸が切れ余裕ができた。そして、色々と聞きたい事も出てきたが、その前に。
「うわぁ……」
とりあえずリアは、ギルグリアの悲惨な光景に思わず、自身にはもう玉も竿も無いのにその痛みを想像してしまい、股を両手で抑えてしまうのだった。
余談だが、なぜか下着が湿っていた。もしかしたら、やっぱり少し漏らしてしまったのかもしれない。だが、まぁ……ほっとけば乾くだろう。