1学期⑧
「師匠……」
涙が溢れないようにしているのか、空を見上げながら沈黙したレイア。その悲痛さがリアにはよく分かった。英雄と言えども、やはり時間の流れには逆らえない。師匠であるデイルも、既に70歳を超えている。だから、いつボケるか分からない。明日は我が身と思えば、痛い程に気持ちが伝わった。
「よく分かるよレイア。その気持ちが」
優しく肩をポンポンと叩き、レイアを慰める。そんな此方の態度に、グレイダーツは顳顬をヒクつかせて大声で叫ぶ。
「失礼だなお前らッ!! 私は失敗作とは言え、賢者の石を取り込んだ不老だぞ、見ろこの十代にも劣らないピチピチの肌を!! 私のどこをどう見たらボケた老人に見えるッ!?」
最後の叫びは反響するくらい大きかった。グレイダーツはかなりキレている様子だ。まぁ、誰だってボケた老人扱いをされればキレるのは当然なのだが、今回は事情が事情。仕方ないのではなかろうかとリアは思い口を開いた。
「でも校長、ドラゴンなんて言われても普通信じられませんよ……」
このまま怒りを買い続ける訳にはいかないと話を逸らす。
グレイダーツはリアの言葉に目頭を軽く揉み、深呼吸する。それから、「あっ」と何かを思い出し納得した様子で応えた。
「そういえば歴史から隠蔽したんだっけか……なら知らなくても当然だし、信じられる訳ない……か。つまりお前らは、明確な証拠があれば信じるんだな? 私をボケた老人扱いしないんだな?」
「そうですけど」
「そんな証拠、本当にあるのかい?」
先程のは泣き真似だったのかと疑いたくなるくらい、ケロッとした態度をとるレイア。出会った当初よりも随分、図太い性格なんだなと思い直した。
それから、グレイダーツは「キレるだけ無駄か」と自分に言い聞かせるように小声で呟きながら、続きを語る。
「あるにはあるよ。実際私の知り合いがこの世界にいる最後のドラゴンと《契約》を結んでいる」
「知り合い?」
「『クロム・クリント・セラス』」
「!?」
クロム・クリント・セラス。彼女は嘗ての大戦時にありとあらゆる回復系の魔法を使い、万を超える数の人々を癒したとされる『聖人』の称号を持った英雄だ。彼女の魔法は最早奇跡の域にまで達し、『魂』という曖昧な概念を見れるようになったと記録され、治癒魔法の極致に達した唯一の魔法使いである。そして、その言葉通り彼女は1度死んだ人間でも、時間が大きく開いていなければ蘇生できるレベルの腕と技術をもっているらしい。勿論、魔法だけでなく医学の技術も凄まじい。
そして、今や回復魔法の教科書や医学関連の参考書には必ず名前が上がるほどの有名人である。
ただ、現在は何処で何をしているのか分からない英雄であり、さらに本人が嫌がった為か、彼女の写った鮮明な写真は殆ど存在しない事もあり、謎の多い英雄だ。
そんな彼女と会える機会が今訪れた。正直言うと、デイルの次に好きな英雄だったから興奮度が半端ない。
「連絡取れるんですか!? できれば直接お会いしてお話ししたいのですが!!」
最早ドラゴンの事など頭の片隅にしか残っていないリアは、グレイダーツに鼻息荒く詰め寄る。
「ちょ、近い近い」
「あ、ごめんなさい」
グレイダーツに片手で顔を押し返され、少しだけ冷静になったリアは、2、3歩後ろに下がる。
「なんだかなぁ……私の時と反応が違いすぎないか……」
グレイダーツは蚊の鳴くような細い声で呟く。その声は近くにいたリアにも聞こえていなかった。
当人のリアは何故か再びしょんぼりした態度のグレイダーツに、困惑気味に首を傾げる。
「地味に凹むなぁ、とりあえず電話するからそこで待ってろ」
何処からか携帯端末を取り出し、番号を打ち込んでからグレイダーツ校長は耳に端末を当てた。暫く経つと繋がったようで、グレイダーツ校長が電話の相手と会話を始める。
「久しぶり、私だ。……うん? だから私だって。は? 誰? って酷すぎだろお前。私だよ私。詐欺じゃないから、ハルクだよハルク・グレイダーツ!! あぁなんだお前かって酷くね……え? 要件をさっさと言え? お前少しくらいは……そういうのいいからって、本当に変わんねぇな、おい。腹立つ……。
じゃあ要件言うけど、こっちにすぐ来れる? 待て待て待て切るな!! お前が来てくれないと私がボケ老人にされそうなんだ!! ぐっ……分かった……貸し一つ……」
苦々しい表情と共に深い深いため息を吐き出しながら、グレイダーツ校長は通話終了のボタンを押す。それから、手のひらを前に向けた。
「位置は隣国の……中央首都の公園。座標は南通り1ー3……《門》!」
口で繋がる先を言いながら、グレイダーツは魔法を発動させる。流石に距離が遠いのか《門》の扉が構築されるまで少し時間がかかったが、それでも数秒で繋がったようだ。
黒い悪趣味な扉からガチャリと音が鳴り、ゆっくりと開いていく。
「ぐぇ」
と同時に、グレイダーツが吹き飛んだ。扉の先に目を向けると、誰かの白い手が拳を形作っていた。
手の持ち主は、ゆっくりと扉から姿を現わす。
一言で言えば、病弱そうな20代後半くらいに見える麗人だった。
整った顔立ちだが、眠そうな瞼と目の下には濃い隈が出来ており、青い瞳には光が無い。長い緑がかった灰色の髪は手入れされていないのか、至る所に枝毛ができてボサボサだ。
それから着ている服は黒いジャージで、有名なスポーツブランドのものである。その上から白い白衣を着るという良く分からない服装だ。
そしてリアは……この人が、かの有名な治癒魔法の使い手であるクロムさんだとは到底思えなかった。言葉にし難いが、何というか、生気が全く感じられないから。
そんな彼女は、握った拳を開き、半眼でグレイダーツ校長の方を見ながら、無表情に声をかける。
「久しいなグレイダーツ」
声をかけられると同時に、頰を撫でながら起き上がったグレイダーツ校長の目には剣呑な光が灯っていた。
「この私をぶん殴っておいて悪びれもせず挨拶とは…….喧嘩売ってんのか?」
「なぜ、この私がお前に喧嘩を売らねばならない。ただ、寝起きで苛々していたところにお前の顔があった。だからついでに殴った。それだけだ。あえて言うなら、そこにいたお前が悪い」
「よーし分かった、私もお前の顔面見てたら苛々してきたから殴るわ。避けんなよ」
拳を握るグレイダーツに、彼女は小馬鹿にしたように眉根を寄せる。
「阿呆か、避けるに決まっているだろう」
「お前のそういう態度本当に嫌いだわ!!」
「奇遇だな。私もお前が嫌いだ。特に年齢詐欺しまくってるその見た目が」
「はぁん? 年齢詐欺はてめぇもだろう!」
互いに睨み合う2人。このままでは話が全く進まないので、戦々恐々としながら会話に割って入る。
「あの……貴方がクロムさんですか?」
白衣の彼女に問うと、寸分悩む素振りを見せた後、わざと大きく口を開きながら小さな声で応えた。
「そうだ、私がクロム・クリント・セラスだ。デイルの弟子よ」
そう名乗った彼女の口……綺麗に並んだ歯の奥に、明らかに普通よりも長い犬歯が見えた。
「俺の事知ってるんですか?」
犬歯の事に触れずに問うと
「デイルに散々自慢されたからな。弟子が可愛くなったと」
「……」
デイルに全く罪悪感がない事がよく分かった。違う意味で目頭が熱くなり、顔を伏せたリアに変わって今度はレイアが彼女に声をかける。
「失礼なんですが聞きます。本当にクロムさんなんですか? 師匠と同じで若すぎると思うんですが」
リアもずっと疑問に思っていた事を聞いてくれた。そんなレイアとリアの純粋な疑問に、彼女はため息を吐いて応えた。
「……そうだな、一言で言うなら、君の師匠と同じで私は半分人間ではない」
「……えぇ?」
「ほら、犬歯がよく見えるだろう? まぁ微妙に違う所も多いが……例えるなら、私は『吸血鬼』といったところだ」
吸血鬼とな……。つまり、どう言う事だ? 吸血鬼なんてドラゴンと同じで空想上の生き物だ。彼女は……血を啜って若さを得ているとでも言うのだろうか。
困惑で言葉を詰まらせるこちらに代わって、半分人間では無いと言われたグレイダーツが語気を強めながら説明してくれた。
「あいつは自分の身体を吸血鬼に近いレベルに改造してあるんだよ。だから他人の血を飲む事で細胞を活性化させて若さを保っているんだ。だから人間辞めてるのは彼奴で、私は辞めていない」
胸の赤い石を撫でなら、グレイダーツはキッパリと自身は人間だと断言した。それに代わって、クロムは胡乱げな目つきでグレイダーツを見やったが、しかしすぐに2、3回、眠そうに瞬きをして目線を戻す。
「言い訳する事もないな、そう言う訳だ。で、だ、グレイダーツ。いい加減、話を進めてくれないか。私は眠いんだ……今すぐ帰りたいのだが?」
クロムは大きく欠伸をして深いため息を吐く。
「分かったよ……お前、ギルグリア・ガルアと《契約》で契約してたろ。一度でいいからここに呼んでくれないか?」
「彼奴をか? あのクソドラゴンを……。あぁ、あの肉が……確かドラゴンがいる事を証明したいのだったな。面倒だがいいだろう。では、お前が《門》を開けろ」
「命令口調が本当に腹立つな……はぁ、《門》」
「貸し一つ、忘れるなよ。さて繋がるだろうか? ……《契約》を履行する。我が名の元へ現れろ。ギルグリア・ガルア」
「繋がらなかったら貸しは無しな」
「何を言っている。契約の意味も知らんのか? 借りは返してもらおう」
「黙れ吸血鬼。それだと私だけが損じゃないか」
「お前が損だと言うのなら、私も骨折り損だ。だから等価交換は成立しているぞ」
「どうやっても私に貸しを作りたいんだなお前は」
「当たり前だろう? 錬金術は少し疎いのでな」
軽口を叩き合いながら、2人は魔法を発動させた。
城門のような巨大さで、黒い《門》の扉は幾重にも青白い魔法陣を回転させながら現れ、その横では赤黒い魔法陣を足元に出現させながら、クロムが《契約》を繋ぎ始める。
2人の魔法陣は、ある種芸術レベルの美しさであった。ネオンのように鮮やかに、淡く光り輝く魔法陣達は、機械の基盤のように隙間無く配置され一つも狂い無く作動している。
そうして、暫くその美しさに見惚れていたその時である。グレイダーツ校長が発動させていた《門》の扉に、いきなり「ズガンッ!!」と爆弾でも爆発したかのような破砕音を伴って、大きな罅が入った。
そして、罅の隙間から、縦に長い瞳孔と、金色の大きな瞳が此方を覗いているのが見える。
その瞬間、足元から言い知れぬ威圧感と寒気が這い上がってきた。
アレには勝てない。
明らかに普通の生き物、いや魔物すら凌駕する凄みがあった。
生物としての格が違う。
そう瞬時に思わせる程の圧倒的な威圧感だ。そんな相手と目が合った瞬間、全身は震え、頰に一筋、タラリと冷たい汗が伝った。




