1学期⑥
待ち合わせしてルナと共に帰路につく。帰宅して早々に、ルナが服の試着の件を持ち出した。どうやら、母さんはルナにもメールを送って頼んでいたようだ。別の言い方をすれば手回ししていたとも言えるのだが。まぁ逃げるつもりはないし手回しされていようが着る事に変わりはない。
というより、金欠なので着るしかないのだ。
そんな訳で諦めて女性ものの服を何着か着用し、ルナと携帯端末のカメラ機能で撮影しあった。それを俺がまとめて母さんに送ると『うん、似合ってるぜ〜2人とも。これなら手直ししなくても良さそうだね〜ありがと〜』と返信が返ってきた。お気に召したようでなにより。ついでに、今着た服は全てくれるそうだ。正直貰ったところで着る機会があるかは微妙だが……いや、多分そう遠くないうちに着るんだろうなぁと思った。思った時点で、どこかでフラグが立つ音が聞こえた気がする。
なんて黄昏れながら服を脱いでいた時だ。ルナが紙袋から何かを発見したらしく、目をキラキラと輝かせながらリアを呼ぶ。
「お姉様!! これ、一緒に着ましょう!!」
そう言って駆け寄ってきたルナが手に持っていたモノは……メイド服だった。
(おいちょっと待て。メイド服はカルミアさんが持って行ったあの一着だけじゃないのか!?)
しかし、事実目の前で広げられているメイド服は、完璧に自分も着れるサイズに加工されているようだ。どこが、とは言わなくても分かるだろう。
つまり何か?
あの袋にはメイド服やらのコスプレ衣装は入っていないと思わせる為に、態々あの野郎は一芝居打ったということか? ……いや、デイルだけじゃない。これはきっと母さんも共謀している気がする。
「ルナ。俺は報酬も出ないのにメイド服なんぞ着たくない」
とりあえずきっぱりとお断りした。そして、ルナの返答次第で母さんとデイルがグルなのかがハッキリ分かる。
「お姉様……メイド服を着れば報酬が2倍になりますよ? その代わり着なければ報酬は半分になるそうです」
確定である。
(ちくしょうルナに根回し済みか!! そんな気がしてたけどさ)
しかし、たかがメイド服を着るだけでお金が増えるのも確かだ。
悩むリア。男としての尊厳を殴り捨ててお金を取るのか、それとも諦めてお金を手放すのか。
(ふっ、そんなの言うまでもなく決まってるぜ!!)
………………
お金には勝てなかったよ。
というわけで渋々、ルナとメイド服着た。フリフリのレースがあしらわれた黒いスカートに、白いエプロンドレス。首にはカルミアさんのつけていたのとはまた異なる黒いチョーカーをつけ頭にはホワイトブリムが可愛らしく鎮座している。
超絶恥ずかしいが、唯一の救いはカルミアさんが着ていたエロティクなメイド服ではなく、ごくごく普通のメイド服だった事だろう。
「可愛いです!! もういろんな意味でたまりません」
鼻血をツーっと垂らしながらもパシャパシャと何枚、何十枚も写真を撮るルナ。
一方のリアは、まぁ恥ずかしいがあんまり精神的なダメージはなかった。
なんというか、いざ着てみても「これがメイド服か」くらいにしか感じなかったからだ。
お金の為だ仕方ないと割り切って考えていたのもあるのかもしれない。字面だけ見れば完全に敗北した女の子のそれだな。
しかし、意外や意外。自分でも驚く程に似合っていた事もあって、今すぐに脱ぎ去る気にはならなかったのだ。
クルリと回ればスカートから健康的な太ももとガーターベルトがちらりと見える。ガーターベルトがあるだけで、なんともエロスを感じたが健康的なエロスは恥ずかしくない。それからブラを外している為、動く度に胸の脂肪がふるんと揺れる。まぁ別に激しく動かなければ痛くないし大丈夫だ。
それらを総合して客観的に見ても……うーん。普通に可愛いなこれ。自画自賛だけど、意外とイケるじゃないかと思った。
そして、ここ最近感じ始めた違和感はこれかと納得した。
「嫌」と口では言いつつも身体は正直って奴だ。言葉にすると尚更ひどい。でも、これが1番分かりやすい表現だと思う。
要するに、完全に精神までも女の子し始めましたという事だ。今も忌避感やらは感じずに普通にコスプレしてる気分だし、恥ずかしさもコスプレに対する気恥ずかしさの面が1番大きい。
そうしてリアが云々と唸っているところでルナがボソリと呟いた。
「あれ、意外と恥ずかしがりませんね?」
側から見てもやはりそう見えるらしい。
この兆候は、良いのかまずいのか。今まで散々「男の精神が」と口にして守っていたのだが……もしかしたら、男の精神など欠けらも残っていないのかもしれない。だが、恋愛対象が女の子な時点でまだ完璧に女の子の精神にはなってはいない筈だ。だから何だと言われれば……何にも言えないが。
「まぁ、考えてもどうしようもないか」
自身の精神の変化から目を逸らしルナに視線を向ける。
ルナのメイド服姿は手放しで称賛できるくらい、めちゃくちゃ似合っていた。ルナの顔は母さんに似たおっとり系美人だし、姫カットの黒髪が相乗効果を起こしているのか普段よりも一層、清楚な女の子に見える。
あくまで見た目は。
彼女の中身は言わずとも……。
「ではお姉様、そろそろベッドに行きましょうか」
真面目な顔してこれである。
「……なんで、嫌だよ普通に」
「お姉様、メイド服と言ったら乱れてなんぼですよ!! それに、お母様が乱れた写真を送ってくれたらお小遣い増やすよ〜って言ってました!!」
「金をチラつかせれば俺が即堕ちると思ったら大間違いだぞ。そこまで軽くない」
「メイド服姿で言われても説得力が……」
(くっ、ルナの癖にまさか正論を返してくるとは)と苦い顔をするリアに、ルナがジト目を向けた。
「なんか失礼な事考えてません?」
「考えてねーよ」
「むむむ……まぁ、いいでしょう。はぁ、本当はベッドで組んず解れつしたかったのですが……仕方ないですね。なら最後に2人で写真を撮って終わりましょうか」
それくらいならお安い御用。と言うわけでタイマーをセットし、ルナと2人で写真を撮った。ポーズは、リアが棒立ちでルナが腰に抱きついた状態というよく分からない格好だったが。しかし、そのおかげか写真を送ってすぐに、母さんから来月のお小遣いアップのメールが来たので結果的に万々歳だ。
そして、メイド服を始めて着た今日という日は、たぶん一生忘れないだろう。
あと、リアは正直に……この格好で他の女の子に「ご主人様」と言われたかったと思った。当然、男の時に。どうやら、自分の感性というものは性別が変化しても中々変わるものではないようだ。
今度カルミアさんに頼んでみようかな。と、普段は考えないような事を思うリアであった。
…………………
翌日、午前中の授業は、中々にためになる内容であった。治癒魔法は細胞の再生や人体構成を学ぶ事を伝えられやる気が上がるし、錬金術は物質の構成を学び鉱石を分解する事ができた。有意義な時間というのはこういうことを言うのだろう。
そうしてやってきたお昼休み、今日は屋上で食べようとやってきたレイアとリアは端っこのスペースで食事を始める。
しかし、それは唐突に起こった。
レイアと他愛ない会話をしていた時だ。頭に靄りとした違和感のような物を感じたリアは目だけで周囲を見る。
「急にどうしたんだい?」
「いや……」
どう、と聞かれれば言葉にし難い。「ただ、嫌な予感がした」と、こんな言葉ぐらいでしか答えられなかった。そして、その嫌な予感自体も靄っとした曖昧なものだ。
虫の知らせという奴だろうか。その時は、そんな風に考えていたのだが……まさか本当に虫の知らせ、しかも悪い方の物だったとは。もっと早くに気がつければと思うが後悔しても遅い。
目線を動かし、ふと見上げた青い空に、不可思議な歪みができていた。まるで、水面に映る景色のように歪み波を作る。
「なんだ?」
「なんか……揺れてるね?」
2人以外気がついていないようで、生徒達の喧騒は穏やかなものだ。しかし、こっちの心中は穏やかではない。
徐々に濃さを増す蜃気楼のような歪みが、水面に水滴が落ちた時のように脈打った。
「っ!?」
胸騒ぎが限界を突破し、リアは無意識に《結界魔法》を屋上全体に張った。そして、その判断は正解だった。
「ぐぅうッ!!」
張った結界、その境界線を切り裂こうとしているのか、鋭く力強い衝撃が走る。結界自体は壊れることは無かったが、まるで爪痕のように三本の線が走ったのが見えた。しかし、直ぐに結界を修正してしまった為に確認できない。
「攻撃……?」
未だ揺らめく蜃気楼を睨みつけながら呟くと、隣にいたレイアが魔法陣を組み立てた。
「《召喚:戦乙女》」
魔法陣から現れた、美しい白い西洋鎧を着た戦乙女は、身の丈より長い大剣を携えて蜃気楼に向かい跳躍する。そのまま、横薙ぎに一閃したのだが、ガキンッと金属同士がぶつかり合うような音と共に、戦乙女が持つ大剣は空中で静止する。
いきなり現れた戦乙女に、生徒達から驚きと慌てふためく声が聞こえてきた。そんな中、レイアも慌てたような声を上げる。
「あれ、動かない!?」
「動かない?」
「あの戦乙女は擬似生命じゃなく、僕が操ってる。……だからこそよく分かる。どうやら何かに掴まれてるみたいだ!」
「捕まれ……? とりあえず殴ってみるか《結界殴打》!!」
高速で構築された結界の衝撃をぶつけようとしたその時。
「っく、やばいリア! 動きが変わった、何かこっちにくる!!」
「分かった。護りに入る《結界壁》!!」
《結界壁》をありったけ展開したその瞬間。
「GYAAAAAAAAAッッ!!!!」
何かの生物の咆哮が響き、レイアの召喚した戦乙女の胴体が真っ二つにへし折れた。戦乙女は魔力となって空に消える。
なにが起きている? と色んな考えが渦巻くが、しかしそんなことを考える暇を与えてくれる訳もなく、結界にとてつもない衝撃を受ける。
「うぅ!?」
意識を持っていかれそうになる程の衝撃だった。
パリンパリンと、まるで硝子のように易々と砕かれる。薄い結界と言えども本気で張った結界を易々と砕かれた事に対する焦燥感で焦りかけたが、どうにかギリギリのところで最後の《結界壁》が破壊されるのは防ぐ事ができた。しかしホッとしたのも束の間。
「えっ?」
衝撃の質が変化し、打撃のような重いものから、抉り貫くような鋭いものになる。ギチギチと音を立てる《結界壁》。しかし、拮抗状態は長く続かずにピシリと嫌な音を立て罅が入った。
「マジか!? どうしよレイア!!」
「僕に聞かないでくれ!!」
「だよなぁ!! くっ、もう結界が保たない」
何も見えないのに、確実に何かが攻撃してきている。しかし、見えない事には反撃しようにも当てられない……。次の魔法をどうしようか、攻撃に転じるべきか防御を固めるべきかを悩んでいると、レイアが前へ歩み出た。
「考えている暇はない、適当に攻撃したら当たるだろう!! 開け《武器庫の門》」
《門》の扉が空中に展開され、開くと同時に中から黒光りする砲身を覗かせた。
そして、砲身に魔力が集まり閃光と共に空を覆い尽くさんばかりの弾幕が放たれる。その弾幕を受け、歪んでいた空間が大きく揺れた。
確かに、何かに当たっているようだ。なら、適当に撃ってやるとリアも思った。どうせ魔力は有り余ってるのだ。無駄撃ちだろうと数打ちゃ当たると。
リアは自身の《結界壁》を貫こうとしている何かに、横から全力で《結界殴打》を放った。「ドンッ!!」という大きな音が響く。どうやらヒットしたらしい。
そこを起点に攻撃を更に加えようとした時。
拮抗していた《結界壁》から圧力が消えた。今の一撃で引いたのか? と内心ホッとしたリアはそれが甘い慢心だったと思い知らされる事となる。
《結界壁》の真横から薙ぎ払うように、大きな衝撃が襲う耐えきれない程の風圧を受けた。咄嗟に回避しようと脚をズラすも、風圧の範囲から逃れる事はできずにリアの体は紙切れの如く飛んだ。
「ああああぁぁ!!」
「リアっ!!」
フェンスを越えて、屋上の外へ投げ出される。レイアの悲鳴のような声が耳に木霊した。
そして、落ちる間際、《結界壁》に、三本の爪で抉られたような痕が見えた。あれはどう見ても『獣』のような存在の爪痕だった。
しかし、見えたのは一瞬で。考える間もなく景色はコンクリートの壁に変わる。体は重力に引っ張られて落下しそうになる。だが足元に結界を展開してぎりぎり着地する。着地したのはいいが、ここから戻るまでに少しだけ時間を要してしまうだろう。その間に、攻撃されたら……。
切り札を切るべきか?




