世界軸27
ライナが装置を脇に置いた。まるで呪物を扱うかのように丁寧に。どう考えても拷問器具なのだが、アレで衛星を動かすのだ。脳に異常とか起きないのだろうか?
「この装置を着ける人の議論は後にしよう」
「あとにしても着けませんよ?」
「私も嫌だよ?」
ルナとクロエのジト目を無視して、ライナは続ける。もう既にライラ邸の設備を把握した彼女は、中央の立体投影装置に指を向ける。すると地球のホログラムが浮かび上がり、次にアマツクミの場所が浮かんだ。
そして地球を覆う結界と出力された円に、宇宙の周囲に浮かぶUnknownの文字。
「簡易的なスキャン調査の結果……この世界にも厄介な神と、よく分からん結界みたいなのが地球を覆っている事が分かった」
「結界? あぁーそれなら大丈夫だ。ぶち抜いていいぜ」
ライラは事前にリアから、キルエルという天使が何やら結界を張っているらしい事を教えてもらっていたので、そう伝えた。
本当に大丈夫なのか。それは分かんねと心の中で思いながら。
ライラの適当な言葉に、ライナも然程の興味は無いらしい。彼女の長い経験が結論つけたなら、大丈夫なのだという事だ。
「なら結界はアマツクミでぶち抜くとして。じゃあ厄介ごとはひとつ。ヨグ=ソトースがほんの少しでも起きる可能性がある」
聞き慣れない名前に首を傾げる皆。神話に触れているが、リア達とは違い浅いために、その神がなぜ危険なのか測りかねていた。しかし、名前だけならダルクから面白い話として聞いている。
「簡単に説明するとだな、時空と時間を操る、永遠に近い時間を眠る神性だ。それがみじろぎさえすれば……地球がヤバい」
ルナとクロエが「へー」と言いながら空を見る。魔物との大戦中なのに、空は澄み切っている。
一方、側でティナと共に量子コンピューターを弄っていたティオ。彼女もダルク達からヨグ=ソトースの話は聞いていたので「対策はあるのか?」と聞いた。
「大切なのはヨグ=ソトースの『位置』なんだが……。誰かこの世界のニャルラトホテプと接触できるか?」
ティナも注釈として話を付け加える。
「かの神性は魔王に近い。いつか倒さねばならぬ強敵だが……今は敵と書いて友。やつほどヨグ=ソトースに詳しい奴はいない。しかし居場所や性格などは世界軸によって異なる……。我達とて、呪いとなったヴァルディアの飛び立った世界軸のニャルラトホテプとしか接触しておらぬからな」
うーんと悩む4人に向かって、ルナがおずおずと手を上げた。
「えっと、私たぶんコンタクト取れる人知ってますよ?」
姉の友達は『全員把握』している彼女は、邪神が気にかけている1人の女の子の事を伝えた。
…………………
ダルク達は動く気が起きずに、その場にブルーシートを敷いてお昼休憩をしていた。破壊した街について話し合ったが、天津甕星を放っておく方が危なかったので、全て連合政府に丸投げする事にする。
「これ、事態が終息したあとの連合政府は大丈夫かな?」
人魔大戦後の終息と連合国への再建に携わったショウケイは、遠い目をした。
「金の動き、特に被災者への援助金とかは……エグいだろうな。でも建造物の破壊とかは基本的に自己責任で、保険とか入ってない人は……」
レーナが破壊された街を見て、目を泳がせた後に目を瞑った。
「私は悪くないです」
しかし良心はとても痛い彼女は、投げやりに深くため息を吐く。良心ばかりはどうしようもないなとダルクとショウケイは思った。
それから小洒落たティータイムでもするかとダルクがお茶と菓子を並べ始めた時。レーナの携帯端末が鳴った。登録してある『ルナちゃん』からの電話だ。奥手なリアとは違い割とグイグイいくタイプのルナとは、結構な仲になっていると自負している。自負しているだけで、実際はどうなのだろう? とか考えてしまい自分から連絡をとった事は無いが。
(なっているといいな。いやなっていない筈がない。でも、それは私だけで……)
「はよ出ろ」
「分かってますよ、うっせぇな」
ダルクの言葉を受け、レーナは通話ボタンを押した。
「ルナちゃん、どうかしましたか?」
『あの、聞きたい事があるんですけど、お時間は大丈夫でしょうか?』
「大丈夫、ルナちゃんの為なら無理でも作ります。それで、何を聞きたいのですか?」
『ニャルって人? にコンタクトを取りたいんです』
「……ニャルですか」
何かしら、この人魔大戦を終息させる鍵がニャルなんだろうと察しはついた。しかし、だからこそ大きな借りになる。
邪神に対しての大きな借り。今は『姉からの借り』という正体不明の理由で協力してくれているが、答えが得られない借りなど得体がしれなくて気持ちが悪い。今回だって、ニャルの加護を使いたくはなかったのが本音だ。
しかし、それが我儘だというのは理解している。どっちにしろ、必要ならば自分を犠牲にしてでも頼むのが自分だとレーナは決めた。
「分かりました。ニャルに伝えます。場所はルナちゃんのところでいいの?」
『助かります……座標を送るのでそこに来てもらえるようお願いします』
「受け取りました。ニャルにしっかりと伝えておきますね」
携帯端末の通話終了ボタンを押す。と同時に、隣から声をかけられた。姉の行方を知っている唯一の邪神。
「ヨグ=ソトースは看過できないから、これは貸し無しにしておくわね?」
湿ったような艶を放つ黒髪が翻り、金色の瞳が光の軌跡を残す。一瞬だけ現れたニャルラトホテプは協力を申し出て、すぐに消えた。レーナは「無償の借りが1番怖いんですよね」と呟き、何度目かも分からないため息を吐いた。
………………
海辺の大豪邸。ライラの実験室に、黒髪と金色の瞳を持つ人形のような少女が音も無く現れた。
「あんたが……」
「向こうのニャルと変わらない外見なんだな」
ライラは邂逅に驚き、ライナが感想を口にする。
「こんにちはニャルさん」
クロエが皮肉っぽく挨拶をして、ルナも彼女の接触を冷静に見つめた。元はといえばニャルが何かしなければクロエという存在は産まれていないのだから。ルナは複雑な瞳で彼女を見た。
そんな2人を一瞥する。別に思う事はなかった。
さて……神々の伝達役。大体の黒幕。この世界では少し特殊な自分という立ち位置にニャルは思うところがあった。この世界は、あまりにも御伽話の存在が多い。不確定要素の塊、ゆえに特異点なのだろう。ここの点から世界は無限に分岐を繰り返していく。
彼女はライナからアマツクミについて詳しく話を聞いてから。
「私は確かにヨグ=ソトースの位置は確認できる。けど、起きないと保証はできないわ」
「それでも無いよりはマシだ……。が、一柱の邪神として聞きたい。アマツクミの神力砲で解決できるか?」
「私はすべてを理解している『本当の意味でのニャルラトホテプ』ではないの」
自分は黒幕になれる。だが『万能』では無い。他の神々とも接触が出来るがあくまでも『ラヴクラフトの神話』においてだけだ。『天使』『日本神話』などは管轄外なのである。故に『呪力』に対する見解は無数にある。知らない力では無いが、今から検証と実験をする余裕と時間はない。『確実』は存在し得ない。
「だから、1人の神として助言させてもらうならば。呪力はどうにか出来るかもしれないけど、純粋な神力の砲撃で、眠っている他の神を起こす可能性はあるわ」
厄介なのはヨグ=ソトースだけではないのだ。
「……懸念は理解した。でも最も怖いのは奴が起きる事だ」
「彼、又は彼女の位置は把握してはいるわ。だからアマツクミの出力次第では安全でしょう。神力は数撃に分けられるかしら?」
「できる」
「絶対に地球を超えない、宇宙に神力が拡散しないようにできる?」
「……出力を弄れば可能だ」
「分かったわ。今回は協力しましょう」
ヨグ=ソトースと言われれば、最早宇宙を埋め尽くす規模の大きさ……なのだが、この世界においては太陽よりも大きい程度ではある。なので、出来ない事もない。
そうと決まれば動くのは早い方がいい。
「話に出てきた結界は、下手に拡散するのは困るか。キルエルには私から伝えましょう」
「ティナ、聞いてたかー!? 準備すっぞ!!」
……………………
アマツクミ、別名……神力砲あるいは平定砲。この平定という言葉は呪力打ち消し魔力に変える装置という意味での名称である。あくまでも目標は呪力に汚染された地球の浄化だ。ただ、懸念は無限にあって消えない。
しかし、だからといって何もしない訳にもいかないのが現状だ。それに、ここはライナとティナ達の世界軸から友に過ごしてきたリアとヴァルディアの行き着いた先。弔い……別に何かの教徒ではないのだが、安らかに眠ってほしい。その為に、こうしてここまで来た。
シミュレーションは何万回もした。量子コンピューターを使い、仮定の地球を生成し、出力を調整して、実験も繰り返した。
これなら呪力汚染の地球は元に戻せるのだ。
「でも、ここにきてクロエちゃんの存在で疑念が増えたんだ」
ライラもそれは薄々と思っていたようで同意した。
「あぁ、クロエちゃんはやっぱり特殊なんだな」
「え、私?」
「気分を悪くしたら申し訳ないが……ホムンクルスというのは本当に特殊なんだ。たぶん、他の世界じゃ存在しないんだろ?」
「全く、はなかったんだが。観測した世界において2件だけはあった。数えられる範囲の世界だけだが」
色んな世界軸を観測し、時には渡り歩いた。その中でも魔力などがある世界では、人を生き返らせようと試みた者は多かった。しかしホムンクルスだけは完成しない。ひとえに、人間ごときが魂というエネルギーを扱えないからだ。
「それで、ウボ=サスラ。この神を私は知らない」
ルナとクロエは要領を得ないようで、可愛らしく首を傾げる。ライナとティナが話しを続けようとした時、ニャルが割って入った。
「私でも干渉できないのよ。この意味が分かるかしら?」
「えっと、つまりアマツクミを使ったら何が起こるのか分からない?」
ルナのひとつ目の答えを聞き、ライナは頷いてから人差し指を立てた。
「そして最も厄介な事が分かった。この世界には私達が観測していない『神性』がいる」
クロエがハッとしたような顔をした。
「あ……特異点だから。この世界だけの神様もいるって事だね」
「そういうこと。アマツクミは『神力砲』でもある。下手に刺激や神力を注いだ結果どうなるか、は全て仮定の話になる。実際にやらないと分からないんだ」
話を聞いていたティオは「しかし、量子コンピューターは未来の観測も出来るのであろう? ある程度の不確定要素を盛り込んでの観測は出来ぬのか?」と提案した。
「もちろん、やったさ。結果は『エラー』。最強の知能が知恵熱を出した」
「なるほどな」
話を聞いていたニャルはあからさまにため息を吐く仕草をしてから、忌々しげに空を睨んだ。
「私の場合は、下手に神力を感知して『宇宙から』来る神性を懸念しているわ。あの忌々しい炎とか」
「クトゥグアか。もう家焼かれたの?」
「この話はやめておきましょうか」
それからニャルは姿を消して、ティナがせっせと照準を合わせたり出力を弄ったりし始める。彼女を横目にライナはやっとひとつ、仕事が落ち着いたなと息を吐いた。ライナはこの世界の自分であるライラに向き直る。
「アマツクミのチャージまで1時間。その間は、まぁこの世界の話でも聞かせてくれ」
やる事は終わった、ティナは最後にエンターキーを押すだけまで作業を終える。ッターン!! とキーボードのキーを叩く小気味良い音が鳴った。
「優雅にお茶会でもすっか」
そうして……やる事もない者達は、嵐の前の静けさを前に、ご機嫌なティータイムへと洒落込むのr……。
「え? 我、もうアマツクミの発射ボタン押したぞ?」
全員がティナの方を向いた。ライナが呆けた顔で口を開く。
「……は?」
「ずっと前からチャージは完了していたのでな。てっきり、この地を浄化せし神の砲撃をぐわあぁぁあ揺らすなぁぁあ!!」
ライナはティナの肩を掴みめちゃくちゃに揺さぶる。全員の思いと台詞は彼女の言葉が代弁してくれた。
「なにやってんだお前ェ!?」
と、ここでティナを除く全員が首を傾げた。あれ、そもそもヘルメットの件どうなったの? っと。神力を操るには必要な奴なのではないのか?
「ヘルメットは?」
クロエが聞くとティナはモニターを指差した。
「ティガって人工知能ちゃんが……」
その言葉を聞いてライラが叫んだ。
「ティガぁぁぁぁあ!!」
全然、会話に入っていなかったティオはティガが主導する事を普通に知っていたが、黙っておく事にした。というか世界を救う、しかし危険を伴う。そんな重たい筈のボタンが軽すぎる。




