世界軸13
呪いの中で、空回るように音が鳴る。夏の日差しのようなじめりと粘り着くような微睡の中で微かに持ち上がった思考が巡る。あの日、あの時。自分の命を投げ出し自分は犠牲になった。ヴァルディアは……良い奴だ。少なくとも、俺は友達である。彼女がどんな罪を犯そうと。
そんな彼女は、世界樹の系譜に連なる自分を全て消し去る呪いを発動した。
怖いだろう、と思った。
自分というひとつの自我が、何の脈絡も無く消し去られるのが。彼女自身は呪いの発動者ゆえに消えなかったが……それでも。自身が消える可能性を考えて発動した筈。そんな怖い呪いを躊躇いなく使ったヴァルディアの『覚悟』を見た時、あぁ俺は甘い。とても、世界を背負う覚悟などなかったのだと思い知った。
だから、俺が最も可能性に気がつくのが早かった。
呪いとは感情と恐れ、恨み怨みが生み出すエネルギーだ。
世界から切断されたとはいえ、一瞬で意識が消えるわけではない。予想通り、他世界のヴァルディアは呪いを振り撒いた。全てを汚染し世界を崩す。
研究者の中で、俺は唯一の男だったのもあったのか。それともただのバカだったのか。
自分に与えられた『呪術』は、強く怨念を飲み込み、俺という器に押し込める。身体の中で全てが混ざり合い、打ち消しあっては増幅する。
だから、ヴァルディアが呪具を突き刺した時。
俺が最後に抱いたのは、安心だった。
その……筈なんだ。
呪いとは、感情のエネルギー。
最後に抱く感情など、死に際に思う事など。
誰も知ることはできないのだと。
……あ、おいお前どのヴァルディアか知らないがちょっと待って。俺の呪術で縛ってるのに何で動けんの? というか自我が残ってる訳……おいちょ、身体の制御もってく……おまっ、出てったぞ。
……あぁ、ダメだわ。消えかけの意識で保ってたけど……ヴァルディアの呪具もそろそろ限界みたいだ。
ありがとう、ヴァルディア。
………………
ニャルは日本区域の森林の中を歩いていた。所々に岩が多く、過去この場所が火山地帯だった事が窺える。
周囲には何処となく『死』を意識させるような雰囲気が蔓延していて、並の人間ならば本能的に避ける場所だ。そんな森を進むと、岩を削り出したかのような作りの建造物が現れる。
それは、納骨堂だ。
「モルディギアン、いる?」
黒い炎が灯った。不思議な事に、黒い筈なのに目を開けられないほどの眩さがあり、ニャルも一瞬目を細めるが、そこは神の1人。すぐに慣れる。
そして、ずるりと音が鳴った。納骨堂の奥から現れたのは、物語のラミアを思わせる体躯だ。しかし、男の上半身とは裏腹に下半身は芋虫の様な形をしている。
「おっすおっす、なんか用かニャルラトホテプ」
ちょっと嬉しそうな軽い口調で、しかし濁った声色が恐怖を駆り立てる。まぁ、それは神の1人なのだから仕方ない。そんなモルディギアンに、ニャルも片手で答える。
「久しぶり。今ちょっと面倒な事が起きてるから協力して欲しいのだけれど」
「世界が混沌とし始めているのは分かってるぞ。ただな、別に死者蘇生がされている訳じゃないからあんまし動きたくねぇんだが」
「今の状況が不服ではないと?」
「俺は、そこまで熱心な納骨堂の神じゃないってことだよ。あと、別に縄張りを荒らされてるわけじゃねぇし」
神ゆえ、別に人間がどうなろうと。いや、モルディギアンは死者を想う神でもある。ゆえに、別段……納骨された死者達を蘇らせようとしない限りはキレる事もない、『この世界軸において』は穏やかな神だ。
「魔物って貴方にとっては死者蘇生の様なものじゃないの?」
「昔はそうだったぞ。ただ、仕方ないだろ。『この世界』のシステムなんだし。俺がどうこう出来るもんでもねぇ」
納骨堂の壁に背を預け、答える。ニャルは難しい言葉を繰るよりも、単刀直入に頼む事にした。
「貴方の権能がどうしても必要なの」
「……だろうな。俺のところに来るやつなんて、だいたい理由は限られてるし」
珍しく、拗ねたような態度だ。だから余計に、ニャルはこの世界にいる神は本当に面白い進化を遂げているなと思いながらも。
「貴方の欲するモノをひとつあげるわ」
「おん? この俺が欲しいモノが死体以外にあるとでも?」
「友達になりましょ? その際に、人に化ける術も教えるわ」
「よし乗った」
即答したモルディギアン。光で眩い頭部で表情は分からない。なのに、ニヤリと微笑んだ気がした。神も、案外……孤独というものは寂しいものなのだ。ニャルはビジネスライクな交友はあったが。ドライな関係じゃなくなっても良いと思えるくらいには彼を気に入っているので別に問題はない。
「俺が出来る区域の魔物は死骸に戻してやるよ。ただ、俺は別に呪力や魔力に干渉できる訳じゃねぇぞ。あくまでも俺の権能は『死者のあるべき姿』に戻せるだけだからな」
「えぇ、それでも助かるわ」
「ならいいが。それと、どう頑張っても日本区域の反対側くらいが限界だ。日本海の方か太平洋の方か、どうする?」
「頑張って両方」
「無茶言うな……。はぁ、この辺で交友のなさが裏目に出るな」
「なら、この混沌が終わったら、私の他にも紹介するわ」
「おん? じゃあ、頑張るか」
ちょろいなこいつと思いながら、ニャルは最後に必要な事を伝える。
「頼んでおいて何だけど、多くの人間が戦っているわ。けれど、人前に出ないでね?」
「かなりの無茶なんだよなぁ。でも発狂されたら寝覚めが悪いし分かったよ」
それから、ニャルはモルディギアンに連絡用の携帯端末を渡すと納骨堂を後にした。
さて、陸地はなんだかんだ人間がどうこうできるが、海はキツい。自分も大概な事は出来るが、下手に権能を使うと人間は簡単に発狂する。
……クトゥルフを叩き起こすか。でも、目覚めた時に権能を抑えられるか分からないのが心配だ。
「それにしても、人に優しくなったわよね」
別世界では、全てにおいての黒幕、なんて呼ばれることがあるが。今の自分には黒幕なんて面倒なことはできないなと思った。
「あぁ、あとミ=ゴのゴミどもはある程度、屠っておきましょうか。死者で実験とかしてそうだし、レーナに恩でも売っておきましょう」
過去にクトゥグアを呼ばれた恨みが巡った。これもまた、呪いなのだろう。元々、邪神に呪いというのは、まぁそれはそれで面白い話である。
…………………
ダルクはレーナに電話を入れた。ピッと電子音が響き、通話は繋がったのだが何処かドタバタとした音と息切れの音を伴ってレーナは応答する。
「はい、こちら探偵事務所」
「レーナ、久しぶりー。ダルクさんだよ」
「ダルク、久しぶりです。とと……いつもなら世間話もいいのですが、今少し立て込んでまして。要件はなんでしょう?」
「単刀直入に聞くけど、今起きてる事象……魔物の活性化について調べてる?」
「バリバリ調べてますよ。ニャルから依頼がありまして、それがなくても世界中大混乱なので気がつくのが遅いか早いかの違いでしか。あっと、そういう話ではなさそうですね」
ニャル、あいつか。なんだかんだ裏で動き回る様は黒幕みてぇだなとダルクは思いつつ、話を続ける。
「実は、この騒動の根本的な原因……みたいな存在がいてな」
「知ってます、ミスカトニック大学が自ら卒業生に通知を送って情報収集する事態ですから」
知っている事と、そのミスカトニック大学がある程度を把握している事に驚いた。超常……もとい死者蘇生の一件のように、危険な魔導書を蔵書したり在学生が自ら首を突っ込んだりするとは聞いていたが。もしかすると、この大学はかなり使えるかもしれないと打算をつけた。
「私の方でも調べてるんだけど、なんか分かった事ある?」
「それがですね……大学の方に、神力や呪力を辿る魔導書があるのですが……」
「まさにうってつけじゃん。でも言い淀むって事は?」
「はい、文章で表れるんですよ。くっそ面倒くさい……」
「それって私も聞いていい感じのやつ?」
「大丈夫ですよ。あとでメールで送ります。あの、ダルク。なんなら私の事務所に来ます?」
「いいのん? ジル公やすまぬな。ダルクさんは今日からレーナの探偵助手になります」
まぁ、ジルはなんだかんだで英雄の依頼を優先するだろうし、今は個人の依頼を優先はしないだろう。しかしダルクに連絡が来ないというのは、つまりそういう事だ。
「ふふっ、じゃあ住所も送ります。交通機関は……止まってますし、ショートカット用の隠し《門》の座標も送っておきますね」
そう言ってレーナは通話を切った。彼女とそれをとりまく環境、優秀すぎない? と思いながらも。
「ミスカトニック大学か。進路としては意外とアリかもしれないな」
世の中、今回みたいに急な混沌が起こる可能性は無くもない。神話……既に一部首を突っ込んでいるので、将来的に無関係とも言えない気がした。だから、学ぶのも良いだろう。この世界の影や闇の部分を。魔法では解き明かせない世界を。
なんて考えているとメールが2通送られてくる。ひとつは件名『魔導書について』。ふたつめは『事務所の座標です』。
レーナは急いでいるようだが、まぁなんだかんだ自分も急いだところでという感じもする。なので、まずは魔導書についてを開くと。
『以下全文コピペです。ダルクも解けたら連絡してくださいね?
ミスカトニック大学より。
──太陽と月を軸とし地に根差し、自然と月日を巡り示す竜の対石碑。時間を示す光の陰影。豊穣と繁栄を示す52段の階段。神座に心臓を捧げた古き者達の痕跡。終ぞ神との接触は無く、代わりに神呪は鎮座する。
中二病くせぇこの文の謎解けた在学生、OB、OGは速やかに連絡する事』
「共感性羞恥というか、クソむず痒い」
ダルクは一旦思考を放棄……しようとしたが、これはこれで面白い謎解きだなとも思う。地に根ざすなら地上、少なくとも地面。というより、ヴァルディアの初期封印のような地下マントルとかだったら無理だ。しかし太陽と月の謎は……光、満ち欠け、角度などを示すなら『時計』か『方角』だろう。
「まぁ、レーナと合流してからで良いか」
そう言ってダルクは《縮地》で飛んだ。
人々は不安がっているが、今のところは実害があるのは地方の田舎も田舎くらいであり、騒ぎは少ない。
このまま、終結するのが1番だが。大勢の死者が出ないように努めるのは……それは私の役目ではないなと思った。




