1学期①
場所は2/A教室。今日は身体測定の日であった。早々にルナは測定を終えると教室に帰ってくる。
そして教室の隅で一人本を読んでいる生徒に目を向ける。そう、私の友人であるセリアさんです。彼女の周りには驚く程に女子生徒はいません。まぁ、理由は明白なので疑問には思いませんが。
軽くため息を吐くと、彼女の元に近づいていきました。というより、席が隣りなのでどのみち近きますけど。
セリアはルナが近づいてきた事に気がつくと、本から顔を上げニコリと微笑んだ。
「あら、身体測定は終わったの?」
「終わりましたよ?」
「そう……で、去年と比べて、変化はあったのかしら?」
分かってて言っているのなら、なんとも意地悪な質問です。
「変わってませんよ!! 本当に、悲しくなるくらい……」
ルナは自身の胸に手を当て渋い顔をしながら、机に突っ伏した。ついでに突っ伏す前に恨みを込め、セリアの大きい胸をひと睨みして。
セリアはその視線に気がついてはいたが、意に介す事なく口を開いた。
「ふふっ、まぁそんな事より。今私が最も気になっているのは一つよ」
「そんな事って……長年の私の悩みを!!」
「……焦っても仕方ないわ、ルナさん。それに今は成長期なのだから、気長に待てば成長するわよ」
「大きいからこその余裕ですか……くそぉ……」
目に涙を浮かべながら悔しがるルナに、思わず「話が進まないわね……」と呟く。その呟きをルナはしっかりと聞き取っていた。
「分かってますよ、セリアさんが聞きたい事は」
そう言って、ルナは顔を上げた。
「なら聞かせてもらいましょう」
漸く話が進み、先程までとは打って変わってワクワクと、それでいてうっとりと色香を漂わせた表情で、セリアはルナが口を開くのを待った。そして、そんなセリアの顔をチラリと見た何人かの男子が思わず赤面してしまったのは仕方ない事なのかもしれない。彼らくらいの年頃の男の子は、思春期の真っ只中なのだから。
ルナは無意識にエロティックな表情をしている彼女に、小さくため息を吐き出した。
「聞きたいのはチョコレートの件ですよね?」
確認の為に問い、セリアは「えぇ、その通りよ」と肯定で返す。答えの分かっていた問いであったが、しかしこれで第一声が決まった。
「ご期待には沿えませんよ?」
「えぇ……うん?」
実を言うと、昨日普通にリアの口に入れた。お茶菓子として。しかし、特に効果は無かったのだ。
最後まで話を聞いたセリアは、珍しく眉に皺を寄せ、唸りながらぶつぶつと呟き始める。
「……私の薬が効かなかった? いやそんな事ある筈がない。なら配分を間違えた可能性も……それはもっとないわね、何度も確認して作っているし……。なら、原因は何なのかしら? 分からない」
「セリアさん?」
セリアはバタンと乱暴に本を閉じ、机の端に置く。それから、鞄を開きノートを引っ張り出して机の上に開いた。それから、筆箱の中からシャープペンシルを取り出し、ノートに文字を書き殴り始める。
ルナは何を書いているのか気になり、横から覗き込んだ。
(なんですかこれ……何かの化学式でしょうか?)
ノートには数式にも似た無数の式が文字や数字によって構成されていた。ルナ自身も、一般的な化学式や魔法薬の構成式くらいは知っているが、セリアの書く式の数々にはさっぱり見当がつかなかった。
そんな謎めいた式を書いているセリアの表情はいつになく真剣であり、ルナは思わず声をかけるのを躊躇ってしまう。
それから数分。
黙ってノートの端を眺めていると、ふいにシャープペンシルのカリカリと文字を刻む音が止んだ。
「ふぅ……ダメだわ、さっぱり。薬の効能は出ている筈だし、微熱程度なら許容範囲内の作用なんだけど……大して効果が出ていないのが疑問だわ」
「え? 倒れた原因を考えていたんじゃないんですか?」
てっきり倒れた原因を調べる為にノートを書いていたのだと思い込んでいたルナは、セリアの呟きに思わず反応してしまった。
「あぁ、それ。簡単に説明すると、倒れたのは媚薬の効能を高める為に痺れ薬も仕込んだからよ」
「痺れ薬ですか……成る程。なら初めからそう言っておいて下さいよ……。結構本気で怖かったんですからね」
痺れ薬とは名前のまんま、摂取した人の身体を痺れさせ薬の効いている間身動きを取れなくする薬の事だ。しかし、お姉様は怠いとは言いつつも動く事はできていたので、大した量は含有されていなかったのでしょう。
ともあれ、これでお姉様の体は大丈夫だという事が証明されました。
ルナは安心してフッと息を吐きだし、セリアはシャープペンシルのペン尻を下唇に当てながらハァーと長いため息を吐いた。
それから、考えが纏まったのか、ゆっくりと口を開いていく。
「まさか、いえ、私の媚薬で発情しない理由は一つしかないわね」
前置きしながら、セリアは結論を口に出した。
「脳が反応しなかった」
いきなり説明し始めたセリアに、ルナは首を傾げるが、セリアは気にせずに続ける。
「そして脳が反応しなかった理由は一つ『快楽を知らない』ってところだと思うわ。これしか考えられないもの……。ねぇ、ルナさん、貴方のお姉さん、1日だけ貸してくれないかしら?貸してくれたら……女の子の快楽を脳に刻み込んで立派な牝にしてあげるわよ? そしたら、私の媚薬もちゃんと効果があるって証明できるわぁ、うふふっ」
「昼間っから何を阿呆な事言ってるんですか!?」
とても良い笑顔をしながら、丸聞こえの声量で欲望を垂れ流すセリアに、ルナは周りの事など気にせず大声でツッコミを入れる。そのツッコミは、ある意味全ての生徒の代弁でもあった。
「まぁ断られるのは分かっていたけど」
「ならば最初から言わないで下さい…….というか、お姉様が許可する訳ないじゃないですか」
「まぁそうね。私も無理矢理っていうのは嫌いだし。それにしても、いやはや、まったくもって面白いわね、貴方のお姉さん。まさか、この歳で全くシた事がないなんて。それに、穢れを知らない女の子って、字面だけでなんだか興奮してくるわ」
「シた事がない」という言葉のニュアンスから聞かなくても言いたい事が想像でき、ルナは思わず顔を赤くしてしまう。それとは別に媚薬が効かなかった他の原因が、なんとなく考察できていた。
だって、お姉様は元男なのだから。
脳が反応しなかったというのはつまり、そういう事なのだろう。言ったら絶対面白がるだろうし言いませんけど。
そして、ルナはジト目を向けながら「お願いですから下ネタは自重して下さいよ。だから友達できないんですよ?」と、生徒会の役員として、また1人の友人としても注意をした。
その注意に対してセリアは「うふふ」と不気味に微笑む。が、目は笑っていなかった。
と、その時。
「キーンコーンカーンコーン」と軽やかな鐘の音が響いた。教室の壁にある時計を見ると、短針は12を指している。
「もうお昼ですか」
「今日はどこで食べるの?」
セリアは友人が少ない為に、結果いつもルナと共に昼食を摂っていた。一応言っておくが、ルナもセリアと昼食を食べる事は嫌ではなく、普通に楽しんでいる。
しかし、今日は別であった。ルナは弁当箱を取り出しながら断りを入れる。
「ごめんなさい、セリアさん。今日はお姉様と食べる約束を……」
「……っえ」
セリアは美人な顔をキョトンとさせ、口を小さく開いた。
しかし、直ぐにルナの言ったことを理解すると、引き攣りそうになる頰を無理やり歪ませ笑う。
「そう、残念、ね。行ってらっしゃいルナさん」
お弁当の入った風呂敷を虚ろな瞳で見つめるセリア。よく見れば、薄っすらと涙が滲んでいた。
ルナはそんな彼女を見て(日頃から少しでも変態発言を自重すれば、友達なんて簡単に増えるでしょうに…….)と思いながらも、顔には出さずに口開いた。
「もう……セリアさんもご一緒しますか?」
「っえ?」
「最初から誘うつもりでしたし、嫌なら別に良いですが」
「ふ、ふふっ、ならお供させていただきましょう」
「まったく……」
そうして、セリアとルナは共に席を立ち、2/A教室を後にした。
実は、日頃からルナとセリアを誘いたいグループなんかも数多くあるという事を、セリアはともかく、以外な事にルナも気がつかないでいるのだった。
………………
昼の鐘が鳴ってすぐルナはセリアと共に1/A教室を訪れた。その時にリアはレイアを昼食に誘い、レイアも二つ返事で「お供させてもらうよ!!」と了承する。
それから、だだっ広い敷地を4人で歩き、昼食を食べられそうな場所を探していると、とある建造物が目にとまった。木の枠組みで作られたそれは、天井部分に蔦が這い、良い感じの陰り具合になっている。そして、その下には木製の丸テーブルと、周囲を取り囲むように4つ、鉄製の椅子が置かれていた。
「意外と綺麗ですし、木漏れ日がなんとも落ち着く場所ですね」
「本を読んだりするのにも快適そうね。1年いたのに、こんな場所があるなんて気がつかなかったわ」
気持ちのいい風とほんのり暖かな日差しが射し込むこの空間は、解放感すら感じてしまう。ここで読書をでもすると気分が良さそうだ。それに昼飯すらまだなのだが、少し眠くなる程にとても心地が良い。今後、この場所は良く利用させてもらおうと思った。
…………
まったりと昼休みは過ぎて行く。
ルナが連れてきてくれたおかげで、セリアともだいぶ打ち解けてくることができた。向こうからメールアドレスの申請をしてきたので、リアは速攻でOKして交換した。スカスカのメアド欄が少し埋まり喜びで舞い上がる。
しかし、気になることがあった。それは、セリアの視線が時々胸や尻に向いている気がするのだ。前に女の子は胸などに向かう視線には気がつきやすいと聞いた事があるが、これはそういう視線なのか。だが、あまり危機感は抱かなかった。それは、セリアさんが美人なせいもあるのだろう。美人に見られて嫌な男はいない。
しかし、それでも視線が気になって仕方ないのは確かで。判断に困ったリアはふとルナの方に目を向けたのだが、目が合った途端にサッと逸らされてしまった。
(俺何かしたか?)
心当たりを探るも、まったく原因が見当たらない。
そうして結局、視線を感じるのは全部、気のせいだったのだと思う事にして、会話を続けた。
セリアからは、教室内でのルナの様子などを聞いた。やはり、ルナは人気があるようで兄として誇らしく思う。それとは別に、レイアとは調合などの話題において色々と話が合ったようで、後半は2人で盛り上がっていた。少しだけ疎外感を感じたリアだったが、ルナが必死に話題を振ってくれたので寂しくはなかった。ごめんな、コミュ障な兄でと思う。でも、必死に話を振ってくれるルナはなんだかとても可愛かった。
一方で、レイアは会話がひと段落して途切れた時にふと、足元近くの地面に目を向け……そこにいた、一体の小さな魔物の存在に目を開いた。