世界軸10
「ニャルとやら、あえて正体は聞かぬ。明かすつもりもないじゃろうからな。じゃがしかし、姿を現したという事には何か理由があるのじゃろ?」
デイルの言葉にグレイダーツが口を挟もうとするが、デイルは手で制した。ニャルは問いかけに対して苦々しい顔で言った。
「まず前提として。『ルーナに借り』があるから、この世界を滅ぼす訳にはいかない。レーナも守りたいしね。そしてここに来た理由……もし仮にあれが最悪の形で爆発したら、眠りについている私の元主人が起きるかもしれない」
皆はニャルの言葉に首を傾げる。あの封印物が爆発したら世界が滅ぶかもしれない、なら分かるのだが、ニャルの危惧する事が己の主人が起きるかもしれない事だからだ。
「主人?」
ミヤノが問いかけると、ニャルは簡潔に名前を述べた。
「ヨグ=ソトース。時空そのものとされる神よ」
ショウケイが思考する。呪力の研究において、宗教や神話というのはとても面白いものがあった。この世界には神話に類する神器や武器が本当にあるのだ。そして厄介な事に、神力が失われても尚、力を持った神器は時に厄介な呪物になる事もある。なので、一部の弟子は神話神器の調査も担っている。
だからこそ、神話には詳しい。
「ヨグ=ソトースなんて神、聞いた事もない……。時空そのもの、なんて強大な力を持った神をこの俺が知らないわけが……」
当たり前の反応を前に、ニャルはため息を吐く。
「まぁ、普通はそうよ。だって、この世界には『ハワード・フィリップス・ラヴクラフトとその仲間の伝承』すら無い世界だもの」
「ハワード……?」
「ごめんなさい、こちらの話よ。けれど、この世界にいる『神話生物、外なる神』は限られている。要するに私の知る神や異形は少ないという事。そうね、例えば……貴方達もミ=ゴ、ショゴス、ウボ=サスラ。コレらの存在は認識しているでしょ?」
こそりとクトゥルフも起きているけどね、という小さな言葉は皆には聞こえなかった。ニャルの言葉にデイルは、リア達が関わってきた事件に出てきた不可思議な生物の名前だという事を思い出した。どれも記録された魔物とは違い、異形ながら知性を持つもの、時空を歪めるもの、とにかく厄介な存在であり、アルテイラでは捜査対象となっている。
「いずれも、わしらで真剣に調査しようと思っている奴らじゃな。そしてお主は、その中でも特に厄介なヨグ=ソトースとやらが起きる事を恐れて協力したいということでいいのかの?」
「私の事はニャルちゃんと呼んで。そして概ねその解釈であっているわ」
グレイダーツは話を聞いて思考内で纏めると、どのみち一つの結論に行き着いた。
「誰だろうと協力は受け入れるつもりだが、どっちにしろニャル、テメェにも解決策は無いんだろ?」
「そうね。私自身の力を持ってしても、どうしようもないわ。その封印物は遅かれ早かれ爆発する。でも……私達は『どう爆発させるか』を選択する事はできる。私は、主人が起きないように抑え込む役割を担いたいから姿を現したのよ。それから言っておくけど、宇宙に追放した場合も同じ。太陽系内で爆発したら起きるわ」
「厄介な主人だな……」
ミヤノやショウケイは神に対しての力や制約、厄介さを知っているからこそ、いるかもしれないヨグ=ソトースとやらを警戒する気持ちは分かる。そして簡単な考えだが、仮に時空なんてものを司る神が起きた場合……この世界の時間や空間は捻れ、滅ぶだろう。
「爆発だけでも厄介じゃというのに、ニャルちゃんよ、お主は余計に面倒な問題を引っ提げて来てくれたものじゃの」
「自覚しているわ。ただ朗報もあるの」
言うと、ニャルは再び《門》を創造する。その向こうに……片手を黒く艶のある無数の触手にかえて突っ込んだ。その時点で全員がやっぱり人外なのかと納得する。そして何かを掴んだのか、軽い仕草で引き抜く。
「ちょー!?」
触手に絡まれて放り投げるように引き摺り出されたのは、少し仄かに光る髪と天使の輪っかを携えた……キルエルだった。彼女はゲームのコントローラーを大事そうに抱えながら地面を転がる。
「くべら!? あぁ!? やっと討伐できそうじゃったのに……」
《門》の反応で誰かに引っこ抜かれた事は分かっていたが、ゲームに集中していたキルエルはどうせリア達だろうと無視していた。なのに、急に引っこ抜かれるように引き摺り出され、ゲームを中断された事に腹を立てる。
「誰じゃいオラァン!? なんじゃい貴様ら!!」
そして顔ぶれを見て、サーッと顔から血の気が引いていった。天界から英雄は見ていたし、天使といえど人間に殺されるくらいの実力しかないキルエルにとって、普通に怖い連中が顔を連ねているのだ。特にグレイダーツ。
「あのぅ……もしかして我、殺されます……?」
困惑する天使……キルエルに、ニャルは言った。
「こいつを使えば、取り敢えず私の主人の問題は解決するし、もしかすると最悪は避けられるかもしれないわ」
震えるキルエルの頬を触手でペシペシと叩くニャル。天使の事については、未だに謎が多い為にデイルは開きかけた口を閉じた。どちらにせよ、自分達に出来ることは少ない。ならば、ニャルという協力者に頼るのも手だ。それにもしヨグ=ソトースという神が実在して、彼女の言う通りに目覚めたとして……自分達に対処できるか?
(難しいのぅ)
キルエルは怯えながらもニャルの正体に気がついたのか「うわ、ニャルじゃん……」と項垂れる。
神や天使の界隈では割と有名人なのだろうかと全員が思い。ニャルは意味深げに、また微笑んだ。
キルエルは話を聞くのも嫌そうにしながら《門》まで這いずるので、グレイダーツは課金カード10万買ってやるから協力しろと言いつつヘイローをへし折る。流石のキルエルも嫌々ながら話を聞くことになった。強者の暴力には逆らえぬ。そうして話を聞き終えて、自身に振られた役割に物申す。
「我を呼んだ理由は分かった。しかしなぁ。ヨグを起こさぬように、地球に薄い時間停止線を張れはなぁ」
どのみち爆発する封印物の余波で、ヨグ=ソトースを起こさないようにする為には、要は揺らさなければいい。何億と眠って、この先も眠り続ける神が、些細な地球の変化では起きるはずはないのだ。
今回の件は地球の中で完結させなければならない。その為に地球を監視している『天使』にも無理矢理、協力させるのだ。
そして丁度、時間停止の権能を持つキルエルが地上に堕ちている。いつも傍観者でしかない天使の権能が使える。ニャルからしたら好都合だ。時間の止まった膜を張れば、呪力や魔力がが宇宙まで吹き飛ぶ事はないと考えている。
「あんまり下手な事は出来ないんじゃよな。堕天してる状態なんで。でもしゃーなし、協力する。上司が来るのも嫌じゃしな」
「良かったわ。殺して権能を奪う手も考えていたから。まぁ、私としては天使なんて殺した方が楽なのだけれど」
「……」
物凄く苛立ちと嫌悪感を滲ませた顔でニャルを睨んだ後、キルエルは砕けたヘイローを頭に乗っける。そのまま、ニャルの開いた《門》に片足を突っ込んだ。
「私が出来る事はやってやるのじゃ。今回の件は……思っていたよりも、多くの勢力が蠢いておるしな。1年後に発売のモンスターバスターの新作をやる前に世界が終わるのは嫌じゃ。しかし権能にも限界がある。私はニャルの依頼で精一杯になるじゃろう。
じゃから頼むぞ英雄。
あとは、まぁリア達にも頑張れと伝えておいてくれ」
やる時はやる。というかやらねば上司が怖い。キルエルはあまり地球に干渉してはいけない天使ではあるが……ニャルに権能を奪われるよりは協力した方がマシだ。言い訳を並べながら、帰ってすぐに権能を発動させる。
キルエルの権能は確かに魔力を使うものもあるが、言い方をゲーム風にするならば『スキル』だ。だからこそ、いかようにも解釈を拡張できるし、柔軟性もある。
「やはり10万の課金カードは安かった」
ため息を吐いて、空に手を向ける。砕け散ったヘイローが急速に回復し、背中から天使の羽が展開される。
そして、ほんの少し権能を悪用して。
「そうなるのか。これは、モンバスの発売日は更に伸びるじゃろうな」
考えている事は人でなしだが、人ではないのでセーフ。しかしリア達には死んでほしくないなと、漠然とそう思うキルエルだった。
………………
封印物の中身。
他世界のリア・リスティリアの心臓が脈を打つ。
リア達は言いそびれていた、既に一度動いている事を。
事態はかなり深刻だということを。
なぜ動いたのか。神力、呪力、魔力がリアの意識と混ざり合い、特殊な『魂』が形成されていたからだ。身体は呪いで朽ちずに残っていて、肉も血も残っている。それに、例え体が朽ちていたとしても『器』はあるのだ。奇しくもヴァルディアの呪いによって。
万年……という途轍もない長い時を、次元の中漂っていた。奇跡的に魂が形成されるのは不思議ではない。しかし、ならば魂の主導権はどこにあるのか。
魂とは不思議なエネルギー体だ。クロムが解き明かそうとしているが、そのブラックボックスには未だに謎が多い。そんな中でも特に記憶や意思といった要素も魂に含まれるのか? という謎もある。
謎もあるが……今回は最悪だった。なにせ、3人の特異点……ヴァルディアの狂気が混在しているからだ。木樵の呪いは、万能ではない。世界樹の系譜と特異点のヴァルディアを消し去る……とは言うが、あくまでもヴァルディアが渡った世界での話。本当に消し去れたなら、ポッドに乗っているヴァルディアも消えている筈なのだ。
しかしそうならかった。何人かは世界から姿を消したかもしれないが、リア達の住む世界のヴァルディアすら存在は消えていない。
リアの中に内包した呪いは、刻々と主導権を失い。特異点でしかなくなったヴァルディアもまた、破壊の意思しか持たぬエネルギーでしかなくなったのだ。
動く理由は世界の破壊。
この世界で最終的にヴァルディアが手に取った手段と変わらなかった。
しかし、皆が気がつかない、ほんの少しの希望……または可能性もある。最後に他世界のヴァルディアがリアに突き刺した『繋ぎ止める呪い』故に、リアの意識は……彼は確かにそこにいる。
鼓動が強くなる。万年という時を得た封印は既に朽ち、ただの壁でしかない。そして、呪いは壁の向こうから綺麗なナニカを感じる。
欲しい。魂は渇望を覚えて、汚染された身体を動かし突き破った。護る誓いは、ある意味で呪いだ。
……………
脈の振動を聞き逃さなかった。ほんの空気の揺れとエネルギーの微流、それだけでニャルは最悪だと思った。
目にも止まらない速さでニャルは触手を展開した。ある意味で、神と呪をごちゃ混ぜにした『混沌』の蕃神は対エネルギー汚染には優れており、溢れ出したエネルギーの奔流から英雄達を囲う。
英雄達は突然の行動に驚いて口を開こうとした時だ。
強烈な圧力を感じた。
まるで、無力のまま巨大な生物の足元にいるかのような、不安感。激しい鬱のような、じとりとしたエネルギーの唸りと咆哮。又は、過去から負の影が滲み寄ってくるような錯覚。
唯一、慣れていたショウケイだけが動けたが、だから何が出来るというわけでも無い。
次いで響く破砕音と轟音が響き、人々の悲鳴と恐ろしい怨嗟の声が木霊する。そこでミヤノも、その中には数億という人々の生命力が含まれている事が分かり、吐き気を催す。だが、最悪だという事は即座に理解できた。ミヤノは事前に準備していた魔法を発動させる。ウーラシール全体を衛る為にウカノの命とのネットワークを接続。力を借りて清浄な神域を作り上げる。偶然かは分からないが、ミヤノは昔からこの魔法が発動した場合、ウーラシールの都市部を防衛拠点にすると全魔導機動隊に1年毎に通達していた。その為に……ウーラシールの魔導機動隊は即座に異変に気がつき、行動は早いだろう。
「最悪だ……」
グレイダーツがため息を溢した。彼女の心残りは、他の英雄の所在が全く掴めていないところにある。出来るのなら、戦力を集結させて事に当たりたかった。誰もが馬鹿で阿保で、天才で秀才で最強だった世代の人間だ。自分達と同じように弟子をとっているだろうし、何よりも英雄の訃報など全く聞かないので、生きている可能性は充分にある。
最悪が起きたとしても、全員揃えば。そう思わずにはいられない。
一方で、デイルは事前に各地を転々としていた時に仕掛けておいた対魔物用ではあるが、《救急結界》の発動を行う。魔物の被害が起きた場合に避難する場所には大方仕掛けてきたが……,
「これから、どうなるか分かるかの?」
ショウケイに問いかけると、彼は──。
「第二次人魔大戦……レベルの事態にはなる」
短く、これから起こる戦いを告げた。
汚染は一気に広がるだろう。
魔力がある、そして不思議な事に『魔物』がいる世界……『魔物』という謎めいたルールがある以上、避けられない戦いだった。
「にしても、こんなサラッと始まるのやめてほしいわ」
「そうじゃのぅ。人魔大戦……あれだけ苦労したのに、たった半世紀でまた人類への挑戦……。もしかしてわしらの時間軸は『呪われて』おるのかの?」
デイルが縁起でもない事を言うが、このポッドが流れ着いた時間軸というだけで説得力があった。
と、その時。ナニカが飛び出すような音と共に圧力が消えた。ニャルも確認して、触手の防壁を解除する。
余程のことがない限り壊れない一室は瓦礫が散乱し、天井は青空を覗かせていた。
ニャルは少し考えた後、英雄達に話しかける。
「さて……最悪は起きてしまったけれど、結局爆発するのなら良い機会だったのかもしれないわ。目標は魔物から人々を守りつつ、あの汚染の元……リアを討伐すること。彼にありったけの魔力と神力をぶつけ続けるか、破壊でエネルギを霧散し続ければ……倒せるはず」
「討伐隊は後で考えるとして。まぁ、兎にも角にも、人々の安全を最優先にしなきゃな。お前らはどうする?」
グレイダーツの問いに、ショウケイは「日本区域は弟子でどうにかなるだろうし、アルテイラには防衛機能が多い。俺はカルジェラールに向かう」。
ミヤノは「あっしはウーラシールの防衛に当たろう」。
クロムは「《門》が使えるならば、緊急の医療病院を設立する」。
デイルは「わしなりにネットワークはある。居所の分かる同級生に協力を仰ぎながら結界を張っていくとしよう」。
それぞれ、やるべき役割を理解している。最後に、ニャルは「私も、知り合いに頼んでくるわ」と言って、先に天井の穴から飛び出して行った。
「……私は魔導機動隊に編入できる《召喚魔法》の支援をしながら、デイルと同じように協力者を探そうと思う。それに行く先々で戦闘はあるだろうから参加してくるが。問題はなぁ」
「そもそも、あの中身が何処に行ったか。じゃな」




