リヴァイアサン6
「デカいな……お刺身何人分かな?」
「魔物だから人間は食えぬぞ?」
「わーってるよ。小粋なジョークだ」
「人間のジョークは分かり難い。でも、まぁ、魔物も灰になる前なら味はあるがな」
「食った事あんの?」
「長年生きていると、ふとした好奇心でも試してみたくなるのだ。そして結論だが基本不味い、澱んだ魔力の塊なのだから当たり前だがな」
空からリヴァイアサンを視認したリアは素直に感想を呟いた。ギルグリアの体躯の何倍もある大きさのリヴァイアサンは、身動きするだけで津波を起こす。しかも、デカいにも関わらず水による抵抗をまるで感じさせずに尾を振り払い、水を操る事で簡易的な竜巻を起こし、魔道機動隊を近づけさせないでいる。これではリアも中々に近づけない。
だが、飛行戦ではギルグリアに軍牌が上がる。ギルグリアは軽やかな動きから急旋回を開始。リアは必死にしがみつきながら《境界線の銀剣》を構えた。
「いけるか?」
「振り落とされるなよ」
リヴァイアサンが首を上げる。羽虫を払うように大きな津波を起こして範囲攻撃をする。そんな中を結界を張ってリアとギルグリアは突貫すると銀剣を突き立てた。
「うぉぉぉおらぁぁあ!!」
首の下をギルグリアの飛行する勢いに乗せて銀剣を振るう。だが何でも切れる筈の銀剣は鱗に阻まれて「ギィィイ!!」と火花を散らすだけだ。天津の鱗とやらは神を名乗るに相応しい防御力を誇っていた。
「硬っ!?」
駆け抜けた2人は再び空に舞う。魔道機動隊の攻撃も意に介さず、しかしさっきのリア達の攻撃に何かを感じた様子のリヴァイアサン。知性ある魔物であるが故に、微かな脅威を感じ取ったのだろう。リヴァイアサンの暗く澱んだ目がこちらを貫き、次に大きく口を開くと光を集めた。
「やばっ、ギルグリア避けれるか!?」
「最大限やってみるがっ!!」
5秒という短いチャージ時間を得て、リヴァイアサンの光のレーザーが飛来する。眩さに思わず目を瞑りたくなる程の熱量だ。そして一直線にこちらに飛来してくる極太の光のレーザーをギルグリアは回避するが。リヴァイアサンを首を傾けた。当然、レーザーも曲がりリア達を捉える。
「《境界線の結界》!!」
「《黒龍の火炎》!!」
ギルグリアと自分を保護する為に結界を展開した。レーザーはギルグリアの火炎と衝突して爆ぜながら拮抗するも。
(押されるだと!!)
ジリジリと距離を詰めていきギルグリアの火炎を押し返すと、レーザーは結界と衝突した。結界を包み込むように空へ熱線が走る。巨大な流れ星が通ったかのような綺麗な軌跡を描いた。
そんな攻撃を直に受けたリアは、冷静にレーザーの直線から距離を計算し座標を指定する。
「《結界の大槌》!!」
巨大な結界の槌がリヴァイアサンを叩いた。手応えを感じたリアは更に結界を展開しリヴァイアサンの頭を四方八方縛り付けると口を無理矢理閉ざした。
肉を焦がす焦げ臭い匂いが辺りに充満する。リヴァイアサンがほんの少しだけ口元に血を滴らせるも、それを舐め取り余裕の表情をする。どうやら高速回復でもしている様子で、自身の攻撃でダメージを受ける可能性はゼロのようだ。ついでと言わんばかりに甲殻や鱗が脈動し結界が破壊される。《解呪》の亜種だろうか? どちらにしても厄介だ。
ギルグリアは翼を広げると魔法を発動した。
「《順序破壊》」
本来は魔法を解呪する術なのだが、神格を得たリヴァイアサンに対しては特攻のひとつとなる。鋭く抉るような風が吹き、リヴァイアサンを一刀両断するかのように叩きつけた。ギルグリアは天津の鱗とやらを攻略できればと放った一撃だった。結果、竜巻は幾つか消滅したが。
「効かぬか?」
「どうだろう、攻撃してみないことにはな」
魔道機動隊の一斉攻撃が始まる。リヴァイアサンはそれを鬱陶しそうにしているが、効いているかと言われれば首を傾げざるをえない。
その時、ドクンと大気が揺れた。鱗がざわめき立ち、隙間を開く。とても嫌な予感がした。
攻撃の一手を観察していると突如、鱗の隙間から360度の全範囲に小型レーザーが放たれた。一撃一撃が必殺の威力を持ち、全てを貫かんと飛来する。
「《境界線の結界》!!」
周囲に結界を張る。
一瞬の判断の遅れにより、魔道機動隊の戦闘機が幾つが撃墜され、隊員が脱出する。リアはそれを優しく結界で保護しながらギルグリアの頭から飛び降り、結界の上に降り立った。
「1発、デカい攻撃いくか」
「我も合わせよう」
リアはズレたブラ紐を直しながら《境界線の狩武装》を身に纏うと、銀剣を吸収し魔力を増幅させる。斬撃から打撃に切り替えた。ギルグリアも口を開くと魔力を貯めていく。銀色と紫色の眩い光が辺りを照らした。魔力の鱗粉が舞い、幻想的な景色を作り出す。
合体魔法。
リアは拳を構える。魔力が高まり拳の先から肘にかけて、銀色の光がジェットエンジンが噴射するように後方へ吹き荒れる。拳はカタカタと震え発射されるのを今かと待ちわびているようだ。
ギルグリアも口に紫色の光を集める。黒龍の魔力の集合体は周囲の魔力濃度を上げる程に濃い。
そんな2人を見て報道陣や魔道機動隊は急いで退避する。本能で分かった、あの攻撃はリヴァイアサンの一撃以上かもしれないと。リヴァイアサンは首を上げてこちらを見ながら、口元に光を蓄えて反撃に移ろうとするが。
「《皐月華戦・改》」
「《紫点画消》」
銀と紫が混じり合い、雫がこぼれ落ちるように、魔力と力の奔流が世界に垂れる。
瞬間、音が消え去った。
抉るような銀色の暴力と、消し去るような圧倒的魔力を誇る紫の一滴は、海を裂いた。そう、裂けたのだ。全ての海水を吹っ飛ばし、円状に地表が露わになっていく。空には吹き飛ばされた飛沫が舞い、微風が鼻先を吹き抜ける。
音と衝撃は遅れてやってきた。リアは吹き飛ばされそうな身体を結界でガードする。15キロは距離をとった筈の魔道機動隊ですら吹き飛ばし、2人の一撃が予想以上の威力である事を物語っていた。
海水を押し除けてリヴァイアサンを地表に叩きつける。リヴァイアサンを中心に全長10キロにもわたるクレーターが出来上がっていた。その好奇をリアが見逃す訳がない。瞬時にドーム状の結界を張ると海水が逆流してくるのを防いだ。
これでリヴァイアサンは事実上、陸に打ち上げられたも同義。結界の設定で魔道機動隊の戦闘員や戦闘機、シストラムも通れるようにしてある。
と、吹っ飛ばした海水がバケツをひっくり返したかのように降り注ぎ始めた。恐らく海岸の方には凄まじい津波が押し寄せてきているだろうが、向こうにはデイル達英雄がいる。任してもいいだろう。
さて、ここで分かった苦い点がいくつか。まず、図体がでかいにも関わらず『天津の鱗』の効果か、体内に座標指定する事が出来ない。つまり、仮に《門》が使えても体内に繋げる事が出来ないという事。鱗の攻略は必須らしい。次に結界魔法による捕縛だが、やはり壊さられる。というか天津の鱗は断続的な《解呪》魔法を放っている事が分かった。
どちらにしても厄介で、はてさてどう攻略したものかと溜息を吐いた。
しかしため息を吐く暇も無いと言わんばかりに、知性あるリヴァイアサンは攻撃の手を緩める筈もなく。瞬時にトグロを巻くと鱗と甲殻の隙間から魔力を放出する。すると、海水が圧力をかけるように結界に押し寄せる。リヴァイアサンはそのまま回転すると、鱗を四方八方に飛ばす。天津の鱗は結界にヒビを入れ、ついに割れる。逆流した海水は渦を巻いてリヴァイアサンを取り巻く。海水の隷属は完璧な様子だ。
リアとギルグリアがせっかく築き上げた包囲網が崩壊した。
「もー、振り出しかよー」
「嘆いても仕方あるまい」
「そうだけどさー」
開戦から5分弱。まだまだ始まったばかり。
「どうにか、リヴァイアサンを俺たちのフィールドに引き摺り出さない事には」
「難しいな、我の爪でも掴みきれん大きさだ」
「それ以前にあの質量を持って飛ぶのは無理だろ、抵抗もするだろうし」
「そうだな。まったく難儀な魔物だ、しかも我の《紫点画消》で消し飛ばせぬとはな」
「あれな、威力やばすぎて驚いたぜ」
「リアも中々……あの一撃は我でもダメージを受ける威力だった。流石は我の花嫁」
「お褒めに預かり光栄だ」
リアは体勢を立て直すと、ドラゴンブラッドを起動して地脈からエネルギーを吸い上げ魔力に変える。その時「キィイ」と背後で音が鳴った。カタカタと天草払の大太刀が揺れる。
「なんだ……?」
大太刀を少しだけ抜いて刀身を見るも、錆びついた鈍なのに変わりはない。気のせいかと大太刀を仕舞う。そうしている間に、リヴァイアサンが動いた。巨大な海水の玉を複数浮かべると「ギュウン」と形を円盤状に変えて回転を始めた。リアはゾッとした、アレに触れるのは不味い。どっからどう見ても水のカッターだ。しかも夜なのもあり視認性が悪い。追いかけられたらひとたまりもない。そう思った瞬間、全ての水のカッターが飛来した。瞬間移動でもしているのか、まるで座標を掴ませないかのような不規則な動きで迫る。
「ギルグリアぁあ!!」
ギルグリアが翼に魔力を纏い、甲殻の隙間からもジェットエンジンの如く魔力を噴射しながら立体的に高速移動する。ギルグリアの赤い魔力が空に線を描く。リアはしがみつくのに必死になりながら対抗策を考える。当然《境界線の結界》は張っているが、水のカッターにも《解呪》と似た効力があれば……。
……………………
ルナとクロエは身体の痛みから目を覚ました。お互い同じ布団に寝かされていて、何が起きたのかを即座に理解した。ルナは同時に倒れる時の覚悟を決めたリアの顔を思い出し悔しさに歯噛みする。
そんなルナの頭をクロエは優しく抱きしめた。
「ルナ姉」
「クロエちゃん……」
クロエも同じ気持ちだった。感じる無力感は蝕むようにじくじくと心を痛める。だが、血が滲む包帯を見て冷静さが勝る。
そうして幾分か時間が過ぎた。外では大きなくぐもった音が響き小さく建物が揺れる。確実に戦闘は始まっている。
2人ともリアの力になりたい。だが、呪いにより既に満身創痍な自分達が駆けつけた所で迷惑にしかならないだろう。
リアが聞けばそんな事はないと断言して否定するだろうが、現実は非情だ。
でも、だからと言ってこのまま黙って過ごすのも……そう思っていると。
「おはよ」
「グレイダーツ校長?」
「どうしてここに?」
「リアに任されてな、命は無事なようで良かった」
わしゃわしゃと頭を撫でられたルナとクロエは、安心感を覚えて気持ちを落ち着ける。しかし、グレイダーツ校長は戦闘に参加しないのだろうか? その考えが顔に出ていたのか、グレイダーツは少し悔しそうにため息を吐いた。
「《アルス・マグナ》なら一撃加えられるかもしれないがな。その為にこの街を離れる訳にはいかん。今この街は無法状態だ、だからこそ秩序たる私が必要だと思って残ったんだよ」
グレイダーツの言葉に2人はなるほどと頷いた。確かに、今なら無法者や犯罪者がどう動こうが魔道機動隊の隊員が駆けつけてくる事はない。それはそれで市民に被害が及ぶ可能性が高く、故にグレイダーツが街を守っているのだと分かった。たった1人で……流石は英雄だ。
「流石ですね」
「まぁ、英雄と持て囃されるくらいだしな。ある程度、活躍はするさ」
グレイダーツは胸元の紅い賢者の石を撫でながら言った。50年前にも似たような事があったのだろうか? 少し哀愁を感じる。
と、会話をしていると突如、部屋に光が差し込んだ。グレイダーツが警戒体制をとっていない所を見るに敵ではないようだ。
「……陽の光?」
柔らかく心地良い光が室内を包む。クロエがベッドから痛む身体を動かして、どうにか窓辺まで辿り着くとカーテンを開いた。
そこには……ふわふわと浮かぶ、巫女服を着たミヤノがいた。背中に大きく蜃気楼のように揺らめき透けた黄金色の神社を顕現させ、両手には鈴のついた魔道具を持っている。狐耳は更に大きく変化しており、頬には3本の線が走っている。瞳は黄金色をしており、見た者を萎縮させる程の神々しさを放っていた。
「……かみさま?」
クロエが思わず呟く。神聖で厳かな雰囲気に呑まれてしまった彼女は、ただ唖然としていた。ルナもベッドから降りて近づき窓を開く。グレイダーツとミヤノの視線がぶつかった。言葉にしなくても、ミヤノのしたい事を察した様子だ。
「お前ら、リアの助けになりたいか?」
「「勿論!!」」
「良い返事だ、じゃあミヤノ、頼んだ」
「あい、任された」
ミヤノが「シャンッ」と鈴を鳴らすと、ルナとクロエの身体が浮き上がる。なんとも安心感を覚える浮遊感を体験しながら、2人の体はミヤノの元に引き寄せられる。ミヤノは2人を両脇に抱えると優しく微笑んだ。
それから高速で神社まで飛行しながらミヤノは説明する。
「まずルナとクロエにもあっしと同じ『神聖』を付与する。ウカノの神様もリヴァイアサンは『豊穣』の邪魔と判断したようで。少し難儀な神ではあるが、此度は協力的でな。降臨の儀式も予想より早く終わった」
「神聖を付与ですか?」
「リア姉の力になれるの?」
「あくまで、やる事はリヴァイアサンの力を封じるか弱める事じゃ。討伐はリア達に任せてしまうが、なに足手纏いにはならん。《封術》は人数が多いほど効果が高まる」
1分もせずに境内に降り立つと、ルナとクロエを解放する。境内には大きな鳥居が四方を囲むように設置されており、中央には巨大な丸鏡と供物らしき米や菓子、酒が置かれていた。ルナは結界の気配を感じ取る。ここには人払いの簡易結界があり、簡単に一般人が入れないようになっているようだ。
その中央にある社に、ゆらゆらと輪郭を持たない黄金色の人型があった。胸は大きく何処となく女性だという事が分かる。そして目はどこにもないのに見られている。しかしゾッとするよりは、安心感を覚えた。まるで実家のリビングで寝転がっているかのような感覚。なるほど、いるのか半信半疑だったが、この方が神様。ルナとクロエは無意識に頭を下げていた。人型、ウカノの神と呼ばれる存在は片手を胸元まで上げる。
『──』
「あぁ、ウカノ様。彼女達にも頼みたい」
『──』
「え? いや、それは……」
ウカノの神とミヤノはテレパシーで会話をしているのだろうか? ウカノの神の声は聞こえない。
だが、何か条件を提示されたのか、途端にとても渋い顔をしつつ頬を赤くするという器用な表情をするミヤノに、ルナとクロエは首を傾げる。だが、黙っている時間ももったいない。急かすようにルナは問いかける。
「あの、何か問題が? 私に出来る事ならなんでもやりますよ?」
『──』
ゆらめく人型、ウカノの神が笑った気がした。あちゃーとミヤノは手のひらを顔に当て息を吐く。
「あっしなら幾らでも付き合います故、この者たちは除外してくれませぬか?」
『──』
「リアも連れてこいと申しますか!?」
『──』
ミヤノの目が神様に向けるものではなくなった。まるで俗物を見るような冷たい目をしている。
その目を意に介さず。ウカノの神の輪郭が線を描いていく。ゆらゆらと揺らめいていた黄金色のモヤは形を成し、そして神は真に降臨した。
まだうら若く穢れを知らない乙女のような少女の姿。顔は整いすぎて怖い程に美少女で、肌は病的に白い。目は翡翠色で、双眸に見つめられると背筋が自然と伸びてしまう。髪は白く瑞々しい艶を放っており、姫カットにされている。清楚さを敷き詰めたかのような雰囲気を放っており、ふわりと微笑むと大輪の花が咲いたかのようだ。服は和装であり、背中には巨大な注連縄を背負っている。
ウカノの神、豊穣を司り信仰より産まれた正真正銘の『上位存在』は、3人を見つめると厳かに桃色の唇を動かして、今度はハッキリ澄んだ声を響かせた。心に染み込むように、言葉は紡がれる。
『ムラムラします』




