リヴァイアサン5
結界と衝突した瞬間、光が爆ぜた。膨大な熱量は街を焦がすように照らしつけ、爆発を起こす。15万気圧という高圧が発生し、まわりの空気が急激に膨張していく。やがて発生した衝撃波が、凄まじい音の暴力を結界へと叩きつけた。住民の多くが鼓膜をやられる程の音の暴力と突然の熱風に、結界へとヒビが入る。デイルは冷や汗を流した。結界にヒビが入るなど人魔大戦の時も無かった。しかもリアと共に進化させた《境界線の結界》をだ。つまり、それだけリヴァイアサンの攻撃が凄まじい事を物語っている。だが、最悪の事態は免れた。
海上をリアと共に走っていたギルグリアは、爆発前にドラゴン形態へと変身して翼でリアを守る。たが、衝撃波により転がるように海を滑った。2人はルナとクロエが血を流した段階で呪いを察しグレイダーツに託すと駆け出していた。本当は看病していたいが、そうもいかない歯痒い事態だ。
……空には雲の高さをつき抜けてきのこ雲が立ち上る。たった一撃、ただそれだけで攻撃を直接味わった訳でもないが、ウーラシールの街に住む人々に恐怖を刻みつけた。また、夜の闇が余計に恐怖を掻き立てる。
更に報道の関係者やカメラマンにキャスター、報道カメラマンを乗せたヘリや魔法使い達が駆け足で現場に向かい、報道を流したせいでもある。いや、彼らもこれほどの攻撃を前にして唖然としていた。
そして、この攻撃で魔道機動隊の4分の1が負傷。現場を退く事となる。シストラムはリヴァイアサンを監視するように旋回し照明を続ける中で……一機がリヴァイアサンの口へと突撃していった。巨大故にリヴァイアサンは気がつかず飲み込む。
「大丈夫かリア」
「あぁ、守ってくれてありがと。でも、何が起きたんだ?」
「どうやら、これがリヴァイアサンの一撃のようだ」
背後を振り返り、未だ燃え盛る海岸を見たリアは戦慄しながらも拳に力を入れる。背後から吹き抜けていく突風が鬱陶と肌に張り付く服を脱ぎ去り、下着姿になったリアはギルグリアに向き直った。羞恥心は捨て去ろう。今は前の敵を倒さねばならない。再び天草払の大太刀を背負い直した。それから《境界線の銀剣》を引き抜く。
「ギルグリア、乗せてもらってもいい?」
「うむ」
首を下げてリアを乗せたギルグリアは空に飛び上がると急いでリヴァイアサンの元まで飛んだ。
それを確認した報道陣は。
「おい、夢じゃねぇよな? ありゃまさしくドラゴンだ!!」
「敵じゃないの?」
「この国最後の希望かもしれん!! 追うぞ!!」
「頭に人が乗っているが……あの娘は?」
「怪物には怪物をぶつけんだよ!!」
「急いでカメラ回せぇ!!」
深い絶望を前にした人々は……逆に奮起した。自分達に出来る事を。そう思い立ち上がっていく。
ウーラシールの人々は、かなり強かであった。たった5分で、呪いにより倒れた人々を皆で病院に担ぎ、急拵えのテントを立てて治療に当たる程に。
そして、テレビで見るのだ。英雄の活躍を。
………………
アイルはリヴァイアサンの圧倒的な力を目撃し、しかし強く歯噛みした。
「デイル・アステイン・グロウ!!」
街を守った結界がデイルのモノだと分かったアイルは強く憤る。本来ならばさっきの一撃で街に住む住人の約1万の魂が狩れた筈。それを防いでみせた英雄の力を恨んだ。だが、計画は始まったばかりである。
「っ……いいです。私にはまだ……リヴァイアサンを操る術が残っている」
背後の魔法陣が脈動する。文字化けした魔法陣は徐々に光を増していく。人々の恐怖の重さと数だけ呪力を上げる、《深海魔魚竜の操縦》という呪いは確かに機能し始めている。リヴァイアサンには知性がある、だからこそ操れると思い、悟られないように起こした計画は遂行されつつあった。あとは魔導書の指示に従い、これでリヴァイアサンの脳を奪うだけだ。
脳を奪えば、権能も手に入る。これで街の人々の魂を集め権能を起動すれば、父にも会える。
アイルは元より、リヴァイアサンなど信じてはいなかった。利用するつもりでいた。それはリヴァイアサンも変わらなかったが、アイルの方が一枚上手だっただけ。アイルが今まで利用され続けたのは、死者に会えるという権能の使い方が分からなかったから。だから謙って謁見したのだ。
故に、もう契約はいらない。
「たった一撃でヒビが入ったのなら、連発させればいい」
恐ろしい事を口走るアイルは、魔法陣に手を触れようとした。その時。
「動かないで」
澄んだ声が教会に響いた。いつの間にか背後に人が立っており、頭に酷く冷徹でどこか冷たいモノが押し当てられる。カチャリと音が鳴った。
「貴方が犯人ね」
声の主人、レーナがここに辿り着けたのには、グレイダーツの協力故だ。グレイダーツが街に放った戦乙女達により、リヴァイアサン復活の魔力を探知。場所を聞いたレーナは自分に任せてほしいと《門》を開きここに降り立った。失敗は許されない、ここで犯人である彼女を拘束する。
筈だった。
「さぁ、手を後ろに回して」
「お姉さんさ、なんか勘違いしていない?」
「はい?」
「銃如きで私を殺せる訳、ないでしょ?」
アイルが振り返り目線がぶつかった。権能が発動する。瞬間、レーナを白昼夢と呪いが飲み込んだ。倒れ伏せる彼女を見ながら鼻で笑い、アイルが魔法陣に触れようとした。計画は順次に素早く進めよう。
しかし。
「貴方のお父さんの魂は、もうウボ=サスラの元には居ないわよ。輪廻転生、世界のシステムに乗っかったわ」
レーナと似た顔をした、黒いゴシック調のドレスを着た少女が先に魔法陣に触れていた。魔法陣は一際ドクンと脈動すると、少女に吸い込まれていく。
「……は?」
魔法陣には自分が触れなければ発動しないようにしていた筈だ。驚愕、唖然、焦燥、心臓が煩く音を立てる。
「計画が……」
計画が一瞬にして狂った。しかしまだ立て直せる。そう考えはするも焦りは加速する。
そして駆り立てられる強い怒りから少女を睨みつけて権能を発動する。だが、少女はどこ吹く風と笑みを浮かべた。効かない、アイルは再びの焦りから汗を流す。
「本来は手出ししないつもりだったし、貴方の道化を観察するのはとても楽しかったけれど、リヴァイアサンの服従は流石に不都合なの。神は神らしくあるべきなのよ、人が操っていい存在じゃないの。所詮、紛い物だとしても」
「なにを……いや、邪魔者に何を聞いても無駄か、死ね!!」
懐から魔力の付与された特殊なナイフを取り出すと、少女の首に突き立てた。だが、ナイフの刃は皮膚を一枚も切り裂く事はなく。反動で思わず手を離した。カランと冷たい音が鳴る中で、少女の目から闇が溢れる。
「リヴァイアサン如きに数千万の命が奪われるのも容認できない。アレには今代の英雄に処分してもらうわ」
少女から、バキリと音が鳴った。なにか大切なものを割るような生理的嫌悪を催す嫌な音が響く。
やがて顔が潰れ、黒い渦を作る。
顔はなく、暗く咆哮するような円錐形の頭部が現れた。
詳細は細かく語る事が出来ない。ただ、音も無く咆哮している。そんな頭部。
「あっ……」
氷水に突っ込んだかのような錯覚を受け、足が震える。喉からは搾り出した音しか出ず、脳を今すぐ取り出して水洗いしたい、そんな衝動に駆られる。
『愚かな人の子、貴方はやり過ぎた』
何語か分からないし、おおよそ人間では発音できない音だった。けれど意味は理解できた。
そして精神にダメージを受け、アイルの精神は焼き消える。
廃人のように座り込み虚空を見つめ動かなくなった彼女の身体を右手を繰り出し、変化させる。そして伸縮する触手に変えて飲み込むと、顔をレーナに似たモノに戻した。
「さて、それじゃあ私は特等席で、魔物の分際で神格を得た魚竜が屠られる姿を見学するとしましょうか」
「お姉、ちゃん……?」
「あら?」
白昼夢から帰ってきたが、呪いを受けたが故に魂が抜けかけているレーナ。魂状態だが、彼女は突如現れた人物を見る事ができた。
謎の少女は、そんなレーナに近寄ると……魂を器に戻す。呪いも消え失せ、生えかけていた鱗が灰になって消えていく。そしてレーナの意識が覚醒した。
「お姉ちゃん!!」
飛び起き、顔を見る。間違いなくレーナの姉『ルーナ』と同じ顔。
「やっと会えた!! どうしてこんなところに、いや、今までどこに……!!」
嬉しさから笑顔を浮かべて開きかけた口を、少女は人差し指で制止した。
「お姉……ちゃん?」
首を傾げるレーナに、少女は薄く笑みを浮かべた。
「私はルーナの顔を借りているだけ。お姉ちゃんではないの」
「……え?」
「借りがあるから。貴方には邪神の加護を与えましょう」
「!? 貴方まさか、ニ……」
言い切る前にレーナは倒れた。意識を失い、スースーと寝息を立てる。そんなレーナの頭を優しく撫でながら、少女はつぶやいた。
「はぁ……今回で少しは借りを返せたかしら?」
少女は教会を出ると宇宙を見上げる。空には満点の星々が輝いていた。




