胎動6
薄暗く研究室のような様相を見せる部屋。その一角には巨大な培養槽が鎮座しており、中には巨大な脳が浮かび幾つものコード類と繋がっていた。
そんな脳の入った培養槽を撫でながら、アラドゥは目を細める。これは、ヴァルディアの降霊に使う儀式用の脳であり、降霊の魔術も完成間近。あとは細かな調整や、魔術回路の調整が必要だが、起動するのも時間の問題だろう。
「もうすぐ、会えるのだな。お前に……」
親しみの篭った声で呟く。アラドゥの瞼の裏では、かつての学校生活の様子が浮かんでいた。
自分は、割と活発な人間であった。連むならクラウやデイル、グレイダーツなど同じく教室を騒がす連中とすることが多かった。そんな自分が彼女に恋をしたのは……とある一件である。
自分は真に天才なクラウ達と違い、勉学はそれ程優秀ではなかった。なので時折、赤点を取っては教室に居残る事があった。つまらない、これなら剣を振るったり魔法を使って遊んだりしている方が有意義だと不貞腐れていた時だ、ヴァルディアとセドリアに出会ったのは。よく2人で連んでいた彼女達は、たぶん暇つぶしの一環だったのだろうが、驚く事に特に接点のない自分に勉学を教えてくれた。
……今になって気がついた事だが、セドリアは自分がヴァルディアに特別な感情を抱き始めたことを察したのであろう、勉強中に彼女が席を外す事が多くなり、自然とヴァルディアと2人っきりで過ごす日が時折あった。
ヴァルディアは不思議な雰囲気と独特な感性を持つ美しい少女だった。だから教室内でも人気があり、密かにファンの多い彼女に自分も最初から気を許し接していた。特別、会話が盛り上がる事はなかったが、回を重ねるごとに静かにペンを走らせる時間が愛おしくなった。
そして、補修テストのある前日のことである。
「これは、おまじない。勉学を頑張った君が、次の試練を乗り越えるための」
そう言った彼女は、不意に柔らかな自身の唇を、頬にそっと当てると優しい笑みを浮かべたのだ。恋心を実感したのはその時である。英雄などと呼ばれている自分ではあるが、性根は一般人と変わらない。思春期の日常に一滴の非日常が入り込めば自然と惹かれてしまうのは明白だ。
それから、アラドゥもよくヴァルディアと話すようになった。魔法の話が主だった記憶はあるが、優秀な魔法使いであった彼女とよく話を弾ませ、会話を楽しんだのを覚えている。
だからこそ、彼女が人魔大戦を起こした時は言葉を失い悲しんだ。自分なら止められたかもしれないと考えたからだ。しかし、結果は恋した少女ひとりの凶行を止められず、同じく仲の良かったクラウが彼女を討ち取ったという報を聞いた。
当時の自分は、精神的には未熟だった。だから、クラウに詰め寄ってしまった。なぜ彼女を生きたまま捕らえなかった、なぜ殺したのかと悔しさと情けなさでいっぱいになりながら一方的に暴言をぶつけた事を覚えている。けれど、思いが通じたのかクラウは真実を教えてくれた。ヴァルディアが生きるか死ぬかは天に任せたと。もしかしたら……生きてもう一度会えるかもしれない事を伝えられ、自分は不謹慎ながらも喜んだのを覚えている。
そうして生きてきたこの50年。ヴァルディアは本当に復活した。しかし、話をする間も無くクラウの子孫であるリアによって討ち取られた事を知り……今度こそ心を折った。
半ば自暴自棄になり、酒に逃げた。分かっていた、悪いのは彼女でありリア・リスティリアは自身が成すべき事をしただけだと。彼女が犯した罪はしっかりと理解していたつもりだったし復活しても捕らえる覚悟をしていた。けど、出会う事すら叶わなくて。積年の思いを伝えられなかった事がどうしても……やるせなかった。
そんな日々を過ごしていたある日の事である。ひとりの黒い喪服のような服を着た女が自分を訪ねて、こんな話を持ち出した。
『ヴァルディアの魂を復活させてみませんか?』
最初は宗教の勧誘か何かかと思ったが、そもそもヴァルディアという存在を知っている者事自体が不思議で、彼女の話に耳を傾けた。
太古の魔法に、魂を降臨させるものがある。貴方はヴァルディアの器を作るだけ。そう言われて……アラドゥは一縷の望みをかけて話に乗ったという訳だ。
やがて、ミ=ゴという魔物とは違う、変な生き物の協力者をつけ、非人道的なことにも手を染めた。もはや引き返す事も出来ない、そしてミ=ゴと手を組んだ時点で自身も罪人になったのだと自覚しながら、罪を押し殺して進み。
そうやってここまで来たという訳だ。
それなのに……計画も最終段階に移行した今になって……クラウの子孫でヴァルディアを殺した少女であるリアと、アラドゥ自身を持ってしても実力の測れないダルクという少女が邪魔を入れてきた。
タイミングが良すぎると思う反面、これもまた運命かと思いもする。
「……急がねばならないな」
アラドゥは魔術回路を作る作業に移行した。
そんなアラドゥを、遠くから器の少女が眺める。その目には確かに『感情』があり、自分が何のために産まれたのか『理解』もしている。
……アラドゥが居たからこそ自分は産まれてこれた事は分かっているし、器になるのが運命だとも分かっている。しかし感情まで完全に殺す事は出来なかった。単純な、消えたくないという感情だけは。だから精神的に幼い少女は駆けた。
アラドゥの元から離れ、自身の部屋に戻ると、彼から学んだひとつの魔法を起動させる。ゆっくりと時間をかけて作り上げられていくのは、とある空間に繋がる《門》の扉。
あの時、リアが触れた時に感じた、伝わる彼女の暖かさを思い浮かべて……自身の運命を試す事にした彼女は一手だけ、手を出す事にした。
「貴方なら……」
生きたいと願う訳ではない。自身の運命は受け入れている。だが『納得』の出来ない器の少女は扉が完成するまで目を瞑り、暴れ回る感情を傍観者のように眺めた。
…………………………
空を魔物の大群が押し寄せる中、苦い顔をしたダルクは魔力弾を確実に当て1発で魔物を落としながら思案する。このままではジリ貧どころか私は死ぬかもしれないと。
空中を飛び交う魔物を1発で落とす神技じみた腕があるとはいえ、数で押されれば負けるのは必須。
「やっぱ、出すしかないか……私の奥の手!!」
ロケットランチャーを撃っては筒ごと捨てながら、ダルクは大きく天に向かって飛ぶ。当然、魔物も追ってくるがかなり時間に余裕ができた。
胸に光る『鍵』のひとつを手に取り、天に向けて回す。
「《鍵箱》解放、起動しろ『ペーネロペイア』!!」
空間が「グォン」と大きく唸り、漆黒の門より……全長30メートルはある巨大な鉄の怪物が姿を現した。
機械仕掛けの狼のような頭部に輝く金色のツインアイが光を灯す。浮遊と揚力を操作する背中の羽根は2対に簡略化され、代わりに大きな箱型の自動追尾ミサイルランチャーと1本のスナイパーライフルの様相をした魔素重力砲といった武装が取り付けられている。魔素重力砲は、グラル・リアクターからエネルギーを供給する特殊な大型銃である。
足のスラスターブレードはそのままにしてあるが、両手はスラスターブレードから関節のあるアームに5本指の手の形をしたマニピュレーターに置き換えられており、腰にはふたつの特殊な魔力合金を用いた巨大な『剣』が装備されている。
『シストラム』の骨格、ロッドフレームのバージョンアップモデルを元にカスタマイズされた新型機『ペーネロペイア』は、浮遊用のスラスターを吹かしながらダルクの元に着くと胸部のコックピットを開いた。
この機体はライラから実験機として預かっていたものである。実験は勿論、戦場でマニピュレーターを操作しながら作業できるか? である。もしこの浮遊型のロボットに乗りマニピュレーターを操作できる者がいれば、災害救助や魔物討伐にテロ対策とかなりの用途で通用する代物になると考えられる。それだけ、マニピュレーターの操作というのは重要な要素なのだ。しかしライラは扱えはしたが……他にモニターをしてくれるパイロットが見つからず。
結果的に他校交流会でお披露目する為に一時的に預かっているだけに過ぎなく……勝手に使うと確実に怒られるだろう。
だが、今この瞬間は好都合でしかない。
「それにデータを取るならもってこいだよな!!」
言い訳をしながら素早く乗り込み、コックピットの蓋を閉じると、メインカメラやサブカメラから取り込まれた情報を元に周囲の景色がモニターに映し出されていく。モニタリングされた最新情報と機体情報も映し出されていく中、操縦桿を握りマニピュレーターの操作をし易いように設定をカスタマイズする。ついでにライラへの手土産と、データサンプリングも出来るように設定してから。
「ぅうぉおおおお」
急降下しながら右手で器用に剣を抜き、左手に魔素重力砲を装備する。ついでに弾はあるだけばら撒けと言わんばかりに魔物を十数体ロックオンすると自動追尾ロケットランチャーを発射し、小型の魔物を爆破で倒すと大型の魔物に斬りかかる。上手く切り捨てられ、充分操作できている事を実感すると、高速で飛び回りながら魔素重力砲で小型を撃ち落とし大型を牽制しながら剣や脚部のブレードで叩き落としていった。
まだ実戦投入されて間もないシストラムの改良機をここまで乗りこなせるのは、もはや才能でしかないだろう。事実、動きながらの射撃では95%確実に当てているのだ。その操縦力は魔導機動隊の中でもトップを超えたレベルであり、後に魔導機動隊が本格的な導入を考えるきっかけにもなるほど。
そうして、まるで踊るように近接と遠隔射撃を繰り返しながら、瞬く間に何百という魔物を倒していった。
………………
一方、地上では……リアによる獅子奮迅、一騎当千な戦いが繰り広げられていた。近接してくる魔物は軒並みワンパンで灰に還す中で、効率を考えた彼女はある作戦を決行していた。
雑魚を相手に無双していても、何にも経験値など貯まらない。そう思ったリアは強い魔物以外を消し飛ばず方法として《結界魔法》で巨大な『板』を展開すると、思いっきり地面に叩きつけた。更には、上から《境界線の狩籠手》で殴りつけ、衝撃で結界ごと魔物を吹っ飛ばす。それでも倒せない時は、巨大な結界を張り掴むと、横に思いっきりスイングして薙ぎ倒していった。
ここまでして倒れなかった魔物は強い。そう考えて、慎重に1匹ずつ《境界線の狩籠手》で倒して灰にする。
そして、ふと大きな影がよぎりふと空を見上げると鉄の怪物が制空権を握っていた。
「先輩だけあんな格好良いのに乗って……ずるい!!」
汗水を垂らしながら愚痴りつつ……作業とも言える行動を繰り返していた時。結界のフルスイングを受け止めた魔物が現れた。
全長6メートル、歪な髑髏を筆頭に骨を寄せ集めてコールタールで繋ぎ合わせたかのような外見は、見覚えがあった。
「まさか、がしゃ髑髏?」
ヴァルディアがお気に入りのように使役していた忌々しい魔物、がしゃ髑髏のなり損ないのような外見はリアの苦い記憶を蘇られる。まさか、作ったというのだろうか。先の研究施設を鑑みるにあり得ないこともないと思えた。
だから、先手必勝。リアは魔力で推進力をMAXまで加速させ、突撃。技を放つ。
「《皐月華戦・改》!!」
ズドンと重音が響き確実にダメージは入った筈なのだが……コールタールのような部分、おそらくスライムであろう部分が衝撃を吸収し、器用に背後へと受け流した。それを確認したリアは数発撃ち込むも、結果は同じ。そして、反撃とばかりに骨の剣で攻撃してきたので一本一本、掴んで握り潰す。そうして反撃を封じた時点で、打撃での討伐は諦めて刻む事にした。
「《一刀睦月》」
力をチャージして渾身の一撃を放つと、パカッと半分に割れた。その隙間に両手を突っ込むと左右に引き裂き《境界線の狩籠手》を展開している右手で半分を空中に投げ飛ばす。
「『核』とかあれば楽なんだけどな……現実はゲームみたいにはいかないか」
落下してくる半分を結界で囲むと、再び渾身の一撃を『破壊力』増し増し、推進力全開でジャンプしながら殴りつけた。半分にしたことで破壊力が逃し切れなかったのか、結界のせいで反らせなかったのか分からないが、1発で灰に還す事に成功する。
ので、もう半分も同じように叩き潰して終わりである。
あの、がしゃ髑髏も本物でないとこの程度かと思った。
……………………
もう4時間は戦い続けただろうか。意外と魔力を温存しながら戦うのは難儀だなぁとリアは思いつつ、空の殲滅を終えたダルクと合流する。彼女はペーネロペイアのコックピットを開き、身を乗り出して手を振ってくる。
「疲れてんなーリアっち。はい、スポーツドリンクどうぞ」
「……」
ポイーとスポーツドリンクの入ったボトルが投げられた。
こいつ元気いっぱいだなと半眼で睨みながらも有り難く受け取り、喉を潤す。疲れた身体に水分が行き渡り、生き返る気分である。
「くはー、あー疲れた」
「まだ少し残ってるし、もうちょい頑張るぞー」
「先輩、楽そうでいいっすね。俺も乗せてくださいよ」
「いいぜ?」
予想外の返答に「え?」と素っ頓狂な声を上げるリアを《念力魔法》で引き寄せてコックピットに引き摺り込んだダルクは、そのまま高度を上げた。
空から景色を眺めると、大地の終わりが見えて、ここが箱庭なのだと再確認しながらも、良い眺めに「へー」と感嘆するリア。いや、それ以前に疲れているせいか思考力が低下していた。そんな彼女と共に、まばらに散った魔物の残存を撃ち抜く作業に移った。
リアも疲れた身体を揉みながら《結界魔法》で叩き潰すのを手伝う。遠隔でも有効打となる《結界殴打》はやはり強いなと思った。
そんな穏やかな空気の中で「さて、じゃあ本題にいこうか?」とダルクが言った。その本題を理解したリアは悩ましげな唸り声を出してから口を開く。
「どうやってアラドゥを倒すか、ですよねぇ」
現状、はっきり言って彼の底が知れない。そんな相手をリアは何人か知っている。同じ英雄の面々にギルグリアだ。何をどうしたら倒せるか……を考える前に、そもそも通じるのかと思わせる相手は、間違いなく格上。例に漏れず、アラドゥを捕まえる事は簡単にはいかないだろう。
「私は対人戦に持ち込むのが1番だと思うけどな」
「2対1ですけど、勝ち筋が見つかりませんね……。アラドゥといえば、有名なのは『魔装』と『剣戟纏い』ですけど」
アラドゥは有名だからこそ、使う魔法もよく知られている。『魔装』は名前から分かる通り、魔力の装甲を纏う魔法で防御力をぐんと上げるものだ。そして次に厄介なのが『剣戟纏い』である。これも名前の通りで、斬撃を纏うという近接殺しの魔法だ。更に纏う斬撃は自身で発生させる必要があるが、それはつまり一撃の威力を調節できるということ。強力な斬撃を纏い、更に防御力にも優れた上、大刀の腕前も一級品という、まさに隙も油断もできない相手になる。
そんな説明をダルクにすると、彼女は片目を瞑りながらニヤリと笑う。
「……まぁ、2人で挑めば何とかなるなる。それに、私には『必殺技』もあるしな」
「必殺技?」
「ふひひ……今言っても信じてくれなさそうだから内緒だ」
悪戯っ子のように微笑む彼女に、こういう時は頼りになるなぁと思いながら「なら、信じて戦いますよ。絶対に勝ちましょう」とハイタッチした。その時である、ピコーンとメインモニターから音が鳴り、簡易マップに赤い点が表示された。
「魔力反応……? アラドゥが乗り込んできたか?」
「いや、これは……」
ペーネロペイアを赤点の真上まで移動させ、カメラをズームして確認する。すると……黒い《門》の扉から顔を覗かせる、ヴァルディアに似た『器』である少女が、ビクビクしながら空を見上げていた。
「アラドゥの横にいた女の子だ」
「敵かな?」
「そんな感じじゃなさそうですけど……」
ペーネロペイアが地上に降り立ち静止すると、大きく手を振りながら近寄ってきたところを見るに敵意は感じず、2人は顔を見合わせたのち、コックピットから降り立った。
「よー、アラドゥのとこのちびっ子。なんか用か?」
ダルクがフランクに接すると……それを無視して彼女はなぜかリアに抱きついた。ダルクが無言で固まる中、当の抱きつかれたリアは困った笑みを浮かべて頭を撫でながら口を開いた。
「えぇっと。どうした? こんな事俺が言うのもなんだけど、アラドゥと一緒にいなくていいのか?」
リアの問いに、少女は胸に顔を埋めながら返した。
「私は……消えるかもしれないから。今やりたい事をやりたいの」
「……消える?」
「……私はヴァルディアって人の器。だから、お父さんが実験を進めたら私の意識は消えてしまうの」
「なるほど……んーと、怖いのか? ……君にはしっかりと『自我』があるんだな」
「ううん、怖くはないよ? ただ……納得できないだけ」
「納得か……」
先の実験の概要を思い出したリアは、複雑な気持ちで頭を撫で続ける。しばらくそんな時間が続いたが、少女は唐突にスルリと離れる。
「……戻らないと。あそこに私が作った《門》がある。ここから出られるから、2人は逃げて」
その為に態々、危険を犯してまでここに来てくれたのかと思い、あぁこの娘も助けたいなと思いながらリアは勝ち気な笑みを浮かべた。
「逃げるってのは出来ねぇなぁ、俺らはアラドゥを……君のお父さんを捕まえなくちゃならないからさ」
目を覗き込むと、不安の色が見えた。
「……お父さんは、めちゃくちゃ強いよ?」
「それでもだ。君を作ったアラドゥは、いろんな事を冒涜した。沢山の人を殺した。その罪を許す事はできない」
「そう……なら私の運命も貴方に託す。身勝手だけど、それくらいなら許されると思うんだ。何もない私だけど……確かに『私』はここに居るから」
言いたい事を言い切ったのか、少女は儚げな笑みを見せると、これ以上何も言わずに《門》の扉まで向かうと手を振って、アラドゥの元へと帰っていった。
隣でやりとりを見ていたダルクは、腕を組んで「どう思う?」と直接リアに聞いた。当人のリアは、悩む素振りもなく「助けたいって思いました」と素直に言う。ダルクは苦笑いを浮かべて「だな」と同意した。




