胎動2
『ガァアッ!! クる!!』
魔物はそう言うと『ぁぁぁぁあ!!』と雄叫びをあげながら結界内で暴れ始めた。結界の内でその凶器である爪を振り回して叫ぶ。
『俺はァァ!! 俺は人間だァア!! 人喰いの魔物じゃない!! やめろやめろやめろ、俺の思考を侵食するなァア!!』
「おい、なんだなんだ急に!!」
「とりあえず、結界を増やしておきます……!!」
結界を破壊できそうなほどの斬撃に、リアの表情は驚きで歪む。これ程に強い魔物が街に入る事は普通、あり得ないからだ。そんな魔物が暴れる中で、どうにか正気を取り戻させようとダルクが口を開く。
「何が起きてる?」
その質問に、暴れている魔物が顎を鳴らした。
『俺の、俺の本能に、魔物としての本能が入り込んでくるんだ!! 人を喰らえと!!』
リアは心の中で(どうする? 倒すしかないのか)と考える。そんなリアの心中を悟ったダルクは「ちょっと待ってくれリアっち」と制止しながら問いを投げる。
「お前、さっき自分は元人間って言っていたな!! あれ、どう言う意味だ?」
これだけは知っておかなければいけない。リアも確かに気になると思い魔物からの返事を待つ。魔物は今も暴れ回っているが、少しだけ正気を取り戻したのか、問いに答えた。
『俺は、この魔物に『喰われた』んだ。そしたら……そしたら俺自身がこの魔物になっていて』
「要領を得ないなっ、どうして魔物に喰われた奴の意識が魔物に宿るんだよ!!」
『俺が知りたいよ!! あぁァァァァア!! もう、もう喰らいたくない……!!』
理性のタガが外れる。魔物は雄叫びをあげ、爪による斬撃の鋭さが増した。リアは考える、魔物が暴れる理由は人を喰らいたくないという理性と、人を喰らえと言うこの魔物の本能と戦っていたからなのかと。
成る程、それなら現場に来ておいて、暴れ回る意味も理解できるし、被害者の顔が恐怖に歪むのも理解できた。もし、自分に魔法使いとしての力が無ければ……こんな魔物が目の前で暴れ始めたらとてもじゃないが正気ではいられない。恐怖で膝を屈し、その場で固まってしまうだろう。
それに、被害者をひと噛みしかしない理由も分かった。それは、なけなしの理性による賜物だ。その事に気がついたリアは、ダルクを肘で突く。
「倒します?」
リアとて、考えた結果だ。この魔物はとても『異常』である。下手に倒すよりも捕獲した方がいい事も理解しているつもりだ。しかし、あまりにも悲痛な叫び声に居た堪れなくなってしまったのだ。いっそ、楽にしてやった方が良いのではないかと思う。そんな覚悟の決まったリアに対して、ダルクが代わりに魔力銃を構えると呟く。
「まだ幾つか質問したかったが……無理そうだな」
魔物の声からは、もう理性の色は無くなってきている。彼の中にある人間性がもう限界なのだろう。
『ァァァァア喰うゥゥウ!!』
結界に頭をぶつけながら、自分達を喰らおうと顎を鳴らす魔物に、ダルクは魔力銃を撃った。青白く輝く鋭い魔力の弾丸は高速回転しながら、魔物の頭部を撃ち抜く。
『グガァ!!』
痛みを感じているのか、蹲りながら暴れる魔物に、ダルクは無慈悲とも言える攻撃を繰り出す。バシュッと乾いた銃声が何回も何回も鳴り響く。その全ては魔物の頭部を撃ち抜き、遂に頭部を破壊するまでに至った。魔物の身体ががくりと崩れ落ちる。
『あぁ、死にたくない……』
そう呟くと、魔物は灰となっていく。最後の最後に理性が戻ったらしい魔物にダルクは言葉を投げた。
「殺さないと言う選択肢は、残念ながら人を喰らった時点で無いぜ」
容赦の無い物言いにリアは息を呑んだ。一方で魔物の方は、深く息を吐く。
『分かっている……ただ、最後に……頼みがある』
「……なんだ?」
『俺がなんでこうなったのか……それを解き明かして、この燻る無念を晴らしてくれ』
ダルクとリアは揃って「「任せろ」」と言った。それに満足したのか、魔物は残った顎を2度鳴らすと、完全に灰へと還っていった。
…………………………
ダルクは魔物の最後を見届けると、ガバッとリアに抱きついた。リアは迷惑そうな顔で「えぇ……なんですか突然」と引き剥がそうとする。だが、強い力で抱きつく彼女が離れる事はない。
「正直、怖かったんだぜ。だって、なんだよ喰われたら魔物になってたって!! 意味わかんねーよ!!」
「うぅー」と唸りながらリアの胸に顔を埋めるダルクに、まぁ確かにと少し同意したリアは暫く好きにさせつつ、口を開いた。
「……まさに奇妙な魔物でしたね」
「奇妙ってレベルじゃねぇぞ、異常だぜ」
ダルクはリアから離れ、深く深呼吸を繰り返すとヨシっと気を入れ替える。
「けど、とにかく。次の目標が決まったな」
「そうですね……この事件はまだ終わっていない」
「追わなきゃいけねぇ、でないと安心して夜も眠れない」
魔物に人の意識が宿った理由を突き止めなければ眠れない。その意見にリアは全面的に同意である。
「でも……これからどうするんですか? 唯一の『証拠』である魔物は、倒してしまったし」
「大丈夫、証拠なら残ってる」
そう言うと、ダルクは魔物の灰を採取し試験管に入れると、試験管を痕跡追跡マシーンに嵌め込んだ。痕跡追跡マシーンは魔法陣の渦を作りながら解析を始める。
「この魔物は……もしかしたら『人の手』が加えられた存在かもしれない。というか、じゃなけりゃ説明がつかない。だから、この魔物の残した痕跡を追うぞ」
ダルクの考えはひとつ。この件は人為的なものだということ。
魔物という存在は未知の塊で、研究している者が多い存在だ。だからこそ……ヴァルディアのように扱える者がいないとも限らない。そして、扱えるからこそ何かを企む者もいるだろう。
……痕跡追跡マシーンがハム音を響かせながら解析を終え、光の道標を浮かび上がらせた。それはつまり、次に向かうべき場所があるということ。そしてこの件の真相があるということだ。
「普遍的に……というか自然的に考えても、魔物に知性が宿るなんて余程の事がないと有り得ない。だから、行くぜリアっち」
「はいはい、最後まで付き合いますよ」
お互いに「パンっ」と手のひらをぶつけ合うと、2人はリビングから外に飛び出した。
……………………………
また、住宅街を駆ける。変わり映えのしない景色を流しながら、リアは考える。仮にヴァルディアのような存在が犯人だとしても……果たして、捕まえられるだろうかと。学生の分際でこんな事を言うのはおかしな話だが……どんな者だろうと『殺す』のならば簡単な話だ。リア・リスティリアには、その術がごまんとある。しかし捕まえるとなると難易度は跳ね上がる。仮にも……あのような魔物を生み出せる存在を相手に、手抜きは出来ないだろう。そして戦闘なく、相手が投降する望みも薄いと考える。
それでも、魔導機動隊としては、逮捕する事が望ましい。難しい問題だと思った。
と、そんな事を考えていた時である。
2人の人影と、奇妙な生物が道を塞いで立ちはだかっていた。
男のような体躯をした者と、幼い少女のような体躯をした者が並んでいる。2人はローブを着ており顔は見えない。そして、その前には奇妙な生き物……魔物だろうか? が5体ほど居た。
2メートルほどの海老のような体躯に、桃色の甲殻類のような殻に覆われた身体。2対の膜の付いた羽根に、背鰭を持ち、幾つもの脚を携えたその生物の頭部……普通ならば頭があるべき場所には、無数の短い触手が楕円形に渦を巻き、覆うように生えている。そんな謎の生き物は、手に銃のような機械を持ち、此方に照準を向けている。
「どちら様で?」
ダルクが確信を持って問いかける。痕跡追跡マシーンはまるでソイツらが犯人だと言わんばかりに矢印を光り輝かせている。否、こんな所に態々顔を出してきたのだ。おそらく犯人なのだろう。あの魔物との関わりは分からないが……さしずめ、追跡者を感知して口止めにでも来たのだろうとダルクは思った。もし実験でもしているのなら、自分達は随分と邪魔だろう。
そして、相手も隠す気が無いのか……男の方がローブを脱いだ。
顔に大きな傷のある筋肉質な男だ。傷は額から鼻まで伸びている。歳はかなりとっているようで、短い白髪がよく目立つ。しかしガタイは良く190近い身長の上に筋肉も衰えている様子はなかった。そんな男を見て、まずリアが驚いた。
「……もしかして、英雄のアラドゥ・モーランさん?」
リアの大好き英雄リストの中でも、彼の顔は見覚えのあるものだった。
人魔大戦の英雄のひとり、アラドゥ・モーランは智将として有名だ。姿形の異なる魔物達を相手に、的確な討伐指示を飛ばし、己の受け持つエリアの防衛を完璧にこなした歴史を持ち、尊敬できる人物だ。
それなのに、当のアラドゥは、リアを親の仇のごとく睨めつけている。リアには当然ながら心当たりなど無く、困惑しつつ声をかけた。
「アラドゥさんが、今回の犯人なんですか?」
違っていてほしい。そう思うリアを裏切り、彼は怒りの籠った声で言った。
「私の愛する彼女を殺したお前を、ひと目見るために来たが……やはり憎いな。それにあのデイルの弟子らしく、正義感を持っている。
実に忌々しい。たった一度の失敗、逃げ出した実験体から私に迫る貴様も」
リアの次はダルクも睨みつける。リアは愛する彼女と言われ、普通に察する。もしかしなくてもヴァルディアの事を言っているのかと。というより、この人生において唯一殺したのはヴァルディアだけである。そんな彼にダルクは飄々としながら返した。
「あら? 簡単に犯人ってバラすんだな?」
「……隠した所で嗅ぎつけてくるだろう」
「そりゃあ、探偵ですからねぇ」
そこで、ダルクは肘でリアを突く。リアは視線だけを彼女に向けると、小さくリアにだけ聞こえる声量で「挟み撃ち」と言った。
「……2、1、0」
ダルクの素早いカウントを合図に、2人は《縮地》で飛び、アラドゥを昏倒させる為に攻撃を加える。2人の不意打ちに近い攻撃を……彼は何処からか取り出した大刀で受け流し……。
「《魔将の悪戟》!!」
「!? くっ《結界魔法》!!」
「無駄だ」
結界ごと切り裂いて大きく吹き飛ばした。その時に生じた風圧により、そばに立つ少女のフードが捲れチラリと顔が見えた。
リアは大きく目を見開く。少女の顔が、まるでヴァルディアとそっくりだったからだ。だから……リアは背後に結界を展開して無理に受身を取ると《身体強化》で最大まで上げた筋力と共に再び《縮地》で飛び……少女の頭に触れた。
「貴様!!」
そして、アラドゥの蹴りを受けてダルクの方向へと転がるも、スッと立ち上がり唾を吐いた。
「地味に痛ぇ」
リアは少女に触れた手をポケットに突っ込んでから、ファイティングポーズをとる。ダルクも並んで魔力銃を構えた。
迎撃体制万全……な2人を見たアラドゥは、興味を無くしたように鼻を鳴らすと魔力を練り上げる。彼の魔力の流れから、リアは次の魔法を察知する。
「《門》っすね。逃げるみたいっすよ先輩」
アラドゥから「誰が逃げるって?」と怒りの声が聞こえたが無視して。
「そうだな、でも下手に近づけねーだろ。どうしよ」
「おいテメェら……」と再び怒りの声が聞こえたが無視して。リアは魔力を素早く練り上げると魔法を発動させる。
「《結界魔法》!!」
しかし結界の展開が完了する前に、目に見えない速度で振るわれた大刀により破壊された。
「無駄みてーだな」
「いっぱい悲しい」
そして……そうこうしている間に、練り上げられた魔力から《門》の扉がゆっくりと形成される。彼はその扉を開き、少女と共に中に入ると……一言、さっきから突っ立っているだけの魔物のような存在達に指示を下す。
「殺せ。実験の邪魔だ」
扉が閉まり消えると同時に、異形の者達はその手に持つ銃の引き金を引いた。




