文化祭と魔王③
ヴァルディアは計画を実行に移すと決めた今日になって、今城に降り立てば自分は負け、死に向かうのではないかと思った。
胸騒ぎと、ガリガリと掻きむしりたくなる魔力の疼きが、そう思わせたのだと思う。
彼女はポケットにしまった1枚のタロットカードを取り出した。
『死の暗示』。
自分の魔力でばら撒いたカードから1枚を選び取り、そして暗示された死神のカード。フードを被り口を開いた骸骨の絵は、どこか己を見て嘲笑しているように感じた。まるで、滑稽だとでも言いたげに。
そのカードの絵柄を指でなぞり、ヴァルディアは……硬く閉ざした口元に弧を描いた。
だからこそ、今日決行するのだと。だからこそ、私は赴くのだと。自分の死の運命を捻じ曲げた先に、自分の何処までも空虚で宇宙のように果ての無い暗闇が、少しでも晴れる事を期待しながら。
そして、自分はどんな命の輝きが見れるのだろうか。その輝きの中には、自分自身も含まれている。
「さて……それじゃあ貴方達の命の輝きを存分に見せてもらいましょう。リア、レイア、ダルク、貴方達の命の輝きが何処まで磨かれるか存分に期待させて貰うわね。捉えて、飾って、弄ぶのはそれからじゃないと……。原石のまま私のモノにしても面白くないものね。そしてリア、貴方の美しい魂が、希望と絶望の狭間でどんな輝きを見せるのか。期待させてもらうわ。
痛みを与え悲鳴を聞いたり、逆に快楽を与え嬌声を聞いたりして遊ぶのは、その後のお楽しみね」
そう独り言を垂れ流した後、彼女は割れた結界の最上部から、城の敷地を睥睨する。適当な死体を見繕い、いつからか濁り始めた自分の魔力を練り込んで作り上げた魔物達の、気味が悪い咆哮や鳴き声がここまで聞こえてくる。
同時に、派手な閃光や戦闘音。そして人々の叫びや悲鳴、怒号や助けを呼ぶ声が聞こえてきた。
「いい……」
一言そう呟いてから、ヴァルディアは視線を城に向けた。目線の先にあるのは、この学校で最も重要な場所……城の中にある校長室である。
そろそろ、グレイダーツが本気で動き始める頃だろう。少なくとも、大規模な魔法を行使する筈だ。
だから、やりたい放題やる為にはまず、グレイダーツを抑える必要がある。
「ついでにグレイダーツ自身も手に入ればいいのだけれど……これでいけるとは思えないのよね」
手の中で練り上げた黒い魔力が魔法陣を描き、やがて大きな槍を形成する。それをヴァルディアは迷う事なく、校長室のある場所に向けて投げ放つ。
そして、自分もまた同じ場所へ飛翔した。その後を追うように、無数の骨で構築された巨大な骸骨の魔物……がしゃ髑髏が結界の穴から落ちていく。
……………
ヴァルディアは昔から、人を観察するのが好きだった。しかし、いつから人の裏や内心を覗き見る事に楽しみを見出し、果ては人の最も内なるモノ……魂を見る事に執念した。
結果、自分はこの世で最も綺麗と言えるモノが見れた。しかし、その対価として『悍ましき存在』を認知してしまった。
そして元々、どこか狂っていたヴァルディアにとって、悍ましき者達から叩きつけられた狂気を受け入れるのは容易かったのだ。
こうして、ヴァルディアは50年前に大規模な戦争を起こした。人の命の輝き、希望と絶望の中もがく人々を見る為に、そしていつだって人々の前に立ち、戦いに身を投じる同級生の美しさに酔う為に。
……大戦には、あまり多くの情報は残されていない。唯一分かることは、英雄達がヴァルディアという1人の女が魔物の軍勢をけしかけた事を知っている事と、最後に会話を交えたのが親友であった『クラウ・リスティリア』だけという事。しかし、これらの歴史は勿論、公にされておらず今も生きる英雄達の内に仕舞ってある。
殺しきれなかったからだ。
いや、少しだけ語弊があるかもしれない。最後まで信じて、彼女を狂気から取り戻そうとしたクラウの甘さによって、殺しきれたと断言できなかったのが理由である。
最後はクラウの魔法で永久に砕けない、最強と呼べる《結晶》に閉じ込めた後、デイルやグレイダーツといった面々が無数の封印を施し、地面の奥底……下層マントルまで埋めた。
戦っている最中、彼女の身体がもう人のものでなく、まるでスライムのような粘液で構成された化け物になっていたからだ。それに皆はもう、トドメに出来そうな大魔法を使える程の魔力は残っていなかった。だから、結果的にトドメとなったクラウの結晶を信じるしかなかったのだ。
「それでも死んだように思えないんだよね。私のせい、かな。そう言ってクラウは儚く笑った。その表情をデイルの脳裏によく焼き付いている。
「じゃから、今度こそクラウが安心して眠れるようにッ!!」
デイルは城に乗り込み、ヴァルディアが介入してきた《結界》の修復に翻弄しながら、戦えない学生達を助けてまわる。
(リアは、大丈夫じゃろうか。ペンダントに反応は無いが……。今はやれる事を)
そうして救出活動をしている時である。この世で最も結界に詳しいデイルは、彼女が何故自身の結界に介入できたの分かった。
文化祭の少し前に、曰くのある絵画が盗まれたと聞いたが……どうやら絵画の裏にその盗んだ絵画を細かく切り刻み、破片を潜ませていたらしい。
そして澱んだ魔力を得た事で起動した絵画の破片は、まるで破片と繋がる為に線を伸ばしており、結果的に半透明の魔法陣を描いていた。
勿論、デイルはそれを理解した瞬間に絵画の一枚を燃やし破壊した。すると上空まで伸びた結界のヒビが徐々にだが事故修復を始めるのが見えた。
だが、ヴァルディアにとってはそれこそがデイルを抑える為の作戦だったのかもしれない。絵画の破壊がトリガーとなったのか、他の絵画からぬるりと這い出るように、それぞれ描かれた怪物に似た容姿の魔物が姿を表したのだ。
「……クソ」
柄にもなく悪態を吐く。そして、温存しておきたかった魔力を解放し、デイルは《境界線の黄金剣》を引き抜いた。
………………
ヴァルディアは封印される間際に感じた、彼女の心の温かさに。それは炎となって灯る程の覚悟を持っていて、自分には勿体無い程に強く親愛のクオリアをぶつけてくれた。
だからこそ、自分は彼女を殺せなかった。同時に、自分にもまだ人らしい心がある事に驚いたのを覚えている。
そして封印された数十年の間、己が壊れなかったのは、彼女の燃え盛る太陽よりも暖かかった、あの胸を焦がす炎のおかげなのだろう。
あの炎は、どんな魂の輝きよりも美しかった。
……自分の暗闇を照らしてくれた。
だからこそ、欲しいと願った。欲しいなんて願う事は間違いだと分かってはいたが、それでも求めてしまう程に恋焦がれたのだ。けれどそれはもう叶わない。彼女は既に死んでいた。
なら、自分は何の為に再び這い出たのだろう。この狂うしかない世界に。こうなれば、また世界の裏側、人の道を外れた暗闇に戻ろうか。
そう思っていたのに……彼女の魂ととても似た色を放つ少女を見つけてしまった。
このまま、世界の裏で黒幕のような存在として物語を振り撒こうと思っていたヴァルディアにとって、それは今の自分を動かす意思となった。
しかし、この物語のストーリーテラーはヴァルディアではない事を彼女は知らない。
彼女が銀色の魂を見つけた事が偶然では無く必然である事は……きっと死の間際になってようやく、気がつくのだろう。
……………………
運ばれてきたミイラや化石に魔力が宿り暴れ回り始める。建物は外と中の魔物達の暴走により半壊し崩れ、瓦礫が降り注ぐ。土埃が舞い、視界を覆う。
そんな危険な中を、学校のOBやOGの中でも戦闘に長けた者が生徒達を救いながら掻い潜る。
「なにが起きてんだ!? こんな都市部のど真ん中に魔物が現れるなんて異常だぞ!?」
「うるせぇ!! 原因は後だ、今は!!」
ひとりのOBが降ってきた瓦礫を《身体強化》で蹴り砕き、風で吹き飛ばして道を作る。そうして退路を作ると、動けない者や戦えない者、怯えて動けなくなった生徒を外に運んでいく。しかし、外も安全ではなかった。
甲殻類の体と頭の部分に楕円形の触手を巻き羽を震わせる2メートルくらいの化け物、巨大な蟷螂に似た体に大きな鎌を両手に携えた魔物、黒い鴉に似た身体と巨大な翼を持つ頭の潰れた魔物、人を襲うコールタールのような黒一色の粘着質で様々な大きさのスライム……そんな怪物達が、空から降り立ち襲いかかって来る。
「悪夢を見ているようだ」
最後の1人を救出した女が、そう呟いた。この状況に絶望しているかのように。しかし、隣からその絶望を掻き消すように言葉が投げかける。
「なら、派手にぶっ壊してお祭りにしてやろうや」
突然、誰かが肩に腕を回して来た。横に目を向けると、ピンクブロンドの髪を揺らしながら、別に親しくもないどころか初めて出会った少女が、軽く肩を叩きながら爽やかな笑顔を浮かべていた。そして、彼女のサムズアップしていた右手の中には、爆弾のスイッチのような黒い端末が握られている。
女は素で困惑しながら「え、誰?」と狼狽える。そんな女を他所に、ピンクブロンドの少女……ダルクは黒い端末に付いた赤いボタンを押した。
瞬間、どこからか強烈な轟音が轟き、上空の化け物達がひしめく亀裂に向かって赤い炎の弾が高速で飛来。
そして着弾と同時に、凄まじい橙色の爆炎が広がり空気を揺らし、それから拡散するように彩り豊かな青や緑色の閃光が辺り一面に散らばって、消えていく。
「綺麗な花火だなぁ」
あんぐりと口を開けて固まる女の横で、ダルクは呑気に呟いた。




