The battle of darker ⑦
海水からダルクを引き上げたレイアは、彼女の手に持つ禍々しいオーラを放つ本を見て、肌を泡立たせた。そして、本の表紙に向けて槍を突き出す。
ダルクは数秒と無い一連の出来事の中で、ただただ自分の横腹近くと魔導書を持つ手の指をかすめながら、槍に貫かれる本を見つめ……一泊の間の後に顔を青ざめた。
「……ぁ危ねぇ!! マジで危なったぞおい!? どういうつもりだレイア!!」
「いや、槍が勝手に」
「はぁ?」
その時だ、巨大な粘液体の中央に浮かんでいた目玉が、小刻みに震えながら沸騰したように気泡を浮かべながら悲鳴に似た金切声を発して、すぐさま空気中に溶けて消える。
周囲から聞こえてきた謎の笑い声達も消え去り、心なしか空気が軽くなったように感じた。そんな中で、レイアは己が握る槍に目を向ける。
槍はレイアの意思とは無関係で、一人でに震えていた。まるで、獲物に反応しているようだとレイアは思った。それはダルクも同じだったらしく、彼女は本を突き刺す矛先に指を向けながらレイアに問い返した。
「……言い訳じゃなく、マジで槍が勝手に?」
「うん」
「……そっかぁ。それならよかった。いや本当、私は今日一番の恐怖を感じたよ色んな意味で。杞憂でよかったわ、まさかヤバそうなの持ってるだけで無言攻撃されるくらい信頼度ねぇのかと……」
「ごめんよ」
「いいよ気にすんな。寧ろ逆に故意じゃなくて安心したぜ。で、話を戻すけど……こうして槍が反応したって事は、やっぱりコレが『核』になってたのか」
「この本が?」
黒いモヤが溢れ出し、いかにも危険な雰囲気を纏ってはいるが……こんな古ぼけた本一冊があの『澱み』の核を担っていたとは、とても思えなかった。そんなレイアに、ダルクは《戦乙女》の肩に乗りながら口を開く。
「たった一つの本から、あんな魔物が生まれるとは思えないよな。でも、だいたい世の中そんなもんだよ、寧ろ魔物に核がある事自体珍しいんだぜ? 強力な魔導書が核になるなんて良くあることさ」
「それでもなんか、釈然としないね。核って言うくらいだし、もう一戦くらい覚悟してたのに……」
「地味な核で良いじゃねぇか。というかもう戦いたくないわ。じゃ、レイア。最後に『イースの槍』の魔力解放でこの本と海全体を浄化する大役、任せたぜ」
「うん、終わらせよう」
手の甲に浮かぶ紋章により『イースの槍』が解放されて、一度きりの力を解放する。温かな陽だまりに似た淡い閃光が迸り、やがて槍は光となって弾け、波のように緩やかな速度で、広大な空と海を駆けて広がっていく。
空は曇天は霧散し、海は散らばった『澱み』の破片は全て浄化され消えていった。
昼間と同じ美しい海と青い空が戻ってくる。この光景が、事の終焉を物語っているようだと2人は思った。
かくして、海に巣食っていた『澱み』との戦いは、あっけなく幕を降す。
しかし、ダルクはそれで良いと思った。現実など、所詮そんなものなのだから。変に拗れた面倒な魔物など期待していない。
「終わった終わった!! んじゃま、報告ついでにリア達と合流すっか。お疲れだレイア」
海に落ち、そのまま沈みそうな『澱み』の核である魔導書をしれっと《鍵箱》に仕舞い込むと、ダルクはレイアに労いの言葉をかける。
「先輩もお疲れ様」
レイアは何処か納得のいかない顔をしながらも、笑ってダルクに言葉を返した。
(ところで……海に沈んだ鉄塔やビルの残骸はどう処理するつもりなんだい?)と聞きたかったが、レイア自身もそこそこに疲れていた為に、結局問うことはなかったのだった。
………………
(ふーむ、これで終わった。終わったんだろうけど、喀血事件の一件と同じで、なーんかきな臭せぇんだよなぁ。今回の『澱み』が襲ってきたのも、偶然にしちゃ出来過ぎだし。裏で誰かが糸引いてても驚かないな。でも、それこそ漫画やアニメじゃあるまいし……考えすぎなのかね)
コロコロと表情を変えながらも、ダルクは夏に経験した一連の出来事を振り返っていく。振り返って(めっちゃ濃いな、今年の夏は)と遠い目をしながらも。
(やっぱり『澱み』が私達に襲ってきたって点しか、引っかかる所はねぇか。けどそれこそまさか、だよな。ハーディス先生の母親の意思がそうさせたってんなら別だけど。イースの槍や魔力を魔物に変える魔術が何なのかを調査しない事には、第三者の存在は断定できねぇなー。ってあれ、まてよ。そういやジル公が、この近くで何か調査してるんだっけか? いつになく真剣な様子だったから深く聞かなかったけども。もしかしてそっちと何か関わった可能性もある……? 英雄2人と共同での調査っぽい事言ってたし、可能性は無くはない? 後で電話してみるか)
…………………
時刻はかなり遡り。
ジルは今人生で最もと言えるほどに緊張していた。デイルとグレイダーツからの依頼で異常な魔力の発生を、人工衛星で監視していたのだが。まさか本当の本当に、目的に辿り着くなど誰が考えていただろうか。
草陰の元、呼吸音を抑えながら、観察を続ける。今現在、ジルは海静魄楽神社からそう離れてはいない、海岸沿いの茂みに隠れている。
そして茂みの向こう。剥き出しの岩盤が目立つ崖近くに奴は居た。
血のように赤黒い汚れの目立つ和服を着た、黒い長髪の女。顔立ちは整っていて美人だが、病的なでに白い肌が、彼女に異様さを際立てている。
そんな彼女を見つけた時だ。空が曇り、海は突然に荒れ始め、挙げ句の果てに謎の巨大な黒い蛸が海上で暴れていた。
(なんかもう既にヤベーな。今すぐ電話した方がいいか……けど、この距離だとバレるか? いやでも既にバレている可能性も、どうしたらいいんだ俺ェ!! 撤退したら見失う可能性もあるし!! グレイダーツさんデイルさん早く来て!! 英雄なら仲間の危機くらい感じ取れませんか!?)
女……恐らく、ヴァルディアであろう存在は、先程からずっと海の方へ右手を向けて何か言葉を呟いている。しかし、距離のせいもあり聞き取る事はできなかった。すると、空が急速に曇り海の方から爆ぜるような重低音が轟いた。
流石のジルも目を見開き驚く。この時に身動きしたり悲鳴をあげたりしなかった自分を褒めてやりたいくらいだ。
遠巻きで見ていても何故か、精神的に不安になる、そんな巨大な黒い蛸に似た存在は、巨体から伸びる触手を振り回し、海上で暴れ始める。
(あれは魔物? というか操ってんのかアレを?)
思わずヴァルディアから目線を逸らし海の方を注視してしまう。それ程までに、蛸の魔物の存在感はとてつもなかった。
異様な程に寒気を感じ、背筋が凍るような錯覚を受ける中で、ジルは頬に伝う雨粒ひとつによって「ハッ」と気を取り戻した。
(……危ねぇ危ねぇ、ヴァルディアから目を逸らしている場合じゃ、なか……あっ)
しかし、ジルが目線を戻した時には、彼女の姿はまるで霞だったかのように消え失せていたのだ。足音や草木の音すらさせずに何処へ行ったのか。
嫌な予感がして、汗が流れる。その予感は嬉しくない事に、すぐさま判明した。
「そこで、なにをしているの?」
「のっわぁぁぁあ!?」
突然、耳元に囁きと息の当たる感触がして、ジルは驚いた猫のように飛び上がり振り返りながら後退する。
「逃げなくてもいいじゃない?」
「逃げるわボケ!! こっち来んな!! これは警告だ、これ以上近寄ったら撃つぞ!?」
ジルは拳銃を腰のホルスターから抜き取り、セーフティーを外す。脅しではない、危機を感じ取ったからこそ、彼は本気で撃つつもりである。そんなジルの脅しに対し、ヴァルディアは張り付けたような気持ちの悪い笑みを浮かべ、フワリとした動きで地を蹴った。本音を言えば拳銃などで脅しになるとは思っていなかったが(少しくらい対話しても良くねぇか)と思い苦笑いを浮かべながら……。
「うっぉおおお!!」
森に木霊するくらいの気迫で叫び、ジルは引鉄を4回引く。「バンッ」と火薬の爆ぜる音の次に、人体を貫く音が4回聞こえる。
ヴァルディアと思わしき女の脳天、喉、心臓と肺を銃弾が貫き、彼女は紙のように衝撃で後ろへと吹っ飛んだ。
緊張状態でも外さなかった自分の拳銃技能を少し誇らしく感じながら、体勢を立て直すために立ち上がり走る。
取り敢えずは、デイル達と合流したい一心で。しかし……。
「酷いじゃない? 別に殺そうとしている訳でもないのに」
「な、なん……だと……」
肩をポンポンと叩かれ振り返ると、頬に軽い衝撃を感じる。
そこには……振り返ったジルの頬を指でつつくヴァルディアの姿があった。




