Old memory
映像が巻き戻るように、セピア色の景色が映り、過ぎ去っては消えていく。
ダルクは漠然と頭の中で、流れゆく景色に懐かしさを感じる。
これは、流れゆく景色は何者かの記憶だろうか。
何故かダルクは、目に見える景色が『過去』であり、過ぎ去った世界の記憶だと理解できた。
(……『澱み』の記憶?)
『魔力』というエネルギーに、老いや衰退などは無く、地球の至る所に魔力の溜まり場が出来る事があると知っているダルクは、目の前の景色はかなり古い世界のモノなのではないかと考える。これが『澱み』の魔力が覚えている記憶ならば、一体何百年前なのだろう。
そうして思考を割いていると、景色はやがて1つに収束し、色褪せた世界に色が戻る。
やがて見える世界は……誰かの視界のようだった。視界の持ち主は、恐らく自分よりも歳下の少女だろう。少し高めの声で、彼女は古びた和服の装いに、大きな荷物を背負い錫杖を杖代わりにした大柄な男と話をしている……。
………………
私で何百代目か分からないが、この大きな港の村の神への祈祷や舞を行う巫女に選ばれてしまった。
常々、疑問だ。何故、この村人達や父と母は、干からびた蛸を御神体にしたのだろうか。これ、ただの乾物だろ。焼いたら絶対食えるってと、私は思いながら……口にしたら多分死ぬから言わずに、素直に使命を受け入れた。
そうして日課になった海に最も近い神殿へ赴き、厄を払う祈祷を読み上げる。村人が言うには蛸よ御神体の力を宿した私が、妖や魔の類が生まれる要因である『厄』を海に近い神殿で払う事で、漁や海難なんかの不幸も遠ざけているらしい。
いったいいつからあるのだろうか、本当に良く出来たシステムだと思う。と、同時に巫女である以上この仕事だけこなせばいいので、毎日が随分と退屈だ。
いや、友達がいない訳じゃない。ただ、私が距離を置くようになった。理由としては……巫女になった時から女友達の殆どが、私の身体に御利益があるとか言って、人目のない場所で隙があれば舐めてくるからだ。文字通り舌で肌を、なぞるように。
歴代の巫女様方、何故この事を黙っていたのですか。事前に知っていれば私は巫女になどならなかったのに。
それと「おいやめろコラ」と何百回制止しても舐めてくるあいつらは完全に狂ってやがるよ怖い。でも唇は守り切ったぞォオ!!
と、まぁこういった理由から、最近はずっと巫女しか入れない神殿か、漁師で村人の賑わう漁港で暇を潰している。
そうして暇で仕方ない巫女を続けていたある日の事だった。御神体を祀る社の清掃という、私だけしんどい、クソ行事をしていた時だ。
御神体の裏側に周り埃を叩いていた時にふと、床の感触に違和感を覚えた私は……何気無しに、木の板の隙間に髪飾りの金具を差し込んだ。するとだ、「ガコン」と音が鳴り板が簡単に浮き上がった。
いつになくワクワクとした気分だ。まるで宝物を見つけた時のような高揚感と緊張感の中で、そっと板を外した。
すると、板の下には小さな空間があり1冊の本が丁寧に納められていた。
なんの本だろうか、異様にしっとりとした黒いカバーに、色褪せた紙色である。見るからに古い書物だ。
……村人や、歴代の巫女はこの本の存在を知っているのだろうか?
勝手に持っていってもいいモノか悩んだが、最近の退屈と鬱憤が勝り、好奇心から本を巫女服の内に仕舞い込んだ。ま、バレなきゃええやろ。
………………
早送りのように時が進み、少女が本を手に取る光景を見たダルクは……一つの疑問と、言い知れない気味の悪さを感じた。
(本の題名が読めない?)
少女は気にした様子はないが、蜃気楼のようなモザイクがかった、黒い皮の表紙で出来た本は、明らかに普通の書物ではない。何らかの魔法で読めないようにされているのだろうか?
しかし、少女はダルクとは違うらしい。就寝時間に蝋燭の火で本を読もうとした彼女から「なんじゃこれは、文字が読めねぇ。クソが、楽しみにしてたのに港の外から流れてきた本か? 全く……神聖な社にゴミを隠すな!!」と愚痴が聞こえた。
ダルクは(お前が言うな)と心の中でツッコミつつ、様子見を続ける事にする。
……………
巫女だからって理由付けたら、村の書庫の全閲覧権が貰えたぜ。祈祷も終わり、日課も終えた私は、暇潰しにあの本を解読しようと思う。まぁ、ついでにあの蛸神についても何か分かるかもしれないし。
折角、巫女になったんだから権限をフル活用しなきゃ損だしね。
そんな訳で自宅に何百冊と本を持ち込んだ事を母に叱られつつ、私は社で見つけた本の表紙を捲った。
……やはり、表紙同様に言語が分からない。ぶっちゃけ基点が無ければ言語翻訳なんて無理じゃね? と早々に思い始めているが、暇潰しだし、まぁ多少はね?
それはそうと、調べる程に分かる事が一つあった。あの蛸神の本当の名前ってなんだろう、という当然の疑問だ。
村の皆は『海の幸を司る神様の遺骸』か『蛸神』だと言っているが、どちらも本名じゃ無い筈。
しかし、仮に生き物の遺骸だとしてもあの大きさの蛸などいるだろうか? ふわふわと蛸に水気を戻しヌメヌメした姿を想像し気持ち悪くなってやめた。だがついでだ、図鑑も漁ってみるのもアリかな。
………………
……蛸神は遥か昔に、渡りの商人が持ち寄り、旧社に寄贈されたモノだという事が分かった。
その商人曰く『……貴方達が願いを送り続ける限り、蛸の木乃伊は幸を恵んでくれる』らしい。昔の無駄に難しい言い回しのせいで翻訳するの疲れたぜ。
にしても、いやいやいや、明らかにいらねぇ荷物押し付けられたか、曰く付きの物をあたかも立派なものだと嘘を吹き込み押し付けられた感じがするんだけど。
マジで? 誰も疑問に思わなかったの?
単純にそうだとしたら、ちょっと笑えない。確かに辺境の村だが一応、漁港が盛んで大きな村だ。都との流通もあり、閉鎖された村特有の勘違いや世間知らずな者はいない。
……なんか知ってはいけない村の秘密を見つけた気がして、ゾッとした1日だった。
…………………
少女が風呂に入る時の事、鏡に少々の顔が映り、ダルクはようやく彼女の顔を見る事が出来た。
17〜20歳くらいか?
整った顔立ちに、さらりとしたショートの黒髪、少しつり目な目に生えた眉毛は長く、藍色の瞳が美しい。
鼻はスッと筋が通り、桃色の唇は主張を控えているも、目を近づければ視線がそこに近づいてしまう。
(……リアっちと同じイケメンなタイプかぁー。
もし無自覚にイケメンムーブをかましてきたなら、そりゃ女の子に人気だろうな)
いくらなんでも巫女を舐めたり甘噛みしたりすれば御利益を得られるなんて習慣のある宗教に心当たりは無い。
それはつまり、単に彼女が陰ながら人気者だという事の証明でもある。
しかし、それもまぁ……毎日同じ顔を見る村という集団の中で、突出した美形がいれば仕方の無い事なのかもしれない。
最も、不幸中の幸いなのは、この行為が彼女と歳の近い少女達しか行っていない事だろう。
…………………
解読に行き詰まっていたある日、運良く渡りの商人が村を訪れた。彼ら商人の一党は昔からこの村を贔屓にしているらしく頻繁に訪れる。また、あの蛸神も渡りの商人が持ってきた物だ。
渡りと名の付く通り、彼らはどこから仕入れたのか分からない品物や、不思議な現象を引き起こす道具、よく効く薬等を品物としている為、村でも好待遇で歓迎される存在でもある。
また、彼らはとても謙虚であり、数日は村に留まってくれる……だからこそチャンスである。
私はある程度、村人が買い物を終えて、貸し与えられた宿舎に商人が向かう際に声をかけた。
商人の見た目は、まぁかなり若く青年くらいに見える。また、ボサボサの白髪や目つきの悪い三白眼が印象的だ。
正直、声をかけるのを躊躇うような見た目である。失礼だが、目つき的にも2、3人は闇に葬ってそうだ。しかし好奇心は時に恐怖を掻き消すもので、気がつけば私は彼を呼び止めていた。
意外にも見た目に反して商人は紳士に、近くの小岩に腰掛けると私の長話に付き合ってくれた。そうして大凡説明を終えて最後に、翻訳の手助けとなる書物が無いか問う。すると、彼は少し考える仕草をした後に口を開いた。
「……蛸の遺骸を祀る祭壇から、見つけたんだよな?」
私はコクリと頷き、一応持ってきていた本を彼に手渡した。すると、彼はほんの少し眉根を寄せると表紙の題名を指でなぞる。
「俺達は基本、魔術に興味は無いがこれはこれは……。あぁ、すまん、ここでは妖術か陰陽術だったか? まぁ『俺の記憶』が正しければこれは……魔導書だ」
魔導書? と口に出して首を傾げる。聞き覚えの無い単語だが、魔術とやらに関係しているのか。そう考えた時に青年は面白そうに笑みを浮かべると。
「ま、翻訳はできなくは無いぞ。文字は西洋のモノだし翻訳に必要な辞典なら倉庫にも、そして此処にも腐る程にあるからな」
青年は本をこちらに渡しながら、背中に背負っていた巨大な木製のケースを開くと、3冊の辞典を手渡してきた。
その時私は混乱した、青年がここまで親切にしてくれる意味が分からないし、何より辞典代の金が無い。お小遣いなど全て甘露に使ってしまっているからだ。
そんな事を考えていると、青年は一言「安心しろ、代金はいらねぇさ」と口にして続ける。
「あの蛸の遺骸を崇め神として祀ってくれたお礼だ。今後も宜しく頼む」
胡散臭い物言いに、半目で目を見る。すると青年はまた笑みを浮かべ私の目を見つめ返した。
「その黒い本には『厄祓』の陰陽術やらの使い方や起動方法などが記載されている。翻訳出来たなら、充分君の力になるだろう。
だが同時に、あの蛸の遺骸についてや、『冒涜的な呪文』等も記されている。其方の翻訳は辞めた方が良い。
あー、判断は気分の良し悪しでしてくれ」
少女は青年のゆっくりとした説明でもイマイチ概要が掴めず、気難しそうに表情を崩す。けれど、青年は詳しく説明するつもりは無いらしく。
「そして最後に忠告しておくが、魔導書には蛸の遺骸と同じように魔力が……違った、ここでは『厄』か? まぁ、悪い気みたいなものが集まりやすい。俺は……蛸の遺骸の元に戻すつもりが無いのなら、定期的に厄払いをした方がいいと思うぜ。君は当代の巫女だろ?」
何故、知っていると言い掛けて、少女は自分が巫女服である事を思い出す。普段着にしていた為忘れていたが、確かにこれなら一目で巫女だと分かるだろう。
「……あぁ、どうせなら俺が村に滞在している間、一部翻訳を手伝おうか? 暇だからな」
少女はただ「おう、頼む」と言った。
………………
景色が急速に過ぎ去っていく。
最後に映る景色は茜色の空に、抉れた海岸。そして沈んでいく神殿に、少女が重く呟いた「やっちまったなぁ」という言葉。
………………
気泡が弾け、景色が歪む。
ダルクは薄々感づいてはいたが、恐らく今見せられている白昼夢のような景色はきっと、誰かの記憶の残滓のようなモノなのだろう。
だからこそ、目の前に浮かんだ『黒い本』を手に入れた時に、これが『澱み』の核だと確信した。
因みに黒い本……魔導書の題名は掠れて全部は読めないが、抜粋するとこうなった。空白は掠れて読めないが。
『旧 ク 招来と魔術』
(なるほどなぁ、『旧』って記されている魔導書に録な物は無いし、妥当か。ま、それはさておいて……うぉおお脱出ぅう!!)
幸いな事に、足を掴む力は弱く、ダルクは蹴り付けまくると、海面の光に手を伸ばす。すると水面の向こうから、頼もしい後輩の手が伸びてくるのが見えた。




