体質と計画
あのがやがやと人が多く、それでいて生きるってことは常に苦しむことだと教えてくれる【学校】が今日も終わった。
下駄箱にスリッパを収め、よろめきながら靴を履く。校門の手前には薄気味悪い笑みを浮かべた像が鎮座しており、そいつと目を合わせないようにしながら早足で僕の自転車の元へと向かう。
放課後になれば、部活に属している者は速やかに活動場所へ向かうべきだと僕は思っている。野球部はグラウンドへ、卓球部は体育館へ、美術部は美術室へ、そして帰宅部は帰路へ。そんな意識の高い帰宅部のエースは、そそくさと駐輪場に行き、ウォーリーを探せ並みに難しい、自分の自転車を探す作業をしていた。
「おーい、早いよ。少しくらい待っててくれてもいいと思うんだけど。」
そう言いながら彼女、口森 玲菜は僕に歩み寄る。黒髪、長髪、身長はやや低めの教室から見る分には、まぁ、俗に言う【美人】として映る玲菜。しかし、その実態は何故か帰宅部のエースに付きまとう変わり者なのである。
「どうしてそんなに早く帰りたがるのかなぁ、【○○】くんは。」
ニヤニヤしながら玲菜が僕の方を見る。
「……ご想像にお任せする。」分かってるくせに。
「はいはい、人ゴミ虚弱体質だよね。ふふふ。」
玲菜にからかわれ、笑い者にされた僕の体質。多くの人を認識すると眩暈や吐き気、頭痛を引き起こすこの体質を、僕は人ゴミ虚弱体質と呼んでいる。
昔は今よりも酷くなかった。少しの寒気と倦怠感が僕の身体に残るだけだった。けど、日を増すごとにほんの少しずつ、確実に症状は酷くなっていった。致命的に学校が苦になったのは、確か小学四年生の夏だった。親にその事を伝えると、皆んな嫌なことはあるだの、あの子を見習えだの怒られてしまった。それでも次の日、学校を休みたいと親に伝えた。返ってきたのは昨日よりも激しい怒声と学校への強制通学切符だった。その日から学校は、生きるってことは常に苦しむことだと教えてくれる所になった。
しかし、人には適応能力というものがある。日に焼けた肌が黒くなるように、僕の目は【他人】をその辺の石や、木や、建物と同じ【背景】として見るようになった。結果、人付き合いは皆無だが、学校には休んだことがない。齢17の若輩ながら、学校は無遅刻無欠席であることだけが僕の誇りなのだ。
とは言え、僕の目にも【背景】として映らない人間は少なからず存在する。昔馴染みの親友と、暴力女と、ズボラな姉、そして今僕に話しかけている口森 玲菜である。自分の体質のこともあり少しでも学校から早く帰るために帰宅部のエースになったのに、何故か半年程前から僕に絡んできて、何故か僕と一緒に帰っている、よくわからない関係になっている。
「ねぇ、聞いてるの?」
自転車をようやっと見つけ、帰宅部の活動を開始した7分程のところで彼女が僕の自転車に並走してきた。
「いいや、全く。」
「酷いねぇ、人がせっかく君の知りたがっていたプライベートの話をしているというのに……。」
「君が観葉植物を育てている事を知りたいだなんて、砂つぶ程も思ったことはないけどね。」
「やっぱり聞いてた。ふふふ。」
玲菜と話していると、いつも話のペースを持って行かれる。というか、ずっと彼女のペースだ。対人スキルの低い僕だから出来る高等技術……でもないか……。
「私が育ててるのは、ガジュマルっていう観葉植物なんだ。マグカップ位の鉢に育ててるんだけど、幹の途中から何本も根っこが生えてるんだよ。見てるだけでとろけそうだよ。」
玲菜は、僕の頭では到底理解できない感性をお持ちのようだった。彼女の感性から語られる摩訶不思議な日本語が繰り出された時、決まって僕は皮肉を言うのだ。
「君がガジュマルの森に行ったら、とろけてこの世からいなくなっちゃいそうだね。」
面白いこと言うね、ふふふ。と、言ってくると思ってた。でも、返ってきたのは少しの間と、僕の意に反する弱々しい返答だった。
「そうだね。」
僕はゾワッと寒気がして玲菜の方を見た。彼女はどこか遠くの星を眺めるような、そんな顔をしていた。けど、僕の視線に気づくと
「あ、ビックリした?ドッキリだよ、ドッキリ。ふふふ。」
「僕は一瞬、小うるさい君が居なくなったかと思ったよ。」本当に。
「居なくならないよ、私が死ぬまでは、ね。」
死ぬまで僕は彼女に絡まれ続けるのか。とんだ凶星の下に生まれたようである。
学校から離れて15分程のところにある公園。そこが僕と玲菜の別れる場所である。せわしない彼女と帰っていると、15分なんていつもあっという間なのだ。そして今日も「また明日」、と言いながら彼女は爛々と自転車を漕いで行く。
まだ春だというのに少しばかり暑く感じる。心地よい春風が吹いたところで、僕も自転車を漕ぎだした。