王都探検・前
「え?王都に行きたい?」
魔術師カミルは、言われた言葉を反芻した。
まさかそんな言葉が出てくるなんて思わなかったから。
「うん、1時間だけでもいいから、どんなところか見てみたいの。カミル様、一度だけ、連れていってください」
魔術師カミルにお願い事。
そんな命知らずなことをしているのは、最近仲良くなったにんじん娘、ハルだった。
「王都に行きたいなら、ディートリヒに言えばいい。喜んで案内してくれるよ、帰してくれるかは分からないけど」
カミルがそう答えると、ハルは怒ったような困ったような、頬を膨らまして考えている。
考え事をするときに軽く頬を膨らますのはこの娘の癖らしい。今日も林檎みたいに頬も真っ赤になっている。
「ディーには内緒なんです」
ハルはそれだけ言うと、諦めたのかカミルにぺこりと頭を下げると去ろうとした。
待った待った、面白いことをこの俺が逃す訳ないじゃないか。
「ディートリヒには内緒なの?なんで?」
目をらんらんと輝かせて聞くものだから、ハルは一歩後ずさった。
「…知られたくないからです」
「それって王都に行ったことが?王都に行ってすることが?」
「連れていってくれないなら、もう頼みません。失礼します、カミル様」
「待った、連れていくよ。だから教えて?」
カミルが慌てて言葉を繋ぐと、ハルは観念したように空を仰いでから、教えてくれた。
本当に小声で、耳打ちしてくれた。
「…王都に行って、ディーがどんな生活をしているのか、見てみたいんです」
……俺、まじぐっじょぶ。
カミルは目を閉じて心のなかでガッツポーズした。
これは本当に面白いことになりそうだ。
今日は、王都で勤務中のディートリヒに頼まれて、カミルだけがハルのところに来ていたのだが、ちょうどよかったのだろう。
カミルはディートリヒに頼まれた本題、ハルの家に防護結界をちゃちゃちゃっと張ると、ハルの手を握ってにっこり笑った。
「善は急げだよ。さ、行こうか」
魔術師カミルの満面の笑みに、ハルは背筋に悪寒が走ったと後日語ったという。
******
「…さて、ここが俺の家だよ」
魔術師カミルがハルを連れて転移した先は、王都の自室だった。
ハルがざっと見渡した限りだと、ほとんど物がない。
意外だった、なんか本や薬品や頭蓋骨とかで散らかっていそうに思っていたのに。
「ハル、今何考えた?お兄さんに教えてごらん?」
「え!いや、綺麗な部屋だなあって…」
ハルは慌てて答えたが、カミルはあまり気にしていないようだった。
よくわかんない人だなあ、とハルはカミルを横目で見る。
カミルは王都でもお偉い魔術師様らしいが、年齢不詳で、実際どんなお仕事をしているかよくわからない。
ハルから見たカミルは、ディートリヒと同じくらいの年齢、おそらく20代で、さらさらの黒髪を適当に整えている、そこらに居てそうなお兄さんだ。
ハルはカミル以外の魔術師様を知らないのだが、白に緑の刺繍が施されたローブは、きっと魔術師様の正装なんだろうと思っている。
「そうだな、ディートリヒの様子を見るなら近衛隊舎に行くのが一番だね」
うんうん、とカミルは頷く。
「その前に、変装しなきゃ!ディートリヒに内緒なんだろう?大丈夫、俺に任せて!大船に乗ったつもりでいなよ!」
「え?変装するんですか?なんでーーーー」
ハルが言い終わる前に、カミルは再び転移した。
大船というか、泥舟に乗ったかもしれないと、ハルはちょっぴり反省した。
「まあああああ!!カミル様、いらっしゃいませ!」
「ああ、ミセス・ボヌール。こんにちは、突然だけど大丈夫かな?」
ハルは転移に慣れていない。
次に目を開けたら、そこは色とりどりのドレスや帽子でいっぱいのお部屋だったらびっくりするだろう。
ハルは小さく悲鳴を上げた。
「な、なにここ…!」
「まあああああ!なんて可愛らしい小さな女の子!カミル様、この子は?」
「ふふふ、秘密だよ。今日はこの子をお願いしたくて来たんだ」
「腕が鳴りますわあ!任せてくださいまし!」
ハルは、目の前の思いっきり着飾ったご婦人に腕を掴まれると、ずるずると引きずられていった。
「カ、カミル様…!」
「待ってるよ〜、おめかししておいで〜」
カミルは青ざめるハルに向かって、ひらひらと手を振った。
カミルが突然やってきたこの場所は、ミセス・ボヌールの服飾店。婦人ドレスや帽子、男性服から何でもござれ。カミル御用達のお店である。
「さあさあ、お嬢様。お覚悟あそばせ?」
ハルはどうしてここに来たのかわかっていない。
ミセス・ボヌールだって、カミルから事情も何も聞いていないと思う。
それなのに、万事心得ていると言わんばかりの笑顔でハルに迫ってくる。
「ばっちり、可愛くしてさしあげますわ!」
「い、ぎ、ぎゃああああ……!!」
服飾店からとは思えない、蛙の潰れたような声が聞こえたという。
******
「ん?…なんか、急に胸騒ぎが」
「ディートリヒ!余所見するんじゃねえ!」
「すみません!ちょっと腹イタで休憩を!」
「嘘つけぇ!思いっきり胸騒ぎとか言ってんじゃねえか?!」
「え、聞こえてました?!」
近衛隊、ただいまディートリヒの所属する第一隊は午後の訓練中だ。
隊舎の中庭で、隊長直々の鬼稽古の最中だった。
剣を打ち合っていたディートリヒは、変な胸騒ぎで抜け出そうとしたが、思いっきり先輩に止められてしまった。
「おい、ディートリヒ。今日の訓練がどうして隊長自ら指揮されてるか、分かってて言ってるんだろうなあ?」
「すみません!俺のせいです!先輩まで付き合わせてすみません!」
先日、ディートリヒが勤務時間外にした捕り物が、いくら犯罪者相手とはいえやり過ぎており、「元気が有り余ってる若者がいるらしいじゃねえの」と国の将軍から隊長が注意されたことによる。
ディートリヒ自身は、やり過ぎはわかっていても、大事なハルに危ない思いをさせた奴らだ。
後悔はしていない。
(そもそも、俺さえ気を付けていればあんなことはならなかったかもしれないし)
町なかでひとり身の子どもにお金を渡そうとしたんだ。
有頂天だったあの時の自分を殴りたい。
「ああ…!やっぱり心配とはいえ、ハルのことをカミルに任せるなんて間違ってたかな?!」
「余所見に続いて考え事かよ!余裕だなおい!」
先輩が力任せに打ち込んでくるが、ディートリヒは剣先で流しながら切り返す。
「だって!いくら子どもとはいえハルですよ?!あの可愛さにあいつがクラリと来ちゃったらどうするんですか?!一人の女を友と取り合うなんて…困ったハルとか可愛すぎじゃないですか先輩どうしてくれるんですか!」
ディートリヒ、鼻息荒く先輩に打ち込んだ。
先輩が後ろにたたら踏んだのは、決してディートリヒの様子に引いたからではない、多分。
「お、おい、落ち着けディートリヒ。お前せっかくの顔がすごい緩みきってるぞ」
「え?俺の顔を褒めてくれるなんて先輩珍しい」
「褒めてねえよ!馬鹿かてめえは!」
「そうです、なじってこそ先輩です!」
「ああ?!頭は大丈夫か?!」
先輩とディートリヒがお互い怒鳴りながら打ち込んでいると、訓練の終わりを知らせる笛が鳴った。
「よしっ!終わりだ、先輩俺…」
「お前はまだ仕事だ!」
「そうでしたー!」
ディートリヒは引き続き城内の巡回が命じられていたのを思い出し、格好を整えに隊舎に走った。
近衛隊期待の若手ディートリヒ、最近様子がおかしいことがあっても、概ね真面目に勤務をこなす優秀な騎士である。
王都探検、前編です。
好きなシチュエーションばかり詰め込んで書いてますw
カミルの狙いは一体…?!
にんじん娘は無事王都探検できるのでしょうか←
感想お待ちしていますw