魔術師カミルとにんじん娘
魔術師カミルが、新たな贄を見つけたらしい。
近衛隊にとって命綱と言える情報が出回るのは早かった。
皆いかに自分の命が大事かよく分かる。
隊長は速やかにその対象を調査することを命じ、報告された内容を知って眉をひそめた。
『近衛隊隊員ディートリヒのだいじなだいじなにんじん娘』
文書はここで終わっている。
最後は書き殴ったような跡が残っている。
誰だこのいい加減な調書を作った奴は!と怒鳴りかけた隊長は、部下達がやたらボロボロなことに気づいた。
「お前たち…まさか……」
「た、隊長っ…!」
自分が気付くまで、弱音も吐かずにいた部下達。
隊長と彼らは、ひた、と見つめあってーーーーー
「よく頑張ったお前たちーーー!!」
「た、隊長ーーー!!!」
がしいっ!と熱い抱擁を交わした。
これぞ近衛隊名物、漢泣き隊長とその熱い部下達である。
部下達をボロボロにしたのは、そもそもの元凶である魔術師カミルだ。
「俺のおもちゃを奪っちゃダ・メ❤︎」
ここにはいない彼の声が、すぐそこで聞こえるようだった。
******
「ねえねえ〜にんじん娘〜」
「にんじんじゃありません、ハルです。カミル様」
魔術師カミルは、山あいの町に遊びに来ていた。
最近出会ったハルの家の前で、ハルと一緒にごろりとピクニックシートに寝転がっていた。
目の前では、ディートリヒが板と釘とノコギリと、大工道具を使ってギコギコと屋根を修繕していた。
数日前、ディートリヒが「受け取ってくれ!俺の全財産!」といったとき、腹がよじれるほど笑った。
馬鹿だろあいつ。
にんじん娘も怯えて泣いてしまったじゃないか。
結局、笑い過ぎたカミルがその場に介入して「これ以上は腹筋がもたない!」とディートリヒを連れ帰ったのだが、なるほど、ディートリヒも考えたようだ。
「ディーが、お金が駄目なら修理だけでもさせてくれって、朝から始めたんです」
にんじん娘ことハルは、ふわあ、と欠伸をしながら教えてくれる。
おーい、ディートリヒ、欠伸姿をガン見していると自分の手を切るぞー。
ハルは、大金を持ったことがないから使い方がわからない。
怖くて受け取れないから、思わず断ったけど、実際に屋根を直してくれるならありがたく受け取れる。
カミルは屋根の上で修繕に励むディートリヒを見た。
おい、あいつ今屋根穴から見えたベッドに鼻を膨らませていなかったか?大丈夫か?
騎士職だが、ディートリヒはわりと器用にこなせる方らしい。
ハルの家は長いこと手入れも十分にできていなかったのだが、屋根全体の修繕を終えて、ついでに壁にも手を加え始めた。
もとの装飾はできるだけそのままに、古くなったところは入れ替えて。
カミルがちらりとハルを見やると、その様子は嬉しそうだった。
言葉には出さないが、頬っぺたを真っ赤にして、綺麗になっていく家を見守っている。
「にんじんじゃなくて、林檎にしてあげようか」
「だから野菜でも果物でもなく、ハルです。カミル様!」
ハルをからかうのは楽しい。
カミルはディートリヒで遊ぶのが大好きだったが、ディートリヒが見つけたこの娘で遊ぶのも大好きになった。
「ディートリヒはいい奴だよ」
だからちょっとだけ援護してやろうと、カミルは言った。
「え?」
「馬鹿で真面目で冗談が通じないときもあるけれど、ディートリヒはいい奴だ」
「…そうですね」
ハルは、なぜだか扉を頑丈に修理し始めたディートリヒを見てしみじみと言う。
なぜ扉?
「近衛隊期待の若手って言われていて、隊長の信任も厚い」
「そうなんですね」
「見目もいいから、よく近衛隊の広告塔にされている。王都のパレードは見たことがある?先頭の白馬に乗るのはここ数年あいつの役目だ」
「…そうなんですね」
「すごいよ、どこから集まったかわからないぐらいのひとがいて、特に女性がディートリヒに花を投げるんだ。騎士様ー!騎士様ー!って。あいつもいちいち照れたり驚いたりするから、ここ数年でディートリヒ目当ての女性が思いきり増えた」
「……そうなんですか」
「ディートリヒも満更でないようで、近衛隊の他の奴らによく羨ましがられていたよ」
「へえ」
カミルは思いついた"褒め言葉"をぺらぺらと挙げ連ねた。
近衛隊の連中がよく「いいなあ」とか「あいつはすげえよ、マジで」とか言っている話だ。
きっとハルもすごいと言ってくれるだろうーーー
「ハル?」
突然立ち上がったハルに、カミルは声をかける。
まだまだあるぞ、聞かなくていいのか?
「ミリアムさんのところに行ってくる。ばいばい」
ハルはぶっきらぼうに告げると、寝転がったカミルをそのままにすたすたと歩いていった。
慌てたのは扉を修理していたディートリヒだ。
「ハ、ハル?!どこに行くんだ?!ミリアムさんのところに行くにはまだ早くない?!」
ハルは、ディートリヒの声を思いっきり無視した。
「…ハ、ハル!どうしたの?怒っているのか?!なんで?!……怒った顔も可愛いよーーーっ!ハルーーッ!!」
ディートリヒに振り向いたハルの目は、据わっていた。
ハルにそんな風に見つめられたのに、ディートリヒには逆効果だったようだ。
修理していた扉の前で、両腕を抱き込んで前屈みに悶絶している。
駄目だ、あいつ早くなんとかしないと。
ひとり悶絶するディートリヒを横目に、カミルは首を傾げた。
(あれ?俺変なこと言った?)
人の心の機微にちょっぴり疎い、魔術師カミルだった。
******
「ミリアムさん、お代わり」
「お代わりはいいんだけどよぉ、ハル。どうしたんだ、急に牛乳が飲みたいなんて」
ミリアムさんの酒場には、大抵のメニューが揃ってる。
だけれど昼間から牛乳を飲みにくるやつは滅多にいない。
ミリアムさんは、様子のおかしいハルを見ながら考えた。
これはまた、騎士様の影響か?
「前に聞いたの。牛乳を飲むとおっきくなるって」
ん?とミリアムさんは耳を疑った。
ハルの目に、闘志の炎が見えるのは気のせいだろうか。
「私、早くおっきくなるの」
ハルはそう言うと、お代わりの牛乳をゴクゴクと飲み干した。
2杯飲んで満足そうにするハルに、ミリアムさんは何も言えない。
(いや、健康にはいいかもしれねえけど、ハルの思ってることにはならねえかもよ…?)
いつのことかわからないが、いつかおっきくなったときに、おっきくなっていますように。
牛乳代金を支払われた身として、ミリアムさんは静かに祈るのだった。
やっと屋根が直りました。
これでハルも安心して眠ることができ…ますよね。
感想お待ちしています笑