第9話 ガストルク城塞後始末
ガストルク城塞
国境警備隊長であったマールス・ルシーリウスを罷免し、かつて奴隷牢であった場所へ私兵と共に収容したアルトリウスは、早速城塞の改革に着手した。
まずは近隣の軍組織に事の顛末を記した書状を送って理解を求め、隊長代行にノヴス・レーダーを任命し、分散配置されていた国境守備隊300を呼び戻して城塞の体制を復旧させる。
収奪された食糧や財物は没収し、返還出来る物は全て返還した。
奴隷化されていた族民や降伏蛮族は全て身分を保障した上で解放し、村へと送り届ける。
加えてアルトリウスはなけなしのコネを使い、既に帝国本土へと売り払われてしまった族民や降伏蛮族についても捜索と解放、更には北西属州への帰還を手配した。
アルトリウスは城塞内の隊長室、元々はマールスが設えさせた少し趣味の悪い部屋で執務中、伝送石通信を伝令担当の兵士から受け取った。
「どれだけやれるか分からんであるが、何もせぬよりはましであろう」
「……ありがとうございます」
手配が完了したとの報告が記された帝都にいる親友マグヌスからの伝送石通信を読みながら、アルトリウスは傍らにいて書類仕事を手伝っていたレリアに言う。
レリアは西方帝国に比較的友好的なアルクイン族の有力支族の令嬢である故に、西方帝国の教養を受けた事があり、文字の読み書きが出来る。
残念ながらアルクイン族の友好的な姿勢はマールスに乗ぜられる結果となってしまっていたのだが、悪徳隊長は罷免され、アルトリウスがやって来た。
アルトリウスはレリアを通じて自分の赴任地近辺に勢力を持つ部族と連絡を取り、伝手を作ってその情報を得るという意図もあって彼女を雇う事にしたのである。
最初は相当な説得が必要であろうと思っていたアルトリウスであったが、意外な事にレリアはあっさりとこれに応じた。
メサリアに軍書類や行政文書の作成方法を教わりながら、レリアはアルトリウスの秘書として雇用されることとなったのである。
そのレリアは、アルトリウスが差し出した手紙を受け取り、内容を一読すると驚きの声を上げた。
「アルトリウスさん、失礼ですが手紙1つで奴隷となった人の捜索や解放が出来るなんてすごいですねっ」
「ん、まあ、それについては我の力では無いのであるが……我にも友と呼べる者があちこち居るのである。その1人に頼んだのだ」
「そうですか、このマグヌスさんとは一体どういう方ですか?」
自分の力で解決出来ない事が面白くないのだろう。
少しつまらなさそうに言うのがおかしく、笑いを含みながらレリアがその手紙に書かれている差出人名を示して問いを重ねると、アルトリウスがにやっとして答えた。
「皇族である」
「……えっ?」
「現皇帝に連なる、正統家の御曹司である」
「なっ、なんでそんな人とっ?」
驚愕で目を丸くしているレリアを見て、いたずらが成功した子供のような笑い声を上げるアルトリウス。
一頻り笑い終えるが、それでも腹を抱えて笑みを漏らしながらアルトリウスが言った。
「くくく……友達に身分も出自も関係あるまい?まあ、マグヌスにこの話をしてやれば苦笑いするであろうがなっ、くくくっ」
「は、はあ……お友達、なんですね……」
アルトリウスの言葉に納得したわけでは無い。
あの西方帝国を統べる一族のしかも高位の者と、ただ者では無いとは言えただの司令官でしか無いこの目の前のアルトリウスが友達であるというのだ、信じられるわけが無い。
普通ではあり得ないことだ。
しかしその手紙は間違いなくアルトリウスが願い、それを受けた皇族マグヌスの依頼で軍や行政府、属州など関係各所への手配が終わっていることが記されていた。
「まあ、嘘では無いしな、これで早く事が解決出来れば良いのである」
「そ、それはそうですけれども……でも、皇族と……」
「アルトリウスならば……そういうこともあるだろう」
戸惑いを隠しきれないレリアを余所に、アルトリウスを挟んだ反対側からハスキーボイスが響く。
「イヴリン?あなた……」
「お?身体はもう大丈夫なのであるか?」
レリアが絶句し、アルトリウスが朗らかに声を掛けると、部屋に入ってきたアルクインの女戦士イヴリンははにかみながら答えた。
「……ああ、レリアとアルトリウスのお陰だ」
イヴリンはアルビオニウス人の戦士らしく、白いズボンに茶色の長靴を履き、厚手の白い長衣の上から半袖型の鎖帷子を身に着け、長い金髪を後で束ねており、取り戻した帯革にはアルビオニウス人が好んで使う長剣がある。
顔や腕には少し打撲痕が残っているものの、アルトリウスが見たあの時とは見違えるほどの堂々たる女戦士がそこに立っていた。
「おう、やはり素晴らしいな!」
立ち上がってから顎に手を当て、その姿をじっくりしたから上まで見回していたアルトリウスが感嘆の声を上げてその肩を叩くと、イヴリンは恥ずかしそうに下を向く。
アルトリウスより頭1つ大きいイヴリンがその様な態度を取って男に接しているのを見て、レリアは顔にこそ出さなかったが驚きで一杯だった。
アルクインのイヴリンと言えば、その女とは思えないほどの豪剣と相反する美貌でアルビオニウスで知らぬ者は無いほどの戦士である。
今回は不幸にも主筋であるレリアが捕縛され、その身を守らんとして捕らえられてしまったのだ。
幸いにもマールスの私兵達はレリアの身分を知らず、その興味はイヴリンに向いたので、敢えて抵抗せず我が身を任せたという経緯があった。
もちろんその話はアルトリウス以外は知らず、当の主筋に当たるレリアも知らない。
戦士の秘密と名誉は確かに守られていた。
ただ、奴隷牢から引きはがされ、私兵達に連れて行かれたイヴリンの末路は誰が見ても明らかで、たとえ現場を目撃していなくとも疑惑や噂は残る。
故にイヴリンは他の族民達が村へ戻った後もアルトリウスの元に居残ったのだ。
もちろん理由はそれだけでは無い。
主筋のレリアが残るという事もあったし、酷く痛め付けられた身体を癒やさなければならないという理由もあった。
そしてアルトリウスの存在もある。
「うむ……それで、考えは改まったであるか?」
療養中の自分を見舞ったアルトリウスにイヴリンは誓いを捧げたいと申し出ており、アルトリウスはよく考えるようにと言ってそれを一旦断っていた。
「……決意は変わらない。私だけでなく、みんなの命のお礼としては安いもの……私はアルトリウスの役に立てると思う、是非」
そしてイヴリンは腰の剣を静かに抜くと切っ先を上に目の前へと立てた。
その剣をくるりと回して切っ先を下に、柄をアルトリウスに差し出しつつ腰を落して跪く。
「アルビオニウスはアルクインの戦士、イヴリンは帝国の司令官、ガイウス・アルトリウスに戦士の誓いを捧げる」
「……戦士の秘密と名誉は守られる、それは未来永劫に、無償でである。何の気兼ねをすることもいらぬし、我に尽くすことも無い」
しかしアルトリウスはイヴリンの剣を取らずにそう言葉を返した。
その言葉を聞いて必死の形相で見上げてくるイヴリンへ、アルトリウスは彼女と同じように片膝をつき、その肩へ手を置いて優しく語りかける。
「それに主筋のレリア嬢は如何する?その方が身を賭して守った令嬢は?」
「私の命と、名誉と、身体と剣はあなたに……レリアには悪いが……これは私の、最初で最後の我が儘だ」
それでもじっと正面にあるアルトリウスの黒い瞳を深い青色の瞳で見つめるイヴリン。
彼女の身に起こったであろう事を察し、衝撃を受けると共にその支えとなったらしい帝国人将官の姿と態度にレリアは再度衝撃を受けた。
「レリア嬢、如何したものかな……1つ言葉をかけてやってくれんであるか?」
アルトリウスが珍しく少し困ったように言うと、レリアはすっと跪いている2人に近寄りゆっくり口を開いた。
「戦士イヴリン、あなたの献身のお陰で私の身心は守られました。あなたの最初の誓いはこれで果たされたものと見なします」
「レ、レリアっ……あ、ありがとう」
アルトリウスの隣に跪いて言ったレリアとイヴリンが手を取り合う。
そして2人の目からつっと涙が落ちた。
関係は主従であったとしても、年も近く姉妹同然に育った2人は友人と家族両方を兼ね備えた深い関係にあったのである。
不幸が重なったとは言え、この様な事態に陥り、図らずもイヴリンはその身心を大きく損ねることとなった。
それが癒える間だけでも、イヴリンを部族から引き離した方が良いだろうし、本人もそれを望んでいる。
レリアはイヴリンの決意を知り、その意を酌むことに決めたのだ。
「……但し、私も一緒にアルトリウスさんの元に居ます」
「レ、レリア!それは……!」
その言葉に慌てるイヴリンを見て微笑む。
レリアは今アルトリウスに雇われている形になっているとは言え、出自はアルクインの有力氏族であり、見方によってはアルトリウスが人質を取っているようにも受け取られかねない。
それで無くともマールスの暴挙のお陰で北西辺境の各部族の不満や怒りは高まっているのだ。
アルトリウスとしては帝国風の書類の遣り取りを覚えさせてから、なるべく早く一旦レリアを帰し、レリアを部族側においた形での交流を考えていた。
レリアを帝国側においておけば情報を得るのにも有利であるし、積極的に活用しなくとも人質としての効果も期待出来る。
しかしそれでは信頼を得ることは出来ない。
だが2人の考えは違うようだ。
レリアは横で苦虫をかみ潰したような顔をしているアルトリウスに向き直って言う。
「これで解決ですね」
「何の解決になっておらんであるぞ」
アルトリウスはため息を吐き、イヴリンの方を見る。
そこにはレリアを心配しつつも期待に胸を膨らませるイヴリンの顔がある。
「……仕方ないのである」
「あ、ありがとうアルトリウス」
そう言いつつ立ち上がって自分の剣を取ったアルトリウスに、イヴリンは再び涙を流して礼を述べるのだった。
戦士の誓いを受け入れられたイヴリンは、嬉しそうな笑顔をずっと浮かべたままアルトリウスの横に控えている。
おそらく護衛しているつもりなのだろうが、仕事ぶりを一部始終眺められることになったアルトリウスは、非常に居心地の悪い思いをしていた。
その光景を微笑ましそうに見ていたレリアへ、アルトリウスが声を掛ける。
「あ~レリア嬢。残って貰うのは、まあ……我としては大いに助かるのであるが、良いのであるか?」
アルトリウスの言葉にレリアは微笑みを深くして答えた。
「はい、人を遣って手紙を送りますので、その許可を戴ければと思います」
「それは別段構わんであるぞ」
あっさりそう言って手紙を書くようにと紙とペンを差し出すアルトリウスに、今度は頼んだレリアが驚きを隠せない。
降伏蛮族や従属族民に対しては、反乱の通信などをされないよう原則として私信の遣り取りは禁止されており、また特別に許可される場合でも検閲を受けなければならない。
しかしアルトリウスは一切そう言った素振りを見せずにレリアへ手紙を書くよう促す。
レリアは驚きつつも事の経緯とこれからの予定を記した手紙を作ると、一度アルトリウスへ提出した。
アルトリウスは出来上がったそれを読む事もせずにさっさと封をしてしまう。
「……宜しいのですか?」
「何がであるか?……ああ、検閲であるか?そんなもの必要ないのである」
アルトリウスは疑問の言葉を発しかけたが途中でレリアの言わんとした所を理解し、そう言いつつ再度その封緘を施した手紙をレリアに戻す。
どうやらただ単に封をする為、レリアから手紙を預かっただけのようだ。
「あ、あの……」
「ああん?何であるか、早く信の置ける者に渡してくるのである」
「わ……分かりました」
驚いているレリアへアルトリウスが手を振って言うと、しばらく驚き、そして考えていたレリアはすぐに階下へと向うべく踵を返す。
村に戻る族民の1人で、自分の氏族のクリエンテス(被保護者)が居るので、その者に手紙を託すのだ。
「おっと、そうそう忘れていたである。レリア嬢、ついでにこの手紙も一緒に運んで貰えると助かるのである」
歩き出したレリアを呼び止め、アルトリウスは1通の手紙を差し出した。
「これは?」
「うむ、内容は他でも無い。族長殿らと少しばかり会って話をしてみたいと書いてあるのである」
「えっ?」
「それは……危険だぞアルトリウス」
レリアが驚きの声を上げ、控えていたイヴリンが眉を顰めて諫める。
アルクイン族は比較的穏健派とは言え、今の西方帝国の態度や蛮族政策については腹を立てている。
ましてや今回有力氏族の令嬢が攫われ、族民を奴隷狩りの憂き目に遭わされているのだ。
それにこの様な帝国との会談といった内容の話しはすぐに他部族へも知れ渡るので、帝国に恨みを持つ部族にその隙を突かれないとも限らない。
幾らレリアやイヴリンの信頼という後ろ盾があったとしても、命の危険がある。
それ程アルビオニウスの民は激しく帝国と対立しているのだ。
「その様なことを恐れていては事は為し遂げられん」
「分かりました……」
「行くのなら私もついていくぞ」
アルトリウスの決意が固いと知り、レリアは手紙を受け取りイヴリンは剣の柄を握りしめて言うのだった。