第8話 城塞制圧・後篇
「おい、良いから余所へいけよ!」
「何だ、手伝ってやるって言ってるだろう?」
「さっきの女戦士を取られたからって、そういきり立つなよ」
「良いからうせやがれっ」
そう言いつつ女を引いていた私兵は幕を乱暴に閉める。
他の私兵達も女がそれ程抵抗を示さなかった事もあり、肩をすくめるとその前で順番待ちをする事にした。
他の女に手を付けても良いのだが、商品価値が下がるとマールスに叱責されてしまうのでこういった場合は一人を順番にが基本である。
一方小部屋へ入った私兵は同僚達が付いてこない事を確認すると、手枷を引き、乱暴に大柄な女を突き飛ばした。
「うへへっ!そそるじゃねえかっ!」
あられもない格好で倒れる女を見て情欲に火が付いた私兵が大わらわで下穿きを取り去って息を荒らげて覆い被さって行く。
その私兵を女はそっと下から抱き止めた。
「お?お?おおっ?いいぜええっいいぜ……はげっ?」
しかし私兵はガッチリ身体を固められると万力のような凄まじい力で締め上げられる。
「なはっ……ぐげええぇぇぇっ、えげっ?」
肺から空気を残らず絞り出された状態でしばらく把持され、肋骨をめきめきと数本折られた私兵は白目を剥いて泡を吹き、気を失った。
大柄な女は私兵を脇に乱暴に退け、フードを取って立ち上がる。
「ふん、汚い上に臭いである」
香水をふんだんに振り掛け、たっぷりと小麦粉を顔や肌に塗り込めて白くし、唇に紅を引いたアルトリウスはそう小さく吐き捨てると幕の反対側に立っている兵士を部屋へと引きずり込んだ。
「な、なんだてめえは!?ぐはっ!」
「お?いおっ?あがっ……」
突如幕ごしに伸びた手に襟髪を掴まれ、部屋の中へ後ろ向きに引きずり込まれた私兵達はアルトリウスに拳を顔へ撃ち込まれて敢え無く気を失う。
フード付きの長衣を身に着けて身体の線をなるべく女らしいものに変え、メサリアから服と化粧と香水を借り、レリアに協力して貰って化粧を施し女装したアルトリウス。
異様な面相もフードを被って下を向いてさえいれば、紅を引いた唇と色白の顎先しか見えないので、それだけでは男と見えない。
手を直接取られないよう嵌めていた手枷を力任せに外すと、アルトリウスはつぶやいた。
「さあて、見た所ここの見張りは30名前後であるか……取り敢えず4人」
奴隷牢周辺にいた私兵の人数を記憶から呼び起こし、それ以外に邪な行為をしに来ている者も考慮に入れてアルトリウスは全員を倒すべく知恵を巡らす。
アルトリウスは前をぶらぶら通りがかった私兵を引きずり込んで首を絞めて気絶させると、フードを被り直してそっと外を窺った。
少し離れた場所で複数の私兵の荒い息づかいと女の悲鳴交じりの声が聞こえる。
「……戦場の悲劇と言ってしまえばそれまでであるが、気分の良いものでは無いな」
顔を顰めて再度つぶやくアルトリウスは、他に現れる私兵の気配が無い事を確認してからその部屋へと向った。
中では案の定、複数の私兵が1人の族民の女を組み伏せて行為の真っ最中。
アルトリウスはフードを被ったまま、まず女に覆い被さっている男を両手で引きはがして声を上げる間もなくその腹に拳を打ち込む。
ぼぐっと鈍い音と共に男の目が裏返った。
悶絶した男を放り棄て、次いで女を押さえ付けていた3人の男達に襲いかかるアルトリウス。
「なっ!?何だてめっ……おごっ」
「うげ!」
「ぐお?」
次々と顔面や顎を硬い拳で打たれて気絶する男達。
その下から涙と汗、血と体液塗れの大柄で長い金髪を乱した女の姿が現れた。
豊かな胸が呼吸で上下している所を見れば死んではいないのだろうが、酷く体力を消耗している様子が見て取れる。
女は新たに現れたアルトリウスの姿をその瞳が捉えるが、僅かな反応しか示さない。
「哀れな……日がな一日犯されていたようであるな」
アルトリウスは汚れに構わず、破り捨てられていた服でその身体を拭いてやった。
そして女の首をゆっくり抱き起こすと、傍らに置いてあった私兵達が自分の為に用意したらしい飲み水をその口に宛がう。
小さな陶器製の水差しから水が口に注がれると、女はごくごくと勢い良く飲み干した。
しばらくもの凄い勢いで水を飲んでいた女だったが、ごほっとむせ返ったのを聞いたアルトリウスは水を宛がうのを止める。
「大丈夫……ではないであろうが、取り敢えず人心地付いたであるか?」
こくりと頷いた女の顔がアルトリウスの顔を凝視する。
「うん?ああ、これか……これはここに潜入する為に族民の女衆に紛れた時の変装である」
苦笑しつつアルトリウスは自分の顔に塗りたくられている小麦粉を指で取ってみせた。
「すまない……世話になった……ぅ、あんたは……?」
「我はガイウス・アルトリウス。この先の地に砦を造りに来た司令官である……立てるであるか?」
かすれた声で問い掛けてきた女にアルトリウスがそう問い掛けると、女はゆっくりと頷いてアルトリウスの手を借りて立ち上がる。
大柄な女だなとは思っていたが、アルトリウスより頭1つ分大きい。
アルトリウスはフード付きの長衣を脱ぐとその身体を覆ってやり、見上げるようにして更に話し掛けた。
「さて、ここを脱出するのであれば手助けしてやれるであるが……復讐を果たすというのであれば協力出来ん。どうするであるか?」
「……あんたに付いていく」
「うん?まあ……構わんであるが、我はこの砦を制圧するのでな、邪魔するでないぞ」
女の曖昧な答えに片眉を上げるが、まあ今はその方が安全だろうとアルトリウスは承諾を与えると女は頷き、つっかえながら口を開く。
「承知した……あたしは……アルクインの戦士、イヴリン……」
「そうであるか……いずれにせよ戦士イヴリン」
「……何だ?」
「そなたの名誉と秘密は守られるであろう」
厳かな声色で発せられたその言葉に、はっと息を飲むイヴリンへ何とも言えない複雑な笑顔を残し、アルトリウスは踵を返す。
イヴリンはぎりりと唇を強く噛み締め、アルトリウスから与えられたフード付きの長衣をぐっと握りしめるとその背中を見た。
アルトリウスは何も言わずにイヴリンに背を向けている。
その背中が全てを語っていた。
イヴリンは長衣を身に着け、外された帯革や剣帯などの装備を取り戻すと、私兵達の剣を取って抜き放ち、アルトリウスによって気絶させられた私兵達の喉元へ次々に突き立てる。
声も漏らさず仕留められる私兵達。
アルトリウスは全てが終わった事を確認してから、今までとは別の意味で息を荒らげているイヴリンへ向き直った。
そしてくずおれて剣を取り落とし、顔に両手を当て声も無く泣いているイヴリンへ優しく声を掛ける。
「……名誉と秘密は守られる。未来永劫に、である」
一頻り泣き、少し落ち着いたイヴリンを伴ってアルトリウスは捕われていたレリア達を解放するべく奴隷牢へと戻った。
「な、何だ貴様達は!?」
「北西辺境担当司令官ガイウス・アルトリウスである!この砦における市民への不当な虐待が明らかとなった!よってここは我が制圧する!抵抗するなっ、抵抗するものは斬り捨てるぞ!」
奥から突如現れたアルトリウスとイヴリンに不意を突かれ、慌てふためく私兵達に宣言すると、アルトリウスは先程の私兵から奪い取った鍵をレリアのいる牢へと投げた。
「くそ!族民どもを助けに来たのか?」
「いかにも!」
襲いかかって来た私兵の剣を打合わせると同時に豪腕で押し込んで斬り捨てると、アルトリウスは私兵の誰何に答える。
後方では新たに現れた私兵達とイヴリンが切り結んでいた。
その横合いからアルトリウスが1人の首筋を突いて倒すと、イヴリンは剣を合わせていた私兵の喉を切り割く。
その隙にレリアは鍵を取って牢の扉を開いた。
「奴らを人質に取れ!」
それに気付いた私兵の一人が叫び、すかさず私兵達が牢へ雪崩れ込むが、その目的は果たせずに終わった。
「おっと、そこまでだ」
族民達に紛れていたアルトリウス隊の兵士達がフードや長衣を取り去って剣を私兵達に向けたのだ。
その事態に愕然として動きの止まった私兵達から武器を奪い、アルトリウス隊の兵士達は次々と私兵を拘束していく。
「最早これまでであろう、降伏せよ!」
残った私兵達もアルトリウスが力強く勧告すると、手にしていた剣を放り投げ始めた。
最終的には全員が自主的に武器を放棄し、アルトリウス隊の兵士達に拘束されたのだった。
ガストルク城塞、レーダーの部屋
「お久しぶりですレーダーさん」
「ムス輜重隊長?何故この様な場所に……」
質素な造りのレーダーの部屋を突如訪問したのは、アルトリウス隊の連絡係であるメサリア・ムス第10軍団輜重隊長であった。
「ポエヌス軍団長からの知らせは届いていますか?」
驚くレーダーを余所に、メサリアは少し焦った様子で言葉を継ぐ。
その様子を訝りながらも事態を未だ掴めないで戸惑ったままレーダーは答えた。
「あ、ああ、アルトリウス隊長が赴任してくると言うのは聞いている、が……?」
「では裏の意味も?」
「……もちろんだ」
含みを持たせた自分の言葉に即答するレーダーを見て、メサリアは安堵したように息をつく。
レーダーもメサリアの今の台詞でようやく事態を把握したようだ。
メサリアは直ぐさまきっと厳しい顔付きとなって言葉を発した。
「では早急にレーダーさんの配下の兵士を動かして下さい。現在アルトリウス隊長がマールス・ルシーリウス国境警備隊長を罷免するべく行動中です。レーダーさんは砦内の私兵を牽制して下さい。我が方の兵士は現在中庭でそれとなく行動中ですが、もう間もなく騒ぎが起こるでしょう」
「いきなりですな……ですが承知致しました」
レーダーはそう言うと従兵を国境警備兵へ連絡を取らせるべく走らせる。
この砦にはマールスの私兵が300人余り、それに加えて正規の国境警備兵300人が詰めていた。
本来であれば国境警備兵が600名のみが配置されているはずなのだが、マールスの運用で私兵が加えられ、今の形態にされているのだ。
すぐに配下の兵士に連絡が付き、レーダーの元へも30名程の兵士がやって来た。
「準備出来ましたか?」
「うむ、では行きますかな」
メサリアの言葉に応じたレーダーは、兜と剣を手に部屋を出ると廊下で待つ兵士達の先頭にメサリアと共に立つ。
「それで、アルトリウス司令官はどこへ?」
「証拠を押さえると奴隷牢へ向いました」
メサリアの言葉に周囲の兵士達から驚きの雰囲気が伝わり、レーダー自身も目を見張る。
貴族の首魁たる一族に連なる、この国境警備隊長を排除するという、今まで誰もが望みつつも成し得なかった事が為されようとしているのだ。
しかも暴力で闇雲に取り除くのではない、きっちりと手順と証拠を集めての摘発。
「……なるほど、本気ですな」
「はい、アルトリウス司令官は本気です」
レーダーはメサリアが嬉しそうに言うと、黙って頷き兜を被る。
「よし、では中庭へ急行する。我ら国境警備兵はアルトリウス司令官の指揮下にて、マールス・ルシーリウス国境警備隊長の不正摘発に加わるぞ!」
おう!
威勢の良い兵士達の応答を背中に受け、レーダーはここ数年来で久しぶりに感じる爽快感に身を震わせて城塞の暗い廊下を進むのだった。
ガストルク城塞、東門側中庭
にわかに城塞の奥の方、私兵達に族民奴隷を連行させた先が騒がしくなり、アルトリウス隊の将官とバルコニーに設けた縁台で歓談していたマールスは眉を顰める。
「どうかしましたかね?」
「いえ、お騒がせして申し訳ない……何だ!何の騒ぎだ!」
マールスがアルトリウスだとばかり思っている将官、百人隊長のロミリウスにそう問われ、近くを通りがかった私兵に聞くと、予想外の答えが返ってきた。
「奴隷どもの反乱のようです!奴隷牢が占拠されてしまいました」
「な、何っ?」
慌てて指令を出すべく向き直ったマールスへ、ロミリウスは静かに剣を突きつけた。
それと同時にぶらぶらと所在なさげにしていたアルトリウス隊の兵士達が近くに居たマールスの私兵へ一斉に剣を突きつけたのである。
見れば知らぬ間にアルトリウス隊の兵士達は私兵の近くへ巧みに陣取っており、一瞬でマールス側は城塞の防護壁の上から、門衛まで全員が剣を突きつけられて無力化されてしまった。
「な、何の真似ですかっ?冗談は止めにして頂きたい!」
「冗談などでは無いのである」
しかしそれに答えたのは剣を突きつけている目の前の将官では無く、奴隷牢の方から出てきた珍妙な格好をした男だった。
帝国風の女性用貫頭衣を身に着け、おしろいのようなもので顔や手足を真っ白に塗り込め、紅を差した不気味な男は、後方に族民の女戦士に村娘、更にはアルトリウス隊の兵士を従え、マールスへ不敵?な笑みを向けて宣言した。
「我こそは北西辺境担当司令官ガイウス・アルトリウスである!この砦は我が貰った!」
「な、なななななっ何を?」
マールスが余りの事に剣を突きつけられている事を一瞬忘れて椅子から腰を浮かせ、慌てふためく。
そこへメサリアを伴ってレーダーが国境警備兵を率いてやって来た。
「レ、レーダー!痴れ者だっ、あ奴を討ち取れ!」
「ははは、アルトリウス司令官、その言葉では誤解を招きますぞ」
しかしマールスの言葉にレーダーは応えず、それどころか面白そうにアルトリウスを名乗った男へ話し掛けた。
「そうであるが、まあ良いではないか。さして事実は変わらん」
「それはそうですが……」
「アルトリウス司令官っ」
呆れた様子のレーダーに続いてメサリアが咎めるように言うと、アルトリウスはやれやれといった様子で肩をすくめてから改めて言葉を発した。
「では……北西管区国境警備隊長マールス・ルシーリウス。その方を誘拐罪、不正蓄財の罪、地域騒擾罪、権力濫用罪により逮捕、その職務を解任する!」