第7話 城塞制圧・前篇
ガルトルク要塞、見張り塔
アルトリウス隊200名は車列を連ね、粛々と道を進む。
本来ルデニウムからの道程であれば南門へ到着するのが普通であるが、アルトリウスの意向で周辺地域の探索を兼ねて行った為、東門からの到着となったのだ。
その伝令を受けたマールスは、隠そうとした女子供の族民奴隷達と行き逢わなかったかと冷や冷やしたが、幸いにもアルトリウス隊はその族民奴隷達を脱走者と見なしたようである。
車列の後から縄に繋がれた女子供が続いているのを見て、矢狭間からアルトリウス隊の隊列を見下ろしていたマールスは、ほっと胸をなで下ろす。
「やれやれ……擬装させておいて良かった。何とかばれずに済んだようだな」
「はっ、擬装兵達は上手く自分達だけ逃げ果せたようです」
私兵長がマールスの言葉に頷きながら言うと、マールスは安堵のため息を吐いて言葉を継いだ。
「族民奴隷が何を吐こうとも帝国貴族であり、軍の司令官でもある私の言葉以上の力を持つはずは無いからな」
「正にそのとおりです」
私兵長が発した自分への追従の言葉を聞き、ようやく一安心したマールスは、平民の英雄とやらの出迎えに行くべく矢狭間から身を離し、階下へと歩を進める。
「しかしなんで末席とは言え貴族の私が平民の出迎えなどせねばならんのか……」
「そうは仰いましても、相手はあの“南方の勝利者”アルトリウス司令官です」
「それはそうだが……」
愚痴めいた自分の言葉を諫めるような私兵長に、渋々ながらも同意するマールス。
確かに西方帝国で並ぶ者の無い英雄であるアルトリウス。
その高名や能力は蔑ろに出来ないどころか、扱いを誤れば要らぬ騒乱の火種ともなりかねない。
加えて厄介な事に、彼の者は貴族の威光や権力を全く意に介さない事でも有名である。
悩むマールスに私兵長が言葉を発した。
「それに、あの奴隷どもの扱いを見れば、彼の英雄も我らの仲間に入れられるやも知れません」
「ふむ、希代の英雄を仲間にな……しかし奴は平民だ」
一瞬魅力的な提案に思えたが、マールスはアルトリウスの出自を思い出して言葉を濁す。
貴族派貴族として領地を有する貴族の代表格であるルシーリウス家は、西方帝国でも指折りの由緒と実力を兼ね備えた大貴族であるが、同時に極端な貴族至上主義でも知られている。
有り体に言えば平民階級の人間を軽侮しているのだ。
そんな一族に連なるマールスに、たとえ能力を持っているとしても、そして西方世界に名を轟かせる英雄であろうとも、平民出身の人物を陣営に迎え入れるなど考えられない事である。
丸太で出来た暗い城塞内の階段を下りながらマールスが首を左右に振ってアルトリウスを仲間に入れる可能性を否定していると、その後方に付き従う私兵長が再び口を開いた。
「別に正式に仲間に入れずとも良いではありませんか」
「なに?」
その言葉に僅かに階段を下りる速度を落したマールスが訝って振り返ると、私兵長はあくどい笑みを浮かべて言葉を継ぐ。
「利を持って誘い、上手く手懐けて利用するだけにすれば宜しいのです。南方の勝利者だの平民の英雄だのと褒めそやされていても、所詮は20歳そこそこの若造です。見た目の良い島のオラン人の金髪女でも何人か宛がってやれば、ころりと傾く事でしょう」
「なるほど……」
私兵長の言葉に頷くマールス。
確かに西方帝国では、金髪碧眼の多い北方人の女奴隷は非常に人気が高い。
その為にマールスはこの北西辺境で奴隷狩りまでして、高値で売れる北方人である島のオラン人の女を集めて売りさばいているのだ。
もちろん北方人の男も女同様奴隷としては人気がある。
頑健で体力があり、身体付きも大柄であるので肉体労働を主とする労働奴隷として非常に重宝されていた。
西方帝国でも奴隷を使っているのは領地運営や大規模農園を経営している貴族や富裕者層だけ。
西方帝国の一般市民には余り縁の無い奴隷達であるが、それでも居る所には数百人単位で奴隷を運用している貴族や農園経営者も居るのだ。
「上手い具合に上物が揃えられるな」
集めた女奴隷を品定めした時の事を思い出して言うマールスに、私兵長も頷きながら下卑た笑みを浮かべて言う。
「はい、新たに集めた女奴隷をそのまま与えてしまいましょう」
「そうだな……惜しい気もするが、まあ良いだろう」
「はい、少しばかり痛手ですが、アルトリウスを抱き込めればすぐに取り戻せる損です」
マールスの返事に私兵長はそう答え、更に言葉を継いだ。
「幸いにも奴はここより更に奥地の降伏蛮族の統治を任されたようです。新たな奴隷を獲得するにも便利ですし、擦れていない馬鹿な蛮族が新たに手に入る事でしょう」
ようやく階下に着き、マールスは私兵長の他に待機していた護衛兵達を引き連れて東門へと向う。
荒んだ雰囲気の漂う城塞内。
それは決してここが西方帝国の西北国境最前線であるからという理由だけでは無い。
装備品をだらしなく身に着けた私兵達や、そのなぶりものにされている族民奴隷の姿があちこちにあり、ぶちまけられた飲食物や散乱しているゴミ、壊れたり何故か焼け焦げたりしている食器や備品がまるで帝都の貧民街のような光景を形作っていた。
あちこちで消された篝火がぶすぶすと煙を上げ、散乱する燃えさしや灰が荒廃ぶりに一層拍車をかけている。
そのどうしようも無い荒れた雰囲気を持った城塞内を、好ましい物を見る目つきで眺め回したマールス。
その態度はまるで活気があって宜しいと言わんばかりのものであった。
マールスは泥濘を跳ね上げながら東門へと向いつつ口を開く。
「……それにアルトリウスの奴は戦いだけは掛け値無しに強いからな」
「はい、上手く利用して北のリガン族や海賊の盾にも出来ます」
私兵長の言葉に、それまで機嫌良さげな笑みを浮かべていた顔を顰めるマールス。
リガン族や島のオラン人海賊は西方帝国北西辺境における、最大にして最悪の敵であり、その構図は西方帝国がこの島の過半を征服して以来変わっていない。
西方帝国側では様々な権力を行使出来るマールスであるが、その外側である蛮族に対してははっきり言って打つ手も対抗手段も無いし、それを為そうという意思もない。
蛮族や海賊が攻めてくれば城塞に引き籠もってやり過ごすだけである。
後は伝令を送って応援を要請し、第11軍団か第10軍団が駆けつけて蛮族を撃退してくれるのをじっと見て待っていれば良いのだ。
そこに新たにアルトリウスという盤石の盾が加わる。
「ふむ……よし、それでいこう」
「では?」
「ああ、アルトリウスを上手く利用してやる。何、戦いは強いかもしれんが、どうせ頻繁に左遷させられてしまうような能無しだ。どうとでも言いくるめられるだろう」
マールスはそれまでの緊張が嘘のような軽やかな足取りで東門へと向うのだった。
ガルトルク城塞、東門
「北西辺境担当司令官ガイウス・アルトリウス麾下アルトリウス隊到着!開門せよ!」
堂々たる声量で呼ばわる将官の声に反応し、重い丸太で造られた城門がゆっくりと内側に開かれる。
十分車両が通れるほどまで開かれた城門の周囲にばらばらと私兵が警備の為に展開すると、マールスは勿体ぶった足取りで城門の外へと進み出た。
マールスは先頭に立つ偉丈夫へ西方帝国式の胸に拳を当てる敬礼と共に口上を述べる。
「ガルトルク城塞守備司令官にして北西辺境国境警備隊長マールス・ルシーリウス」
「……出迎えありがとうございます。アルトリウス隊ただ今着任致しました。これよりしばらくお世話になります」
答礼した将官へにこやかに右手を差し出して握手を交わすと、マールスは後方を見てさも驚いたかのように尋ねる。
「おや……後方に族民どもがおりますが、如何しましたか?」
「ここへの途中、戦士に守られた族民の集団を見付けたので蹴散らしてやっただけです。おそらく移住者でしょうが……」
将官の台詞にマールスは内心安堵のため息を吐いた。
アルトリウスは捕縛した族民達を尋問せずにここへ連行してきたのだろう、どうやら彼らをを捕らえて奴隷化していた事は一切ばれていないらしい。
ふっと肩の力を抜いたマールスを冷ややかに見つめながら将官が言葉を継ぐ。
「戦士どもは情けなくも森の奥深くへ自分の民を置き去りにして逃げ散ってしまいましたので、女子供ばかりでしたが捕らえて連行した次第です。北方人の女子供は高く売れますからね」
「ほう!流石はアルトリウス司令官、早速向背定かならぬ族民どもを蹴散らされたわけですな!」
白々しくも感歎したふりをしたマールスは、いよいよほくそ笑む。
どうやら部下達は奴隷を奪われるという失態こそ犯したものの、帝国兵であると言う事はばれない内に逃走を図ったようだ。
すぐ奴隷を引き取ってアルトリウス隊から引き離してしまえば、事の次第は闇の中。
数日後には奴隷商がやって来て、この事実を知る族民達は全て帝国本土へと旅立ってしまう。
マールスはすぐに将官へ提案をする。
「そうですな……ではこの者達を奴隷牢へ入れてしまいましょう」
「奴隷牢ですか?」
「はい、この北西辺境で狩れた奴隷を一時的に保管しておくのですよ」
「ほう……」
「アルトリウス司令官もご存じでしょうが、何分北方人は高く売れますからな。城塞の奥の雨風のあたらない場所に設けてあるのです。そこに入れておけば商品価値は下がりませんでしょう」
マールスが赴任してから命じ、城塞内の兵舎を改装して設けさせた奴隷牢はそれなりの設備を持つ奴隷の一時保管設備である。
「ではさっそくお願い致しましょう」
アルトリウス隊の面々はどんどん車列を砦内に入れ、その兵士達も2人か3人一組で周囲に散らばっていく。
中には物珍しそうに要塞の中を探索し始める兵士も居る。
最後尾に続いていた族民達をマールスは私兵に命じてアルトリウス隊の兵士達から引き取ると奥へ連行させると、正面の将官に言った。
「むさ苦しい最前線の砦ですが、ゆっくりくつろいで下さい」
「お心遣い有り難うございます」
ガルトルク城塞深部、奴隷牢
「おら、さっさと歩かねえか!うすのろどもが!」
アルトリウス隊から見えない場所まで来ると、私兵達は途端に態度を変えて族民達を乱暴に扱い始めた。
数珠繋ぎになっている縄を強く引き、槍で小突いたり蹴飛ばしたりと散々な扱いである。
やがて奴隷牢が見えてくると、族民達は声にならない悲鳴を上げる。
先頃まで自分達が入れられていた牢は相変らず酷い環境で、汚物はそのまま残されており、腐臭を放っていた。
清掃もまともにされた様子はなく、薄暗い牢の中にはごろごろと力なく島のオラン人達が薄い毛布や藁に縋って寝転がっている。
誰も彼も酷くやつれ、やせ細り、しかも大怪我をしている者が多数居る。
その隣の少し暗がりになっている部屋からは切れ切れに女の悲鳴が聞こえてきた。
一緒に聞こえてくる男の喘ぎ声から、残酷な行為が行われているのは明白で見るまでも無い。
再び目にした余りの光景に圧倒され、黙ってされるがままの族民達であったが、私兵達はフードをすっぽり被った一際大柄な女が僅かに抵抗の兆しを見せたのを目敏く見付けた。
先頭を行く私兵が引いた縄を僅かながら引き返したのである。
「おまえ……良い度胸だな?」
私兵の1人が舌なめずりせんばかりの勢いでその女を縄から外して連れ出す。
「お?なかなか良いじゃネエか……俺好みだぜ!」
「物好きな奴だな……そんなデカイ女」
「それ、やっちまうのか?」
「悪趣味だな……まあでも手伝うぜ?」
身をちぢこめるようにしてうつむいているその大柄な女の手枷を引いて私兵の一人が奥の暗がりになっている部屋へ向うと、周囲の私兵達がはやし立てるように言った。
「うるせえ!人の趣味にケチ付けんじゃねえ!」
「そう怒るなよ、手伝ってやるから」
私兵達は残った族民達を牢に入れると、大柄な女を小突きながら囲んで立ち去ってしまう。
不安そうにその様子を牢の中から見守るのはレリアと娘達。
やがて大柄な女と私兵達は暗がりへと消えていった。