第6話 アルトリウスと奴隷達
ガルトルク城塞、東門からの道路
レリアは島のオラン人と帝国から呼ばれる、アルビオニウス人の1部族、アルクイン族の娘であるが、薬草収集に集落から出ていたところをマールスの奴隷狩りに遭ってしまった。
他の娘達と共に捕われ、その後他の部族や集落から連れて来られた人々と一緒にされ、このガルトルク城塞へ拉致されてきたのである。
戦って敗れた戦士達は拷問の上に牢へ入れられたが、村人達は私兵達の見張りの元、城塞内で働かされていた。
当然ながら見目麗しい娘達は私兵達に乱暴される結末を迎えるが、自死する事すら許されずに城塞内に拘束され続けている。
もうしばらくすれば奴隷として帝国本土へ移送される事が決まっており、レリア達は絶望しながらも何とか逃げ出す隙を窺っていた。
しかし今日突然、レリア達は収容されていた区域から出されると、村を焼き討ちされた族民達と一緒に外へ放り出された。
部族の戦士に擬装した私兵達に連れられ、裏門から出されたレリア達。
周囲を固めた私兵達に小突かれながら東へ向う土を固めただけの道を歩かされる。
このまま行けば降伏した蛮族の村々がある地域へ向かう事になるが、油断無く周囲を取り囲んでいる私兵達に隙を見いだせず、また怪我をしていたり病気をしている者や幼い子供も居る中で仲間を見捨てて逃げ出すという選択も出来ない。
レリア達は時折振るわれる理不尽な暴力に怯えながら、道を進んでいた。
しばらく進んだ所で、先頭付近を行くレリアの前からざわめきが聞こえてきた。
そのざわめきを聞いた周囲の私兵達が慌てて奴隷に罵声や暴力を加えて横の森へ移動させようとするが、事態を理解出来ず、また突然の指示に対応出来ない奴隷達の列が混乱してしまう。
そうこうしている内に、正面から整然と列を組み、車両を連ねた帝国軍の部隊がやって来た。
悲鳴を上げる奴隷達や焦って怒号を上げる私兵達を見て先頭の隊長と思われる男が首を傾げるのがレリアに見える。
その黒目黒髪の若い帝国人将官は、よく手入れのされた古い鎧を鈍色に光らせ、赤い房付きの兜を被り、房と同じ赤い色のマントを靡かせている。
背丈は特別高いわけでは無いが、帝国人としては大柄でガッシリとした体付きをしており、自分の乗馬だろうか、槍と盾を載せた馬を曳いていた。
その将官が後方に向って手を上げて何事かを叫ぶと、部隊はぴたりと止まる。
そして馬の手綱を傍らにいた女性将官に預け、背の高い帝国兵と巨体をもつ帝国兵を連れてレリア達に向って歩いてきた。
新たな帝国軍の登場に、攫われてきた人々は恐慌状態となって泣き叫び、その場に座り込んでしまい、それを何とか移動させようと奮闘していた私兵達だったが、帝国軍の将官達が近づいてくるのを見て諦める。
その将官は立ち止まると腕を組み、集まってきた擬装私兵たちに向って質す。
「アルトリウス隊隊長のガイウス・アルトリウスである。これは何の事態であるか?率いている者は?」
「……おれが率いている。何か用があるのか帝国人」
部族戦士に擬装している兵士達の中で一際身体の大きい者が進み出てアルトリウスに対峙する。
それを見たアルトリウスは片眉を上げ、後方に固まって震えている族民達をちらりと見た。
彼らの姿はボロボロで汚れきっており、怪我をしている者や病気の者も見受けられる。
そして明らかに自分達を守るはずの戦士達に怯えている様子が見て取れた。
もちろん、自分達帝国人にも心を許している様子はないが、それにしても見れば見るほどおかしい。
その内アルトリウスの目は、族民達の手足に付いている縄や枷の跡を見出した。
すっとその目が細められる。
「率いているとは見えんであるな……女子供ばかりで、しかも酷く疲弊している」
「我が部族の事だ、ほっといてもらおう」
相手の鋭い視線が向いている方向に気付かず、適当にあしらおうとした擬装兵に、アルトリウスは腕組みを解いてから手の平を向けて言う。
「そうはいかん」
「何?」
訝る擬装兵に、アルトリウスは不敵な笑みを浮かべて宣言した。
「その方らを不審と認め、全員検めることにする!神妙にするのである!」
アルトリウスの宣告と対峙している擬装兵の不穏な雰囲気に気付いたメサリアが、周辺の兵士を率いて駆けつけてくると擬装兵士達も剣を抜きはなった。
「ほう、それは帝国製の剣であるな」
「……くっ?」
擬装兵の剣を見たアルトリウスが瞬時に見抜いて面白そうに言うと、擬装兵達は怯んで後退る。
折角奴隷にした族民どもを棄ててしまうのは惜しいが、それに拘って正体がばれるわけにはいかない。
しかし族民を棄てていけばその口からすぐに自分達の正体はばれてしまうだろう。
このアルトリウスという隊長が城塞にいるマールスの言葉とここにいる族民達の言葉のどちらかを信用するか分からないが、捕まって口を割らされたり、持ち物や自分自身を証拠として使われる事だけは避けたい。
せめてこの場から抜け出しさえずれば、知らぬ存ぜぬでシラを切り通して言い抜けをすることが出来るかもしれない。
「全員退き……!」
「おっと、そうはいかん」
「がふっ?」
アルトリウスと対峙していた擬装兵の長は、振り返って叫びかけたところでアルトリウスの拳で意識を刈り取られた。
後頭部を殴りつけられた擬装兵長はぐりんと目を裏返すとその場に崩れ落ちる。
「くそ!こうなったら奴隷どもを殺せ!」
別の擬装兵が大声で叫ぶと、族民達は悲鳴を上げて逃げ惑った。
レリアは擬装兵が叫ぶと同時にへたり込んでいる周囲の娘達を立たせ、咄嗟の判断でアルトリウスの元へと必死に走った。
後から3人の擬装兵が追い掛けてくるが、もつれる足を必死に動かして逃げるレリア。
「あっ!?」
先頭を走っていた娘とその弟らしいちびっ子が地面に蹴躓いて転び、その後ろを走っていたレリア達も巻き込んで転んでしまった。
「このガキどもが!」
「うあっ……!」
一番後方に居たレリアは、転んだところを追い付いてきた擬装兵に捕まってしまう。
薄汚れた金髪の長い髪を乱暴に掴まれ、引き上げられたレリアは痛みと恐怖に身を固くした。
首筋を狙う剣の気配を感じて目を閉じたレリアの耳に、優しく力強い声が入る。
「よく頑張ったであるな」
その言葉を聞いた直後、髪を引いていた力がなくなり、暴力から解放されたレリアは地面に手をついた。
ばさっと布が身体にかかる。
感触に驚いてレリアがはっと見上げると、そこには男臭い笑みを浮かべた若い将官、アルトリウスが自分のマントをレリアの身体にかけている姿があった。
「みなを連れてあちらの部隊に保護を求めるである。何、悪いようにはしないのである」
アルトリウスは自分の部隊をレリアに指で示し、アルトリウスは立ち上がると向ってきた擬装兵士を瞬く間に拳で叩き伏せた。
「行くである!」
その声にはっと我に返ったレリアは、周囲の娘や子供達を立たせて走り出す。
向う先は帝国軍の車列を伴った部隊。
北西辺境においては圧政者として君臨している帝国軍。
略奪、破壊、殺、傷、犯、攫。
この言葉以外に帝国というものを認識していなかった今までのレリアの感覚では考えられない事だが、年若いこの帝国人将官の言葉はすんなり信じてしまう。
その同じ帝国軍の兵士を容赦なく殴りつけていく将官の背中を見て、レリアは確かに希望があると思わせる明るさと暖かさを感じたのだった。
「ロミリウス!カルドゥス!ムス!族民達を保護するのである!」
「了解」
「おう!」
「了解しました」
三者三様の応答を残し、族民達を保護するべく散る。
ロミリウスは防護陣を張らせるべく部隊に駆け戻り、カルドゥスはムスの率いてきた兵士の半分を引き連れて遠くの族民を保護すべく動く。
そしてメサリアはアルトリウスの背後を固めた。
「殺すでないっ、制圧せよ!」
アルトリウスは鋭く命令を下すと同時に、破れかぶれになって向ってきた擬装兵の剣を躱しざまその腹を思い切り膝で蹴り上げた。
「ぐえ!」
胃の中身をぶちまけながら倒れる擬装兵。
その吐瀉物を見てアルトリウスは顔を顰めた。
「何だ、軍で給食している麦粥ではないか……剣の出所といい、言葉の訛りといい、お主ら帝国兵か?」
既に気を失っている擬装兵が答えることは無かったが、その台詞を聞いてメサリアが身体を硬くした。
その様子を見たアルトリウスが冷ややかに言う。
「……知っている事は後で聞かせて貰うであるぞ」
「はい」
自分の吐いた少し強い口調の言葉にも怯まず、しかし素直にそう答えるメサリアへ笑顔を残してアルトリウスは拳を固める。
「さあ!かかってくるである!」
わっと擬装兵達がアルトリウスに群がるように剣を振るう。
「腰が入っておらんである!」
「ぬげっ!」
ごんと重い音と共に剣を突き出そうとした擬装兵が頭をぶん殴られ、地面に叩き付けられた。
次いでアルトリウスは大きく上段から剣を振り下ろしてきた擬装兵の剣をものともせずに踏み込み、その柄頭を左手で押さえて止めると顔面に鋭く拳を見舞う。
「剣の振りが遅い!」
「ぐぼっ」
「しっかり踏み込むのである!」
「あがっ」
「腹が弛んでいるのである!」
「あひえっ?」
「しっかり剣を握らんか!」
「どえっ」
擬装兵達の剣技を採点しつつ、注意点を指摘しながら拳を振るい続けるアルトリウス。
擬装兵達の剣はかすりもせず、アルトリウスは剣を抜く事も無く拳だけで次々と彼らを沈黙させていった。
「うわははははは!」
がつんと乾いた打撃音が響いた。
顔面を撃ち抜かれた最後の擬装兵が後方へひっくり返ると、アルトリウスは高笑いを発する。
その後方でもアルトリウスの部下達がしっかり役目を果たしていた。
ロミリウスはきっちり部隊を纏めて防御陣を敷いており、カルドゥスは捕らえた擬装兵士達に配下の兵士と一緒に縄をかけている。
メサリアもアルトリウスが伸した擬装兵士達を、配下の兵士達に命じて捕縛させていた。
アルトリウスは部下達の働きを満足そうに眺めてからゆっくりとメサリアの元へと近づくと、観念したように向き直った彼女へ言葉を発する。
「さあて、こやつらには後でとっくり事情を聞くとして……ムス!」
「はい」
「事情とポエヌス軍団長からの密命、話して貰うぞ」
アルトリウスの言葉に軽く目を見張ったメサリアだったが、ほっと安心したようなため息を吐いて口を開く。
「……そこまで見抜かれているとあっては仕方ありません。お話しします……軍団長からも無理に隠し立てはするなと言われておりますので」
「ほう?」
「これで重かった気も晴れるというものです」
アルトリウスが腕を組み、ぴくりと眉を動かすと、メサリアは笑顔で言うのだった。
数刻後、ガストルク城塞北門前
奴隷にされていたレリア達は改めてアルトリウス隊の車両に乗せられ、怪我をした者や病気にかかっているものはメサリアや治療兵達から治療を受ける。
食糧や水もアルトリウス隊から分け与えられ、ようやく人心地付いた。
そのレリアにアルトリウスが手を上げ、朗らかな笑顔と共に近づく。
「その方がレリア嬢であるか?」
「……は、はい」
「恐れる事は無い。我は先程も名乗ったがガイウス・アルトリウスという西方帝国のしがない司令官である」
「そ、そうですか」
先程の活躍を見ればとても普通の枠に収るような人物ではないが、取り敢えず頷いてみせるレリアに、笑顔を深くしたアルトリウスが言葉を継ぐ。
「身分と安全は保障するので少しばかり協力をして貰いたいのであるが……如何かな?」
「……何故私にその様な話しをするのですか?」
その言葉に警戒感も露わなレリアが答えると、アルトリウスは肩をすくめて言った。
「別に何もないのである、ただアルクインの有力氏族の令嬢ともなれば、人望もあろうし、嬢の言葉に従うものも多かろう?そう言う打算である」
自分の素性がばれている事に息を呑むレリアへ、アルトリウスは誠実さ溢れる微笑みで言った。
「我は帝国人である。信用出来ぬのも無理からん事ではあるが、先程無頼な同胞を捕縛した事実に免じて1つ協力して欲しいのである」