第5話 ガストルク城塞の内実
城塞ガルトルク近くの街道
木の皮が付いたままの木材、と言うよりも丸太を幾重にも重ねて壁と成し、その外に泥を塗り固めて造られた城塞ガルトルクが遠くに見えてきた。
「おう、間もなくである。もう一踏ん張りであるぞ!」
アルトリウスの檄に疲労感を滲ませつつも兵士達が槍や盾、果ては使っている円匙を持ち上げて応じる。
この辺りまで来ると街道も石畳から砂利敷きへと変わり、街道の整備された地で育ったアルトリウス隊の兵士達にしてみれば悪路感が否めないものの、それでも野原を進むより遥かに早くそして楽に進む事が出来る。
ただ、石畳とはやはり異なり補修が必要な所もあるのだ。
たまに出来た穴ぼこや水たまりの後を先行する兵士が円匙を持って埋め直し、周囲の原っぱから木ぎれや石塊をもってきて傾斜を均す。
そうして大重量を持つ建築資材を満載した馬車を通すのである。
もちろん馬車は北西辺境で製作された物であるし、当然軍に納入されている物なので頑丈さについては折り紙付きであるけれども、なるべく傷まない様にした方が良いのは言うまでも無い。
特に車輪や車軸が折れたり外れたりしてしまうと、まず修理が大仕事となってしまう。
当然その故障した馬車を置いていくわけにも行かないので、修理に時間を取られるだけで無く車列そのものの進行速度にも関わってしまうのだ。
予備の部品は持ってきているとは言え数に限りがある上に、補修するにも街道を外れてしまえば都合良く広闊地など無い場所である。
加えて進行中に突如車軸が折れてしまえば、重量物を満載した車両は横転し、周囲の兵や他の車両をも巻き込んで大惨事となる可能性もある。
その為にアルトリウスはちょくちょく小休止を取り、車両の点検に時間を費やして傷んだ場所は早めに修理を行うなどの措置を取って、事故を起こさない様に努めて進軍して来たのだ。
全体としてみれば行軍速度は落ちたものの、ここまで約10日間大きな事故も無く、また兵士達の疲労程度も軽く来る事が出来たのであった。
「隊長、城塞は見えていますが今日中には着けないと思います」
「うむ、山頂にあるが故に近く見えるであるが、まあ余裕を見てあと1日であるな」
ロミリウスが言い、アルトリウスも少し渋い顔で答えると、少し草原の広がる場所で部隊に小休止を命じた。
そして先行する兵士や中段に居た兵士達に続いて命じた。
「探索兵を周囲に放つのである。ここはもう辺境であるからな、蛮族の浸透があるかもしれんである、油断するでない」
疲労の少ない兵士達が率先して3名ずつ6組、槍を持ち、弓の弦を張って剣を持ち、防具を整えて周囲の探索に向う。
探索兵は敵の有無や危険な獣の有無に加えて薪や水場、食糧となる獣や果実、薬草の探索も仕事に入っており、見付けた場合は優先して獲得する権利を貰えるが必ず部隊に持ち帰らねばならない事になっている。
但し部隊が貧窮している場合、優先権は保留されるのは言うまでも無い。
「ムス君、水の配給をしてやってくれ」
「承知しました」
アルトリウスが命じるとメサリアは1つ頷いてマントを翻し、嬉しそうに中段の車列に積載されてる水槽へ向った。
水道設備や井戸の整っていない辺境で飲料水は貴重品であるので、配給の際には必ず将官が立ち会い、規定量だけを配るのである。
メサリアが水の配給を始め、探索兵が出発ししばらくしてからアルトリウスは大休止を命じた。
それまで完全武装で警戒を織り交ぜつつ休息していた兵士達だったが、その命令と共に半数が武具を解き警戒する兵士達の輪の内で思い思いの格好で休息を取り始める。
また残った者は周囲の警戒と併せて馬車の点検を始めた。
馬と馬車を繋ぐ綱や装具から始まり、車台の下に潜り込んで車軸や車輪に到るまで、素早くかつ丁寧に点検を行っていく兵士達。
特に異状は見つからなかったようで、交換や修理の報告は上がってこない。
「まあ、折角ここまで来て無茶をやって事故を起こしてもつまらんであるからな」
その様子を頼もしそうに見ながら兜を取り、アルトリウスは汗にまみれた自分の短髪をガリガリと掻いて汗を飛ばして言った。
兜を手にしたままアルトリウスは直近の馬車の上へと昇る。
周囲は深い森で、今アルトリウス隊が休憩している場所だけが少し開けて草原となっているものの、濃い緑に覆われていてその奥は見通す事が出来ない。
今までいた南方のうねる様な伸び方をしている樹林とは異なり、樫や椎などの落葉広葉樹が適度な間隔で生えている。
夏真っ盛りという事もあるだろうが、蚊や虻の類いも多く飛来しており、余り生活環境としては良くないようだ。
その内周囲に放った探索兵達が戻って来た。
そして馬車の上に座っているアルトリウスを見付けて、探索の成果を報告するべくわらわらと集まってきた。
「おう、ご苦労さんだったであるな。状況はどうであるか?」
アルトリウスが言葉を投げかけると、正面に向っていた探索兵の1人が口を開く。
「前面には敵性勢力ありませんでした」
「後方も無し。後をつける者もいやせん」
「右側面1、途中小川がありました。水質は十分ですが水量は多くありません」
「右側面2です。異常なし」
「左側面1ですぜ……あ~ウサギを2羽仕留めやした」
「左側面2、薬草を幾つか採取しております」
口々に報告をする探索兵達。
その報告内容は一様に異常なし、というものであり、取り敢えずはアルトリウスを安心させた。
「では大休止を取れ。ウサギは捕った者達の隊でわけるである。薬草も同様にせよ」
アルトリウスはそう命じて探索兵達を解散させると、自分も休憩を取るべく馬車の御者台へともたれかかるのだった。
その頃、ガルトルクの国境守備隊本部では北西管区国境警備隊長のマールス・ルシーリウスが大慌てで部下達に良からぬ指示を下していた。
その指示であちこちに放り出されていた財宝や食糧、服飾品や美術品などが私兵達の手によって片付けられていく。
その作業をそわそわと見守りながらマールスは目敏く取りこぼされた財宝を見付けて鋭く声を飛ばした。
「さっさとその金塊を片付けろ!」
「はっ!」
慌てて私兵が金塊に覆いを掛けてどこかへと持ち去る。
「奪った食糧は全て秘密倉庫へしまえ!」
「分かりました!」
次いで荷車に満載されている食糧を示してマールスは窓際から指示を出し、慌てて別の私兵が荷車を置いてある中庭へ走っていった。
「帳簿は正規の物だけを並べておけ!裏帳簿は俺の私室へ持っていけ!」
「はい!」
自室の整理をしていた執事や私兵達に更に指示を出し、マールスは砦内を縦横無尽に歩き回る。
そして鉄格子の付いている部屋の前で途方に暮れている私兵を見てその原因を察した。
しばらく悩んでいたマールスであったが、思い切ったように頭を左右へ振ると、きっと顔を私兵達に向けて言い放つ。
「くっ……仕方ない!女奴隷は一旦近くの村へ隠せ!男の奴隷は捕虜牢へぶち込んどけ!女奴隷には逃げたら身内を殺すと伝えておけよ!」
「承知しました」
慌てて鍵を開けにかかる私兵達を見てから、忌々しそうに舌打ちを残してその場を立ち去るマールス。
「クソ!ポエヌスの野郎!わざと知らせを遅らせやがって!」
平民の英雄が来る。
この知らせが来たのはつい先頃で、既に部隊はあと1日の場所に来ているという。
先触れの伝令も既に到着しており、それがより一層マールスを焦らせた。
マールスは家名が示す通りルシーリウス一族に連なる者である。
とは言っても末端中の末端であり、本来であればルシーリウスの名乗りを許されるような家柄ではないのだが、なけなしのコネを使って手に入れた北西辺境国境警備隊長の地位は彼の立場を大きく押し上げた。
蛮族相手の商売は旨味しか無い。
金銭価値をよく知らない蛮族を騙し、酒や屑ガラスを高値で売りつけ、土地を騙して奪いとり、さらってきた奴隷を使って密かに農業を経営する。
たまに大きな部族の攻撃もあるが、砦に籠もっていればすぐに西方帝国の精強な軍団が助けに飛んでくる。
値打ちのある草木や鉱物も取り放題で、入植している村々も平民ばかりで貴族に逆らうような者はいない為に税を搾り取り、必要な物資は高値で売りつける。
支配下に入った蛮族の村も同様だ。
税を取れるだけ取り、出せなければ家族を奴隷として差し出させて奪う。
本来徴税は行政官の仕事だが、危険な辺境では軍が代行する事もあるのだ。
そしてその代行は往々にして腐敗した者の手により歪められ、過酷な徴税が行われてしまうのが常であった。
そうして集めた財貨を帝国貨幣に替え、マールスは一族への付け届けや高官達へ賄賂としてどんどん流していたのである。
お陰で一族での地位は向上したが、その付け届けを当てにされ、昇進こそするもののもう10年近くもこんな辺境に縛り付けられているマールス。
収奪の度合いは過酷になる一方であった。
せめてこの地で消費すれば、財貨が還元されて少しは経済状況も良くなるのだが、マールスにそのような経済観念が有るわけも無く、ただひたすら収奪して持ち去るのみ。
彼の赴任以来、北西辺境属州の国境は荒れに荒れていた。
ポエヌスはこの事態を知っていたが、何分管轄が異なる上に相手が貴族に連なる者とあっては容易に手出し出来ない。
そこでアルトリウスの赴任を利用してマールスの失策を狙ったのである。
平民の英雄はこの城塞を拠点に別の砦を造営するという。
しかも間が悪いのか良いのか、丁度周辺の村落から物資を徴発して奴隷を集め、貢納を納めさせたばかりである。
砦中に物が満ち溢れているのだ。
これを何も知らずに送り出していれば、途中アルトリウス隊と鉢合せになっていただろうから、その時点で全てがばれてしまっていただろう。
普通の部隊であれば何ら気にする事は無いが、彼の平民英雄アルトリウスは軍紀に厳しく、支配下に置いた村邑や城市でさえ略奪を許さず、禁を破った者には容赦が無いと聞いている。
しかも貴族を特別だと思っていないし、その力を全く気にしていない上に左遷や降格を恐れてもいない。
自分自身についての欲望を露わにする事も無く、財貨にも興味を示さず、しかも軍を率いれば負け無しの活躍で、占領地政策を見れば政務もこなせるそつの無さ。
貴族や派閥からすればこれ程やり難い人間はいないのだ。
おそらく不正や今のマールスのしている事を知れば、アルトリウスは情け容赦なく取締りを実施するだろう。
そしてマールスは一族に泥を塗るというだけに留まらず、それによって一族の者達の手で人生を終わらされてしまうに違いない。
「急げ急げ急げ急げ!アルトリウスが来てしまうぞ!」
マールスが焦ったままわめきつつどたどたと廊下を歩いていると、対面から初老の将官が歩いてくるのが見えた。
「ルシーリウス国境警備隊長、この騒ぎは一体なんですかな?」
「うるさいぞレーダー!俺のやる事に一々けちを付けるなっ」
喧騒を聞付けてやって来たその初老の将官、この砦の副司令官であるノヴス・レーダーはその言葉に立ち止まって肩をすくめる。
「別にケチは付けておりませんが、こうどたばたされますと訓練や配備、それに非番の兵の仮眠にも差し支えます。止めて頂けませんか?」
「うるさい!それがケチというんだ!知った事か!」
「そうですか」
その横をすり抜けざま唾でも吐き捨てそうな勢いでマールスはそう言うと、更に余計な一言を付け加えた。
「降伏蛮族ごときが偉そうに私へ指図をするな。汚らわしい」
「……承知しました」
マールスの侮蔑の言葉にぐっと唇を噛み締め、レーダーはその背中を見送る。
あちこちで資産隠しの指示を出しながら遠ざかっていくマールスを見て、レーダーは深いため息を吐いた。
その背中に付き従っていた金髪碧眼の大男が、いたたまれないような様子で声を掛ける。
「副司令官……」
「何とかどさくさに紛れて奴隷だけでもと思ったが……強欲な男だ」
声を掛けた兵士もレーダーも島のオラン人とかつて呼ばれた部族出身の帝国兵で、既に親や祖父の代に帝国へ降伏し、帝国市民権を持つ歴とした平民なのだが、マールスら帝国本土出身者達は何かと彼らを差別した。
殊に今のマールス率いる私兵団は程度が酷く、現地採用で様々な将官に仕え、帝国人の取扱い方を心得ているレーダーですら持て余しているのだ。
帝国の支配下にあるいわゆる元蛮族の村から集められた奴隷達は、レーダーの知り合いや縁戚関係の者も居り、何とか逃がせないものかと思案していたのだが、どうやら強欲なマールスは逃がすつもりが無いらしい。
「今度やって来るアルトリウス隊長とはどんな方なんですか?」
「分からん……まあ、平民の英雄とか、南方の勝利者と言ったような誰もが知る部分は私も知っているのだが……」
兵士の質問に言葉を濁すレーダー。
正直なところ、レーダー自身にもアルトリウスに関して情報が無いのだ。
第10軍団のポエヌス軍団長からはたった一言だけ“嵐を送り込んだ”という知らせが来ている。
しかしその嵐はどの程度の物で、一体どのような効果をもたらすのか分からない。
それでもマールスらを受け入れたように、現地採用将兵のレーダーは今まで通り受け入れるしか無いのだ。
「いつも通り……期待ぐらいはしても良いだろうさ」
ため息と共にレーダーの口から吐かれた言葉は、苦渋と悲しみに満ちたものであった。