第3話 海路北西辺境へ
帝都中央街区、元近衛軍団基地
テルマエ・パトリキスで思う様風呂を堪能したアルトリウスは、またぞろぞろと不良兵士達を引き連れて近衛兵団の駐屯地へと戻ってきた。
不良兵士も全員が全員不潔であったわけでは無いのだが、アルトリウスの最初の命令によって、儀仗隊以外の全員が公衆浴場へ行ったのである。
お陰で全員が洗髪、散髪の上きっちりと髭を剃り、服装も整えられて清潔感を取り戻した。
しかしながら湯でほかほかしている200名の入浴装備を持った壮年が、アルトリウスを先頭に帝都中央街区を練り歩く姿は異様で、街を歩く官吏や貴族、市民は彼らと行き会うとぎょっとした様子で慌てて道の端へと避ける有様。
通報を受けて駆けつけた治安官吏も、先頭を行くアルトリウスに「風呂に入って帰るだけである」と宣言されてはどうもしようが無い。
実際異様と言うだけで害が有るわけで無し、先任治安官吏はアルトリウスに市民を圧迫しないようにと告げるに留める他無かった。
そのアルトリウス。
駐屯地へ戻ると儀仗隊を除く全員に半刻後集会室へ集まるよう指示を出した。
「先程の件である。正式に示達をするのである」
「……そうですか」
「おう、わかったぜ」
不良兵士に混じっていてアルトリウスに伸され、左目の周りに青いアザを付けている近衛隊百人隊長のロミリウスが静かに言い、もう1人の百人隊長であるカルドゥスが応じる。
因みにカルドゥスは腹を打たれて悶絶した組であるので顔に怪我は無い。
2人はアルトリウスから命令書を見せられ、そう告げられると踵を返した。
百人隊長ロミリウスは黒目黒髪の細身長身、年齢は33で、何時も顰め面をしている。
翻ってもう1人の百人隊長カルドゥスは35歳で、北方蛮族の血が混じっているのか愛嬌のある大ぶりな顔に熊のような巨体を持つ。
アルトリウスから離れ、薄汚れた兵舎の廊下を歩きながらカルドゥスが隣のロミリウスに声を掛ける。
「おい、どうすんだ?」
「……どうもせん。命令には従う」
「命令無視でここへ来ちまったお前らしくもねえな?」
自分のかけた言葉に無表情のまま答えるロミリウスに、カルドゥスが片眉を上げて応じると、再度ロミリウスが口を開く。
「上官を何人も殴った貴官に言われるのも妙なものだ」
「ほっとけ!で……どういった心変わりだ?」
「……理不尽な命令には従わん。合理的であれば従う」
「ほう?」
ロミリウスは貴族でもあった上官の命令に従わないどころか弾劾した事で干され、近衛兵団へと左遷された経歴を持っているのだ。
面白がるような顔のカルドゥスへ、ふんと鼻を鳴らしたロミリウスが言った。
「勘だが……あの隊長は無理難題は言わなさそうだ」
「くくく……おもしれえな、確かにそんな気がするぜ」
珍しく心底愉しそうに言うカルドゥスへ今度はロミリウスが質問を投げる。
「……そう言う自分はどうなんだ?」
「つええよなあ、あの隊長」
「……まあな」
右目の下に触れながら顰め面を深くして応えるロミリウスに、カルドゥスは脇腹をさすりながら言葉を継ぐ。
「こう見えても腕っ節には自信があったんだが、敢え無く伸されちまった」
「……あの強さは尋常では無い」
躊躇無く答えたロミリウスへ深くした笑みを向け、カルドゥスは歩みを緩めないまま肩をすくめる。
「まあそう言うこった。誰も俺にびびって正面から向ってこなかったが、あの隊長は正面切って向って来やがった。まあそれだけでも良いやな」
「……子供か」
「あん?」
ロミリウスがぽつりと漏らした言葉の意味を量りかねたカルドゥスが怪訝そうに横を向くと、ロミリウスはため息を吐きながら言葉を継いだ。
「まともに相手にされて嬉しかったという事だろう?」
「わははは、違いねえ!」
一笑したカルドゥス。
今までの上官は誰も彼もカルドゥスを恐れて意見を言えず、挙げ句の果てに裏から貶めようとこそこそと動き回って彼の逆鱗に触れる者ばかり。
負けようが敵わなかろうが、上官として責任ある態度で正面から向ってくればカルドゥスもそう無茶はしなかったはずなのだが、残念ながらそうした胆力のある上官には巡り会えなかった。
しかし今回やって来たアルトリウスはカルドゥスの思いを遂げてくれそうである。
しばらく無言で肩を並べて歩く2人の百人隊長だったが、兵士達の居住区域が近くなったのを見て取り、カルドゥスがこの男らしくも無く少し感傷的な雰囲気を醸し出して口を開いた。
「隊長、誰も相手にしなかった俺たちを、真っ直ぐに見て向ってきたな……」
「……ああ」
「どんな将官も見捨てた俺たちを、拾ってくれんじゃネエか?」
「……ふむ」
相づちを打っているだけのロミリウスだったが、カルドゥスの言葉には深く共感していた。
事前にアルトリウスが訪れるという事は帝国軍司令部より知らされており、ロミリウスやカルドゥスら下位将官だけでなく兵達も既にその訪問を知っていたのである。
しかし、敢えてアルトリウスを試そうと主張する兵士達の意見を汲み、2人は営門をくぐったアルトリウスに対して兵達が挑発する事を黙認したのだ。
「まあそれだけじゃねえんだが、どう言ったもんかなあ……隊長も左遷歴は凄いんだろう?」
「……そう聞いている。南方大陸での活躍もそもそもが左遷の結果らしい」
戸惑ったようなカルドゥスの言葉に、ロミリウスは淡々と答える。
しかし付き合いの長いカルドゥスには、彼もまたアルトリウスの経歴に戸惑っているという事が分かっていた。
「あれだけの活躍が出来る将官は今の帝国軍にゃいねえってのに……」
「……帝国軍が愚かしいのは身をもって知っているはずだろう?」
「ふん、違いねえ……だが希望もあるんだぜ?」
韜晦したような言葉を発するロミリウスに笑みを再び向け、カルドゥスが言葉を継ぐ。
「……隊長自身か?それとも任務の内容か?」
既に総司令部の事務方から赴任先や任務内容も知らされている2人。
事務方から為された、平民の英雄アルトリウスへのせめてもの心遣いであろう。
カルドゥスはそれを知ってか知らずしてか、口を開いた。
「両方だな!なんってえのかあ~う~ん……隊長は口だけじゃネエってのかな?まあ、そんな感じなんだが」
「……それは兵士達も感じているだろう?」
ロミリウスが思案してから答えると、カルドゥスもその意見に同意する。
「おうよ!あれだけの不良どもが、伸された後は大人しいもんだ。命令とは言え文句言わずに雁首揃えて風呂へ一緒に行くなんてよ!」
「……隊長の実力もさることながら、やる気と思いを知ったか?」
「まあ、拳で注入されたってえのかな?」
カルドゥスが首を捻っていると、ロミリウスが片方の口角を上げる。
「……おまけに浴場では総司令官にあの仕打ちだ」
「わははは、さすがのあれは俺も肝が冷えたぜ!兵士達の方が度胸があるな!」
大騒ぎになってしまったものの浴場での出来事を含め、この一件でアルトリウスの物事や自分達に対する姿勢を知る事が出来たのであるから、予想以上の成果を引き出せたと2人は思っている。
そして乱闘に参加した兵士のみならず、それ以外の兵士達も含めてアルトリウスの姿勢やその人柄に触れる事が出来たのも大きい。
軍には恩義も思い入れもあるが、兵達を含めてそれぞれが様々な理由で爪弾きにされ、この場へと流れてきた。
誰も悪事を働いたわけでは無くごく普通の兵士であるのだが、ただちょっとした齟齬が積み重なって次第に大きくなり、最後に爆発してしまった者達が集っているのである。
ある意味アルトリウスも、自分達と同じなのでは無いだろうか?
平民の英雄が近衛兵を率い、北西辺境へ向うという事を聞いた時、誰もが期待をすると同時に裏切られるかもしれないと恐怖した。
それがあの営門前での挑発に繋がったのである。
「……熱かったな」
「おう」
ロミリウスがアルトリウスに打たれた箇所を押さえて言った言葉に頷くカルドゥス。
今の所アルトリウスは彼らの期待に応えたと言えよう。
居住区域の前でぴたりと歩みを止めた2人は、しばらく黙ったまま佇んでいたが、カルドゥスが少し気まずそうに口を開いた。
「後な~何ってえのか……」
「俺たちと同じ臭いがするという事だろう?」
驚いて自分を見つめるカルドゥスに、にやりと珍しく笑みを浮かべたロミリウス。
その顔をまじまじと見つめていたカルドゥスも、ゆっくりと顔を驚きから笑みへと変えて言った。
「おう、お前もしたか?」
「ああ……したな」
「わははは、お前と意見が合うとは珍しいぜ!」
「……全くだ」
帝都中央街区、近衛軍団基地・集会室
「……と言うわけである」
ロミリウスとカルドゥスに集められた近衛兵団200名の不良兵士達は、アルトリウスの辞令と説明を大人しく一通り聞き終わった。
要は北西辺境に新たな砦を設け、降伏してきた元蛮族の村を3つ守備し、その分北へ国境を押し上げると言うのが主任務。
その担当司令官としてガイウス・アルトリウスが就任し、配下の兵士としてこの兵団から儀仗隊以外の200名を率いていくというのだ。
果ては西方国境から東方国境、帝国本土は言うに及ばず、北方辺境や南方辺境からも集められている不良兵士達は全員独身で、今更どこに行こうが関係ないと思っている。
そもそも上品な帝都の近衛兵という肩書きそのものに違和感を感じている質の兵士達の方が多いくらいであり、赴任先について文句は出なかった。
ロミリウスやカルドゥスが感じたアルトリウスの人物像やスタンスは、2人の百人隊長が予想した通り兵士達にも十二分に伝わっており、先程までとても兵士とは思えないほどの腐臭を放ち、だらしのない格好でうろついていたやくざ者は姿を消し、今は公衆浴場でしっかり身心の垢と汚れを落した兵士が居るだけである。
「過酷な任務になる事は間違いない。言わばこれは我の左遷に皆を巻き込んでしまう形になるのでな……無理にとは言わん、断りたい者は後で我へ直に申し出るように」
アルトリウスの説明が締めくくられた。
兵士達は無言ではあったが、この豪快で真摯な隊長を信頼する事にしたようである。
今まで自分の左遷を、過酷な任務を忌避する事無く逆に積極的な姿勢で働く上官が果たしていただろうか?
部下に、しかも会って間もない者達に謝罪する上官がいただろうか?
ふざけた態度に真っ正面から向ってくる、そして部下と乱闘の上全員を叩きのめしてしまうような豪快な上官がいたか?
確かに北西辺境は島のオラン人と対峙しており、危険度は帝都などとは比べものにならない事は分かっている。
しかし、この隊長となら、アルトリウス司令官とならば鼻つまみ者として放逐された自分達でも何かが成せるのではないか?
死んだ魚のようであった兵士達の目に生気が蘇り、意思の光が灯る。
そうして終ぞ脱退者は1人たりとも出る事は無かったのである。
数日後、帝都軍港
北西辺境へは船舶を使うのが一番早い。
アルトリウス率いる元近衛兵達200名は、自分達とその食糧や武具などの軍需物資を積載出来る船舶を借り上げ、司令官以外の全員が既に出港準備を整えていた。
その頃帝国軍総司令部では、レンドゥス総司令官がアルトリウスの送りつけた海綿を見て顔を青くしていたのである。
「こ、こ、こ、これはあはあぁ!?」
「はあ、何でもご覧に入れれば分かると仰いまして……」
事務方の係官から説明を受け、益々青くなる総司令官。
この海綿は覚えがある、間違いなくアルトリウスがこの前テルマエ・パトリキスでレンドゥスの背中を力任せに擦り下ろした時に使用していた物だ、間違いない。
レンドゥスはその海綿を手に取り思わず後ろを振り返るが、そこには誰もいなかった。
当然であるが、最後の意趣返しはこれで終わりそうな事に胸をなで下ろすレンドゥス。
実はアルトリウスの出した船舶貸与の上申を見て、船の提供を最初は拒否したレンドゥス総司令官であったが、そもそも島嶼である北西辺境へは船がないと行けない。
事務方の説得と説明もあり、やむをえずこれを渋々許可したと言う経過があったのだ。
しかしほっとして首を正面に戻したレンドゥスは、珍妙な悲鳴を上げる。
「ぎぇひいいいいい!?」
そこにはニヤニヤしながら腕を組んだアルトリウスが鎧兜に身を固め、赤いマントを身に着けた完全武装姿で立っていたのであった。
「おう、挨拶に来たのである。世話になったな!」
ガクガク震えるレンドゥスに対し、アルトリウスは笑みを消してからがんっと力強く胸に手を当て、完璧な帝国式敬礼を送る。
驚き慌てるレンドゥスが答礼を返すべくよたよたと立ち上がり、何とか不格好な敬礼を返すのを見てからアルトリウスは堂々と申告を行った。
「北西辺境担当司令官ガイウス・アルトリウス以下201名本日より任務に就きます!」
「あうあ……」
呆けたように絶句するレンドゥスへ不敵な笑みを見せ、くるりと見事な回れ右を披露したアルトリウスは言い放つ。
「すぐ大手柄を立てて戻ってやるであるぞ?待っておれい!」